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「ねえ、ラーナちゃん、お願い。どうしても必要なのよ」
「でも伯母さま、もう今月の服飾費の上限を超えていますし……」
ラーナは精一杯の威厳をこめてそう言ったのだが、伯母のユリアは痛痒にも感じなかったらしく、小首をかしげてにこりと笑った。
「だから、そこをなんとかやりくりして都合をつけてほしいのよ。ラーナちゃんならできるでしょう? 今度のパーティは帝国の貴族の歓迎会だから、彼らに馬鹿にされないためにもどうしても新しいドレスが必要なの」
「う……」
伯母から滔々と流れてきた言葉にラーナは圧倒された。
社交のことになるとラーナにはよく分からない。家業において基本的に裏方を担当しているので、華やかな表舞台にはあまり出ないのだ。そういう場は主に伯母と従姉の役割である。それに伯母はそれこそ帝国の貴族家の出身なので、彼女にこうだと断言されるとラーナは反論の言葉を見失ってしまう。
ラーナのためらいを見て取ったのか、伯母は勢いよく身をのりだしてきた。
「来月はそれほど大きな催しはないから、あまりお金を使わないと思うわ。だからそれでつり合いが取れるのじゃないかしら?」
「うーん、それなら大丈夫かも」
「やったあ! ありがとう、ラーナちゃん! 大好き!」
「あ、伯母さま、来月は本当に締めてくださいよ」
「はぁい」
ぎゅっとラーナを抱きしめて頬にキスした後、ご機嫌で部屋を出ていく伯母の背に慌てて念押しの言葉をかけたが、本当に分かっているのかどうか不明な軽い返事が返ってきたのみで、ラーナは思わずため息をついた。
(まあ大丈夫だろうとは思うけど)
伯母は帝国出身だけあって派手好みで、服飾や美容にラーナがぎょっとするような金額を費やすのだけれども、それでもこの商業と海運を至上とするグラルツェン市国の大商家に嫁して二十年以上たつのだ。それくらいの計算はできるはず――と信じたい。
帳簿と筆記具と算盤を抽斗にしまい鍵をかけ、ラーナはひとつ伸びをした後、自分の小さな執務室を出て着替えるために私室へ向かった。
これから従姉と港へ出かける約束をしているのだ。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
従姉のシェーラ=ダドンリイは伯母に似て華やかで美しい人だ。
特に今は十八という花の盛りの年齢で、匂いたつような若さと、成熟に向かいつつある清涼な色気があいまって、美しさが一層輝いている。
潮風が肌を撫でる中、大勢のむくつけき人たちが船から荷を降ろしている側で、笑顔で会話しているシェーラはとても周囲の目を惹いた。今、シェーラが帰還を労っている船団長とダドンリイ家の代理人も、うれしそうに目尻を下げている。
(ねえさまは本当に物語のヒロインのようだな)
地味な自分とは大違いだと、遠目に従姉をながめながらラーナは思った。
そもそも身分が違うのである。
たしかに血のつながった従姉妹同士なのだが、シェーラはグラルツェン市国の名家ダドンリイの直系で貴族、ラーナは平民だ。ダドンリイ当主の祖父とその後継の伯父の厚意でシェーラとほぼ同じ扱いを受け、学院にも通わせてもらったほどだが、それに甘えすぎてはいけないとラーナは日々、己を戒めている。
それにシェーラのように華やかに生きたいかと問われると、そんなことはない。
手堅く、堅実に、平穏に、がラーナのモットーだ。
伯母やシェーラのように社交界の華になりたいわけでも、母のように貴族の出なのに冒険者になり、娘を生家に預けたまま世界中を巡るような破天荒な生き方をしたいわけでもないのだ。
手堅く生きるために学院で会計学を修め、実習にも出て、会計士の免状を取った。
祖父の意向で国の会計院に就職できなかったのは残念だったが、今はダドンリイ家の会計を管理させてもらっている。ダドンリイは大商家だ。ここでの仕事は十分な実績になる――と信じたい。
ラーナが人生設計を再確認していると、ぐーぎゅるるるるーっと背後から大きな腹の音がした。
「ティグ、お腹すいたの?」
「……おいしそうな匂いが、する……」
振り向くとラーナの小間使いの少女が、低めの愛らしい鼻をひくひくさせていた。
薄金のやわらかな髪。つり上がり気味の大きな目。そして、頭上でぴこぴこ動いている猫耳と、後ろでゆらゆらしている尻尾。
ティグは猫の獣人である。
獣人の実年齢についてはよく知らないが、ラーナたち渾人の感覚で言うと、ティグの見た目は十才くらいである。小柄なラーナよりさらに小さく、体つきも華奢だ。
