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CASE:003-4 影、借ります

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

4-1. 残る声


 闇の中に、静寂が降りた。光の届かない地下室。塵も、風も、虫の気配すらない空間に──ただ、影と男とが向き合っていた。蜘手は影を見つめ、影もまた蜘手を見つめ返していた。その視線には、探るような警戒もなければ、威圧もなかった。


 不思議な対峙だった。敵意も、敵対の意思もない。ただ──会話が行われているように見える、静かな間合い。蜘手は、霊糸の手応えを指先で探りながら口を開いた。

「お前、何が目的だ」

 言い回しは、あえて直截に。影は、一瞬だけ揺れ、そして染み出すように応えた。

「……消えたくない……消えるのが怖い……」

 その声は、かすれ、深く、どこか幼いようでもあった。怨嗟や怒りといった怪異にありがちな強さが、そこにはなかった。ただひたすらに、弱々しいまま、生き残ろうとする意思だけがあった。


 蜘手は肩をすくめ、煙草の箱を指先で振る。音だけが、小さく響く。

「消えたくない、ねぇ……」

 その言葉を反芻しながら、蜘手は意識的に違う切り口を探る。こういうタイプは、問答を正面から重ねても意味を成さない──それは会話が成立しているようで、成立していない怪異。返ってくるのは理解された質問への答えではなく、ただ影の中に沈んだ言葉が反応するタイミングだけ。

 影は再び、微かに動いた。そして、ぼそぼそと──まるで思い出すように言葉を紡ぐ。

「……借りた影を少し……縫い合わせていた……そうすれば、消えないから……」

 その言葉に、透真が僅かに目を細めた。

「やはり……影を継ぎ接ぎしていたか」

 声は淡々としていたが、内心で透真はその技術の意味に思考を巡らせていた。

「……ああ……少しだけ……ほんの少しだけ……」

 影は、懐かしむように震える。その波紋のような動きが、空気に小さな振動を残した。

「借りた影に……少しだけ……見えた……」

「……ほう」

 蜘手の声が、低く響いた。


「たとえば?」

 影は、少しだけ輪郭を変えた。それは表情ではなかったが、まるで誰かが微笑んだような、そんな曖昧なかたち。

「……誰かが見た……海の夕暮れ……」

「……屋台のラーメン……」

「……家族の……笑い声……」

 言葉が零れるたびに、影の形がふわりと変化していく。

 小さな子どものような影。

 働き疲れた背中のような影。

 丸めた猫のような影──それらは一瞬で消える。

「……どれも、少しだけ……温かかった……」

 蜘手と透真は、何も言わなかった。影は、誰の邪魔をするでもなく、誰かを傷つけようとしたわけでもなかった。

 ただ──『消えたくなかった』。

 この世界に、ほんのわずかでも温もりを感じながら、誰かの記憶に少しでも触れられることで、自分という存在を、繋ぎとめたかった。


 蜘手は静かに、煙草の箱を閉じた。

「……なるほどな。そりゃ、悪い奴じゃねぇ」

 その言葉に、影は応えなかった。だが、空気が少しだけ柔らいだように思えた。


 存在は大きな脅威ではなかった。

 ただの声。──残響。



4-2. 循環


 蜘手はしばらく沈黙し、影の様子を観察していた。言葉は通じているようで、正確に言えば通じていない。だからこそ、正面からの質問には限界がある。だが──ときに、脈絡のない問いが、思いがけず核心を穿つ。

