和尚、倒れる
その夜、疲れて眠っていた三品は不意に目を覚ました。横では木暮が鼾をかいて眠っている。三品は立ち上がりぶるりと身を震わせると厠へと立った。用を足したその帰り、廊下からふと外を眺めると、辰治が一人で門を出ていくのが見える。
「おや、こんな時間にどこへ」
三品は声をかけるべきかとも思ったが、半分だけ覚醒している頭で修行の一環だろうと判断し、そのまま布団へと潜った。
その半分起きていた頭の片隅で辰治がどこへ行ったのか考えていたせいだろう。日がまだ顔を出していない夜明け前、三品は再び目を覚ました。昨夜出ていった辰治が気になって寺中を見て回ったが、彼の姿は寺のどこにも無かった。それどころか、辰治の部屋は布団を敷いてすらおらず、綺麗に片付けられている。
「木暮刑事、木暮刑事。辰治和尚の姿が見えません」
むにゃむにゃと寝言混じりに起き上がる木暮に、三品は辰治和尚の姿が見えないことを告げた。
「ん……それはどういうことだ」
「昨夜遅くに辰治さんが出ていくのは見たのですが……」
「その時、声をかけておけばよかったんだ。……岩を山から運んでくるとかいう、例の修行じゃないのか」
無理矢理起こされたせいだろう。木暮は少し機嫌が悪そうに目を瞬いている。
「私も昨夜はそう思ったのですが──」
アッ、と三品が素頓狂な声に、木暮の目は一気に驚き覚めた。
「どうした」
「まさか根津浜に」
二人は大慌てで坂道を走り根津浜へと向かった。まだ暗い中、冷えて新鮮な空気の中を潜っていくみたいに、二人は坂を下った。二人のやや荒れた息で大気が撹拌され、流れていく。
「辰治さんっ!」
根津浜に到着した二人の目に飛び込んできたのは、全身をボロボロにし、棒立ちに立ち尽くす潮辰治その人の姿だった。それに加えて二人が驚いたのは、あれほど根津浜に林立していた岩の群れが完全に消え失せていた事だった。一夜にして、根津浜はただの砂浜と成り果てていた。只一人、辰治を残して。
「どういうことだこれは……」
「和尚!」
二人が辰治の元へ駆け寄ると、ようやく彼は二人に気がついて、
「あ……お二人共……もう、朝が近いのですね……」
と、うつろな目を二人に向けた
「一体、何があったのです!」
「モグルガイの、正体、は──」
驚き惑う三品たちに、辰治は何かを言いかけたが、次の言葉を告げる前にその場にドサリと倒れ込んでしまった。
「和尚!」
木暮が急いで辰治の上半身を軽く起こし体の様子を伺った。
「──大丈夫、息はしている」
二人共大きく安堵した。辰治の全身は打ったように痣まみれだが、今はただ意識を失ってしまっただけのようだ。
「とにかく、海澄寺まで運びましょう」
「医者は」
「陽が昇れば河野くんか瑠璃さんが来てくれるはずです。意識を失っているだけならば、下手に動くより、彼らに頼んで医者を連れてきてもらいましょう」
「わかった。そっちの肩を持て」
「ええ」
二人は協力して、辰治を寺まで運ぶと、離れの空いていた部屋に布団を敷き、そこに彼を寝かせた。
三品の予想に反して、瑠璃は陽が昇り出す前に寺へと顔を出した。三品と木暮は待ちわびたように離れの玄関先まで出て彼女を出迎えた。
「お早う御座います。お二人共、昨夜はご苦労様でした」
「お早う。早速で悪いが、実は君に頼まねばならんことがあってね」
「はあ……?」
どうやら根津浜の岩が消えていることには気が付かずに来たらしい。離れに上がり布団に寝かされている辰治に気がつくと瑠璃は悲鳴をあげた。
「──和尚さま!?一体、何があったんです!?」
