奥之島について
奥之島は人口五百人にも満たない小さな島である。島では漁業が盛んであり、漁師たちの船が停泊している漁港は島の南東部に位置している。漁業関係者以外が使う、三品たちが上陸した桟橋は島の北東部にある。東西に少し伸びた楕円の形をした島の中央には標高四百米ほどの新切山があり、山からは幾筋かの川が流れ出ている。その本流は梁間川と呼ばれる。梁間川は島の北西へと流れ大海へと繋がっており、その川と海との繋ぎ目から少し離れたあたりに広がる砂浜が根津浜である。辰治和尚が居住する海澄寺は根津浜そばの山の麓から、坂道を少し登った所にある。
「潮家へ挨拶に向かっても良かったのですが……これがちょいと面倒な人達でして」
と、一郎は島の地理を説明しながら言い訳地味た事を言いだした。
「潮家?和尚のご実家ですか?」
と、木暮が辰治に訊ねる。
「いえ……私は養子でして。実の親は私が産まれてすぐに漁で亡くなって、幼少の頃より寺に預けられ育てられておりました。それが縁あって潮家に引き取られたのです。なので今は潮を名乗らせて貰っております」
「ご両親を亡くされていたとは。知らなかったとはいえ、失礼しました」
「大丈夫ですよ。お気になさらず」
一郎は辰治の方をチラッと見ると、話を続けた。
「──潮家の先代は寅吉と言いまして、それはまあ親分肌で一角の人物でした。もう亡くなって三年ほどになりますが」
「ん?ならば今は辰治さんが後を継ぎ家長ではないのか?」
「それがそうではないのです。元々、潮家には男子が三人おりまして。上から順に、一路、聡、敏彦と言います。辰治は四男として養子に迎え入れられたのです」
「ホウ?」
三品が興味深げに目を輝かせた。
「寅吉さんは自分の息子らが家を継ぐ器量を持ってないだろうと直感しておられたのでしょう。上二人の一路と聡は、それはもう乱暴者で他人の事など道端の小石程度にも思わぬ根っからの悪人でしてね。一体全体寅吉さんの種から生まれ育てられたのに、何故二人がこんな人間になってしまったのかと、皆内心思うておるのです」
「よくある話だ。いくら立派な人間だろうとその子まで立派とは限らんさ。その逆もまた然りで、人の世の常だね」
「そして三男の敏彦は、上二人に意気地を全て奪われたのか内気の弱気ときまして」
「ははあ……それで今は亡き寅吉殿は、家を継ぐ子として辰治さんを養子に?」
「口にこそ出しませんでしたが、おそらくは。四年前、辰治が十六の時に養子になったので、一路が二十で聡は十九でしたか。寅吉さんは二人に上手いこと言って金と東京での仕事を用意してやりまして、体よく追い出したのです。その隙に辰治を養子に入れる手続きを終えられました。しかし、追い出された二人は一つ所で踏ん張る根気も独立してやっていく商才も無く、人徳も何もないものですから。一年ほどで渡された金はすべて使い果たして出戻りですよ。そこで二人は初めて自分らが家から追い払われていたことに気がついたのです」
「……あの時はすごかった」
辰治は沈痛な表情で首を振った。
「ああ。俺も一路と聡が無茶苦茶な人間だとは知っていたが、あの時ほど恐れたことはない。俺はもう、辰治が殺されるかもしれないと思ったくらいだ」
「兄さまが『あの人達に関わっちゃ駄目だ』と、口煩くなりだした頃ね。大人の人達がずうっと気を張り詰めている雰囲気が少し、怖かったわ」
瑠璃がひょいひょいとその細い脚を運ぶのとは対象的に、ふうふうと息を継ぎ継ぎしている三品が尋ねる。
「先程、寅吉さんが亡くなったのが三年ほど前だと言いましたね。どうやらお二人が帰ってきたのもその時期のようですが?」
「……ええ。二人が帰ってきて半年もせず……。医者によると寅吉さんが亡くなった原因は以前から患っていた心臓病のせいだと言うのですが……島の者は皆、腹を立てた二人が寅吉さんを何らかの方法で手掛けたのではないかと噂しておりました。……とにかく、それから潮家は一路と聡の両者が事実上の家長として振る舞っているのです」
「三男の敏彦さんは?」
「彼は可哀想に、二人の小間使いのようにこき使われています。そして辰治は邪魔者扱いで寺に追い戻されたのですよ。婚約者までいたのですが……」
「……それは寅吉さんがその場の勢いで決めたものだからね。先方もその気は全く無かったよ」
辰治は再度首を振り、晴天を見上げた。
「彼女に相応しい、良い男は他にいるさ」
「辰治より良い男など滅多にいるものか。それに、彼女──渡瀬幸というのですが──に聡の方がしつこく言い寄るものだから、親御さんは幸さんの身の安全を守ろうと、常日頃からとても警戒しているんですよ」
一郎は振り返ると、後方の少し離れた道端の木陰に立ち止まり一息ついている三品に声をかけた。
「大丈夫ですか」
「君ら、ちょっと歩くのが、速くないかい」
「探偵さんが遅いんですよ」
と、相変わらず涼しい顔をして瑠璃がフフと笑う。
「兄さま、あの人置いて先へいきましょう。のんびり歩いていたら日が暮れてしまいます」
「三品さん、あと少しですよ」
「また、『あと少し』か」
「え?」
「なんでもないよ」
苦笑する木暮を無視して、三品は腰に力を入れると地を蹴って脚を運んだ。