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「お前ら、毎度毎度邪魔しやがって」


 ラーナが遠ざかった途端、エルクの声がどす黒くなった。表情からも笑みが削げ落ち、しかめ面になっている。そのしかめ面にすら色気が漂っているので、少々救いがたいものがある。


「あら、わたくしはただ、可愛い従妹に(よこし)まな目的で近づく害虫を駆除しようとしているだけよ」

「誰が害虫だ。俺は今回は真剣だぞ」

「……害虫駆除、達成……」


 近くでぼそりと呟きがあった。ティグがじとっとエルクを見上げている。


「やはりわざとぶちまけやがったな、虎娘」

「よくやったわ、ティグ」


 うんざりして眉間を指でおさえるエルクのかたわら、シェーラは満面の笑みでティグの頭を撫で、ティグは気持ちよさそうに目を細めた。


「……色魔、退散……」


 誰が色魔だ――と言えないのがエルクの辛いところである。

 十五才で成人して早五年。遊べるのも独身のうちだと派手に遊んだ。母国の社交界で世慣れた年上の女たちと遊んだし、家業で航海に出ることの多いエルクは寄港先でも一夜の火遊びにはげんだ。


 だが、それも本命を定めるまでの話である。

 ラーナを真剣な相手と思い定めてからは、そういう火遊びはきっぱりとやめたし、女関係も清算した。


「身辺はきれいに整理したぞ」

「知っているわよ」


 ティグと戯れつつ、シェーラはあでやかな朱唇を愉快げに持ち上げた。


「あなたが浮名を流すのをやめたことも、女友達との仲をきれいにしたことも、うちの真珠姫への気持ちが真剣だってこともね。――あ、そうそう、あなたの『お友達』をうちに招いてラーナに紹介したの。案の定、彼女たちもラーナのファンになったわ」

「お前、本当に何してくれてんの!?」


 一体、彼女たちはラーナの耳に何を吹きこんだのだろうか?

 己の過去の所業を省みると、背中に冷や汗が流れる。


 こうまで妨害されると、シェーラはエルクに気があって嫉妬していると思いそうなものだが、違う。さんざん女遊びをしたエルクには分かる。シェーラからはそういう気配を感じない。

 そもそも学院で初めて出会った頃から、そういうものは感じなかった。初めは自分になびかない女の存在に少し苛ついたものの、今では性別を越えた純粋な意味での良き友人だ。生れ落ちた家の格や在りようが似ているせいもあって話が合い、気安い間柄である。


 だから、シェーラは純粋に従妹を気にかけているだけなのだ。


 ラーナという娘には少しばかり人に好かれやすいという性質がある。

 彼女の父親もそうだということから、先祖にそういう能力を持つ天人(てんじん)冥人(めいじん)辺りがいて、その血がわずかに表に出ているのだろうと言われている。天人や冥人がそれぞれの世界に引きこもり姿を見せなくなって久しいので、真偽のほどは定かではないが。

 もっとも好かれやすい性質は好意を持たれるきっかけにはなっても、好意が継続し大きくなるということには寄与しない。ラーナが今、多くの人から愛されているのは、彼女の心根の(うらら)かな部分の賜物で、エルクが惹かれたのもそこだった。


「あなた、どうしたって派手な評判があるんだし、敵も多いのだから、変に他からねじ曲がった噂を聞かされるよりいいでしょ? 恨むなら自分の過去の行いを恨みなさいよ」

「正論を聞かされるとムカつくのはなぜだろうな?」

「あとね、今の(ただ)れた評判が残っている状態だと、あの子をデートに誘っても、おじいさまが反対するから無駄よ。もうちょっとほとぼりを冷まさないとね」

「ダドンリイ卿なあ……」


 最大の障壁であろうダドンリイ家当主の厳格な顔を思い出し、エルクは渋面で空を見上げた。


「ラーナちゃんが会計院に就職しようとするのを、あそこは男がたくさんいるからという理由で、ダドンリイ卿が反対したというのは本当か?」

「本当よ。あの子にはもっと格好いいもっともらしい理由を言っていたけどね。大人げないでしょ」

「大人げないな。まあ気持ちは分かるし、正直助かってもいるが」


 エルクは仕事であまり国にいないので、自分以外の害虫を追い払ってくれるのは結構なことだ。だが、元老院に席を持つ御大といずれは自分も直面しなくてはならないことを思うと、ややうんざりともする。


「……害虫……」


 ふとティグが呟きを落とした。


「だから誰が害虫だ」

「……違う、あんたじゃ、なくって……」


 明るい昼日中だというのに、ティグの猫科の目は瞳孔が大きく開き、爛々と輝いていた。視線は船の近くの建物辺りを向いている。


「……さっきから、ついてくる虫が、いた……狙いはラーナ、みたい……」


 エルクとシェーラ、そして護衛たちの顔が一瞬で引き締まった。


「困ったわね。わたくしはまだ船団長との話が残っているのだけど」


 眉間に深くしわを刻んで、シェーラがちらりと思わせぶりにエルクを見る。

 友人の仕草の意味が分からないエルクではなかった。


「俺が調べよう。虎娘は案内を頼む」

「……了、解……」




   ∞ ∞ ∞ ∞ ∞




 情報収集を生業(なりわい)とするその男は、ここしばらくある娘について調査していた。


 帝国貴族の依頼によるものだ。


 金払いのいい仕事だったので、ほくほく顔でグラルツェン市国に乗りこんできたものの、調査を開始してすぐに厄介な案件であることに気づいた。

 ターゲットは平民の娘なのだが、平民は平民でも実の祖父はグラルツェン市国の元老で、とても大事にされているらしく、情報を得ようにもダドンリイ家のガードが固すぎて難しい。


