月下の死闘(前編)
やがて月が高く登り時がくると二人は寺を出た。
「それでは……瑠璃さん、辰治さんのことを宜しく頼んだよ」
「万が一目が覚めた時は、『我々がモグルガイを退治して戻るから、心配せずに泰然と待ってい給え』と、三品が言っていたと伝えてください」
「はい……二人ともお気をつけて」
「ああ、行ってきます」
二人は瑠璃に手を振ると黙々と坂を下った。坂の下では、既に一郎と敏彦が風呂敷に包んだ金庫を地面に置いていて、二人を待っていた。
「丁度良かった。私らも先程ここに着いた所です」
木暮は瑠璃が持ってきた脇差しを一郎に託した。
「瑠璃さんが自宅の納屋から持ってきたものだ」
「有難うございます。ああ、あいつ刀の所在をよく覚えてたなあ」
一郎は受け取ると、腰に差した。
「では、行きましょう」
今度は三品と木暮で、浜辺まで金庫を運ぶことになった。片側を担ぎながら三品が再度作戦を説明する。
「先程も言いましたが作戦は簡単です。モグルガイに金庫を咥えこませ、彼奴が口を閉じないうちに木暮刑事が……」
「ウム。まずは口を閉じられぬよう貝柱でも斬ればいいな」
剣術に覚えのある木暮は自信たっぷりに答えた。
「ええ。どこを斬るかは木暮刑事のその時の状況判断に委ねます」
すぐに四人は根津浜へとたどり着いた。もう数日で満ちようとする月が弦をたわませている。浜は恐ろしく静かだった。四人が砂を踏みしめ歩く音も、寄せる波の音も、まるでどこか一点へと収束するように彼らの耳から逃げていく。三品はそんな気さえ覚えた。
金庫を浜に置き、それを中心に四人は互いに距離をとると、モグルガイを地表へ誘き出そうと砂浜を当て所なく慎重に歩きだした。
「しかし、こうしてブラブラと歩いていて出てくるものでしょうか」
「来ます。彼奴は既に三人を喰い、人間の旨さを知っているのです。そして昨夜は辰治和尚を食べ損ねたわけです。今宵こそはと必ず来ますよ。いいですか、少しでも異変を感じたら大声で皆に知らせてください」
「岩がない根津浜も良いものだなぁ」
ざくざくと歩いていた脚を止め、一郎がのんびりと暗闇の水平線を見据えた。
「一郎さん、足が止まっていますよ」
敏彦が言った瞬間だった。彼の足元の砂が揺らぎ始めた。皆に異変を伝えなければと脳で考える前に、敏彦の口からはワァッという叫び声が飛び出ていた。
「どうしましたっ!?」
一郎がすぐさま敏彦の元へと駆け寄ろうとしたが、驚いて足が止まる。眼前では敏彦の足元の砂地がもりもりと盛り上がり、流れ落ちる砂から巨大な貝が──それも、初代住職の日記に記されていた『潜る貝』の記述の六尺よりも大きく、一丈はありそうな貝が──姿を表した。
「出たぞっ!」
「きゅいいいいいいっ!!」
貝とは思えぬ、猿叫にも似た鳴き声が浜の静寂を破った。
モグルガイは四人が想像していたよりも巨大な貝だった。蛤をそのまま何倍にも大きくしたような二枚貝だ。月光に晒された貝殻の複雑な紋様は、その貝の邪悪さを強調するように怪しく艶かしく悶えている。
「見ろ、三品!矢張り私が言った通り、モグルガイは人を襲えるほど成長するまで隠れ潜んでいたようだぞ!」
「今言っている場合ですかっ」
三品と木暮のやり取りをよそに、敏彦は言葉にならない悲鳴を上げて、目の前に表れたモグルガイに背を向け走り去ろうとした。すかさずモグルガイは管を出している方とは反対側の、右方の足を使って、勢いをつけ敏彦へと跳ねた。一郎が間一髪で敏彦の肩を掴み引き寄せる。
「こっちだ!」
置いていた金庫のそばへと駆け寄った三品が大声でモグルガイの注意を引いた。手で金庫を叩きモグルガイを挑発している。
「きゅいいいいいいっ!」
それは昨日辰治を仕留められなかったモグルガイの憤怒の鳴き声だった。最初の犠牲者、浜口鉄男や潮兄弟の時のように自分の圧倒的優位で襲えた時とは違う状況が二晩も続いていることに、明らかにモグルガイは憤っていた。
「こいっ!」
モグルガイはまるで三品の言葉を理解するかのように反応をした。ぼっ、とモグルガイは其の巨体を軽々と持ち上げ、三品に向かって大きく跳ねた。その素早さは金庫を咥えさせようと覚悟を決めていた三品の腰を引かせさせるには十分な脅威であり、その三品の一瞬の戸惑いが、モグルガイにとって有利に働いた。恐るべき貝殻は大きさだけでなく硬さもまた絶大であった。
「ぐああっ!」
三品は正面からモグルガイの体当たりを受け、金庫は砂浜の上に残したまま、後方へ弾き飛ばされた。三品は己の身をもって、辰治がこの巨体の体当たりを何度も受け続けたことを実感する。きっと辰治も岩をモグルガイに咥えさせようと奮起していたことだろう。
「三品!」
「……大丈夫ですっ!金庫を!」
柔らかい砂の上なのが三品にとって幸いした。だが、モグルガイはすぐに次の体当たりをしようと三品に向け跳ねる。砂が月光に煌めき、爆ぜるように舞う。紙一重で三品は砂の上を転がり躱すと、金庫のそばへと駆け戻る。木暮もそこにいた。
「なんとか口を開かせんことには斬れんぞ……」
「きっと、辰治さんもそう考えて戦ったはずです。もしかすると、無くなった岩はモグルガイが咥えて噛み砕いただけでなく、体当たりによっても破壊されたのかもしれません」
「くっ、貝のくせに囀りおって!」
ちちちちち、とモグルガイは不敵な音を立てていたかと思うと、身を揺らし始めた。そしてまるで海に潜るかのように、ズブズブと砂浜の中へ滑らかに沈んでいった。
「くそっ今度は下から襲うつもりかっ」
「皆、一先ず砂地から離れてください!」
一番地面から遠い砂地の──つまり、波打ち際に近い場所にいたのは敏彦と一郎だった。恐怖と砂に足を絡め取られて思うように動けない敏彦を引っ張るようにして、一郎がなんとかその場から離れようとしている。その二人を、モグルガイは見逃さなかった。
「きいいいいいいっ!」
再び地上に姿を表したモグルガイは、砂を管から勢いよく彼らに向かって吐き出し殻を大きく開けた。一息に噛み砕こうとしているのだ。
「うおおおっ!」
木暮が、二人の窮地を救わんと彼らに向かって一直線に走り出した。