そんなティグが頬をゆるめて匂いをかぐ姿は、ただただ愛らしいと言う他ない。
「焼き栗ね。買ってくるわ、待っていて」
どちらが使用人か分かったものじゃないと苦笑しつつも、ラーナは可愛いティグのために、焼き栗の屋台の方へ向かった。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞
「ラーナちゃんじゃないか?」
手ずから焼き栗をティグに食べさせていると、よく響く男性の声がラーナに呼びかけた。
「エルク卿?」
「久しぶり。偶然だね」
「お久しぶりです。航海からお戻りになっていたんですね」
「うん、つい昨日戻ったばかりなんだよ。戻ってすぐに君に会えるだなんて、私は幸運だな」
「まあ、ご冗談を」
息をするように甘い言葉をつむぐ青年に、ラーナは社交辞令と知りつつも、照れて頬が熱くなるのを止められなかった。
エルクの艶やかな笑みを浮かべる顔は整っており、海に出るようになってからは日に焼けて前よりも精悍さが増した。背が高く、また姿勢もよく、程よく筋肉がついている。数々の浮名を流しているだけあって、にじみ出る色気が初心なラーナの目に毒であった。
エルク=ウルス卿。
ダドンリイと並ぶグラルツェン市国の名家ウルスの御曹司である。
エルクはシェーラと交友があるため(どういう間柄なのかいまいち不明だが)、それが縁で面識を得て、このように声をかけてもらえるようになった。
「今日はここで何を?」
エルクが優しく尋ねる。その声の艶っぽさにラーナはどぎまぎする。
「シェーラねえさまのお供です。あと、事務手続とかもあって」
「ああ、ダドンリイの船団も帰港したんだね。――やあ、シェーラ卿は相変わらず華やかだな」
シェーラの姿を認め、エルクの声がわずかに弾んだ。
思わずラーナはエルクの方をじっと見てしまった。
視線に気づいたのか、エルクはこちらに蕩けるような流し目をよこした。
「君の方が愛らしいけどね」
「……っ」
ラーナは真っ赤になってうつむいた。
(社交辞令! これは社交辞令だから!)
成人したとはいえまだ十五才の小娘相手に、社交界で華々しい浮名を流すこの青年が真剣に言っている言葉のはずがない。彼にとっては女性へのこういう言葉は、軽い挨拶にすぎないのだろう。
浮名――というのは根も葉もない噂ではなく、事実であるということをラーナは知っている。
というのも、シェーラが彼の『お相手』たちを館に招き、その場でラーナも実際のところを聞いたからだ。(ますますもって従姉とエルクの関係性が不明である)
彼女たちはエルクより年上で円熟しており、なんというか大人の女であった。自分の子供っぽさに居たたまれなさを感じたものだ。彼女たちは「初々しいわねえ」と妙にラーナを可愛がってくれたので、駄目押しで彼我の差を思い知らされた。
エルクがくすりと笑い声をこぼしたので、ラーナはますます固くなった。
「そうだ、ラーナちゃん、近いうちに空いている日はないかな? もしよかったら――」
どんがらがっしゃん!!
エルクが何か言いかけた時、背後でものすごく大きな音が響いた。
見ると、一体何をどうしたのかティグが尻もちをついており、周りに積荷用の木箱が散乱している。
「ティグ、どうしたの、大丈夫!?」
「……転んじゃった……」
ティグはよたよたと立ち上がり、散らかした木箱を片づけ始めた。
ラーナも手伝おうとしたが、木箱はあまりにも重く、全力を込めてもびくともしない。獣人は筋力に優れているとはいえ、それでも小さなティグが重い木箱をひょいひょいと運ぶ姿は異様な光景だ。
「何の騒ぎなの?」
澄んでいて、それでいて力強さのある声が舞い降りた。
シェーラが護衛二人を従えて、様子を見に来ていた。
「ティグが転んで散らかしてしまって」
「まあ。壊れ物は梱包されていないでしょうね? 確認しておいてね。――あら、エルク卿じゃない」
「やあ。元気そうだね、シェーラ卿」
「あなたもね」
二人は目を合わせて笑みを交わした。
堂々とした美男美女が並び立つと、そこだけ切り出して絵画になったかのように豪奢だった。影に一人取り残されたようで、ラーナは少し――ほんの少しだけ寂しさを覚える。
「ラーナ、事務長があなたに用があるのですって。話を聞いてきてくれないかしら」
「はい、行ってきます」
豪華な二人を置いて、ティグもまだ片づけの最中だったので、ラーナは一人で、そこはかとない寂しさをまとったまま、足早に船の方へ向かった。




