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歴史

 昨日の今日である。島に動揺と混乱が走るのを避けて、医者の貞次にはしばらく黙っておいてもらうよう頼んで、辰治が倒れたことは彼以外にはまだ伏せておくことにした。


「しかし浜の様子までは隠しきれません。今頃また騒ぎになってるんじゃないでしょうか」


 皆で簡単な朝食を食べ終えた後、一郎が顔を曇らせて言うと、木暮が彼の肩を優しく叩いた。


「そればかりは仕方がないさ。しかし、辰治さんまで倒れたと知れ渡れば取り返しがつかないほど騒ぎが大きくなってしまうだろう」


「一刻も早く、一体誰が辰治と対峙していたのか解明しなければなりませんね……」


「ああ。そいつがモグルガイ、ということになるんだろうが……和尚が目を覚まさないことにはな」


 一郎と木暮が会話をしている横で、三品はまだ眠る辰治をちらと見ると、海澄寺を散策することにした。やることを終え退屈していた瑠璃も後を付いてくる。三品が外に出て離れの裏の畑を眺めていると、


「これ、のらぼう菜と言うんですよ」


 と、瑠璃が菜っ葉を指し示して教えた。


「おひたしの。ウン、あれも美味しかったな」


「でしょう?先日はこっちにナスの種を蒔いたんですよ」


 と、今度は空いているように見えた畝を得意気に示した。


「寺のこと、よく手伝ってあげているんだね」


 三品が褒めると、瑠璃ははにかんで笑った。それから二人は寺の裏側をぐるりと巡って、そのまま本堂の正面へと足を運んだ。だが正面の入り口は鍵で閉じられていたため、瑠璃の案内で二人は離れから外廊下を伝って側面より本堂の中へと入った。


「普段から、こっちは鍵が掛けられていないんです」


 そう言いながら瑠璃はゆっくりと扉を開ける。本堂の中は外以上に静かだ。昨日の山狩り打ち合わせの時に三品が見かけた、観音菩薩像が隅で微笑んでいる。


「観音様がどうかしたのですか」


 像に近づきまじまじと眺める三品に瑠璃が不思議そうに訊ねた。三品は黙って直立する観音菩薩像を眺めていた。その像は木造で出来ており、三品の背丈をゆうに上回っていて、二(メートル)ほどある。


「この像、大きいですよね」


「ウン、大したものだ」


「大きいし重いのは『大したもの』なんですけど、ね。所詮は田舎の島の見かけ倒しの像です」


「……どうやらこの像は一木造(いちぼくづくり)のようだね。故に中空になっておらず重みがあるのだろう」


 三品はそっと手を伸ばすと、蓮華の上に立ち錫杖を持つよう施された、観音菩薩を労るように撫でた。


「この島の(くすのき)からで造られたもので、素材は別に特別というわけでもないし、造った仏師も特に有名でもない人で……お顔の所なんかよく見ると、いまいち説得力に欠けるというか、有難みが薄いというか……せめて歴史に名を刻んでいるような方が掘ってくだされば良かったのに」


「ハハ──アッ」


 「歴史」という単語を聞いて、三品の脳裏に閃くものがあった。


「どうかしました?」


 驚いて瑠璃が訊ねる。


「──うっかり忘れていた。瑠璃さん、此の島の歴史書の収められている寺の書庫、その鍵はどこにありますか」


 三品の真剣な顔に瑠璃は少々気圧された。


「え、ええ……書庫の鍵ならば他の鍵と一緒に束にして和尚様の部屋に置いてあると思いますけど、本がどうかしたのですか?」


 瑠璃の言葉を待たずして、三品は既に離れまで歩き出している。移動をしながら、三品は瑠璃の質問に答えた。


「『モグルガイ』のことだよ。今の時代を生きる人間が知らないならば、過去の人に尋ねるのが一番というわけさ」


 バタバタと辰治の部屋へ向かう三品たちに気が付き、木暮と一郎も合流してきた。


「どうした?」


「書庫の中を漁って、『モグルガイ』のことを探ろうかと思いまして」


 躊躇いもなく辰治の部屋を勢いよく開けると、三品は遠慮など知らぬといった調子でずかずかと中へ入り、壁に掛けられていた鍵束を見つけると勢いよく掴んだ。


「さあ、行こう」


 持ってきた鍵束を幾つか試し、ようやく合った鍵を使い書庫の中へと入ると、沈んでいた空気がたった今開けた扉から入ってくる外気と入れ替わる気配を感じた。辰治がこまめに掃除をしていたのだろう、埃が積もっていたり汚れは溜まっている気配はなかったが、それでも、冬の空気が書庫には残っていたようだった。


「へえ、自分も初めて中を見ますよ。ここ」


「いつもは和尚様が本を取ってきてくれるものね」


 島の兄妹二人も物珍しそうに入口から顔だけ覗かせ、書庫の様子を伺っている。書庫には窓がなく、天井に届きそうな書架が入口から左手の壁際に二つ並べて置かれている。右手は文机(ふづくえ)が置かれていて、辰治の日記が広げられていた。それを盗み見ようとした三品を、真面目な一郎が押し留める。


「三品さん、いくら捜査のためとはいえ、断りもなく他人(ひと)の日記を覗き見るのは少し無遠慮すぎるように思います。これは辰治が起きた時、改めて見ても良いものか彼に伺いましょう」


 パタンと日記を閉じると、一郎は大事そうにそれを抱えた。


「参ったなあ」


 どう彼を説得すべきか三品が頭を掻いていると、木暮が三品の背中を突いた。


「君が探しているのは島の歴史書だろう……これじゃないのか、『奥之島史』なる本があるぞ」


「いや、僕が探しているのはもっと私的な……それこそ、代々の住職が書き記してきた日記のような……そういうものでもいいのですが。まあ、取り敢えずそれを読んでみるとしますか」


 文机に『奥之島史』を広げると、四人は顔を並べて覗き込んだ。

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