湯船への招待状と神級品
宜しくお願いします。
宿屋に戻り、寛ぎながら思案していた。
水魔法ヴァダーで清潔な水。火魔法アゴーニで水を温める火。この2つの便利魔法を使えば労せずして風呂の準備が出来る。MPには余裕がある。帰宅後は入浴するつもりだった。だが、それは宿屋暮らしの身では無理があった。考えるんだ。……
宿屋の女将に確認した。湯船に成り得る程の大きな桶は無い。場所と金の無駄。貴族の道楽に庶民は付き合っていられ無い。
……ふむ。
冒険者カードは、身分証と言うより通行手形だ。宿屋の利用位なら前払いで何とかなる。だが、家や部屋の賃貸は無理だ。家の購入は当然のことだが不可能だ。
臨時で発行して貰った在留許可カードはどうだ。南アルブス州の州都ベリョーザが発行した身分証だ。だが、残念な事に州都ベリョーザ限定だ。
所持品で、考えるんだ。………………あっ。この手があった。
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「人が入れるくれぇ~の大きな桶ねぇ~。ねぇ~事はねぇ~よぉ~。ただ、桶ってぇ~かぁ~家では浴槽ってなめぇ~で売ってんだけどなっ。無駄に嵩張るからよぉ~。運び賃がちょいとばっかし高くなっちまうが良いかい。それとぉ~置いとく場所はあるのかい」
「自分で運びますので、運送の手間は取らせません」
「1人じゃぁ~無理だと思うぜぇ~。なんせでけぇ~し重てぇ~からなぁ~」
「一番大きい桶を見せて貰えませんか。運べると判断した際は売ってください」
「売る分には構わねぇ~。……おっと。ボーっとしてても埒が明かねぇ―や。店の裏に工場がある付いて来な」
値踏みか。なるほどな。ここは客を選ぶ店という事か。
「はい」
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「おいマジかよぉ~……その袖どうなってんだっ……。何でちいせぇー袖口から入っちまうんだよぉっ」
何故かは知ら無い。だが、この際使える物は何でも使う。今は湯船への招待状が優先だ。
まぁ~。万屋の店主ではないが、今のを見たら誰でも若干引くとは思うが……。浴衣の袖口は18cm位だ。直径160cm高さ65cm重量130kgの丸形桧浴槽は難無く入った。消えた様にしか思えない。だが、そんな事はどうでも良い。
些細な問題に時間を取られるな。偉い人もそんな事を言っていた様な気がする。さて、運べるからには譲って貰おうではないか。
「御主人。さっきの湯船は、お幾らですか」
「お、おう。家のは、桧っつうか桧葉使ってんだよぉ~。最高級品だぜぇ~このでけぇのはっ。2~3年前に冗談でこさえて母ちゃんに殺されかけた命懸の名品だぁ。……正直買って貰えて助かったぜぇ~。大銀貨100枚ってぇ~言いてぇところだが、すげぇ~もん見せて貰ったしよぉ~大銀貨50枚で良いぜぇっ」
何だと。たぶん約100万円が、半額のたぶん約50万円だと。……これはもしや……いける。いける気がする。
「浴槽だけ有ってもどうしようも無いので、湯桶と湯椅子を1つずつと、簀の子も1枚一緒にお願いします」
こちらからは希望額をあえて提示し無い。さぁ~どう来る。
「同じ桧葉で良いかぁ~。それなら大銀貨50枚で良いぜっ」
何。料金据置だと。……考えるんだ。……この国の森は檜や桧葉や松が多い。桜、白樺、欅、山毛欅、栗、椹、楢、桐。広葉樹も針葉樹も何故か自由に群生している。つまり、素材より技術。
「御主人。桧や桧葉は湯船には最高の素材だと思います。この国は檜や桧葉や松の森が多い。州都の間の森も桧葉が多い」
「かぁ~。兄ちゃんわけぇ~のに木に詳しいみてぇ~だなっ。よしっ。大銀貨35枚で売ったっ」
まだ値切れる可能性はある。だが、これ以上の交渉は無駄だ。湯船への招待状が優先。命を懸ける程の事では無い。つまり……
「買います」
右袖から大銀貨35枚を取り出し。御主人へ手渡した。
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この辺りで良いだろう。申し分無いロケーションだ。360℃見渡す限り桧葉の木。桧葉の木に囲まれ桧葉の浴槽で風呂を満喫する。何て贅沢な話だ。
