月下の死闘(後編)
木暮の雄叫びで一瞬、モグルガイは動きを止め、逆に我に返った一郎と敏彦は死物狂いで逃げようとしている。
「秘剣、釣瓶落としぃ!」
木暮は軽やかに飛び上がると、モグルガイを貝殻ごと一刀両断せんとサーベルを勢いよく振った。だが、根津浜に響いたのはキン、と金属が折れる音──すなわち、サーベルがモグルガイの貝殻に敗北を宣言した音だった。
「何ぃ!?」
動揺走る木暮を、モグルガイがすかさず体当たりで反撃する。ざぁっと砂を巻き込み吹き飛ばされた木暮のそばに、折れたサーベルの剣先が音を立て突き刺さった。
「『何ぃ!?』じゃないですよ!貝柱かどこか──中身を狙わねばならんと言っていたでしょうが!!」
「仕方なかろ──ぐぼっ!」
モグルガイは追撃の手を緩めなかった。大きく飛び上がると、木暮にのしかかり、彼の体を砂浜に沈める。
「木暮刑事っ!」
金庫のそばまで駆け戻った一郎と敏彦、そして三品は協力して金庫を担ぐと、モグルガイを木暮の上から退かそうと金庫で体当たりを仕掛けた。
「きゅいいいっ!!!」
いくら百年以上生きてきた貝といえども流石に金属に突進されたことはないらしく、衝撃に驚いてあっさりと木暮の体の上から離れた。木暮が咳き込み、砂混じりの唾液を飛ばしながら立ち上がる。
「助かった、有難う」
「次が来ます!」
叫んだのは敏彦だった。一瞬の内にまた砂浜へと潜り込んだモグルガイは、固まっていた四人の足元から全てを弾き飛ばすほどの勢いで飛び出した。
***
其の頃、海澄寺で眠っていた辰治ははたと目を覚ました。暗がりの中、瑠璃がそばの机にもたれ掛かるようにして眠っている。痛む身体にうめきそうになるのを堪えながら、彼は起き上がりひざまずくと瑠璃の身体をそっと揺すった。
「瑠璃さん、瑠璃さん」
「ん……あ……和尚さま!だめですよまだ寝ていないと!」
「そんなことより、皆さんは?」
「えっ……と、モグルガイを倒しに、根津浜に。兄さまと敏彦さんと、木暮さんと三品さんの四人で。四人とも、モグルガイが昔の和尚さまが取り逃がしてしまった貝だと知って──」
「いけない!」
辰治は瑠璃の言葉を最後まで聞かずに、駆け足で離れから飛び出ると、そのまま本堂へと向かい中に安置していた観音菩薩像を抱えた。
「おおおおっ!」
「和尚さま!?それは大人三人がようやく抱えきれる重さの!!」
「瑠璃さん、貴女ははここで、待っていなさい」
「和尚さま!」
辰治の後を追って駆けてきた瑠璃に無理をして微笑むと、彼女の静止を求める言葉を聞こえぬ振りをして辰治はそのまま寺を飛び出して行った。
「和尚さま、兄さま……」
一人寺に残された瑠璃の足元を、風がそよと流れた。
***
モグルガイになんとかして金庫を咥えさせようと粘る砂浜の四人だったが、依然としてその突破口は開かれていなかった。
「くそっあいつ体当たりばかり仕掛けてきて、一向に口を開けようともしない」
「おそらく昨夜の和尚との戦いで学習したのだろう。無駄に口を開けると何かを突っ込まれて不快な思いをすると。どうする、三品」
「ウーン……」
既に木暮は幾度かモグルガイの体当たりが直撃し、呼吸するのも苦しそうである。
「……囮に、私が行きましょう」
名乗り出たのは敏彦だった。
「私は別に剣術が使えたり体力があるわけでも、頭が回るわけでもありません。……奴が私に食いつこうとする瞬間なら、必ず口が開くはずです。そこを三人で……お願いします」
一郎の待て、という声も聞かずに、敏彦はモグルガイに向かって「うわあああ」と叫びながら向かっていく。
「上林くん、刀の用意はいいな?行くぞ!」
「ハイ!」
三人は金庫を担ぐと、遅れて敏彦の後に続いた。彼は利き腕ではない左腕を差し出すように振り回し、モグルガイが口を開くのを誘っている。
「わあああ!」
拳を握りしめ、殻を叩く。ばふ、とモグルガイも体当たりで応戦するが未だ口を開く気配はない。そこから少し離れた場所で、三人はモグルガイが口を開くのを刹那でも見逃さぬように待機している。
「きゅいいいいい!」
二度目の体当たりが直撃し敏彦が砂の上に突っ伏した時だった。完全に勝ったとモグルガイは思ったのだろう。勝利の雄叫びを上げるようにその口を大きく開けた。