驚き混乱している瑠璃に木暮が噛んで含めるように事情を説明をすると、瑠璃は「わかりました」と言って、医者を呼びに出ていった。
瑠璃が飛び出てしばらく、日の出とともに彼女は兄の一郎と医者とを引っ張るように連れてきた。医者は額に汗を浮かべながら息を切らし、寺に着くなり「水、水」と喘いでいる。
「有難う。早かったね」
「そりゃあ、もう」
瑠璃も肩で息をし、髪は乱れ前髪は汗で額に張り付いている。挨拶もそこそこに、医者を辰治の眠る布団まで連れて行くと、身体を診させた。
「どうですか」
「ウン……」
辰治の体をしばらく診ていた医者が眼鏡を掛け直して皆の方を向いた。彼は島唯一の医者で、名を上野貞次という。歳は五十を過ぎており、言葉を発する前に熟慮するためか、時折目頭を抑える癖があった。
「ウン、今は疲労から気絶したように眠っているだけのようだ。ここ数日の無理が祟ったのではないかな。全身を打っているようだが、こちらもウン、骨などは折れてないから大きな問題はないだろう」
何はともあれ、矢張り辰治の肉体に問題はないらしいことがわかって、一同、ホッと息を吐いた。
「何で打たれたかわかりませんか。例えば──岩とか」
「そうだねえ……ウン……何かはわからないけど、こう……大きな、突起物が無い物という感じだねえ。純粋に打撲しているだけで、刺し傷や引っかき傷、あるいは裂傷のようなものは見当たらない。岩のようなゴツゴツとしたものではこうはならないように思うが……」
「そうですか」
「岩、といえば、ここに来る前、根津浜を見ましたよ」
と、貞次は脚を崩しながら言った。
「瑠璃さんから聞いてまさか、と思っていたのだが、驚いた。本当に岩がまるっと無くなっていたねえ」
「俺もびっくりしました。一体何故、このようなことになったのでしょうか」
一郎の言葉に、「それは」と、三品は眠る辰治を見やった。
「彼が知っているはずですが、これでは起きるまで聞き出せますまい」
瑠璃が正座したまま膝をずいと前に動かし、
「和尚さまが、いつ頃目覚められるかわかりますか?」
と、貞次に訊ねた。
「ウーン……彼はまだ若いし……断言はできないけど、明日には目を覚ますと思うよ」
明日か、と誰とはなしに呟いて、部屋はシンとなった。と、そこに出し抜けに三品が貞次に訊ねた。
「上野先生、失礼を承知で一つ訊きたいことがあるのですが宜しいですか」
「ウン?」
「潮寅吉さんのことです」
ああ、という顔をして、貞次は目頭を抑えた。三品は言葉を続ける。
「此の島にやってきて数日、率直に言って、行方不明になったあの兄弟の良い話は一つも聞きませんでした。或いは彼らは人殺し──親殺しさえ厭わぬ人物だったのかもしれません。……しかしそれはあくまで可能性であり空想の域を出ない話でもあります。実際の所、彼らが寅吉さんを殺害したという話の信憑性は如何なものなのでしょうか」
「ウーン……どう答えたものか……ウーン……ウン、まず医者として断言するが、皆が噂するような、彼らが毒を盛ったとか、私と口裏を合わせて殺害したとか、そのようなことは私の名誉にかけてもないと言っておこうか。誓って。寅吉さんは間違いなく患っていた心臓の病気で亡くなったのだよ。ただね……」
「ただ?」
「寅吉さんの死の直接の原因は心臓だ。ただ、ウン、病は気からとも言うように、あの兄弟の傍若無人さが寅吉さんの病に拍車をかけた、と言えなくもない」
「死の遠因ではあると」
「そうだね。あの人はいつも潮家の将来を案じられていたよ。それが今此のような事になるなんて……」
再び目頭を抑えて暫しの間黙るとやがて、それでは、と言って貞次は去っていった。