街から東へ道なりに5km程小走りで移動し、そこから北に面した森の中へ10分程分け入った。そこには、東西18m南北12mの開けた場所があった。
湯船を取り出す。
良い感じだ。まだ湯を張ってもいない浴槽。だが、見ているだけで至福だ。……いかん。この程度で満足していてどうする。湯船への招待状。自分自身へ送ろうではないか。
「≪ヴァダー≫」
『ポタポタポタポタ ピチャ……』
指先から水が出る。湯船に清潔な水が注ぎ込まれる。
いかん。……1回500ml程。……180ℓとして360回。1回のMP消費は3……。
時計の右側のボタンを押し、【☆状態☆】をクリックする。
MPは、832/874か……。やばい、全然足りてないじゃないか。どうする僕。
1.水の量を半分の90ℓにし、MP消費を540に抑える。
2.水の量を120ℓにし、MP消費を720に抑える。
3.腕時計。
4.諦める。
まず4は論外だ。ありえん。ここで引き下がっては桧葉に申し訳が立たない。パスだ。3……腕時計で湯を張れるなら誰も苦労せん。これもパスだ。1か2か。難しい問題だ……。
良く考えるんだ僕。良いか、1を選んだとしよう。湯量は少ない。火魔法のMPに余裕が出来る。2を選んだとしよう。湯量は気持ち少ない。火魔法のMPに若干の不安が残る。湯船への招待状が自分自身への嫌がらせに成ってしまうのだけは避けたい。ぬるま湯。水風呂。……ふざけるな自分。記憶を何となく失っているからといって、風呂への愛まで失ったのか。否。
つまり、……ここは60ℓで我慢してやろうじゃないか。
選択は、1、2、3、4。全てパスだ。もはや風呂と呼んで良いものか不安ではあるが、浴槽に湯。湯が少なかろうが風呂だ。
「≪ヴァダー≫≪ヴァダー≫≪ヴァダー≫」
水魔法ヴァダーを119回繰り返した。MPを確認する。
残り475か。さて、次は火だな。……いかん。やってしまったかもしれない。水に火を直接は無理だ。湯を沸かす方法を考えるんだ。…………。…………。……。ダメだ。やかん、鍋、火。
湯にしてから浴槽に注ぐべきだったかっ。何か手立てがあるはずだ。
そうだ。さっき川があった。……あっ。水は川の水で良かったのではないか……。いや、今はそんな事を悩んでいる時では無い。湯船への招待状が優先だ。……少し大きめの石を熱し浴槽の水に入れる。これしか残された道は無い。
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左袖から大き目の石を30個取り出し簀の子の上に置く。
川で石を洗う羽目になるとはな。まぁ良いだろう。今日の所は許してやろうじゃないか。さて、焼くか……。あの大きい岩の上で焼いた方が良さそうだな。
石を岩の上へ移動した。
「≪アゴーニ≫≪アゴーニ≫≪アゴーニ≫≪アゴーニ≫」
21回か。MPはどうなったっ。…………。391残ったか。さて、浴槽にこの石を……。いかん。どうやって動かす。熱過ぎて無理だ。考えるんだ。……
右袖から魔剣エクスを取り出す。地面に落ちてた太めの枝を拾う。
いける。
魔剣エクスと太い枝で石を1つずつ湯船へと移動する。
距離を考えていなかった。10mの往復30回。薬草採集より重労働じゃないか。
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あぁ~神様。今、僕に招待状が届きました。
下駄を脱ぎ。簀の子に上がり。浴衣を脱ぎ。地面に突き刺した魔剣エクスに被せる。そして湯船へ……。
「あああぁぁぁ~~~うぅ~~~」
今日は疲れた。風呂がここまで重労働だったとは……。所要4時間。……達成感はあるが満足感は微妙に無い。何処で道を間違えた。何か惨めな気分だ。
左腕の腕時計で時間を確認する。
22時16分30、31、32……。街の外に出た時はまだ明るかった。夜の森の中で僕は何をしているのだろう……か。
焚火の火を見つめながら考える。
便利魔法。ちっとも便利じゃ無いじゃん。
空を見上げると、見た事も無い星達がキラキラと輝いていた。
『ワオォォォ―――』
