決戦前
「『潜る貝』だって!?あの手紙のモグルガイとはこのことだったのか!?」
瑠璃の大声に何事かと木暮達も来ていて、二人の気づかない内に背後から屈んで本を覗き込んでいた。
「ウワッ、木暮刑事。……見ていたのなら話が早い」
敏彦が差し出した手に冊子を手渡し、三品は胡座をかいていた膝の上に右肘をついて顎を手の平に乗せた。
「なんてことはない、あの怪文書は和尚が自ら書いたものだったのだ。モグルガイに襲われぬよう夜間に誰も根津浜へと入らせぬためにね。あの手紙は予告でも犯行声明でもない。警告だったんだよ。あるいは『モグルガイ』という言葉を使うことで、島の人々の記憶から消えた、貝の存在を伝えたかったのかもしれないね」
「始めからそう言ってくれれば良かったんだ」
「きっと浜口氏の姿が消えた段階では、それが貝の仕業によるものかまだ確信が持てなかったのだろう。だからあんな曖昧な手紙を残したんだ。だが、兄弟二人が消えて島にはその痕跡すら残されていない。愈々モグルガイによるものに違いないと和尚は考えたのさ。それで昨夜の一騎打ちだ。我々に一言も打ち明けなかったのは、きっと寺を継ぐものとしての責任感なのだろうね」
「馬鹿っ」
一郎が小声で此の場には居ない、眠っている辰治を叱った。
「兄たちは何故根津浜に向かったのでしょう」
敏彦の疑問に一郎が言い難そうに答えた。
「……おそらくだが、どちらとも相手を根津浜で殺害しその罪を『モグルガイ』に擦り付ける気だったのではないでしょうか。彼らは『モグルガイ』の存在など端から信じておらず、浜口さんの悪戯だと疑っていたわけだし。もしかしたら浜口さんに罪を被せるつもりもあったのかも」
三品の推理も一郎のものと同じだった。頷くと、
「きっと事が上手く運んだ時には何食わぬ顔で『モグルガイに殺された』と騒ぐ腹積もりだったのだろうね。しかし現実のモグルガイは二人に容赦なく──」
敏彦の辛そうな顔を見て、三品は言葉を留めた。
「……ちょっと待て三品。初代の住職が逃してしまった潜る貝の稚貝はもう二百年近く前の話だぞ。それが今も生きているっていうのか。そんなことあるものか。それよりも、恐ろしい想像だが、潜る貝が繁殖して増えて、今、この島の人々を襲っていると考えるのが当然ではないのか」
木暮が疑問を口にする。
「ウン、たしかに常識では考えられないが……浜辺に残されていた、あの腕を思い出してください。もし群れを作るほど増えているのなら、食べ残しなどはないはずです。それに昨夜は辰治和尚が一人で相手をしていたのですよ。とてもじゃないが、多対一で巨大な貝を相手にできるとは思えません。一匹の仕業によるものだと僕は確信を持っています」
三品の言葉に敏彦が自分の意見を付け加えた。
「数匹か数十匹か増えていて、しかし人間を襲っているのは一匹だけ、という可能性もあるにはありますよね……」
瑠璃がぞっとした顔で口元を抑えた。慌てて三品がそれを否定する。
「いやいや、初代住職の手記を見る限りモグルガイは人を襲う習性があるようだ。複数居て一匹だけ人を襲っているとは考え難いですよ」
三品はやおら立ち上がると、書庫から出て廊下の窓から外を眺めた。
「もう日暮れですね」
「これからどうする」
木暮が三品の横に立つと訊ねた。
「そうですね……」
「──木暮さん、三品さん。お願いがあります。他の島民に知られぬよう、モグルガイを退治するのに力をお貸しくださいませんでしょうか」
と一郎が二人に頭を深く下げて頼んだ。
「あいつ──辰治が皆に貝のことを知らせなかったのは、初代住職が書いていたように再び島の人々が『人喰い』と蔑まれることを恐れてのことだと思うのです。初代が貝を逃してしまったことへの、寺を継ぐ人間としての責任感、罪悪感もあると思います。でもそれ以上に、あいつは今を生きる我々のことを考えている奴です。きっと差別の再来を避けたかったはず。……できることなら、俺は辰治が願ったようにひっそりとモグルガイを退治したいです」
