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『奥之島史』

 『奥之島史』は海澄寺の初代住職がこの寺が建立された延宝七年の皐月より書き記し始めたもので、(ページ)をめくる毎に新しい年代となるよう代々の住職が継ぎ足して今に至っている。延宝より以前の歴史は『別冊 奥之島史』に書かれており、こちらは初代の住職が全てまとめている。


 『奥之島史』の冒頭には寺の建立に至った経緯が記されていた。


***


 ……延宝四年カラ六年マデ飢饉続ク。被害甚大也。島ノ人口多イニ減少ス。


 延宝六年神無月、飢饉収マル。島ノ名主共相談ヲ重ネ、寺ヲ新タニ建立スル事ヲ決定ス。眞城ノ次男、名ヲ慈海ト改メ住職ニ任ゼラル。


 延宝七年皐月、寺建立ノ儀ヲ滞リナク行ウ。慈海、寺ヲ海澄寺と命名ス。同年文月、祥空ノ作リシ観音菩薩像ヲ堂ニ安置ス。……


***


 「へえ、この島は以前飢饉があったのだな」


「そういえばそんな話、昔聞いたことがあるような。しかし、眞城なんて家、島に居たっけなあ」


 一郎が記憶を探るように目線を上へ向ける。


「途絶えたとか島を出たとか、長い年月、色々とあるものさ……。それにしても、成る程。たしかにこれは奥之島の歴史書だね。この島の出来事が仔細に書いてあるようだ。延宝十年には『静浜』を『根津浜』と呼び改められたことまで書いてありますよ」


 本の頁をパラパラと捲っていた三品だったが、『モグルガイ』を指し示すような話は載っておらず、ただ淡々と島で起きた出来事が記されているだけである。


「お、最新のものは矢張り辰治和尚が書いてるぞ。昨年漁港を整備したとある」


「……モグルガイの事は何も書いていないようですね」


「フーム。──そうだ、あの洞窟はどうだ。何か書いていないか」


 と、木暮が思い出して言ってみた。今度は新しい方から順に遡って、頁を三品は捲る。


「洞窟、洞窟、と……あ、あった。おそらくこのことでしょう。具体的な月日は書いていないが、享保十年とある。『ウラノ洞ヲ閉鎖ス』、たったこれだけだ。随分短いな」


 三品は訝しげに前後の文章を読み比べている。


「じゃああの洞窟、二百年ほどもの間、誰にも気づかれずにいたということ?」


「そういうことになるなあ、狭い島のことなんか端から端まで知り尽くしたつもりだったが、意外や意外」


 兄妹がそう話している脇で、木暮は立ち上がった。


「残念ながら三品探偵の読みは外れたようだな。後は辰治さんの目覚めを待とうじゃないか」


 だが、三品は諦めていなかった。


「いいえ、僕はまだこの書庫を漁って、『モグルガイ』の記述を探してみようと思います。他にやることもありませんしね」


「──私も」


 と、名乗り出たのは瑠璃だった。


「私も、三品さんのお手伝いをします」


 ちょっと三品は戸惑ったが、一郎も「お邪魔にならなければ」と言うので了承した。


「では瑠璃さんは手前の棚から見ていってくれるかい。僕は奥の方から見るよ」


「はい」


 早速瑠璃が手前の書架から本を引っ張り出して眺めている。


「──私たちは潮邸に行って一郎さんの様子でも見てくるか」


「そうですね、彼には辰治が伏せていることを伝えておいた方がいいかもしれません」


 三品と瑠璃が本にのめり込もうとしている横を、二人の刑事は静かに通り書庫を出た。


 二人が出て行ってからしばらく、三品と瑠璃は書物を読み漁るのに没頭した。と言っても、書架に並んでいるのは島に関わるものばかりではなく、仏の道を説くものや農作物への知見を集めたものなど、『モグルガイ』とは関係のなさそうなものも当然ある。二人はそのような本でも、パラパラと頁をめくり『モグルガイ』を探し求めた。一冊二冊三冊……二人は昼食を取るのも忘れて、書架から取り出し本を眺めては戻すという作業を繰り返した。途中、敏彦を伴って木暮と一郎が戻ってきた時も、返事はおざなりに返す始末だった。


「今度は一晩で根津浜の岩が無くなったと、島中ちょっとした騒ぎになっていますよ」


 外のことなど知らぬといった調子で本を読み漁る彼らに敏彦が教えた。


「そうでしょうね」


 三品は本から顔も上げずに返事をした。


「辰治くんが目覚めるのを、私もここで待つことにします」


「はい」


 本の虫になっている三品たちはもう放っておこうと、木暮、敏彦、一郎の三人がそっと書庫から離れても尚、二人は本の頁とにらめっこをしていた。


 やがてもうじき夕暮れの茜が迫ってこようかという頃、


「──瑠璃さん」


 と、三品は本を読む手を止めて瑠璃をじっと見つめた。瑠璃も視線を感じて顔を上げる。


「はい?」


「どうして一緒に本を探そうだなんて思ったのか、訊いてもいいかな」


「……別に大した理由はないですよ。ただなんとなく……そう、なんとなくですけど、三品さんが調べている『モグルガイ』──これは、東京から来た人じゃなくて、此の島に住む私達がちゃんと知っておくべきことだったのではないかしらと、思ったんです」