流石、森。野生のパラダイス。湯船に入って3分も経ってい無い。だが、この状況で襲われでもしたら大変だ。湯も少ない。湯に浸かる……微妙な状況だ。さっさと身体を洗って撤収するか。
あっ。湯桶と湯椅子を出してないや。
湯船から出て浴衣の袖に手を入れるが、取り出せない。
まさか……。着ていないと取り出せない。今は仕方が無い。
濡れた身体を手拭で軽く拭い、浴衣を着る。そして、湯桶と湯椅子を取り出す。改めて浴衣を魔剣エクスに掛けると、急いで身体を洗った。
ボディーソープもシャンプーもリンス―も何も無い。湯と手拭だけの世界。
確かにこれじゃぁ~。誰も風呂に入ろう何て思わ無いだろうな。疲れてこの結果だ。
『ワオォ~~』
近いな。
湯を被り、手拭で身体を拭い、浴衣を着た。勿論、帯を結ぶ。下駄を履き。鳴き声のする方を確認した。
光目が8個。浴槽を守る必要があるか。安くは無い。
地面に突き刺した魔剣エクスを右手に持つと、光目8個と浴槽の間に移動する。
『ザッ……』
来る。って、あれ……。
茂みから飛び掛かって来たのは、体調140cm位の猫風な何かだった。
動きが遅い。これなら。
猫風な何かの左に周り込むと魔剣エクスで首を切り落とす。毛皮が素材として売れる可能性があるからだ。
『ザッ ザッ』
『ザッ』
何、後ろからも……って、遅……。
『シュパァーン』
後方から襲って来た猫風の何かの左横へ移動し仕留める。
『シュシュッ』
前方の猫風の何かの後ろへ回り込み2匹を仕留めた。
浴衣のおかげだな。この猫風の動物が弱いのかもしれないけど、意外にあっさり片付いたな。折角お湯があるんだ。刃を洗っておくか。
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『ジャブジャブジャブジャブ。ゴシゴシゴシゴシ。キュッキュッキュッキュ』
こんなもんだろう。
お湯を掛け血を流し、手拭で擦った後、手拭で拭く。鞘に入れると眩しく輝くのでそのまま右袖に放り込んだ。
この猫風の動物って何処が売れるんだ。う~ん。さっぱり分からん。良く分からんし取り合えず片付けておくか。
左袖に放り込んだ。
動物の死骸を袖の中に入れる。良く良く考えてみたらぐろい。考え無い事にしよう。さてと、湯船のお湯を抜くとするか。
湯桶で湯椅子と簀の子にお湯を掛け手拭で汚れを落とし水滴を拭い岩の上に置く。湯船の湯はあっという間に無く成る。コーナーの汚れを念入りに優しく擦り最後に水滴を拭き取る。
後は、自然乾燥だけど、もう遅いし今日はこのまま片付けるか。
時間を確認する。
23時38分。湯船に浸かっていた時間は5分弱。前後5時間強。やっちまったなぁ~。……僕。
浴槽。湯桶。湯椅子。簀の子を右袖に放り込み。川で拾った石30個と太い枝を左袖に放り込んだ。
街に戻ろうぉ~。
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やっちまったなぁ~。……閉門してるし。明日の朝の分の尻火付草を採集しておくか。開門まであと、5時間もある。いっぱい摘めそうだ。
心半分、やけっぱちになりながら朝6時の開門まで、尻火付草を採集した。
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『ドンドンドンドン ギギギギギギ』
「開門。開門。開門」
「おはようございます」
「お、おはよう……まさか今迄ずっと薬草摘みを」
「えぇ~。薬草採集が趣味なんです」
「そ、そう何だね……通って良いぞ」
あれ。冒険者カード提示してないけど良いのか。
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「あっ、トシ様。お疲れ様です」
様。……今の僕の事だよね。
「サザンカさん。どうしたんですか。変ですよ」
「トシ様も御人が悪いですよぉ~。神聖なる人『ドゥ―シャー』様だったのですね」
ドゥ―シャー。また聞いた事の無い名前だ。
「デイリークエストをお願いします」
「な、何を仰います。ドゥ―シャー様に、その辺の子供でも出来そうなクエストを依頼するなんて恥ずかしくて出来ません」
尻火付草の採集ってそんな感じで思われてたんだ。何か複雑だ。
「今日は、もう採集して来たので、オーダーをお願いします」
