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1・ 雷雨

1・  雷雨



 ついに荒れた空から大粒の雨が降り出した。

 それと同時、一人の兵士が猛烈な勢いで天幕へ駆け込んできた。泡を吹きそうな顔で、

「伝令! イーサー卿が寝返りました!」

叫んだ!

 戦場を見下ろす丘の中腹だった。派手な緋色の天幕の下だった。

 正に眼下で始まった戦闘が始まったところだった。強い雨風の中、小さな点となった兵達が入り乱れて動き出したのを、ナガ領主に仕える十人弱の家臣達が凝視していたところだったのだ。

「イーサー卿が、裏切った!」

 彼らの顔色が変わる。

「イーサー卿が、自身の郎党と兵を連れてハンシスの陣に走った。まさかこんなことが……! 領主っ。ラディン殿っ」

 重鎮のディム卿が主君に向かって叫ぶ。

「ラディン殿っ、イーサー卿が――貴方の臣下中でも最も兵数の多い卿がまさか戦場で寝返ってしまった。これでは勝てません。我々は負けます、確実に負けますっ。どうするおつもりか!」

「――」

「ラディン殿! 聞いてられるのかっ、貴方の御意見を教えて下さいっ、イーサー卿が敵に寝返ったのですよ!」 

「だったら、俺は城館に帰る。後は貴様達で好きにやれ」

 瞬間、家臣達全員が唖然の息を飲んだ。

 しかし彼らの主君は表情を変えてない。今年十六歳になったばかり。肥沃なナガ平野の領主でありワーリズム家当主であるラディンは、常通りの詰まらなそうな顔を全く変えていない。

と。動く。踵を返してあっという間、天幕の外へ歩みだす。

「まさか本気で戦闘を放棄するつもりか!」

 答えず、雨と風の吹き荒れる斜面を登ってゆく。外套の裾を激しく強風に巻き上げられながら、自身の馬へと向かっていく。

「自国の軍勢を見捨てるつもりか、ラディン殿っ。それでもナガの宗主か!」

 この言葉に反応した。

 振り返るや、自分を見据えるディム卿ら家臣達に向かい、真っ向より傲慢を発した。

「そうだ。俺が宗主だ。だから貴様達は俺に従っていろ」

「何を――何ですって!」

「勝てない戦なんて面白くない。軍勢は貴様達が指揮をしろ。俺はシャダーが心配だ。ナガ城館に戻る」

「シャダー様ならば城館の守備兵が護っていますっ。今の貴方には目の前の戦闘のはずだ、このままでは我々は負ける、聖者に祈っても負けてしまう。今、貴方のなさる事はこの場の指揮だ!」

