早朝の散歩と緊急発進
9月8日 0511時 エジプト カイロ西空軍基地
飛んでいく戦闘機のエンジン音で佐藤勇は目を覚ました。時計を見ると、起床には早すぎると言ってもいい時間だ。こんな時間に戦闘機が飛んでいくとなると、スクランブル発進以外は考えられない。エジプト空軍がインターセプトを仕掛ける相手となると、スーダン空軍かリビア空軍、または密輸機だろう。再び布団を被って眠ろうとしたが、すっかり目が冴えてしまい、二度寝をするのが難しくなった。
佐藤は仕方なく、ジャージからパイロットスーツに着替え、眼鏡をかけた。そして、机の引き出しに入れていたシグP226拳銃に9㎜のホローポイント弾が装填されているのを確認した。自室を出て、ふらふら歩くことにした。
"ウォーバーズ"にあてがわれた掩体壕地区を歩いていると、既に起床していた整備員たちが戦闘機の周囲を歩き回って、一日の最初の整備を行っているのが見える。コーヒーが飲みたいな、と佐藤は考えながらも、軽い運動がてら、基地の中を歩き回ることにした。滑走路にダークグレーのC-5M輸送機が着陸するのが見えた。機体には"Arsenal Logistics"というロゴが黒で描かれている。器材か弾薬を持ってきたのだろう。飛行機のスペアパーツは大量に持ち込んでいるし、ここならばイスラエルやトルコ、ウクライナのメーカーからすぐに調達することもできる。勿論、搭載するミサイルや爆弾も同様だ。
日が乾燥した地面を照らし、風が黄色い砂を巻き上げる。整備員たちがアパッチ・ガーディアン攻撃ヘリのアクセスパネルを開閉しながらエンジンや電子機器の状態を確認している。替えの機体は他に2機あるが、スペアの機体を使いまわしすぎるのは避けたい。こうした機体は、過酷な環境でも戦えるよう設計されている。
他の整備員は戦闘機を掩体壕から引っ張り出し、エプロンに並べ始めていた。空軍だろうが、傭兵部隊だろうが、戦闘機の整備員の朝は早く、夜は遅い。そのため、整備隊は複数の班ごとのローテーションでの勤務となる。A班が1日目の朝から夕方まで担当し、B班がその後を引き継ぐ。B班の仕事が始まったら、A班は24時間の休憩を取り、C班が次の仕事に備えて待機する、といったことをしているのだ。
さて、2日間の休日明けの訓練の内容だが、"ウォーバーズ"では、普通はウォーミングアップがてら、軽めのインターセプト訓練になることが多い。インターセプトの対象機を演じるのは、S-3B対潜哨戒機やKC-130R輸送機が選ばれることが多い。佐藤の予想通り、エプロンに駐機してあったKC-130Rハーキュリーズ輸送機に整備員が集まり、エンジンやフラップなどをしきりに点検しているのが見えた。
「隊長さん、珍しく早いじゃない」
声がする方を見て見ると、KC-130Rの副パイロットである田村ひとみがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「どういう訳が目が覚めてしまってね。二度寝したら確実に寝坊するだろうから、諦めて朝の散歩をすることにしたよ」
「今日は私たちと鬼ごっこをするみたいよ」
「自衛隊にいたの頃に、Tu-95やY-8なんかを追いかけまわしていたことを思い出すな。待機室でのんびり本を読んでいたら、いきなりサイレンがかかってさ。それからは知っての通りさ」
「私はそんなことになったことは無いけどね。小牧じゃそういうのを見ることが無いし」
「千歳や那覇に行った時は見なかったのか?」
「私たちが立ち入るのは、大抵は貨物ターミナルかエプロンまでよ。見たとしても、アラートハンガーから大慌てで出ていくF-15やF-2くらいのものね」
「千歳にいた頃は忙しかったな。まあ、那覇に行った航空学生時代の同期から聞いた話では、沖縄はそれどころじゃないくらい酷かったという話だからな。まあ、そいつに会ったのは、小松のアグレッサーに一本釣りされた後のことだけどな」
