蝙蝠羽蜻蛉
▽▲▽▲▽▲▽▲▽トシ視点
「本日も張り切って参りましょう」
気力体力共に十分だ。入浴も夕食も睡眠も朝食も甘味も充実。まさに至れり尽くせりの森林ライフだ。
「エレーナさん。ドル。ローザ。今日は気付いた最上級品や極上級品の薬草以外は勿体無いですが無視してください。それでは最深部を目指します」
とは言ったものの、周囲には極上級品の薬草ばかり群生している。気付かずにいる方が難しいだろうな……。
「分かったわ」
「了解」
「はい。トシ様」
▽▲▽
桧葉の木に囲まれた広場から約2時間歩いた。強行軍だった事もあり14Kmも進んだ。ここから最深部までの距離はあと約310Km。相変わらず魔物も獣も鳥も虫も見当たら無い。ラダールに反応すら無い。
「ここって禁断の森なのよ。虫一匹居ない何ておかし過ぎるわ。何なの瘴気を帯びた風と樹木の葉擦れの音しかしない森って」
薬草を採集しながら森の中を行軍する。昨日からこれしかしていない。ローザは持ち前の飽き性を最大限に発揮し、先程から荒れていた。
「ローザ様。魔物が一匹も居ないのは喜ばしい事だと思うのですが……」
見事なまでに正論だ。だが、エレーナさん。現状のローザは沸騰寸前の水その物。決して衝撃を与えてはいけません。その火にオイルを注ぐと爆発します。
「そ……そうよね。……今回は討伐では無く調査クエストなのよねぇ~。……そ、……そうよねぇ~」
我慢したのか。これはエレーナさんに感謝だ。ドルと私だけでは、このクエストをコンプリートするまで延々と愚痴愚痴言われ続ける羽目になっていただろう。
「トシ。今、何時ぃ~」
「9時40分です」
さっき時間を聞かれてから、まだ2分しか経っていない。
「ドル。何か見えないのぉ~」
ローザがドルにこの質問をしたのは、これが4度目だ。
「ローザさんの方が俺よりも視認可能距離が長いんですよ。自分で探してください」
「何それぇ~。せめて探すフリくらいしなさいよ」
ドルはまだ16歳だ。だが、ルシミール王国近衛騎士団・王宮警備隊・隊長の職責を務めあげた実績。最年少で近衛騎士団に入団。最年少で王宮警備隊・隊長に就任した華々しい経歴を持っている。
▽▲▽
この世界に転生する前は、地球のフランス共和国がまだ王国だった時代の何処かの貴族家の三男坊だったらしい。詳細は定かでは無いが、兄達の家督継承争いに巻き込まれ20代中半にして、非業の死を遂げたらしい。
生まれた日に語った本人の記憶が曖昧だった事や、その後は殊の外優秀ではあったが記憶の大部分を失ってしまったのか普通の子供の様に育った事もあり、地球の話を余りする事は無かった。
話を余りする事が無かったのには、他にも理由がある。
私が地球の日本の東京の世田谷区の自宅の門を後にした日。この世界での記念すべき1日目は【2017年11月】。ドルは、ルイ16世あのフランス革命によって王権を剥奪され翌年には処刑されたフランス絶対王政最後の王が国王だった時代。話の内容からフランス革命が起こる以前のフランス人だ。歴史には幾つもの側面がある。絶対王政に反抗した貴族達の乱が1つの切欠と成りフランス革命が起こったとして、ルイ16世の戴冠から絶対王政に反抗した貴族達の乱【1775年6月~1787年】。ドルはこの時代の何処かで非業の死を遂げた事に成る。
生活していた時代に、230年から240年もの開きがあっては、同じ地球の話をしても、お互い懐かしさを感じる事は無い。
大学時代の数少無い杵柄フランス史。ドルの話は歴史で語られるそれとは全く違い、人間の温かさや美しさを感じるものだった。生活に困窮しながらも強く逞しく真っ直ぐに生きる人々。時代には良い側面も必ず1つや2つはあるものだ。
生き抜く過程の善悪を何を以て判断するのか、【数の暴力】【居直り強く激しく騒ぎ立て事実を隠蔽し言った者勝ちを狙う浅ましい愚者の戯言】【勘違いした権力者によって捻じ曲げられた法律】。
私を貶めたあれ達もそうだったが、あれ達に倫理や道徳心は無い。保身のみを考え感情に任せ好き放題身勝手に他者を誹謗中傷する。他者を貶める事で自身の価値や意義が高まり保身に繋がると思い込んでいるのだ。
残念だが、こういういたくて悲しい人は、どの時代にも、どの時間にも、どの世界にも悪びれる事無く巣食っているものだ。
生きていた時代が違い過ぎる事と、思い出話が心に辛過ぎる事。ドルも私も、前世で地球ライフを満喫する事無くこの世界に第二の人生を歩むべくやって来た同士だ。
地球の話を余り語り合わないのはこの為だ。
▽▲▽