「だから貴様たちに任せると言った。後は勝手にしろ」

「“勝手に”! 何て事を言うんだ! 神よ、なぜナガにこんなに領主を――、 

 ラディンっ、戻れ! いい加減にしろ、戦場を離れるなど許さないっ」

 ディム卿が斜面を走り出す。相手が馬に跨ろうとする直前に追いつくと、大きく右腕を伸ばし、力づくで相手の肩口を掴んだ。

 その瞬間、乾いた痛烈な音。

 大粒の雨が打ち付けるただ中、ディムは立ち尽くしてしまった。目の前、自分に触れた者の顔を力の限りに打った主君は、文字通り、烈火のような形相を見せつけていたのだ。

「俺に触るな! 邪魔するな! 俺はシャダーの許へ戻ると言ったっ、聞こえなかったとは言わせないっ、消えろ! 地獄へ堕ちやがれ!」

 風雨を切り分ける大声で叫ぶと、もう相手に一瞥もしない。今度こそラディンは馬に跨り、外套を翻しながら丘の反対側へと向かってしまった。

 そしてもう一人。

 長身の男が、無言のままに動き出した。主君と同じく大股で斜面を歩むと、あっという間に騎乗した。

「カティルっ。ラディン殿を止めろっ、絶対に城館に戻らせるなっ」

 家臣の叫びに振り向いた男の目色は、氷のように冷えていた。いや目だけではない。眉一つ動かさずに言い切ったその口調といったら、

「貴様とラディンと、俺がどっちに従うと思ってるんだよ」

冷やかそのものだった。ナガ領主の護衛であり唯一の友でもあるカティルもまた、斜面の向こうへと消えていった。

 大粒の雨がいよいよひどくなって来た。真昼だというのに空は黒い染料を流したような暗さとなっていた。


「雨が酷くなってきた」

 天幕から出るとハンシスは暗い空を仰ぎ見る。その顔をたちどころに大粒の雨が打ちつける。

「ナガのイーサー卿がこちらへ寝返った。兵を引き上げ、ここへ向かって来ている」

背後からの声に振り返る。ハンシスの年齢よりはるかにしっかりと落ち着いた顔が、相手を見据えた。言った。

「予定通りだな」

「ええ。予定通り」

「これで、この戦役は勝てる」

「予定通り。貴方の計画通りだ」

 その時、コルム領主・ハンシスの顔が大きく意味ありげに微笑んだのだ。

 途端ルアーイドは――臣下であり領主の一番の友人でもあるルアーイドは素早く、的確に察した。

『まだ何かあるぞ』

 弾かれたように振り向いて、右手の戦場を見る。そこでは今、正に両軍の戦闘が始まったところだった。大粒の雨の中、兵士たちが一斉に動き出したところだった。

『絶対にこれだけじゃない。今回の戦役で完璧な勝算を敷いた自分の主君は、まだ何かあるぞ。まだ何かを隠し持っているぞっ』

 その通りだった。

「後は君達に任せた。ルアーイド。このまま勝ってくれ」

「え?」

「軍議の通りに進めて、皆でこのまま勝ってくれ。私はここを離れるから」

「何だってっ」

「ナガのワーリズム城館に行ってくる」

「――何だって!」

 信じられないという風に眼を見開き、次の台詞を継ごうとした直前だ。ハンシスの右手が突き出されて強引に遮った。

「護衛も連れて行く。危険は冒さない。ただナガの城館を訪れるだけだ。あそこの人達に会って話をしてくるだけだ」

「何の為に! なぜ今貴方が戦場を離れて、敵の城館に向かわなければならないんだっ」

「うまくいけば、城館を無抵抗で投降させられるかもしれない。そうなれば次の包囲戦は不要になる。ラディンとの戦いを効率良く終結出来る」

「いや、そんな行動をとらなくて良い! 予定通りで良いじゃないかっ。

 イーサー卿を味方につける、この会戦に楽勝する、そして素早くナガ城館に包囲を敷き、短期の包囲戦で降伏させる――、

 貴方が諸卿と話し合って作った策で何が悪いっ。第一、だったらどうして事前に皆に話さなかったっ。ナガ城館を投降させる別案があるっていうのなら、戦闘が始まってから言い出すなんておかしいじゃないかっ。どうして貴方は事前――」

「悪いがもう行く。久し振りにシャダーに会って、挨拶をしないと」

 笑顔で遮ったのだ。

 ルアーイドの目の前で、ハンシスの顔はいつも通りの明瞭さを示している。若い見た目の内に、強い意志と深い思慮を見せつけている。全くいつもの通りに。

「君を、それに皆を信じている。だから私の事も信じてくれ。頼む」

「そんな言い方はずるいぞっ」

「頼む。良い結果を持って帰るよ」

 吹き付ける雨から顔を避けながら大声で兵士を呼びつけ、素早く馬の準備をさせてゆく。

 本当に行くのか? なぜ今、一人で勝手にそんな無謀を? 何を考えている?

