◇泣き虫ジョーヌの留学生活◇後編
「おかえりなさいませ!旦那様!」
私たちが部屋の前のドアまで来ると、おもむろにドアが開き、美女が顔を出して、にこやかにそう言った。
マゼンタさんも美人だったが、こちらの女性もかなりの美人だ。
それにしても、だっ……旦那……さま???
私はアーテル君と美人を交互に見つめ、口をパクパクとさせた。
落ち着け、落ち着こう……ジョーヌ。
使用人は「ご主人様」なんて言う事もあるし、「旦那様」と呼ぶ事だってある。……その、「奥さんと旦那さん」の、「旦那様」じゃない……んだ、よ、ね?
アーテル君は私を「ん?」って顔で一瞥すると、彼女に言った。
「ただいま帰りました。シアンさん。」
そして、流れるようにシアンさんに背中を向ける。……シアンさんはアーテル君の外套を脱がせて受け取った。
えええっ……。
や、やっぱり……なんか、やってる事が、めっちゃ、奥さんなんですけど……?!
あ。
いや……。
アーテル君は学園やお屋敷では、メイドさんに、いつもこんな感じだった。……とは言え、シアンさんがどう受け止めているかは謎だけど。
シアンさんは私を見つめると、ニコリと笑った。
「えっと……ジョーヌさんでしたよね?はじめまして、シアンです。……コートをお預かりしますね?我が家は玄関で外套は脱いでいただきたいの。埃を持ち込んでしまいますから。」
「あ!……は、はい。」
言われるがままにコートを脱いで、シアンさんに手渡す。
……ん???
今さ……『我が家』とか言ってませんでした???
ちょ、ちょっと?!?!
でも、それに気づいても、もう後の祭りだ。
何か言ってやろうと思ったのに、シアンさんはアーテル君を連れてリビングへと入って行ってしまった。
……。
自分の瞬発力のなさが恨めしい……。
……リビングにやってくると、テーブルには、お酒と手の込んだおつまみが用意され、並べてられている。……しかも3人分……。
「帰ってきたら飲みたいって言ってたって、マゼンタから聞いたから、頑張って準備しておいたの!……ジョーヌさんは、こちらに座って下さいね?」
シアンさんはそう言うと椅子を引いて、ニコニコと席をすすめる。
えーと……。
何だろ……この、新婚家庭に招かれた感……。
私がオロオロとしていると、アーテル君はシアンさんにキッパリと言ってくれた。
「シアンさん、色々と準備してくれて、ありがとう。でも、今夜はもういいよ。後は僕たちだけで過ごしたいんだ。」
アーテル君の言葉に、シアンさんは素直に頷いて、ニッコリと笑った。
あ、あれ……?マゼンタさんより、プロ意識のある方だったのかな?もしかして、シアンさんは、ちゃんとメイドだって割り切って、働いていてくれたのかも?
「……そうですか。それなら今日は帰りますね。……でも私は、こんな平凡な女の子に負けるつもりはないから。アーテルは、そのうちきっと私を選んでくれるって信じてる。……同郷だし、今はその子が大切かもだけど、すぐにそれが間違いだって気付くわ……。私の方が、アーテルの恋人には相応しいってね……。」
シアンさんはそう言うと、アーテル君を引き寄せて頬にキスを落とし、意味ありげに私に笑いかけて……「では、どうぞごゆっくり。」という言葉を残し、固まるアーテル君を置いて、帰って行ってしまった。
……。
……。
えっ……と……。
「あ、あのさ、アーテル君……。どういう事なの?……シアンさんもメイドなんじゃなかったの?……やっぱり本当は、浮気してたの?それとも……心変わりしちゃってた???」
思わずジンワリと涙が滲んできた。
「え!!!いや……!!!まさか。そんなはずないだろ?!……彼女は本当にメイドだよ?!」
アーテル君は、慌てて私の肩を揺さぶる。
「で、でもっ!……今さ、アーテル君ってば、固まってたよ???」
「違う!本当に違うんだ!!!……固まったのは、いきなり使用人にジョーヌちゃんとの仲が拗れるような、思わせぶりな事を言われて、驚いたからだよ?!……僕たち、本当に何もないんだ。お金もちゃんと支払ってたのに、何でそんな事を言われちゃうんだろう?って、ビックリしちゃって……。」
アーテル君はそう言うと、困った顔で私の涙を拭ってくれる。
「ほんとに……?」