つまり、ドルは子供では無い。その火にガソリンを撒く事が、どれだけ危険な行為なのか嫌という程熟知している。
「さっき、誠意が足り無い。やる気が感じられ無いって怒りましたよね」
ローザがフリだけで満足する訳が無い。だが、ドル。もう少し大人になろうな。その発言は、ガソリンでは無いだけで普通にオイルだ。
「トシィ~。ドルが虐めるぅ~。……何とかしてぇ~」
「トシさん。ローザさんを何とかしてください」
結局、側杖を食わされるのは私だったか……。
▽▲▽
昼食休憩を終え、行軍を再開した。現在の時刻は13時30分。最深部までの距離は約290Km。
行軍を再開し10分程歩いた頃だ。ラダールに反応がぁっ。
「エレーナさん。ドル。ローザ。私から見て11時の方角7000mに魔物の反応が3つ。いえ、6つに増えました」
「トシさん。討伐しますか」
「何か分かるかもしれません。討伐します」
「そう来なくっちゃね。愛してるわよトシっ。ドル行くわよ」
≪ザッ ザッザッザッザッザ
ローザは、11時の方角へ向かって走り出した。
「えっ。ちょっと、ローザさん足音。足音消してください。風下に居るのに意味が……」
ドルが言い終える前に、ローザの姿は見えなく成ってしまった。またかといった表情のドルと顔を見合わせ私は小さく頷いた。
「あのぉ~。トシ様。ドル様」
エレーナさんは、ローザの姿が見えなくなった森の先を見つめ、
「追わなくて良いのでしょうか」
不安げな表情を浮かべていた。心の底からローザを心配しているのだろう。ですが、そんな心配は不要です。エレーナさん。ローズは私が知り得る人間の中で私の次に強い人間です。
とわいえ私の大切な人です。
「ドル。追い駆けるぞ」
「はい」
「ドルは後尾を。エレーナさんは真ん中です」
「はい。トシ様」
▽▲▽▲▽▲▽▲▽ドル視点
「トシ様。ドル様。ローザ様はァ~、ハァ~」
「約1300m前方に居ます」
「えぇっ。ハァ~、ハァ~。も、もう1300mも先にですかぁ~、ハァ~」
「ドンドン距離を離されてるので、直に俺の視界では追え無く成ります」
「全速力で疾走してる様だな」
「はい。どうしますか。トシさん」
「ハァ~、ハァ~。す、済みません。」
エレーナさんは、走るのが苦手だ。彼女のペースに合わせ移動していては、母上に追い付く前に、全て終わってしまっているだろう。
「あっ。俺の視界からは消えました」
もう1600m以上離された。
「これはまずいぞ」
「わ、私を置いて、ハァ~。ローザ様のところへ先に行ってください。ハァ~、ハァ~。追い駆けますので……。ハァ~」
「6匹の後方1000m地点に100匹程の群れ。更にその後方90m地点に1000匹以上の群れが控えているみたいだ」
「そ、そんなにっ。ハァ~、ハァ~」
「6匹は斥候だったか」
「早くローザ様に、ハァ~。伝え無いと……。ハァ~、ハァ~」
「トシさん。ローザさんは、今どの辺りにいますか」
「調度3000m前方だ。あと2600mで6匹と遭遇する」
「正面から突っ込む気ですよね」
「だろうな」
「後方の100匹に気付かれたら、更に後方の1000匹も動きますよね」
母上なら1人で討伐可能な数だろう。群れの規模から考えても、そこまで危険な魔物ではないと思う。危険な魔物程、単体で行動する傾向がある。
「良いのですかぁっ。ハァ~、ハァ~」
「ローザならこの程度は1人でも余裕です。問題は1000匹以上もの魔物が散ってしまった時です」
「トシ様。ハァ~。大きな群れより小さな群れの方が各個撃破で、ハァ~、ハァ~。楽に討伐出来るのではないでしょうかァ~。ハァ~」
「100匹や200匹の単位で、森の外に移動されたら一般人に被害が出てしまいます。魔物が散った時点で、調査を一旦中止して、群れの分散状況を確認する必要に迫られてしまいます。もし仮に森の外へ、高原に向かって移動する群れがあった場合、追い駆けて討伐する必要があります。分散の状況次第では、森の中を一日中駆けずり回る事になると思います」
父上の言う通りだ。これは意外に厄介だぞ。一転突破型の母上では散り散りに逃走する魔物を全て討伐するのは無理だ。
「視界に捉えた段階で止まってくれると良いのですが……」
「無理だろうな」
「ですよね……」
▽▲▽
そんなに飽きてたのか。
「魔物の種類は分かりますか」
「獣か魔物の区別や大きさ位は分かるが、種類や名前までは無理だ。おっと、接触したぞ」
「も、もうですかぁっ。ハァ~、ハァ~」
エレーナさんには、母上も超人か何かに見えるんだろうなぁ~。