「なぜだ! ハンシス!」

 もう振り向かなかった。軽く右腕を上げただけだった。葦毛の馬にまたがると、早々に斜面を走り出してしまったのだった。

 右手に広がる平地では、始まったばかりの戦況に早くも優劣が付こうとしていた。昼というのに暗い空では、大粒の雨と冷たい突風がどんどん強くなってきた。

 酷い嵐になり始めていた。


              ・      ・       ・


 雨は叩きつける勢いになっていた。真黒の雷雲が驚くような速さで走り、低い雷鳴が間断なく轟き出した。

その中、石床を夢中で走る音が響く。ナガのワーリズム城館をずぶ濡れの兵が走っていく。目指すのは通廊の最奥の一室。この城館で最も広く、また華やかに装飾された大居室。

 その扉を体当りするように開けた!

「伝令! 戦局悪化! 敗色濃厚! ワーリズム城館は即座に篭城準備を!」

 途端、賑やかな喋り声は止まった。

 大型の長卓を囲んでいた面々が、一斉に口を閉じ、同時に扉口を振り向いた。

「戦場のディム卿からの伝令! イーサー卿が――卿が戦闘開始と同時に敵方に寝返りました。敗戦は必至と思われます。また敵方・コルム軍勢は今後即座にこの城館に包囲を敷くと思わるので、守備隊は迅速――」

「敗戦って、どういう事っ」

 突然に遮った言葉に、伝令兵は眉をしかめた。秘かに舌打った。……やっぱり。真っ先に口出して来たな、この女。

「どういう事なの? このナガは戦一つ勝てないの? それにイーサー卿の寝返りって何の事? 諸卿は何をしているの? ラディンに恥をかかせてっ」

「――。申し訳ございません。ディム卿よりの伝言はまだ残っています。貴方様への伝言も含まれます。どうぞ最後までお聞き下さい」

「まさかラディンは無事なんでしょうね? もしも怪我でも負っているなんて事態――」

「シャダー様、お願いします、先に伝言をさせて下さい!」

 彼女は、やっと引き下がった。

 二十歳少し前ぐらいだろうか。見るからに我の強そうな、我儘そうな顔だ。部屋の最奥、緋色のタペストリーを背に、鮮やかな黄色の衣装を纏った城館の女主人は、たった今も激しい不満顔を見せつけている。

「ディム卿から貴方様への伝言です。

『城館へ包囲が敷かれた場合、長期に及ぶ危険もあります。シャダー様におかれては直ちにシュリエの城塞へ御移りに』――」

「それは私に逃げろって事? 会戦に負けた上に包囲戦も長引くだなんて、よくもあの年寄りは自分の無能をさらせたものねっ」

「『――御移りになって下さい。

なお現在、ラディン殿がそちらの城館へ向かっていますが、貴方様においてはラディン殿に即座に戦場へ戻られるようご説得――』」

「えっ、ラディンがここに来るの? それってどういう――」

「シャダー様」

 別の声が響いた。

 シャダーが、皆が振り向く。雨にずぶ濡れた衛兵が強張った顔で扉口に立っていた。

「貴方様に会いたいという者が今、城門前に現れました。シャダー様」

「誰が来たの?」

「それが――」

と、衛兵がその名を告げた途端、シャダーは音を立てて椅子から立ち上がった。そのままいきなり走り出した。

 ……

 空は暗さを増している。時折に暗さを引き裂いて雷光が瞬く。雷鳴も厚くなり、大粒の雨と風が止まない。

 城門の脇にそびえる櫓塔からは、眼下に城門そして門前の平地を見通すことが出来る。その塔の窓には今、ナガ城館の家臣やら兵やらが何人も駆け付けていた。

 一番前は、シャダーだ。雨が吹き付けるも気にせず、窓枠に身を乗り出して城門を見下ろしている。

「お前は……」

 門の真正面、黒い一騎の輪郭線が、瞬く閃光に浮かび上がっている。大粒の雨に打たれ強風にさらされているというのに、微動だにせずにこちらを見上げている姿が、シャダーの視界に映る。

