最終回・さらば奥之島
それから翌々日、三品と木暮、それに一郎の三人は朝から根津浜に屯していた。無論モグルガイの危険はもうないのだが、辰治の提案した「策」を実行するために、この場所にいたのだった。
「さて、愈々人目がちらほら出てきましたねえ」
「そろそろ誰かが気づく頃合いだろう」
「彼の提案とはいえ、無理をさせたようで悪いな」
小声でぼそぼそと語り合っていると、浜から少し先の道を散歩していた夫婦風の男女が声を揃えて「アッ」と叫び、近くの人々を呼んでしきりに海の方を指さしている。
「きましたよ」
「行くぞ」
三人は急ぎ立ち上がると、
「どうしましたっ」
と、さも驚き焦ったように駆け寄った。
「あ、あそこ、海の上に何かが」
その人が震える指で示す先には、黒くぬらぬらとした海藻を身にまとい海面からそれをちらちらと見せながら立ち泳ぐ人影があった。
「オイ!君は誰だ!!」
一郎が大声で叫ぶと、その声に気がついた人物は逃げるように泳ぎその場を離れていく。海岸から離れ北西の方へ向かって行くようだ。
「待て!!」
木暮も叫ぶが、その人影は波間に呑まれて消え失せていた。
「すみません、船を出してもらえますか!」
三品が近くにいた人に声をかけ、皆で漁船のある港へと駆け足で向かう。その騒ぎを聞きつけ港にいた人達も集まって来た。
「どうかしたのですか」
「怪しい人影が根津浜付近を泳いでいたのです。それで船を出してもらおうとして、ここに来たのですが──」
「──いや、その必要は無いよ」
と、一人の漁師が人混みから出てくると、そう言った。
「えっ……?」
一郎が戸惑いと共に連れ立った二人を見やる。しかし三品と木暮の二人も予想外の言葉に驚き呆然とし、言葉を発せないでいた。
「……あんたたち、もう芝居はいいんだよ」
更にもう一人の漁師が補足するように微笑んでそう言った。
「もう、いいんだ」
***
怪しげな格好をし海原を泳ぐ不審人物を演じ、一旦海中へと潜ってから洞窟の奥へと浮上した辰治を待っていたのは島民たちだった。中には敏彦も、幸もいる。
「み、皆さん……これはその……」
「まだ四月の海は寒かったろう。さ、風邪を引かぬうちに寺に戻ろう」
敏彦が先に立ち、皆で海澄寺へと連れ立って歩く。途中、辰治が釈明をしようと口を開き、
「あの、実は……」
と、言いかけても、
「いいんだ。まずは寺へ行こう」
と、島民の一人が「お疲れ様」と、言わんばかりに辰治の背をぽんと叩くだけだ。
寺の門をくぐり開け放たれていた本堂に、詰め込むようにして皆が集まった。瑠璃や河野少年が支度をしていたらしく、座布団や茶が準備されている。やがて辰治が身体を乾かせ、皆が落ち着くと、島の長老とも言える男が漸く口を開いた。
「──実は、敏彦くんから全てを聞いての」
敏彦はウンと頷くと、辰治に己の気持ちを語りだした。
「辰治くんは皆に黙っていた方がいいと考えていたけど、私は違うんだ。だってそうだろう?この島のことを君一人で背負い込むなんてことはおかしな話だ」
辰治は項垂れると、己の懸念を吐露した。
「しかし……それでまた、この事が島外に漏れ伝わって『人食いの島』とここが罵られるようになったら……」
「その時はその時さ」
敏彦があっけらかんとして微笑んだ。
「むしろ島に人が来て良いかもしれんな」
と、年長者も笑う。
「最近は珍奇なモノが流行ってると聞くし、それもまた一興じゃろ。いっそのこと、モグルガイの墓とやらでも立ててやるかの?」
皆一同、大いに声を出して笑った。
「モグルガイの墓か!そりゃあいい!」
そこに三品たちも港にいた漁師たちに連れられて寺へ戻ってきた。
「……どうやら我々の悪企みは、余計なお節介だったようですね」
「いえいえ、あなた方には皆感謝しております。此の島の人間を三人も食べた貝を退治してくださったのですから」
用意された座布団に座り、三品は辰治と敏彦を見比べながら質問をした。
「潮家を継ぐ人間が二人も亡くなってしまいましたね。単刀直入に聞きますが、潮家はどうなるのです?」
辰治は即答した。