「これは単に興味本位で聞きたいだけなんだけどな」

 蜘手は、あえて軽い調子で口を開いた。

「お前、影を貸した奴のところに律儀に金を送ってたろ。その出どころはどこだ?」

 影は、わずかに揺らいだ。そして、言葉がにじみ出る。

「……生前の……金……」

「ほう、そりゃまた随分と律儀なこったな」

 蜘手は煙草の箱をくるりと回す。指先だけが静かに動いていた。

「どこにあるんだ?」

「……金……ある……」

 透真が一歩前に出て、問いかける。

「──このビルの地下ですか?」

「……そう……そこに……ある……ずっと……そこに……」

 途切れがちな言葉の中にも、流れはあった。記憶ではなく、構造に近い。怪異が自らを維持するための、自己完結した仕組み。

「つまり……まだ残ってる金を使ってるってわけか」

 蜘手は顎に手を当てながら呟いた。


「お前さ、影を貸した奴の住所──どうやって知った?」

「……わかる……」

「ほう?」

「……貸します……繋がる……そこに影……ある……」

 言葉の意味は曖昧だ。だが、蜘手には通じた。

「場所がわかる……だから届ける……」

「なるほどねぇ。あの電話が──いわば契約、ってわけかい」

 蜘手は口の端を持ち上げる。だが、その目は真剣だった。

「じゃあその金、どうやって届けてたんだ?」

 影は、ぽつりぽつりと語る。

「……影が……運ぶ……」

「……影……帰る時……金を持たせる……」

「つまり……すでに返却される影に、次の報酬を運ばせてたってわけか」

 透真は短く息を吐いた。

「完璧な仕組みとは言えませんが、怪異なりの論理としては成立している──影が媒体になって、金も流通していたんですね」

「影を返す際に金を渡す。返された影が、それを次の貸し主へ届ける。……そうして、循環させていたってわけか」

 蜘手がそう言った瞬間、影が一度だけ揺れた。

「……そう……そうすれば……ずっと続く……」

 その言葉には、どこか安心したような、あるいは祈るような、奇妙な響きがあった。


 ずっと続く。

 消えずにいられる。

 その二つは、影にとって等価なのだ。

 蜘手は、深く一つ息を吐いた。影の輪郭が、ふわりと滲み始めていた。このやりとり自体が、力の消耗なのかもしれない。透真がその様子を見つめながら、言った。

「……影を貸しすぎた人間には、すでに何らかの兆候が出ている可能性があります」

「たとえば?」

「味覚の弱化、手足の冷え、少し寒く感じる……恐らくそんな些細なところから。微細な魂のエネルギーが、影ごと抜き取られているような状態です」

「つまり、何度も貸してたら……やがて抜け殻になっちまう」

 透真は静かに頷いた。

「ええ。影が人間にとってどこまで重要なのか、まだ完全には分かっていませんが──少なくとも魂に近い何かを内包しているのは間違いありません」

 蜘手は煙草の箱を片手に、苦笑した。

「俺はもう貸しすぎた側ってことかね」

 その言葉に、影は反応しなかった。だがほんの一瞬──まるで、気まずそうに揺れた気がした。



4-3. 終影


「なあ……お前さん、どうする気だ?」

 蜘手の問いかけは、あくまで穏やかだった。けれど、その声の奥には、確かな切っ先があった。影は、静かに揺れる。

「……消えるのは、嫌だ……」

 かすれた声。

 その響きには、怒りも憎しみもなかった。ただ、ひどくひどく──哀しかった。

「……あんたの影を借りた時……少し、見えた」

 影が、輪郭を震わせながら、蜘手を見上げた。

「……娘さん……」


 その一言に、室内の空気が変わった。

 透真が、明らかに表情を強張らせる。蜘手は……一瞬だけ、呼吸を止めた。

 その動きはごく微細なものだったが、彼の指先は煙草の箱を、少しだけ強く握っていた。

「……そりゃ、また随分前の話だな」

 淡々と。どこまでも飄々と。

 だが、透真はわかっていた。その声音が、ほんの僅かに掠れていたことを。


「……覚えてる……少しだけ……」

 影が語る。言葉のひとつひとつが、温度を持っていた。

「……優しい声……手を引く、小さな手……笑い声……」