「兄さま……」
瑠璃は胸の所でぎゅっと己の手を握りしめると、兄に倣って二人に向け頭を下げた。敏彦も頭を下げている。
「私からもお願いします。できることがあるならば、何でも協力致します」
木暮は重々しく頷く。
「……無論、そのつもりだよ。我々はそのために此の島に来たのだから。なあ三品」
「ええ」
そう言って三品は腕を組み暫し思案した。
「……では、敏彦さん。悪いがこれから潮邸へと向かってもらえますか」
「どうするのですか」
「武器ですよ。代々の住職が並べ置いてきた岩々は貝を退治するためにあったのでしょう。おそらく、貝に噛ませて完全に閉じない内に内側の貝本体を攻めるためにね。しかし根津浜に岩が一つも無くなった今、我々には新たな武器が必要です。岩よりも強力な武器が」
一郎が合点がいったように頷いた。
「──金庫ですか」
「そうです。潮邸ならば空き金庫の一つでもあるでしょう」
「はい、あります。丁度お誂え向きの金庫が」
「これくらいの」と、敏彦は手で空に四角を描いてみせた。
「以前は中に山のように貴金属があったのですが、兄たちが中身を殆ど売り飛ばして現金にしてしまったせいで、立派な面構えの金庫と寂しい中身が些か釣り合っていないなと思い始めていたところでした」
よし、と木暮は己の腰の辺りを叩いた。
「それならば、私が無防備になった貝を斬りつけてやろう」
話がまとまると、敏彦と一郎は二人で金庫を探しに潮邸へと向かった。すぐには戻らず、夜遅くなり人目が無くなる頃合いを見計らって金庫を運び戻ってくるように話を打ち合わせた。瑠璃も、兄が今夜帰らないことを伝えに、一度自宅へと戻っていった。
***
準備のために他の者たちが出払い、寺に残された三品と木暮の二人は、辰治が未だ目が覚めていないことを確認すると、思い思いに時を過ごしていた。
「三品」
と、木暮が廊下を落ち着きなく歩き回る三品に呼びかけた。
「少しは落ち着いたらどうだ」
「いえ……何か見落としはないかと、気を揉んでいるのですよ」
「揉んだところでどうにもなるまい。金庫で貝の口が閉じるのを防ぎ、その隙に本体を斬る。単純明快な作戦じゃないか」
「そうなんですけどね……」
ふと、三品は歩みを止めると問わず語りに呟き出した。
「そういえば何故モグルガイは今になって人を襲いだしたのだろう?気候?いやそれならば昨年でも一昨年でも良かったはずだ。ならば何だろう……そういえば、昨年港の工事をしたと奥之島史に記してあったな。それが原因で眠っていたモグルガイが目覚めたとでもいうのか?」
ぶつぶつと呟き続ける三品に、木暮が冗談っぽく、
「人を襲える大きさに成長するまで静かに潜んでいたのだったりしてな」
と茶々を入れた。
「人が真面目に考えているのに、笑えぬ冗談は止してくださいよ」
と、そこに離れの戸を鳴らし瑠璃が先に帰ってきた。手には刀を持っている。
「只今戻りました。木暮さん、これを」
「どうしたんだい。此の刀は」
「もう亡くなった祖父の脇差です。昔知り合いから譲ってもらったとかで……納屋に眠っていたのをこっそり持ってきました」
刀は殆ど手入れをされていないようだったが、最低限の切れ味は持ち合わせているらしい。久方ぶりに鞘から出され、大気に触れた刀身が鈍く光る。
「有難う。たしかに受け取った。でもこれは君のお兄さんに持ってもらおうかな。私は私の刀を振るおう」
木暮は刀を静かに鞘へと納めた。活動をぼちぼちと始めた梟が山の方で鳴いている。夜が、迫っていた。