「うん。……本当にホント。……そ、それに……。今日は決心して泊まりに来てくれたんだろ?」
アーテル君の言葉に、私はボボッと顔に熱があがった。
あ!……そ、そう……でした。
衝撃的な事が起こりすぎてて、そんなの忘れてました。
「……う、……うん。」
私は小さな声でそう言うと俯いた。
「すごく、嬉しかった。……だけど、僕ってば、やらかしちゃってて……。あー……もう、ホント、タイミング悪い……。」
アーテル君は、ガックリと項垂れると、ガシガシと頭を掻いた。
「……本当はさ、ちょっと気づいてた。マゼンタさんやシアンさんに下心がありそうなの。だけど、綺麗で快適な部屋で生活したくて、惚けて知らんぷりしてたんだ。ちゃんとお金も支払ってたし、そうしていたら、そのうち、わきまえてくれるだろうって思ってたんだ。……でも、そう上手くは行かなかった……。ダメだね、僕……。」
「アーテル君……。」
「なんかさぁ、ムードも霧散しちゃったよね?……とりあえず、気分転換に外でも歩かない?……なんか嫌だよね?彼女達が整えた部屋にいるのも、この料理が並んだテーブルもさ。」
そう言うと、アーテル君は私を寮の外へと連れ出してくれた。
……。
……。
アーテル君と手を繋いで校内をブラブラと歩く。アーテル君の部屋でラブラブするはずが、どうしてこうなっちゃったんだろ……。
でも、ま……いっか……。
だって、やっぱりこうして2人で居られるのだから。
入り口には守衛さんがいるから、校内は夜中に歩いていたって安全だ。
私たちは、中庭にあるベンチに腰掛けて、少しここで話でもしようかって事になり、まだ肌寒い春の夜の中、寄り添って座った。
ふわりと、春の花の香りが鼻腔をかすめていく。それは、あまり馴染みのない花の香りで……異国での、始まったばかりの私たちの生活を実感させてくれた。
……私とアーテル君は、とめどない話を始めた。
学園での思い出話やら、アキシャル国に来てからの話、そうして、これからの事も……。私たちは2人でいたら、きっと、どんな夜だって、アッサリと明けてゆく……。
……。
……。
「あのさ、ジョーヌちゃん。」
「なーに、アーテル君。」
夜明けが近づき、中庭がぼんやりと明るくなり始めた頃、アーテル君は少し思い詰めた顔で、私に切り出した。
「考えたんだけど……。寮を出て、一緒に暮らさない?」
「え?」
私はアーテル君の申し出に、少し驚いてしまい、目を瞬かせる。
「僕にはやっぱり、まだ庶民の暮らしは難しいみたいだ。だけど、シアンさんにもメイドは辞めてもらおうと思う。……だからお願い、僕をサポートしてくれないかな?」
「え……?サポート???……私が代わりにお世話をするんじゃなくて?」
身の回りの事に不安があるから、私と暮らしたいって事じゃなくて???
「うん。サポート。……やっぱり僕はさ、ジョーヌちゃんには、メイドみたいな事はさせたくないんだよ。君は僕の奥さんになる人だから……。」
「???」
「あのさ、だから、ジョーヌちゃんにお願いしたいのはね、僕のお世話じゃくて、家事や身の回りの事をする方法を、僕に教えて欲しいんだ。」
「……方法を教えるの???」
私は隣に座るアーテル君を見上げて首を傾げた。
アーテル君は神妙な顔でコクリと頷く。
「そう。……最初はもしかしたら、ジョーヌちゃんが全部やった方が早いかも知れない。お世話してもらうより、教える方が手間をかけちゃうかも?だけどさ、身の回りの事、自分で出来るようになりたいんだ。……学園で貴族の暮らしを僕が教えたみたいに、ジョーヌちゃんには、僕に庶民としての暮らし方を教えて欲しい……。それって……ダメ、かな???」
……えっと……。
朝日が登り始め、中庭はみるみるうちに光に包まれてゆく。
「……ダメじゃないよ。うん、そうしよう!……私、アーテル君に庶民としての暮らしを教えてあげる!そうだよね、学園では私、アーテル君に色々と教えてもらったし、これからは私がアーテル君に洗濯やお掃除を教えてあげる!」
「ありがとう、ジョーヌちゃん!!!……僕たち、お互いに分からない事は教え合いながら、助け合って生きていこうね?!……これまでも、これからも。」
「……うん!」
「よし!……そうしたら早速、一緒に暮らすアパート探しに行こう?!もう朝だよ!僕たちの夜明けだね!!!」