「いまだ!」
三人はモグルガイの口が開いた瞬間駆け出し、金庫をその中へと押し込んだ。
「ぎゅいっ!」
異物が突っ込まれたのを察知したモグルガイが左右に暴れた。三品はすぐさま倒れている敏彦を起こし、距離を取る。一郎が瑠璃が持ってきた脇差しを抜き、露わになった貝柱に狙いを定めようとした時だった。ごりごり、と音を立て金庫が貝殻の圧で潰されていく。
「な……」
「上林くんっ!急げっ!!」
だが、遅かった。一郎が剣を振るう間もなく、金庫はモグルガイの殻によって押し潰されてしまった。まるで押し花のようになったそれは、薄く開いた殻の隙間からゴロリと吐き出される。
「終わりだ……」
その場に膝を付き倒れたのは敏彦だけではなかった。三品も、木暮も一郎も、皆絶望に呑まれていた。
月は星は、無情である。これまで三人の人間を喰い今まさに新たに人を食わんとするモグルガイも、食べられんとせん三品たち四人も分け隔てることなく彼らは照らす。
「もう──終わりだ……」
敏彦が嘆いたその時だった。雄叫びとともに坂を走り下ってくる、一人の男がいた。昨夜、モグルガイに何度も打たれたその姿はしかし、今砂浜にいる誰よりも力が漲っている。
「和尚!?」「和尚!?」「辰治!?」「辰治くん!?」
「うおおおおっ!!」
辰治は、一際大きく吠えると観音菩薩像を担いだまま砂浜へと飛び降り、その勢いを崩さずモグルガイへと全力疾走した。
「きゅいいいいいいっ!!!!」
モグルガイも昨夜の敵を覚えていた。今までよりも一際大きく鳴くと、昨夜仕留め損なった敵へと激しく体当たりを繰り出した。辰治は、抱えていた観音菩薩像の頭をまるで槍のように見立ててモグルガイに突き当てる。鈍い衝突音と共に、二人──一人と一匹は両者弾けた。しかしモグルガイも観音菩薩像も未だ健在である。
「おおおおっ!」
「きゅいいいいいいっ!!!!」
再度ぶつかり合う辰治とモグルガイ。鈍い衝突音がまるで鐘のように浜に余韻を残した。そしてその二度目の衝突で僅かに、ほんの僅かに固く閉じていたモグルガイの口に隙間ができた。その瞬間を、辰治は見逃さなかった。
「うおおお!仏の力ぁ!」
辰治は観音菩薩像をモグルガイの斜め下から抉るように、殻の上側が跳ね上がるほどの勢いで突き上げた。己の口を無理矢理こじ開けられたモグルガイの悲鳴が根津浜に響き渡る。それでもなんとか貝殻を閉じようと力むモグルガイだったが、辰治が観音菩薩像を貝の中に突き立て、それ以上は口が閉じぬようにしてしまった。
「今です!」
「木暮刑事っ!これを!」
一郎が脇差しを鞘ごと木暮に向かって投げる。
「応っ!」
空中で掴んだ刀を抜くと鞘を投げ捨て、木暮は全身の力を振り絞り駆けた。奇声と共に刀を上段に振りかざし、貝柱を袈裟斬りに切り払う。恐るべき巨貝の悲鳴が耳を裂こうとするが、貝を閉じようとする力は最早無くなった。そこを辰治と一郎がモグルガイの左右両脇から殻を完全にこじ開けた。木暮は暴れるモグルガイの殻の端へとなんとか飛び乗ると、モグルガイの身にズプリと刀を二度三度と刺した。
「……終わった」
三度目の突きを終えた時、最早貝は動いていなかった。
月は星は、無情である。百年以上生き延びた貝の死を悼むことも砂浜で息を切らす男たちの生存を祝うこともなく、ただ照らしている。地上で起きていることなど彼らにとってみれば一つ瞬きしている間に去る砂塵のようなものなのだろう。数年後、いや、数百年後も変わらず、彼らはただこの大地を照らし、見下ろしているのだ。
辰治が突き立てた観音菩薩像は今、貝殻の中でモグルガイの死骸のそばに立ち、静かに微笑みをたたえたまま、月光に浴している。
「おお……」
「……私、この光景に似た西洋の絵画を見た覚えがあります」
敏彦が辰治のそばに立ち、語りかけた。三品も震える脚で砂の上に胡座をかいた。
「ウン、そうだね……誕生、か。代々の住職が案じてきたモノが片付き、海澄寺の新たな門出が始まることを祝しているかのようだ」
「おお……」
辰治は何も言わず、ただ静かに喘いだ。寄せる波の音が、ようやく訪れた静謐な春の夜に彩りを添えていた。