 紺の紐で背を結わえられた冊子を閉じると、瑠璃はその裏表紙をそっと撫でた。


「きっと和尚さまは『モグルガイ』のことを何か知っていたんでしょうね。そしてそれを一人で抱え込んで、今、あのような事に……。兄さまが持って行った和尚さまの日記にも、もしかしたら『モグルガイ』のことが書いてあるかもしれません」


 外では雀が数匹戯れていて、鳴き声がぴちぴちと書庫の壁越しに聞こえてくる。


「……そうだね。だからこそ、君のお兄さんは自身で謎を解明することを取り敢えず置いておくことにしたんだ。辰治さんの目覚めを待つためにね。何事かを隠し続けていた理由を含めて、辰治さんが謎のすべてを明かしてくれることを期待しているんだ。友情の為せることだね。だが僕は──彼の目覚めを待たず、謎の解明を優先してここに残っている」


「はい」


 瑠璃は目を伏せた。


「つまり僕が言いたいのはだね。僕がやろうとしていることは、お兄さんの決意を台無しにするものであり、辰治さんの努力を無に帰すものかもしれない、ということだ。それでも君は──」


「構いません」


 三品の言葉を予想していた瑠璃は、顔を上げ三品を見据えると、きっぱりと言い切った。


「兄さまや和尚さまが自分の考えで行動を起こしたように、私も私の考えで行動をします。大人から見るとそれは幼稚で危ういことかもしれないけれど……それでも、私は私が『そうしたい』と思ったことはやってみたいと思うのです」


「……これを見給え」


 背表紙にも表紙にも題名の書いていない、藍染の和紙を装丁にした綴り本を三品は瑠璃に手渡した。


「こちらの書架の隅に立て掛けてあったよ」


「……」


 瑠璃は黙ってその本を開いた。


「それは初代住職の慈海が書いたもので個人的な日記のようだ……『裏奥之島史』とでも言おうか」


 三品は瑠璃のそばによると、頁の中程にある行を指し示した。


「ここだ。飢饉の(くだり)から」


***


 ……草ヲ噛ミ泥ヲ啜リテ現世に踏ミ留マリシモ、目ニ映ル景色ハ末法ノ世ト違ワズ。右目ニ僅カバカリノ糧ヲ求メテ親ヲ殺ス子有レバ、左目ニハ子ヲ殺ス親アリ。背後ヨリ袖引ク者アリト驚キ振リ返レバ今際ノ幼子也。看取ル親モナク。寄リ添ウ兄弟モナク。只々、死ニ逝ク。正気ノ沙汰ナラズ。


 海ヘ出テモ不漁、畑ヲ耕シテモ不作、我ラ無力感ニ囚ワル。世ヲ儚ミ、自ラ命ヲ絶ツ者モ又多シ。


 延宝六年葉月。飢饉収マラズ。其ノ上行方不明者相次グ。当初ハ糧を奪イ合フ身内ノ仕業ヲ疑フ。然シサニアラズ。人ヲ食ウ貝ノ仕業也。其レ、幅六尺程ノ巨大ナ貝ノ群レ也。貝共、日中ハ砂浜ノ奥深クニ潜ル故、我ラ『潜ル貝』と名付ク。大人達協力シ、夜、静浜ニテ砂ヨリ顔ヲ出シタ貝共ト相対ス。


 夜間ノ闘イハ壮絶ヲ極メシガ、我ラ一睡モセズ、引カズ。空白ミ始メル頃、到頭最後ノ一匹ヲ打チ倒スニ至ル。巨大ナ貝ノ肉、我ラの糧トスベシト主張スル者アリ。否応無シ。只、人ヲ食ベシ貝ノ肉故、何モ知ラヌ子ラニハ秘スルベシ、何ノ肉カ黙スルベシ。……


 ……何時頃ヨリカ、我等、『人喰イ』ト呼バレルニ至ル。秘スルモノノ一部ガ漏レ出タ結果也。孫子ノ代ニ甚ダ申シ訳ナク。……


***


 瑠璃が驚いて叫ぶように言った。


「貝!?本当に貝がいたのですか!?」


「どうやらそのようだ。それに続きを見てご覧」


***


 ……今宵静浜ニテ、潜ル貝ノ子ト思シキ小サナ貝ヲ見ツケル。憐レナルカナ。マダ何モ罪ヲ重ネテ居ラヌ身ナレバ、殺害スルハ忍ビガタシ。ウラノ洞ニテ匿ウ。石デ囲イ砂ヲ敷キ、飼育ヲ試ミル……


 ……愚カナリ、愚カナリ。カノ貝逃走シケリ。嗚呼、コノママ何事モ無キコトヲ願フ……


 ……修行ト称シ静浜ニ岩ヲ運ブ。カノ貝ガ蛮行ニ及ブ前ニ、コノ手デ……

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