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 迎賓館に灯されたまばゆい明かりが、群青の夜空に湯けむりのようににじみ、運河の水面をきらきらと照らしている。

 よく冷えたリンゴの発泡酒を口にしながら、ユリア=ダドンリイはしどけなくソファの背にもたれて、それらの光をながめていた。


 今夜は来訪した帝国貴族を歓迎するためのパーティだ。

 来訪の目的は何だったか?

 たしか帝国の沿岸部の街における、グラルツェン市国の租借地の契約更新がうんたらかんたらと(しゅうと)が言っていたように思う。


 ユリアには政治や経済の細かいところは分からない。帝国の上流階級では、女は宝石や芸術品と同等の扱いなので、そのような教育は与えられなかったためだ。グラルツェン市国に嫁して二十年以上、舅、姑と夫から少しずつ教えてもらい、大まかなところは掴んでいるつもりだが、ダドンリイ家ではもっぱら社交を担っている。


 ユリアは自分が着ているドレスを見下ろした。

 深く濃厚な青の生地に、粒ぞろいの真珠がふんだんに散りばめられている。まるで深海で数多(あまた)の泡が踊っているかのようだ。

 この青の染めは森人(しんじん)が最近開発したばかりの新しい技術だ。真珠はダドンリイ家が海人(かいじん)と契約を結び取り扱っている品で、ダドンリイの主要商品として有名なものである。デザインは気鋭の仕立屋と熱い議論を交わして決めた。


 つまりは、とても金がかかっている。


 だが必要なことなのだ。ユリアは今宵のパーティの女主人役である。グラルツェンの元首とその補佐を務める姑は外遊していて不在なので、元老の舅とユリアがもてなし役をうけたまわった。爛熟し腐り落ちかけている斜陽の大国の貴族は、だが審美眼が肥えているので、このドレスにどれほどのものがつぎ込まれているかすぐに気づき、感銘を受けたようだ。狙い通りである。


 挨拶回りを一通り終え、今は軽く休憩をとると言って運河に面するこの小部屋に引きこもったところだ。

 でも、休憩は建前で、これからここで大事な約束がある。


 待ち人が来るまでの間、運河の水面でゆらゆらと揺れる光をぼんやりと見ながら、ふうっとユリアは大きくため息をついた。


(お金が足りないわ)


 姪のラーナがダドンリイの財産を管理するようになってから、必要な金の捻出が厳しくなってきた。ラーナは優秀な会計士らしい。今回はこの贅沢なドレスの仕立てを隠れ蓑にしてなんとかしのいだものの、このままでは早晩行き詰まる。


(なんとかしなくちゃ、ね)


 頭の中で算段をめぐらし始めた時、ようやく待ち人がやってきた。




   ∞ ∞ ∞ ∞ ∞




「ユリア、久しぶりだな」


 戸口から人目を忍ぶように入ってきた男は、落ちつかなげに視線をさまよわせた後、ユリアを見つけて少し安心したように息をついた。


「お久しぶりですわ、ガルケル子爵」


 ユリアは立ち上がり、嫣然と笑み、客人にソファを勧める。男――ガルケル子爵は一瞬、ユリアの威風堂々とした(さま)に腰が引けていたが、やがて思い直したのか力を誇示するようにやや乱暴な動作で、どさっと向かいのソファに腰かけた。ユリアも優雅に腰を下ろす。


 飲物を勧めながら、ユリアは冷静に相手を観察した。

 ガルケル子爵はユリアの遠縁にあたる。年齢が近いので、グラルツェンに嫁いでくる前はそこそこ交流があった。甘い顔だちをしており、若い頃は性別を問わずとてももてていた。今もその片鱗はわずかに残っているが、おそらく不摂生からくる顔色の悪さや体型のくずれのせいで精彩を欠き、身にまとっている豪華な衣装に負けている。ユリアは商売のため船で各国を巡っている年上の夫の引き締まった体を思い出した。