冒険者カードを右袖から取り出し、カウンターの上に置く。
「そ、そうですか……。分かりました」
『ピッ』
「このまま、カードを更新しますので、素材鑑定カウンターへどうぞ」
「ありがとうございます」
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「おはようございます」
「おっ。トシィー。今日はいつもより早いじゃないかっ」
「ちょっと色々ありまして、街に戻れなかったので、朝まで尻火付草の採集をしてたんです」
「おい。まじかよぉ。門が開いてるのは、朝6時~日が沈むまでだ。気を付けな」
「はい……」
「で、今日も極上級が10本かぁっ」
「5時間黙々と摘んだので、68本あります」
「まじか」
「はい」
左袖から取り出し、カウンターの上に置く。
「う~ん……」
男は、唸りながら鑑定を進める。
「67本が極上級品だ。1本。神級品が混ざってたぞっ」
あれ、採集してた時には、無かったと思うんだけど。
「それって、幾らで買い取って貰えるんですか」
「神級品は、これ1本で、極上級品の尻火付草から作れる気付け薬が100個作れる」
「気付け薬の材料になるのかぁ~」
「おっ。知らないで採集してたのかよっ」
「粗悪級品は煎じて飲むとして、通常級品ならは普通の『茶』として加工するか、500本使って気付け薬を1個。上物級品なら嗜好品の『茶』として加工するか、100本使って気付け薬を1個作る。特上級品なら20本使って気付け薬を1個。最上級品なら5本で気付け薬が1個。極上級品なら1本で気付け薬が1個作れる」
まさか食事の時に飲んでる茶が尻火付草だったとは驚きだ。商店街を歩くと特産品サスナー茶の幟を良く見る。そういう事だったのか。
「クエストは10本だろう。全部買い取った方が良いか」
「持っててもどうしようもないしお願いします」
「1本は神級品で、9本が極上級品で報告を上げとくぞ」
「ありがとうございます」
「今日は、大銀貨67枚と、大銀貨110枚で、大銀貨177枚だ。ほらよっ。受付カウンターでカードを受け取ったらクエストコンプリートだ」
大銀貨177枚を受け取り、浴衣の右袖に放り込んだ。
「神級品の尻火付草を見たのはこれで2回目だ。どの辺りに生えてたか分かるか」
「神級品の尻火付草を採集した覚えが無いのでちょっと分から無いです」
「そうか。残念だなぁ~。情報提供出来たら金になってたかもしれねぇ~のによ」
「情報って何ですか」
「神級品の素材を発見した場所を、受付カウンターで情報提供するだろう。ギルドの掲示板に張り出される訳よ。んで、誰かが新たに同じ素材で神級品を持ち込んだ場合は、買い取った金額の20%が情報を提供した冒険者に支払われる」
「そうなんですね」
「神級品は、滅多に見られない逸品だからな」
思いがけず大金が舞い込んで来た。徹夜で採集したかいが合ったという物だ。風呂の疲れも吹き飛んだ。何とも複雑な気分だ。湯船への招待状は当分無しだな。……そういや猫風の動物。
「昨日の夜に、こんなの動物を倒したのですが、買取ってやってますか」
左袖から猫風の動物を1匹取り出しカウンターの上に置く。
「おい。これってまずかよ。ジャガーウルフじゃねぇ~か。ランクAが束になっても討伐に成功するか怪しい魔物だぞっ」
これがか。もしかして今の僕ってランクCどころかランクAに成れるんじゃ。
「これって、何処が素材になるんですか」
「まず牙が上下で4本だろう。爪は前後左右で16本だろう。毛皮だな。毛皮は状態にもよるが、それなりの金額が付くぞ。これは、頭が無いから牙は無しとしてぇ~」
「あっ。頭もあります。切り落として倒したので別になってました」
「おいおいまじかよ。ジャガーウルフは滅茶苦茶素早い魔物で、気付かれる前に矢や魔法で先制攻撃して手負いを何とか討伐するってのが普通なんだよっ。う~ん……」
真剣な表情で鑑定している。
「毛皮に傷1つ無し。1匹1枚完全な毛皮かよ……幾らになんだぁ~これ」
「首と、後3匹倒したので、3匹出しますね」
「おう……おーい。ジャガーウルフがこれの他に3匹あるのか」
「はい。4匹倒したので」
「まじかよ」
ありがとうございました。