「シャダー様。少し後ろに下がった方が……」

 女城主付きの侍女が、心配そうに告げる。侍女だけでは無い。その場の誰もがとっくに、相手がただ一騎ではないことには気づいている。後方の木立の辺りに用心深く五~六人の騎兵が控えているのが、彼らの位置からでも良く判る。

 しかしそんな事を気にするものか。シャダーは窓から一層に身を突き出し、大声で叫んだ。

「お前……、まさか本当に? 本当に来たのっ」

 風雨の音が酷い。聞こえていない?

「聞こえてるのっ、とにかく顔をみせなさい!」

 相手はそれに従った。濃色のフードが背中に落とされた時、ちょうど間近の空の稲光に顔の線がはっきりと浮かび上がった。

「――」

 シャダーが驚きと不快の限りに怒鳴ろうとするより一瞬早く、ハンシスはにっこりと笑んだのだ。

「ご無沙汰してます。シャダー。二年ぶりですね」

「……。本当に、久しぶりね。ハンシス。よくもまあ……図々しく……!

 守備兵! すぐに奴を捕えて! 獄に落して!」

 城門前にいた守備兵達が、一斉に飛び出す。敵を馬上から引きずり降ろそうと腕を掴む直前、ハンシスは笑顔から転じ大きく叫んだ。

「私に触るな! 私に指一本でも触ったら、戦場で捕虜としたナガ兵を一人として五体満足では帰さない!」

「構わないわ! 捕虜なんか後でラディンが何とかするから、今すぐこの恩知らずの罰当たりを捕えなさいっ、早く!」

「二度は繰り返さないっ、いいか、仲間の事を思うならば私に触るな!」

「いいから! 逃げてしまう前に早く!」

 怒りを剥き出す女城主に比べて、守備兵達の方がよほど同僚に篤かった。一度は掴んだ相手の腕を、そのまま離してしまった。シャダーもそして守備兵達も、このコルム領主が捕虜云々どころか会戦の決着すら知らずにここにいるなどとは、知りようは無かった。

 ハンシスは再び視線を上げる。塔から苦々しく見降ろしてくるシャダーに向かってあらためて、穏やかに礼を垂れる。その態により一層に彼女を苛立たせる。

「それで? 何の用? 聖者も見放すような恩知らずの裏切者が、何をしにここに来たの?」

「貴方に伝えたいことがあって来ました。私は、私と貴方の家との係争を、早々に決着したいと思っています。その為に貴方には是非協力をして欲しいと願います。シャダー。従姉殿」

「戦いを止めたいって言うの? 恩知らずだけじゃなく図々しさも並外れているって訳ね。忘れたの? この戦を仕掛けてきたのはお前の方よ?

 だったら、もっと昔の頃なんかとっくに忘れているでしょうね。この城館であれ程に世話をしてやったものを……。野良犬だって一度可愛がられれば生涯恩を忘れないっていうのにお前は――」

「なぜ私が今回の戦に至ったかについては、このナガ城館の全員が知っているはずです。そしておそらく、私の考えに賛同する人間も城館内には多いはずだ。

 だというのに貴方とラディンだけが決して理解しようとせず、その結果、会戦という大事に至ってしまいました。私にとっても大いに不本意でした」

「黙りなさいっ」

「先程、平地での会戦に私は勝利しました。この後、直ちにこの城館に包囲を敷きます。私の予定では、五日以内にここを開城させます。そして当初の宣言通り、私の領地・コルムにこのナガを併合し、私はワーリズム一族の当主に就くという完全な勝利を収めます。

 しかし。出来るなら私は、この衝突の軌道を修正したいと考えています」

「――」

「ナガとコルムにとって最も望ましい道を選択したいと思っています。同じ一族である互いの将来を思い、無意味な抗争は回避したいと欲しています。

 シャダー。私達はより良い道筋を選びませんか? 今からでもまだ充分に間に合います。必ず私達にとって良い将来を生み出せます。私がそれをやります。この事を相談したくて、私は今、この場にやって来ました」