 ガルケル子爵は発泡酒を一息にあおり、グラスをテーブルに置いた。


「で? わざわざ呼び出して何の用だ?」

「ゆっくりなさったらいいのに」

「はやく会場に戻らねばならん。もたもたしてないでさっさと言え」


 神経質に視線をさまよわせる男に、ユリアは媚びを装った笑顔を向けた。


「うちの――ダドンリイ家の会計士を調査させていたのはあなたでしょう?」


 ガルケル子爵の貧乏ゆすりがぴたりと止まった。


「――何の話だ?」

「ごまかそうとしても無駄よ。あなたがよこした調査員は既に捕まえているもの。もっとも、あなたの名前は今のところわたくしの一存で差し止めているけれども」

「だからどうだというんだ?」


 ガルケル子爵はソファにふんぞり返り、蔑みの目でユリアを見た。帝国で暮らしていたころによく向けられた目だ。女を一人前の人間として認めていない目。宝石のように取引に使う物として見ている目。きっと、女たちにも感情があり、思考する頭があるとは思ってもいないのだろう。グラルツェンに来るまではユリアもそれが当然と考え、我ながら心の欠けた人形のようであった。


「私の仕事で必要だったから少し調べさせていただけだ。別に大したことではないだろう」

「そうね。それだけならば問題ないと思うわ」

「だったら――」

「今の会計士はとても優秀で、着任早々、不正なお金の流れを見つけたわ。金額の水増し、実際は存在しない荷、そしてどこかへ消えたお金……それを操作していた人たちは解雇したけれども、背後にいた人は分かっていないのよね。まだ調査中ですって。でも――」


 ユリアはうっとりと微笑んだ。


「その人たち、皆、わたくし絡みの者の紹介で雇ったみたいなの。つまり、帝国人の紹介ということね。直接あなたが紹介したわけではないけれど、たどることはできるんじゃないかしら?」

「……」

「そういうところへ今回の話でしょう? お義父さまと夫なら、すぐに話をつなぎ合わせると思うわ」

 ガルケル子爵の膝の上に置かれた両の拳は小刻みに震え、強く握りしめるあまり白くなっていた。

「……大げさな。たかが平民の会計士ごときを、貴族のダドンリイ卿がそこまで気にするわけなかろう」


 あらあら――とユリアは心の中で嘲笑った。

 この商業で成り立っているグラルツェン市国で、会計を預かる身の立場が軽いはずはなかろうに。


 ユリアは内心の蔑みをおくびにも出さずに続けた。


「会計士は平民だけど、お義父さまの実の孫でもあるのよね」

「なに!?」

「お義父さまはとてもあの子を可愛がっているから、あなたがちょっかいを出したと知れたら絶対に許さないと思うわよ」

「……」


 ガルケル子爵の頬に汗がひとすじ垂れる。忙しなく開かれては握られる指が焦燥を表していた。ガルケル子爵はひとしきり視線をさまよわせた後、ため息をこぼし、


「何が望みだ?」


 と問うた。続けて、堰を切ったように言葉が流れ出た。


「君の一存で情報を差し止めているということは、何か私に要求があるのだろう? 言いたいことがあるのなら、さっさと言え。だが忘れるな。帝国貴族たる私を脅すような真似をしてただですむとは――」


 高慢と焦りがないまぜになった言葉の奔流を、ユリアは鷹揚な態度で受け流し、にっこりと微笑んだ。


「わたくしも一枚噛ませてもらいたいの」

「……な、んだと?」


 ユリアはガルケル子爵の目を誘惑するようにじっとのぞき込んだ。


「あの子にはわたくしも困っていて。あの子が会計士になってから、ドレス一枚仕立てるお金を用立てるのも大変になったわ。――ねえ見てちょうだい、このドレス。素敵でしょう? 特にこの青は森人の最新の染めの技術なのよ。でも、あの子はそういうことが分からなくって、なかなかお金を出してくれなくって……帝国貴族のあなたなら、このドレスの素晴らしさは分かるでしょう?」


 帝国の上流階級によくいる服飾にしか興味がない女を演じつつ、貴族の虚栄心をくすぐるようにそう言ってやると、ガルケル子爵は顔に理解の色がのぼるとともに、余裕を取り戻していった。


