薄氷
しいな ここみ様主催
『冬のホラー企画2』参加作品になります!
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2175055/blogkey/3247477
あっ、暖かい。
目を覚ました瞬間にそう思った。いままではどんなに布団を重ねても、体の芯まで寒さが届いてまともに眠れなかった。でも今は、体の内側から、かすかな温もりが湧いてきているのを感じる。
少しずつ、布団から顔を出してみると、ひやりと冷たい空気が顔を撫でてきた。それでもずいぶんマシだ。よし、これなら布団から脱出できるぞ。
じょじょに体や手足を寒さに慣らしていき、とうとうぼくは布団から出た。パジャマの上にぶ厚いブランケットを身に着けたまま、部屋を出て、階段を降り、一階のキッチンへとたどり着く。
「おはよう、好人」
「お……おはよう! お母さん」
キッチンには、エプロン姿で朝ごはんの支度をしているお母さんがいた。このキッチンで、何度も何度も見てきた光景、それがようやく戻ってきたんだとわかった。お父さんはもう、会社に行ってしまったのかな。
「朝ごはんを食べたら、学校に行く準備をしなきゃね」
「えっ、学校にも行けるの!」
「そうよ、さっき防災無線で連絡があったわ。久しぶりにお友達や叶美ちゃんに会えるわね」
久しぶりに学校に行ける。ぼくの心はより熱くなった。去年の12月ごろから日本全国が大寒波に見舞われたせいで、およそ1ヶ月半ほど休校になり、結果的に冬休みが去年の2倍以上も長くなってしまった。
窓から外の様子を見てみると、まだ雪がちらちらと降っていた。でも、明るい。猛吹雪で朝でも真っ暗だったころよりも、断然朝っぽい。この天気が一日中続けばいいんだけど……。
「お母さん。今日の天気はどうなるの?」
「天気? わからないわ。まだラジオが聞けないもの」
「あ、まだダメなんだ」
外出禁止令が出た2日後ぐらいに、全国的に停電が発生するようになって、ぼくの家も間もなく電気が通らなくなった。その翌日には水道が止まり、スマートフォンも繋がらなくなって、その明後日にはラジオまで……。ぼくは真っ暗なままのテレビを見つめながら、ママの焼いたトーストをかじっていた。
「ごめんね好人、フライパンでトーストを焼くなんて初めてだったから、焼きムラがあるかも」
「そんなことないよ、おいしいよ」
頼りになるのは、お父さんが必死になってかき集めたガスボンベや灯油だ。冬休みになる前に、市役所の人が非常用電源も貸してくれたけど、もう容量はほとんど残っていない。どっちにしろ貴重なエネルギーなんだ。早く電気やら水道やら、復活してくれないかな。
「ずいぶん長いことかかっちゃったけど、これで、ようやく好人も卒業できるわね」
お母さんはフライパンや食器の後片付けをしながら、ぼそりと呟いた。
「お母さん、卒業だなんて、まだ二か月ぐらい先だよ。それよりも小学校最後の三学期なんだし、家に閉じこもっていた分まで、目一杯遊びたいな」
「そうね、まだ、時間はあるものね」
いつの間にか、ダイニングには眩しいくらいの朝日が差し込んできていた。
「よう、久しぶりー」
「元気にしてた?」
「貸してやったゲーム、どこまで進んだよ?」
「パパが買ってたカイロがたくさん余っちゃって、いやになっちゃうわ」
登校した生徒たちで、下足箱の前は大いににぎわっている。通学の時はまだ凍えるほど寒く、挨拶すらまともにできなかったけど、ここにきてようやく学校の雰囲気を味わうことができた。
「好人くん、おはよう」
「あっ、叶美ちゃん。おはよう」
教室に向かう廊下で、幼馴染の叶美ちゃんとも再会した。
「寒波は大丈夫だった? 叶美ちゃんもずっと家に閉じ込められてたの」
「ううん、まあ問題ないかな。それよりも、久しぶりに好人くんに会えて嬉しいな。あのまま寒波が続いていたら、一生会えないかもって思ってたもん」
「ははは、そりゃ大げさだよ」
男子と女子で並んで歩くのはちょっと恥ずかしかったけど、久しぶりの再会だっただけに、叶美ちゃんと話をしたい気持ちの方が強かった。廊下は誰かが落とした雪のせいか水っぽく、上履きの底と擦れて、ギュムギュムと変な音を立てていた。
「それにしても、今度の寒波は大人のひとも大騒ぎしてたね。人類が滅亡するレベルの気温低下だとか、氷河期の再来だとか、いろいろ言われてたけど……なんだかんだ、こうやって学校に行けるようになったんだから、一安心だね」
「そうだね……」
「これから、どうしようかな。雪がたくさんあるうちに、雪だるまや、かまくらでも作っちゃおうかな」
「ねえ、好人くん」
「うん? なに、叶美ちゃん」
「もうすぐ卒業だね、私たち」
「えっ、まあ……そうだけど。まだ三学期が始まったばかりだし、気が早いよ」
「そうかな」
「それに、ぼくと叶美ちゃんは同じ中学に行くんだから、卒業してお別れってワケでもないじゃないか」
「そうね……」
ぼくは、叶美ちゃんの様子がなんだかおかしいと思い始めていた。目線を下に落としたまま、無表情で歩いている。よく見れば、叶美ちゃんは学校の制服以外に防寒具を身に着けていない。ぼくは今でも、手袋とマフラーが無ければ震えそうなぐらい寒さを感じているのに。
「叶美ちゃん、手、寒くない? 手袋もう一セットあるから、貸してあげようか」
「大丈夫、寒くないから」
周りの空気よりも冷ややかな反応が返ってきた。
「あ、もう教室だ。じゃ、またね、好人くん」
「う、うん」