 打ち付ける風雨と雷鳴の中に、ゆっくりと、はっきりとハンシスの声が響いた。

 これに皆が聞き入った。正直を言えば誰もが心の奥でその言葉に納得していた。誰もが心の中で彼の言葉を支持し、信用し、その落ち着き払った誠実の顔に見入っていた。

 だが、ただ一人。シャダーだけは、怒りと共に従弟を睨み付けている。

 ハンシスもまたは、年上の従姉のシャダーを静かに見上げている。

 ……面白い事象だ。こんな時だというのに今、両者は、同じ記憶を心象していた。

 そうだ。あの時もやはり、二人は正面から見合った。あの時はこのような酷い嵐の中ではなく、明るい光に満ちた夏の夕刻だったが。

“初めまして。ご迷惑をおかけすることになり、申し訳ありません。ナガのシャダー姫”

“シャダー姫じゃなくてシャダーで良いわよ、今日から貴方は私の弟になるんだから”

 五年も前だ。

 それから三年間、彼らは共に幸福に暮らした。そして二年前。彼らは再び別の道へと別れた。そして今は、夏が終わろうとする激しい雷雨の暗い昼だ。

「それで。何を言いたいの? 良い将来って何よ。早く言いなさいよ」

 決して身を引かず、胸元までを雨に濡らしたまま続ける。

「聖者において、今ここでお前を捕えて牢に落としたっていいのよ。お前を捕えてしまえば、私達の勝利だわ」

「それでは物事は解決しない。悪くなるだけだ。

 シャダー。私は、貴方に譲歩します。もし貴方が一つの条件を飲んでくれれば、今後の包囲戦を中止します」

「どういう事?」

「条件は、一つです。

 貴方はこの城館から去って下さい。ナガの領主は貴方の弟であって貴方では無い。ラディンとそしてワーリズム一族の将来の為に、彼に干渉してナガの為政を混乱させる事を止めて下さい。

 これを受け入れてくれれば、私はナガにおけるラディンの領主権を認めた上で、即座に停戦をします」

「本当ですかっ、本当にそれだけでっ」

 思わず後方の侍女が叫んでしまったのと同時だ。

 城館の真上で、巨大な雷光と雷鳴が轟いた。

 全員が目を塞ぐ。ハンシスもまた驚き竿立った馬の上、固く目を閉じ強張る。落雷の鈍い地響きが長く続き、それがやっと消えて雨音が戻って来た時、彼は急いで目を開けて櫓塔を見上げ、

 ――そして喉から、小さな息を漏らした。

 シャダーが一層に怒りを剥いていた。

 両の掌で強く窓枠を掴み握っていた。雨に濡れ風で乱れた髪の下、濃い黒色の眼が激しい怒りをぶつけて自分を見ていたのだ。

「……。どうやら、同意をしてはもらえないようですね」

 従弟の落胆顔に、シャダーは吐き捨てる。

「同意する者がいたら、悪魔に魅入られるといいわ。ナガ城館の主人である私に、ここを出ていけというの?」

「ただ貴方がここを離れ、ナガ為政をラディン一人に任せるという、それだけの条件を受け入れてくれないのですか? せめて周りにいる家臣達に、私の提示がどれほど寛容であるかの確認をしてくれませんか?」

「どうして? どうして私が家臣達に相談をするの? 全てはラディンが決めればよい事でしょう? 私はそのラディンの手助けをしているだけよ? それのどこが悪いの?」

「貴方のその独りよがりが、ナガを混乱させてきた。ラディンが登位してからの一年半、貴方が彼の横にぴったりと付いて干渉を続け、ナガが誇っていた家臣達が蔑ろにされた事こそが、ナガに害を成して、果てに今回の戦役を招いたのではないですか?