「あ…ああ、そうか。そうだな。君もいくら商人風情に嫁いだとはいえ、やはり帝国貴族だからな」


 もはや歴史の古さしか誇るものが残っていない帝国は、グラルツェンの貴族を商人風情と蔑むことがよくある。夫への蔑みに対する怒りをきれいに隠して、ユリアは愛想よく続けた。


「そうですとも。ねえ、わたくしはダドンリイへ入って二十年たつから、あちこちにそれなりに顔がきくし、融通もきかせられるわ。だから、わたくしと組みましょうよ。もちろん、わたくしの取り分はきちんといただきますけど」


 じわりと欲を見せてユリアが言うと、それは理解しやすいものであったのだろう、ガルケル子爵は満足そうにうなずいた。


「そういう話なら歓迎だよ、ユリア」


 詳細は後日詰めるとして、二人は簡単な打ち合わせのみを行い、この時の会見はこれで終了した。




   ∞ ∞ ∞ ∞ ∞




 来た時とは逆に意気揚々と引きあげていったガルケル子爵を見送った後、ユリアはどっと脱力した。

 深い深いため息をつく。


「ユリア、お疲れさま」


 背後の重厚な棚がすうっと音もたてずに横に動き、その向こうの隠し部屋からふくよかでおっとりした風の中年女性が現れた。丸々とした手をユリアの肩に添え、いたわりの目でユリアを見つめる。


「ああ、もう、疲れたわあ。マルキアも立会い、ありがとう」

「どういたしまして。でも、わたくしが立ち会わなくても、ダドンリイ卿はあなたを信頼しているでしょうに」

「そうは言っても、今回問題を起こしたのはわたくしの親戚だから、けじめは必要だと思うし」

「あなた、真面目よねえ」


 マルキアはころころ笑いながらユリアの隣に腰かけ、水差しから冷水をグラスへ注ぎ、ユリアに手渡した。


「まあ、あなたの役割はほぼこれで終わりだから、ゆっくりしてちょうだい。後はダドンリイ卿とわたくしとでガルケル殿を干し上げていくわ」

「うちの義母と夫と子供たちも動くと思うわよ」

「怖い怖い。ダドンリイは総力を挙げて潰しにかかるのねえ」

「わたくしたちの真珠に手を出そうとしたから」

「そうねえ、わたくしの息子の将来のお嫁さんに手を出そうとしたからねえ」

「ちょっと。さりげなく外堀を埋めようとするのはやめてくれる? ラーナちゃんはまだどこにもお嫁に出さないわ」

「うう……っ、だってあんなに素行の悪かった息子が本当に真面目になっちゃったし、もうラーナちゃんにお嫁に来てもらうしか……!」

「泣き真似はやめてちょうだい」

「ひどいわあ」


 マルキアは悲しそうに眉をたれるが、だまされてはいけない。この女は一見、慈母のごとく優しげで善良に見えるが、そう生易しい性格をしていない。友人であり気の置けない相手ではあるのだが、長いつき合いなのでユリアはだまされなかった。


 ユリアがつんと澄まして水を飲み、まともに取り合わないのを見て取ると、マルキアは「まあ、何はともあれ」と声の調子を少し変えた。


「ガルケル殿には商人風情の底力を身をもって知っていただきましょうか」


 声はひやりとした氷の刃のような鋭さを含んでいる。

 これが彼女の本質だ。


 マルキア=ウルス卿。

 グラルツェン市国の大商家ウルスの当主で、元老の一人。元首の懐刀(ふところがたな)と呼ばれている切れ者である。


 マルキアは同胞ダドンリイの利益を損ね、母国を侮辱し、将来の嫁候補に手を出そうとしたガルケルをとことん追い詰めるだろう。


(ご愁傷さま)


 ガルケル子爵の末路を思って、ユリアは目を細めて(わら)った。

 ダドンリイの真珠に手を出そうとした彼が悪いのだ。

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