田村は佐藤がF-15Jの編隊長資格を取って間もない頃に、千歳基地へ巡回に来た飛行教導群の飛行班長の目に止まり、巡回教導が終わると同時に一本釣りされたことを知っている。
ふと滑走路の方に目を向けると、大きな輸送機が着陸態勢に入り、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。そのC-5Mギャラクシーは滑走路にズシンと降り立つと凄まじい轟音を響かせながらエンジンを逆噴射させて減速した。戦略輸送機は、そのまま滑走路のエンドで一回転し、滑走路上をタキシングしながら貨物ターミナルへと向かった。その艶消しの薄い灰色で塗装された巨大な飛行機には、黒い文字で『Arsenal Logistics』と描かれている。
毎回毎回、あの傭兵組織にはお世話になっている。またディエゴガルシア島から荷物を運んできたのだろう。とはいえ、あの連中のボスであるハーバート・ボイドの懐にはこの演習での物資輸送の契約で、多額の金が転がり込んできているはずだ。事実、NATO加盟国の軍やイスラエル軍、オーストラリア軍などを除いたら、"アーセナル・ロジスティックス"にとって"ウォーバーズ"はかなりの大口契約者なのだ。
突然、大きなサイレンが鳴りだした。佐藤と田村は何事かと周囲を見回す。やがて、田村はそのサイレンが鳴った原因を見つけた。
「隊長、あれ」
佐藤が彼女が指でさした方向に目を向けると、アラートハンガーが開き、ラファールC戦闘機が2機、タキシングしながら出てくるのを見た。胴体のセンターパイロンには増槽が1つ、胴体左右側面のランチャーにはMICA-EMがそれぞれ1つずつ搭載され、翼のパイロンには2つの増槽、翼端のランチャーにはMICA-IRがそれぞれ2つずつ搭載されている。2機の戦闘機はかなりのスピードで滑走路に入るとすぐにアフターバーナーに点火させて夜明け空に向かって飛んでいった。
「スクランブルか。エジプトに接近してくるような連中がいるとすれば・・・・・・スーダン空軍か?」
リビアは近年は周辺諸国との関係改善に乗り出しているし、エジプトとイスラエルの関係は未だに良好だ。だとしたら、エジプトの領空に接近してくるような連中はスーダン以外に考えられない。
「でも、スーダンってここ2、3年で政府が機能しなくなったと聞いていましたが・・・・・」
「政府が機能していなくても、軍は勝手に行動できるし、飛行機のパイロットだっている。だけど、あの国の情報は政府が事実上崩壊してからほとんど外に出てこないからな」
「テロリストが戦闘機を持ち込んで、勝手に行動しているだなんてことは考えられませんか?」
「ありえなくも無いが・・・・・あそこを拠点にするメリットなんてあったかな」
「メリットがある無しは、人それぞれですよ。世界には、私たちにとってはおいしい場所でなくても、他の誰かにとってはおいしい場所になったりするところがあるんですよ」
9月8日 0522時 エジプト南部上空
『防空司令部よりスワン1へ。国籍不明機は東方、紅海から西に向かって飛行中。現時点で防空識別圏での照会に応じていない。目視で確認し、退去を勧告せよ』
「スワン1了解。スワン2、聞こえたな?」
『スワン2了解。それにしても、こんな朝っぱらから飛んだ物好きもいたものですね』
「全くだ。早いところ帰宅してもらって、朝飯にありつこうじゃないか」
『ええ。コーヒーを一口啜る暇さえ貰えないなんて、癪に障りますよ』
「言えてる。さーて、こいつが何者かは知らんが、さっさとお帰り願おう」
2機の戦闘機は少しオレンジ色が混ざり始めた藍色の東の空目掛けてマッハ0.85で飛び去って行った。