 また、娘は外出時には、常に獣人(じゅうじん)の使用人を連れていた。

 純血種は極めて高い能力を持つ。獣人種は特に身体能力に優れており、色々な血が混ざりすぎたが故に脆弱な渾人(こんじん)が適う相手では到底ない。あの獣人が側にいる間は近づくことなど無理だろう。


 ターゲットがダドンリイの令嬢の供で港に向かった時、かなりの距離を置いて後をつけたものの、男はこの仕事に見切りをつけようとしていた。報酬は魅力的だが、ダドンリイ家に深入りして敵意を買うのはまずそうだし、見切りは早くつけた方が出血が少ない。


 そういうことを考えていた時、ふとターゲットが獣人の側を離れた。

 思わず追いかけた。

 初めてターゲットの目鼻立ちが判別できる距離まで近づく。


 一見したところは平凡な娘だ。近くにいるダドンリイの令嬢の輝かしさにかすんでしまいそうな地味な娘、のはずだ。

 なぜだろう?

 娘の微笑は奇妙に目を惹いた。

 娘の情報を得ようとしていること、そしてそれを売り物にしようとしていることに、執拗な罪悪感が湧き上がってきた。今までこの仕事をしてきて、醜悪なものもたくさん見てきた男は、そのような感情は抱かなくなって久しいというのに。


 男が自分の心情を持て余していると、何の前触れもなく、何の気配も感じさせずに、いきなり耳もとで声がささやいた。


「……ラーナを、見てる……?」


 いつのまにかすぐ側に(くだん)の獣人が立っていた。

 小さな獣人の肩にはなぜか、やたら色気のある渾人の男が荷物のように担がれている。


 その奇怪な光景に呆気にとられた瞬間、腹に強烈な衝撃を受けた。そして、体がふわりと宙に浮いたと感じたのを最後に、男は意識を失った。




   ∞ ∞ ∞ ∞ ∞




 不審人物がティグの蹴りをくらって気絶した後、エルクはまるでゴミを捨てるかのようにポイと投げ出された。

 とっさに受身をとったので怪我はしなかったものの、扱いの雑さに思わず非難の目を向けてしまう。だが、ティグはどこ吹く風で、男をつま先でひっくり返している。


 そもそも、なぜ肩に担がれるという情けないはめになったのかというと、エルクの足音がうるさいとティグが文句をつけたからだ。相手は渾人のようだから、そこまで気にする必要はないと説得を試みたが、口下手なティグはむぅと黙りこんだ後、問答無用にエルクを担ぎ上げた。身体能力に絶望的な差があるのだから、腕力に訴えるのはやめてほしいものである。


 ティグは自分よりはるかに背が高いエルクを担いだまま、すいすいと全く足音をたてずに男のすぐ側まで走り寄った。

 そして、おざなりに一言かけた後、男の腹を蹴り上げた。

 死んではいないみたいだから手加減はしたようだが(獣人の本気の蹴りなどくらっては、渾人はまず即死する)、それでもエルクの背丈の高さ位までは宙に浮いていた。


「すぐに腕力に訴えるのはやめろよ……」

「……腕力じゃ、ない。蹴った……」

「筋力に訴えるのをやめような」

「……む……」


 ティグはしばらく考えるように眉を寄せたが、すぐに諦め、男を指さした。


「……はやく、調べる……」

「はいはい」


 エルクはティグとの会話を諦めた。獣人種は総じて腕力で語り合う人々なので、言葉での対話にこだわるのは不毛というものである。


 気絶した男の側に膝をつき、(ふところ)を探る。

 服装はグラルツェン市民の一般的なものだ。ただ、少しばかりくたびれ方が足りない感がある。そう、まるで上から下までの一式をつい最近あつらえたかのような。

 財布にはグラルツェン市国と帝国の貨幣が混じっている。外国人の可能性が高い。グラルツェンの貨幣は近隣の基軸通貨だ。市民が国内で帝国の貨幣を持ち歩くということはほとんどない。

 身体的特徴に目立ったものはなく、見た目からは国籍は分からない。


「多分、外国人だろうが、決め手に欠けるな。――吐かせるか」

「……殴る……?」


 立ち上がったエルクは、期待のこもった目で拳を作るティグを見下ろした。


 見た目だけは渾人の十才程度の少女と同じような(なり)なのだが、エルクより年上のはずだ。獣人種は純血種の中では寿命が短い方だが、それでも渾人の十倍の時を生きると聞いている。

 ラーナは猫の獣人だと思っているらしいが、ティグは虎の獣人だ。

 冒険者としてかなりの実績がある。

 ダドンリイ家が、真珠のように大切にしている姫君を守るために、千金を積んで雇っている者である。


「残念ながらお前の力は強すぎるから駄目。うちの連中に吐かせるよ」

「……むう……」


 ティグが至極残念そうに拳を下ろす。


「渾人には渾人なりのいたぶり方があるんだよ、任せとけ。ついでに背後も洗ってみるよ」

「……うむ……」


 調査は興味ないらしい。


「報酬はラーナちゃんとのデートでよろしく」

「……ムリ……」

「二人きりでとは言わないから。お前と、何ならシェーラが一緒でもかまわないぞ。前向きに検討願いたい」

「……一旦、持ち帰って、会議……」

「よろしく」


 まったくもって少年少女の初恋のような進み具合だ。

 そういう初々しさをすっ飛ばして、いきなり派手に遊び始めたエルクにとっては、もどかしくもあるが新鮮で楽しくもあった。

 それにラーナは初心(うぶ)だ。焦らずにじっくり攻めていこうと思う。


 エルクはぺろりと唇を舐めた。


 その姿は凄まじい色気を放っており、シェーラがここにいたならば、目にするだけで妊娠しそうだわ、と純真な従妹を遠ざけたであろう程のものだった。

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