ぼくはそのまま、叶美ちゃんと別れることしかできなかった。
「みんな、だいぶ遅れてしまったが、明けましておめでとう。始業式も終わったところで、ここからが3学期の本当のスタートだ。まだまだ寒い時期は続くらしいが、健康に気を付けていくように。私立中学を受験する生徒は、試験日が延びてしまったけど、ラストスパート、続けていこうな」
始業式後のホームルームで、担任の丸台先生が教壇に立って話をしている。丸台先生はいつもと変わらない。雪だるまみたいな太っちょ体型のままだ。ぼくは少し安心した。でも心の隅では、やはり叶美ちゃんのことが気になっていた。
ホームルームが終わって休憩の時間になると、ぼくはすぐさま叶美ちゃんのクラスへと向かった。だけど教室の中にはいないみたいだ。スマートフォンがまだ使えないので、あちらこちらを探し回っていると、ようやく、中庭の入り口で突っ立っている叶美ちゃんを見つけることができた。
「叶美ちゃん、探したよ」
叶美ちゃんは何も答えず、ただ中庭のほうを見つめている。ぼくも入り口まで行って、叶美ちゃんの目線を辿ってみた。
生徒が何人か集まって、雪でオブジェクトを作っているようだ。でもそれは雪だるまでもないし、かまくらでもなかった。小さな雪の山に、十字型の木の枝や、楕円形になった雪の塊などが置かれている。
「すてき」
叶美ちゃんはそんな言葉を漏らした。
「あの生徒たちは何を作っているの?」
「お墓だって」
「お……お墓」
何かの聞き間違いかと思った。でも改めてそのオブジェクトに目をやると、確かにお墓のように見える。むしろ、そうとしか見えなくなってしまった。さらに作っている生徒たちの顔が、気味が悪いくらいやせ細っている。まるで自分たちのための墓を作っているような、そんな気がしてしまう。
「わたしのお墓も作ってもらおうかな」
耳を疑う一言だった。
「な、何を言うんだよ。叶美ちゃん」
「あそこのお墓、カチカチに雪を固めて作ってる。あれなら長い間溶けないよね」
「叶美ちゃん……」
「好人くんも、今のうちに作っておく? 卒業しても、その後も、ずっと一緒にいられるように、隣同士で――」
「やめなよ! 叶美ちゃん、そんなこと!」
わけのわからないことを言う叶美ちゃんを、この中庭から引き離そうと思った。ぼくは叶美ちゃんの手を思いっきり握って、引っ張った。
ぱりん。
何かが割れる音がした。
叶美ちゃんの手を掴んでいたはずのぼくの手から、冷たい感覚が伝わってくる。
手をゆっくり開いてみると、そこには粉々に砕けた叶美ちゃんの手があった。
冷たい。赤いものが見えるけど、血は出ていない。まるで氷細工のような手。
震え出すぼくの手から、叶美ちゃんの手の破片がこぼれ落ち、雪の中に埋まっていく。
「ああ、割れちゃった」
叶美ちゃんは、いつもと変わらない声の調子で言う。顔は怒っているようには見えない。ただ、砕けた手を見つめる目だけは悲しそうで、寂しそうで、何かを諦めているような、そんな冷たさがあった。
「か、かな、叶美ちゃん。大丈夫なの。痛くないの」
「うん、痛くないよ」
「ご、ごめん」
「好人くんは謝らなくていいよ。だって、仕方がないんだもん。卒業の季節になったら、私たち――」
きん、こん、かん、こん。
ちょうどその時、休憩時間の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「休憩時間終わっちゃった。教室に戻らなくちゃ。じゃあ、好人くん、またね」
「あ……じゃ、じゃあ!」
ぼくは叶美ちゃんから逃げるように、その場を後にした。いや、本当に逃げたと言っていい。休憩の終わりなんか無視してでも、叶美ちゃんに尋ねたいことが山ほどあった。でも、そうしなかった。できなかった。尋ねたら、もっと恐ろしいことを知ってしまいそうな気がしたから。
教室に戻ると、なぜか、床が水びたしになっていた。でも、クラスメイトは誰一人として気にする様子がない。ぼくも何も言う気が起きなかった。ビチャビチャと音を立てて歩き、自分の席へと座る。
丸台先生はまだ来ていない。ぼくは落ち着こうと思って、机に突っ伏して寝ているフリをした。
クラスメイトの雑談が耳に入ってくる。
「3組の安田さあ、自分家の玄関先で転んで粉々になったってさ、だっせーよな」
「なんか暑くない? 汗が止まんないし、これじゃ着れる服が無くなっちゃう」
「あたしのお父さんさ、冷凍庫を改造して人が入れるようにしてみたんだよ。すごいでしょ」
さっきからみんな、何を言ってるんだろう。きっと悪ふざけでデタラメなことを言っているに違いない。そう思うことにした。
「よーし、みんな集まっているな」
丸台先生の声がして、ぼくは顔を上げた。でも黒板の前には、さっき見た丸台先生の姿は無かった。前より明らかに痩せていて、顔から大粒の汗が流れ出ている。足元には水たまりまでできていた。
「三学期最初の授業、と言いたいところだが、まず先生たちからの連絡だ。気温の上昇が思っていたよりずっと早いらしくて、みんなの卒業式の日程が変更されることになった。まだ正式な日程は決まっていないが、おそらく一ヶ月は早くなると――」
もういい。もうたくさんだ。卒業なんてしたくない。永遠に、卒業式なんか来なくたっていい。
ぼくは窓の外で輝いている太陽を、恨めしい思いでにらみつける。
額から生ぬるい液体が、だらりと垂れてくるのを感じた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。