アーテル君は朝日を背負って、とても眩しい笑顔を私に向けてくれた……。
◇
……。
この時の私は、アーテル君が詐欺師だという事を完全に忘れていたのだ。もちろん、私がチョロい上に流されやすく騙されやすい性格だって事すら失念していた。
……そもそも、いくら婚約者とはいえ、結婚する前に一緒に暮らすなんていう大切な決断を、徹夜明けの頭ですべきではないのだ。
もちろん、徹夜明けに勢いで不動産屋さんに行って、あたかも偶然に見つけたような、条件の良い素敵な一軒家を契約するなんてのは、もってのほかだ。
そして、勢いで引っ越すと、何故か優秀で親切なメイドさん達を雇う事になってて、家事はすべてやってくれるという生活になってしまった事にも、もっと疑問を感じるべきだったのだ……。
……。
……そう、あれから1年。
私は……何故かアーテル君とすでに結婚していて、子供まで抱いていた。……学院は休学中だ。
今、腕の中にいるのは、先日、私が産んだばかりの可愛い我が子。
「ねぇ、アーテル君?……いつの間にこんな事になったんだろう???」
私は、赤ちゃんを抱いてあやしつつ、隣で嬉しそうに目を細めて眺めていたアーテル君に思わず尋ねてしまった。
乳母がやってくると、「赤ちゃんの湯浴みの準備ができましたので、お預かりしますね?」と声をかけてくれ、赤ちゃんをお風呂に連れて行ってくれた。……この乳母も、いつの間にかアーテル君が雇っていたのだ。
「ジョーヌちゃん?……僕と子供をつくったのも、思い出の結婚式も、まさか……出産のショックで忘れちゃったの???」
「いや。覚えてますよ???」
「じゃあ、『いつの間に?』って事はないんじゃない?……僕たち、ずーっと一緒に歩んで来たんだからさ???」
……。
なんだか釈然としない……。
「あ。そうだ。……父さん達、再来週には赤ちゃんを見に来れるって!」
「そう。じゃあ、メイド達には、気合いを入れておもてなしするようお願いしなきゃね?……アマレロ伯爵……ジョーヌちゃんの伯父さんも、早く見に来たいって言ってたよ?そうだな……義父さん達が来る時に、ちょうど会いに来られるよう調整してもらおう。」
「でも、伯父さん、薬師学部の学部長さんもやってて忙しいのに、大丈夫かな?」
「ま、大丈夫でしょ。僕がお手伝いしてますし。」
現在、アーテル君は学業の傍らで、父さんのお兄さんでもあり、アマレロ伯爵家を継いだ、学部長でもある伯父さんのお手伝いをしているのだ。
ラジアン国に学校を作る上での人脈づくり……だそう。
それもあってか、多忙なアーテル君は、いまだに身の回りの事は殆ど出来ないまんまだ。厳選して雇ったらしいメイドさん達に殆どやらせている。
どうやら、ヒミツ君の残したお金の他にも、アーテル君は個人的な資産もあったらしく……結局は以前と変わらずに、貴族みたいな暮らしを送っている。
「あのさ……。私たちは助け合って生きていくんじゃなかったっけ?分からない事は教え合うって話だったよね???」
「ん???……だから、教えたでしょ?子供の作り方とかさ?……それに、いくら頑張っても男の僕には子供なんて産めませんからね、充分に助け合ってますよね?……僕の赤ちゃんを産んでくれて、ものすごーく、ジョーヌちゃんに感謝してるのですが???……えーと、ジョーヌちゃんは何か現状に不満があるの?」
あらためてそう言われると……特には無い。
「……うーん。ないかも。……だって、幸せだし。」
そう言うと、アーテル君は嬉しそうに私を抱き寄せて、頭にキスを落とした。
……。
……以前、ヒミツ君は言っていた。
流されるなら、包容力を持って流されろって……。
その言葉の意味が、もはや私にはよーく分かる。
だってね、結局のところ……私はアーテル君を嫌いになんてなれないのだ。……好きだから騙されるし、好きだから流されてしまうんだ……。
つまりは……この結果は、ある意味で私が望んだ事なのかも???
だから私は、機嫌良さげに微笑むアーテル君に、やっぱり笑顔を返すのだった。
……大好きだよ、アーテル君。
ジョーヌ編はこれで終わりです。
明日の夕方にアーテル編を更新して完結になります。
どうぞ、よろしくお願いします!