「……そうか」

 ──蜘手にはその光景が思い出せなかった。

 ──いや、思い出すことが出来なくなっていた。

 ──けれど確かに今、胸の何処かが軋んでいた。

 蜘手の声から、皮肉は消えていた。そこにあるのはただ、静かな肯定だった。

「選ばせてやる……今、ここで消えるか──」

「それとも、今までのように少しだけの温かさってやつを見ることはできないが……消える恐怖のない安寧の中で眠るか」


 影は、沈黙した。

 しばらくの間、何も答えなかった。ただ揺れ──躊躇い、そして……

「……まだ、見たい……でも……」

 その声には、確かな迷いと、確かな諦めがあった。影の揺らぎは、次第に緩やかになる。まるで、決断を始めた証のように。

「……消えるのは、嫌だ……」

 それは最初の言葉と、何一つ変わらなかった。──けれど、それを口にした声には、ほんの少しだけ、温もりがあった。

「影は、ただ人間に寄り添い、見守るだけの存在、か……」


 夕暮れの海。

 屋台のラーメン。

 家族の笑い声。

 どれも、他人の記憶だ。

 それでも──見ているだけで、そこにいた気がしたのだろう。


「……けど、それも終わりか」

 影の輪郭が揺れ、わずかに──ほんのわずかに、微笑んだように見えた。蜘手は、ゆっくりと息を吐いた。そして、見えない糸を手繰る。

「……なら、眠らせてやるよ」

 霊糸が空気をすくい上げるように伸び、影に絡む。優しく、そっと、布を繕うように──輪郭に沿い、その存在を縫い留めていく。

 「これで、お前の精神──存在はここに固定された。もう、消えることに怯える必要はねぇ。何も考えずに、ただ眠っていればいい」

 影は、しばらく震えていた。そして──静かに、動きを止めた。

「……ありがとう」

 それが、最後の言葉だった。闇は、それを吸い込み──もう、何も返さなかった。蜘手は目を閉じる。そして、ほんの一瞬だけ、笑ったように見えた。


 影の主がいた場所には、何も残っていなかった。

 ただ、床に残された淡い黒の痕──それだけが、そこに誰かがいた証だった。



4-5. 余韻


 影はそのまま封じられた。存在としての機能を失い、静かに眠りについた。怪異ではあったが、害意はなかった。ただ、誰の邪魔もせず、誰かの記憶の温もりを感じながら、そこにいたかっただけだった。特異事案対策室の報告書には、この件の詳細が記されることはない。蜘手が記録に残すまでもない、と判断した。それは無害だったという意味ではなく──記憶に残したということの、裏返しだった。


 数日後、蜘手は夜の街を歩いていた。

 喧騒の残り香。酔客の声とネオンの滲む光が、湿ったアスファルトに反射している。ふと、ある電柱の前で足を止めた。──そこに、張り紙があった。


『影、借ります』


 以前のものとは違う、電話番号。

 文面はまったく同じだが、印字のかすれ具合も、テープの貼り方も違う。

「……」

 蜘手は、無言でそれを見つめた。そして、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

「……世の中、終わらねぇ怪異が多すぎるな」

 軽く手を伸ばし、その紙をはがす。くしゃりと丸め、ポケットに突っ込む。それだけの動作に、派手な音も演出もない。ただ、それは彼なりの──儀式だった。


 夜風が吹いた。遠くで誰かの笑い声がこだまする。

 風に揺れるネオンの光が、まるで影を引くように路地に滲む。


 蜘手は煙草を一本取り出す。

 咥え、指先で火を着ける。

 しゅっと、小さな音。

 燃える火が、暗闇にひとつの所在を灯す。


 吐き出された煙が、夜の中へ消えていく。

 そのまま、彼は何も言わず、歩き出した。

 コンクリートの谷間へ。

 誰の目にも止まらない、影の深い路地へ。



 ──影は、誰のものなのか。


 問いに答える者はない。けれど、影は今日も人のそばに在る。

 名もなく、声もなく──けれど、確かにそこに。



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