13
倉田邸の仕事部屋で、惠美の母親がイラストを描いている。
彼女の仕事はイラストレーターなのだ。自宅でできる仕事だったので、引っ越しに否定的ではなかった。
画風は素朴なタッチのもので、市町村の広報のイラストや、小説や週刊誌の挿絵がメインだ。小説の表紙を描いたこともある。
最近は、萌え風の絵に押されて、仕事は減りつつある。また、その少ない仕事も、い○すとやの急拡大によって奪われつつある。
こんこん、ノックの音だ。
「どうぞ」
母親は、振り向きもせずに描き続けている。
学生服姿の惠美が入ってくる。
「ママ」
「惠美、どうかしたの?」
「またにしようか?」
「いいわよ、話しなさい。この仕事もうすぐ終わるから」
「小説の挿絵? ミステリー?」
イラストを見ながら、惠美が質問した。
「そうよ。新人OLが、殺人事件に遭遇した現場よ」
「ふ~ん」
惠美があたりを見ると、ゾンビのスケッチもある。
「あれママ、ゾンビもののイラストも引き受けたの?」
母親が惠美を見た。
「それがねぇ、誰にも言っちゃだめよ。わかってるわね。守秘義務ってやつ。……このミステリーはね、ゾンビが犯人なのよ」
「えっ、ゾンビが犯人のミステリー? 斬新というか、やり過ぎというか」
「最近はこうでもしないと、読者の心をつかめないらしいのよ。時代は変わったのね。で、何の用なの?」
母親はイラストの作業に戻った。
「ねぇ、ママ。お願いがあるんだけど」
ビクッとして、母親はすぐに手を止めた。
「なに、またスマホが壊れたの?」
「ううん、違うよ。スマホは大丈夫。いまのところ絶好調だよ」
「それはよかったわ。ところでお願いってなんなの」
母親はいったん筆を置いて、惠美に向き直った。
「それがその、少しお金がかかる話なんだけど」
「映画でも観に行きたいの? それとも遊園地かしら?」
「ママお願い。またピアノを習いたいの!」
「ピアノ? あなた13歳でやめたじゃない。どうしてまた、そんな気になったの」
「ほら話したでしょ。キャンディちゃんのお母様に挨拶に行った話。それで、お母様が音楽評論家さんで、いろいろ話してるうちに、『ピアノのレッスンをしてあげてもいいわよ』って話になったの」
ピアノのレッスンは、魔女修行の隠れ蓑だ。
「それは妙な話ね。ところで、粗相はなかったのよね」
「大丈夫、たぶん」
「ならいいわ。音楽評論家の、えっと誰さん?」
惠美は、璃々杏の名刺を母親に見せた。
「渡辺璃々杏さんね。いま検索するわ」
母親はスマホで検索した。
「どうやら名の知られた方のようね。でも、ピアノを習いたいんなら、ちゃんとしたピアノの先生のほうがいいんじゃないかしら。餅は餅屋って言うでしょ」
「渡辺璃々杏さんは、音楽大学を卒業してるって言ってたわ。それに……」
惠美はスマホをとりだして、電卓アプリを起動し、数字を叩いて母親に見せた。
「月謝はこれでいいって言ってくれてるのよ」
母親は、娘のスマホを凝視した。
「相場の3分の1以下じゃない。なんで、こんなに安いのよ。これは何かあるわ」
「だから、評論活動の片手間に教えるから、単なる小遣い稼ぎだから安くていいって言ってくれてるのよ」
「ふ~ん、音楽評論家さんねえ。こっちはアーティストよ、場末だけど」
「お母さんのイラスト、わたし好きよ」
惠美の言葉に、母親はとても満足した様子だ。
「……わかったわ。私はオーケーのつもりだけど、お父さんが『いい』って言うまで保留よ」
「やった!」
多くの女性がそうであるように、安さには弱い母親であった。
こうして惠美は、璃々杏に魔法を習いに行く、格好の口実を得たのだった。
スキップしながら惠美が部屋を出て行った。
「お母さん、仕事頑張ってね」
惠美は扉を閉めた。
「惠美がピアノねぇ。何か隠してるのかしら。隠し事をするように育てた覚えはないんだけど。まぁ、引っ越してきたばっかりだし、いじめられてる風でもないし、それに年頃だしね。しばらく泳がせようかしら。……さぁさぁ、この仕事をかたづけちゃいましょ。い○すとやに負けてらんないわ」
何か頭に引っかかりながらも、母親はイラストの作業に戻った。
翌日の雲海高校、3年2組の教室の窓際の席で、惠美とアオイとホノカの三人がお弁当を食べている。
「惠美ちゃん、結局、幻想小説同好会に入ったんだって?」
とアオイ。
「無茶するね。普通に文芸部にすればよかったのに。別に昔、助けて貰ったからって、そこまで恩に着る必要ないと思うよ」
とホノカ。
「う~ん、でも」
「ねぇ、今からでも文芸部に入っちゃえば?」
アオイが提案する。小悪魔の誘惑だ。
「そうだよ。うちの学校、兼部が認められてるから、文芸部にも入っちゃいなよ」
ホノカも誘惑する。なるほど、これは実に悪いふたりだ。
「さすがに、文化部どうしの兼部はまずいでしょ」
「いやいや、当の渡辺さんだってたしか、幻想小説同好会と音楽部を兼部してるはずだよ」
「わたしもそう記憶してるね」
「えっ、そうなんですか」
惠美は意表を突かれた。
「まぁ、渡辺さんの場合、音楽部は完全に幽霊部員らしいんだけど」
「そうなんだ」
惠美は考え込んだ。
「でもさ、惠美ちゃんが元気になってよかったよ」
まるで肩の荷が下りたとでもいうような口ぶりのアオイだ。
「そうそう、転校初日から見違えるように明るくなったね。転校したての頃は、ガチガチに緊張してたのに」
ホノカは的確な分析をしてみせた。
「土地柄がよかったんだと思う。あと、みんなと同じ制服になったからかな」
惠美はなんとか誤魔化した。少なくとも嘘はついていない。
同時刻、雲海高校の学生食堂では、またいつものトリオが昼食を食べている。
真とフクタロウとタダシの三人だ。
「なぁ真、なんでも謎の転校生が幻想小説同好会に入ったと聞いたが、今度はいったいどんな卑怯な手を使ったのかい」
「あっ、オレもそれ聞いたよ」
音楽部のフクタロウが話題を振ると、サッカー部のタダシが乗ってきた。
「卑怯な手って、酷いなあ。倉田さんは純粋に、幻想小説同好会に興味を持ってくれただけだよ」
そばを食べながら、真は慎重に弁明した。
「本当かなあ」
「疑わしいね。きれいなお姉さんが3人いる時点で、すでに疑わしいね」
タダシはまったく関係のない話を持ち出した。
「タダシは恋人がいるからいいじゃん」
「そうだそうだ。恋人がいるタダシが文句を言うのはおかしいぞ」
真とフクタロウは不満たらたらだ。
「いやあ。かわいいかわいいサトミちゃんの写真、見る?」
照れながらタダシが言った。
「また今度ね」
真はそばつゆを飲み干した。
第一章 転校生と魔法使い おわり