 ナガ城館の者! 誰か教えてくれっ。この一年半で何人の家臣がここを去っていった? 自らの意志で出ていった者、ラディンとシャダーに追い出された者、もしくはイーサー卿のように敵方に走った者は、今日までに何人出た?」

「黙れ! 誰か奴を捕まえて! 捕まえて獄に落としなさい、私とラディンを侮辱したのよ、早く!」

 強い風雨を上回りシャダーが怒りのままに叫んだ後だ。

「ハンシス殿。もうお戻り下さい」

 雨音の中にもう一つの声が響いた。

 シャダーの横に現れた小柄な老人の姿を見た時、ハンシスの顔は一転する。嬉しそうな笑みがこぼれた。

「久し振りです、ワシール卿。ずっと貴方に会いたかった」

 ナガ城館の最古参の家臣は、かつて親しんだ青年に静かに告げた。

「もうお戻りなさい。これ以上この嵐の中に留まっていても貴方の体に障るだけです。何も得る所はありません」

「“得る所は無い”――確かにね。

 ワシール卿、貴方なら私の意見が正しいと理解してくれるはずだ。貴方の口からこの和解案を受け入れるようにシャダーを説得してもらえませんか?」

「それは出来ません。我々はナガの女城主とワーリズム家の当主という権威に、絶対の忠誠を捧げています」

 シャダーが勝ち誇った笑みを見せた途端、ハンシスは真っ向から反発した。

「もう綺麗事で済む段階ではないはずだっ。 貴方も――いや、誰だって知っているはずだ。シャダーの存在が城内をどれ程に混乱させているか! 必要ならば、私の裏取引の申し出にイーサー卿がどんな言葉で応じたかをここで披露しましょうかっ」

「結構です。それでも我々は、長らくにわたりナガのワーリズム家に忠誠を捧げています。その当主である御姉弟を敬愛することを使命としています」

「だからこそ! ワーリズム家に忠誠を捧げるのであればこそ一族とラディンの未来を考えるべきだっ。このままではナガはいよいよ混乱に陥るぞ! 混乱し、果てには周りの豪族達に踏み込まれるぞっ。その現実には貴方だって気づいているはずなのに、どうして目をそらすんだ? それが貴方の望む未来なのか!」

「今すぐお戻りなさいっ。貴方は戦場へ戻り、貴方のやるべき事をすべきです!」

 厳格をもってワシールは言い切った。

 それは丸きり、子供を指導する教師の口調だ。その通りだ。まだ子供だった自分に道理を教えてくれる時もこんな口調だったなと、ハンシスは記憶のどこかで思い出し、すぐに消した。大雨の中に、小さく息を吐いた。

「無駄足か。せっかくここまで来たのに」

「ハンシス殿。戦役の勝敗はまだ決していません。貴方が我々に攻撃をかけてくる限り、我々はこれに応戦します。すぐにお戻りなさい」

「――本当に残念だ」

 濡れて額に張り付いた前髪を、初めてかき上げた。あらためて視線を、かつて心から仲良しだった従姉に移したのだが、

「魔物に追われてさっさと消えるがいいわ」

 シャダーは憤りを緩めていなかった。激しい怒りの眼で睨み続けていた。

 決意した以上、ハンシスは時を無駄にしない。無駄な感傷に引きずられることも無かった。

「さようなら、シャダー。今夜は酷い嵐になりそうですので、お気を付けて」

ずぶ濡れの手でフードをかぶる。手綱を握り、あっさりと馬の向きを返した。そのまま自身の護衛達の待つ後方へと、振り返ることもなく消えていった。

 ……ナガ・ワーリズム城館の上空では、雷雨が最高潮に達しようとしていた。

 どうやらこの雷雨をもって、肥沃なナガ平野の夏は終わりを告げるようだった。短い秋が始まろうとしていた。




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