救難信号と領空侵犯機
8月29日 1007時 エジプト ナイル川付近
アリー・ビン・ラシード少尉はパラシュートに吊られながら真っすぐ地面を目指した。アラミド繊維でできた平たい紐で、サバイバルキットが入ったバッグが飛行服に吊り下げられ、ぶらぶらと揺れている。ラシードは柔らかい砂地にどさりと着地した。すぐにバッグから救難無線機を取り出し、ビーコン信号を発信する。後は、この信号を傭兵部隊のAWACSか空軍基地の無線が拾ってくれていることを祈るのみだ。
8月29日 1009時 エジプト上空
"ウォーバーズ"のE-737ウェッジテイル空中管制機が、ラシード少尉の救難信号を捉えた。原田景がコンソールのキーボードを叩き、正確な位置の特定を始める。
「司令官、ラシード"サンド3"のパイロットの位置を特定しました。これより、データリンクで・・・・・・あっ」
原田は、てっきり自分の部隊のHH-60WとCV-22Bに送信する時と同じ手順を踏もうとしていた。"ウォーバーズ"の航空機は、独自のデータリンクシステムを使っているため、データをエジプト空軍の部隊に直接送信することはできない。
「うむ。こいつは・・・・・次への課題だな。だが、こっちとしても、データリンクシステムの内容を、おいそれとほかの連中にオープンにする訳にはいかんからな」
これは、かなり頭の痛い問題として残りそうだ。確かに、自分たちは各国の軍との共同訓練を数多く行ったり、各国政府の依頼を受けてテロリストや犯罪者集団に対処をしている。だが、そのような共同作戦を行うときに、身内だけでクローズされたデータリンクシステムは円滑な作戦運用を阻害する一方で、簡単にそれを開示してしまうと、機密事項のシステムが流出してしまい、後々の作戦で、ネットワークにジャミングを受けてしまう危険性を生み出してしまう。そのため、多くの傭兵部隊では、ネットワークはクローズドの状態で運用しているのだ。
8月29日 1013時 エジプト上空
1機のMQ-9リーパーが砂漠の上空を円を描くように飛行していた。更に、東に500km離れた場所ではS-3Bヴァイキング対潜哨戒機も飛んでいる。
ヴァイキングの機長であるロイ・クーンツは、対潜哨戒機のこの運用方法に既に慣れっこになっていた。確かに、この航空機は対潜哨戒や洋上監視・攻撃ミッションの訓練を主に行っていたが、救難作戦における捜索や対地攻撃、バディポッドを使った空中給油のミッションも担う多目的航空機という側面がより強くなっていた。
「救難信号の位置は?」クーンツが相棒のバリー・ベックウィズに訊いた。
「僅かにずれたが、大きくは変わっていない。大人しく待ってくれているみたいだ」
「モーガン、そっちはどうだ?」
「ESMで信号は捉えている。大丈夫。すぐにでもヘリが拾ってくれるさ」
『こちら"パイソン1"。コースはこのままでいいのか?』
無線から、ロバート・ブリッグズの声が聞こえてきた。なるほど。エジプト空軍は、自前のヘリよりも、"ウォーバーズ"のCV-22Bオスプレイの方が良いと考えたようだ。賢明な判断だ。ブラックホークよりもオスプレイの方が、格段に飛行速度が速く、航続距離も長い。更に、必要があれば空中給油で飛行時間を伸ばすこともできる。
「ああ、問題無い。それとロバート、KC-130は飛ばしたのか?」
『当たり前だ。万が一、天候が悪化して、燃料を追加するかもしれないだろ?』
クーンツは周りの様子を見た。空は青く晴れ渡り、僅かに白い雲が浮かんでいるのが見えるだけだ。
「この天気で荒れるって、まあ、用心するに越したことは無いがな」
今朝のウェザーブリーフィングでも、今日はエジプト全土の予報はほぼ快晴で、紅海や地中海の上空で雨雲は全く発生している様子は無かった。
8月29日 1018時 エジプト ナイル川付近
アリー・ビン・ラシード少尉は、微かなターポプロップエンジンの音を聞いた。多分、傭兵部隊の無人偵察機だろう。自分のことを見つけてくれるだろうか。ラシードは無人偵察機の姿を求め、空を見上げたが、それらしき姿は確認できない。畜生。どこを飛んでいるんだ?早くこっちに来てくれ。
ラシード少尉が聞いたターポプロップ音の主は、"ウォーバーズ"のMQ-9リーパーでは無く、スーダンから不法侵入した中国製の無人偵察機、翼龍2だった。この無人機は、政治的な理由でアメリカからリーパーやガーディアンを導入できない国やPMCなどから人気があり、更には闇市場へ大量に流出していたため、テロリストや犯罪組織御用達のUAVとなっていた。
そのデザインから、リーパーを参考に設計されたと考えられている。しかし、既に1980年代頃に設計されていた中国製軍用機に関して散々言われていたようなデッドコピーとは言えない存在だ。精密誘導爆弾や空対地ミサイルで武装可能。赤外線カメラや合成開口レーダーといったセンサーの類いの性能も申し分ない。その翼龍2の高性能カメラはラシード少尉の姿を捉え、彼の様子を不気味に監視していた。
8月29日 1019時 エジプト上空
「あれは何だ?」
「司令官、どうしました?」リー・ミンが司令官の方を見た。
「レーダーに新しい反応が出た。速度から考えると、小型のターボプロップ機のようだが・・・・・・」
「識別信号はどうです?」
「民間の信号を使っているが、レーダーコールサインがブロックされている」
「監視しますか?」
「念のため、そうしよう。エジプト空軍には知らせますか?」
「そうしてくれ」
8月29日 1029時 スーダン某所
「エジプトに侵入させたエージェントから報告。アスワンから武装したMiG-29が2機、離陸したようです。奴等に気づかれたかもしれません」
「奴等にしては随分早いな。予想より20分も早い」
「どうします?このまま続けますか?」
「いや、引き上げろ。今、奴らに気づかれる訳にはいかない」
「わかりました。無人機を引き上げさせます」
さて、エジプト空軍の防空体制を随分甘く見ていたようだ。これは、自分たちにとって、大きな教訓となるだろう。何も、まだ、急ぐ必要は無い。作戦を実行するのは、時期をじっくり見定めてからでも決して遅くは無いはずだ。