「勿論、敏彦兄さんが後を継ぐべきです。私は住職をしながら、陰から兄を支えるつもりです」
「では幸さんの婚約の話はどうなるのです?」
と、三品が意地悪そうに質問を辰治に投げかける。
「其の事ですが……」
と、敏彦がはにかみながら切り出した。
「実は、私と幸さんは以前から──もう五年以上前から交際をさせて頂いてまして」
「そうだったのですか!?」
驚いて一郎は幸を見る。幸も恥ずかしそうに頷いた。驚いたのは一郎や木暮、三品だけでなく、島民のほとんどもそうだった。ただ辰治は知っていたらしく、どこか安堵した様子で、優しい目をして二人を見ていた。
「辰治くんや幸さんの家族、親しい者は皆知っていたのです。生前、父が辰治くんに幸さんを娶らせようとした時も、父や皆にどう伝えるべきか一緒に考えていました。それも結局、兄たちが帰郷して、父が亡くなって、と有耶無耶になってしまい……兄たちがあんなに横暴では、私も幸さんも落ち着いて家庭を築けない。時期を見て幸さんの両親を連れて東京にでも出て暮らそうか、などと算段していた折にこのようなことになってしまって……」
「だが、潮家を継ぐ腹を括ったのですね」
「ええ。弟である私が己を持って、もっとシャンとしていれば、兄たちの横暴を早い時期から止められたはずなのです。私に足りなかったのは、その勇気でした」
「蛮勇を振るう敏郎くんは想像できんがなあ」
と島の男たちが茶々を入れる。恥ずかしそうに敏彦は頭をかいた。いつしか、本堂は敏彦と辰治の名を唱和する声で満たされていた。
「と・っ・し・ひ・こ!」「と・っ・し・ひ・こ!」「と・っ・し・ひ・こ!」
「た・つ・じ!」「た・つ・じ!」「た・つ・じ!」
万雷の手拍子が響く中、ワアっと歓声が上がり、庭先にいた雀がそれに驚き一斉に空へと飛び上がった。
***
それから数日後、いよいよ三品達が東京へと戻る日がやってきた。一郎も共に帰る段取りで、荷を桟橋まで持ってきている。三品たちがこの島に来る時に世話になった船吉は正午過ぎにやってきた。彼が手際よく横付けした船に乗り込むと、三人は見送りに集まった島の人達に別れの言葉を告げた。
「では、僕たちはこれで」
「木暮さん、三品さん、本当にお世話になりました」
皆の先頭に立っているのは辰治だ。彼が深々と二人に頭を下げると、傍らにいた敏彦と瑠璃も続いて頭を下げた。瑠璃は顔を完全には上げず、寂しそうに少し俯いている。
「ほら瑠璃。またいつでも帰ってくるから」
と、兄が声をかけてやると、ウン、と瑠璃は頷いて着物の裾を握りしめた。
「出ッ発ゥ──」
船吉の威勢のよい掛け声とともに、船は動き出した。思い思いに三品達は手を振る。
「──またね!」
先程まで俯いていた瑠璃が、泣きそうな顔を持ち上げると、船の上の男たちに向け手を振った。木暮も手を振り返す。
「また会いましょう!その時まで、瑠璃さんもお元気で!」
「達者で!」
船は入江を抜け出し、三宅島へと舵を取った。瑠璃は桟橋の先まで歩いて、彼らを見送っていた。今日も奥之島は天気が良く、目を凝らせばどこまでも、水平線の向こうまで見渡せそうな空だ。天上よりの陽光が海原を燦かせ、飛沫を一瞬の真珠にする。
「また会おう!」
と、波飛沫の向こうに霞みゆく少女に向かい三品は叫んだ。やがて船上に座るとポツリと呟く。
「──聞こえたかな」
「ああ、きっと。風や波が運んでくれるさ」
「三品さん、見てください。瑠璃のやつ、まだ手を振ってくれていますよ」
まだ船の後方を眺めていた一郎の言葉に、三品は船の縁に掴まりながら立ち上がり遠ざかりゆく奥之島を振り返った。そしてよくよく目を凝らすとポツリと呟いた。
「ああ、本当だ」
海の碧と天の青に挟まり包まれた島の先で、一人の少女が船に向けまだ手を振っている。その腕はきっと、この船が彼女の目に映らなくなるまで振り続けられるのだろう。波をかき分け進む船の上で三品をはじめとする三人の男達も、少女に向けて大きく手を振り続けるのだった。
『モグルガイの殺人』に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