「ドル。先に行って加勢するんだ。ローザに集まる様に誘導し散るのを防いでおいてくれ」
「了解。父・・・トシさんはどうするんですか」
「私は、エレーナさんが目を回して戦力外に成ってしまわないギリギリの速度で追い駆ける」
「分かりました」
俺だとエレーナさんを運んでいる時に何かあったら対応しきれない。先に行って加勢するのが賢明だな。
「ドル。加勢とは言ったが無理する必要は無い。危険を感じたら直ぐに退くんだぞ。それと、絶対にローザの正面立つな。間合いに入るなよ」
「分かりました。先に行ってます」
「あぁ~。直ぐに追い付く」
▽▲▽▲▽▲▽▲▽トシ視点
「エレーナさん。おんぶします」
「は、はい」
私は、エレーナさんを背負った。
「20Km/h位なら平気ですか」
「それって早いのでしょうか」
「馬二頭立ての二人乗りの四輪馬車の駈歩より少し遅い感じです」
「その位なら平気です。トシ様。お願いします」
「走ります。確り掴まっていてください」
「はい」
▽▲▽
エレーナさんをおんぶしながら走っていると、魔物の動きがおかしい事に気が付いた。
何だ妙に動きが速い……。それに後方にまだこんなに。
「動きがかなり俊敏な魔物の様です。もしかしたら飛行型かもしれません。それと1000匹とか優しい数では無かった様です」
「1500とか、まさか2000とかですか。まさかそんなにいる訳無いですよね」
比較的浅い森の中に、ここまでの規模の群れが形成されていたとはな。最初の拠点から真っ直ぐ最深部を目指していたら、気付かず見落としてしまうところだった。桧葉の木に感謝しなくては……。
「この数は尋常ではありません。少し急ぎます」
「まさか本当に2000匹もの魔物の群れがぁっ」
「群れ全体を確認するに至っていませんが、今のところざっと50000以上の群れです。後方にまだ居ると考えた方が良いです」
「ご、5万っ……ですか」
「もう、魔王の侵攻どころの騒ぎではありません」
「天災レベル……。大惨事に……」
エレーナさんは、顔面蒼白になりながらも、必死に私にしがみ付いている。
「大丈夫です。大惨事には成りませんよ。この森で食い止めてしまえば良いだけです」
「ご、五万ですよ。魔物が五万もいるんですよ」
「違います。正確には、5万以上です。おっと」
高原と禁断の森の境界から50Kmも離れてい無い場所に、洞穴があるとは……。
「後方に洞穴があります。魔物達はその洞穴から湧いているみたいです」
「……五万以上の魔物に、魔物が湧き出る洞窟ですかぁっ」
これは好都合だ。この数ならエレーナさんとドルのレベルは間違い無く99まで上がりカンストする。大量の経験値を蓄積する事が可能だ。
予定変更だな。洞穴があるのなら、散り散りには成らないだろう。それに洞穴ならローザの独擅場だ。久々に美しく優雅な天女の舞の如き突剣技を見られそうだ。私が討伐しても10倍に成ら無い。ローザの発散に協力して貰うとしよう。
「こ、こういう時って、わ、笑いしか出ませんよね……」
笑い……。愚痴に付き合わされずに済むと思ったらつい顔に出てしまった。いかんな。ポーカーフェイス。無表情。無表情。
「地上の魔物を討伐した後は、洞穴に潜む魔物の討伐です。序でに洞穴の調査も行いましょう。禁断の森の調査に役立つ情報を得られるかもしれません」
「ご、五万以上の魔物の討伐で、で、ですよ。わ、わ私達4人でどうこう出来る……」
「ドルとローザの2人に働いて貰います。地上が終わったら洞穴ですが、連戦させる訳にもいかないし、洞穴の調査は明日にしましょう。労をねぎらい今日の湯船には奮発して昨日よりも豪華な入浴剤を使うか……。いや、それだと洞穴の討伐の後も奮発しなくてはいけなくなるのか……」
「あ、あのぅ~。トシ様」
「ん、どうかしましたか」
「あれ、あれを見てください」
エレーナさんに言われ、私は前方を確認した。
「トシ様。あれは……。あれって、蝙蝠羽蜻蛉みたいですが……。大きくないですかぁっ」
蝙蝠の羽を4枚持った蜻蛉。あれって、昆虫では無く魔物だったのか。あの羽は魔法薬には欠かす事の出来無い素材だ。そういえば、15年程前にこの森で蝙蝠羽蜻蛉の羽を大量に入手したな。あの時は、この位の大きさで……。
私は、思考で大きさを再現しながら、約15年前の記憶を辿る。
大きくても20cm位だったはずだ。昆虫だと思い込んでいたのはその為だ。あれは、でかい……。同じ物だとは思え無い。
「トシ様。やっぱり凄く大きいです。胴体周りが私の腕より太いし、全長も100cm以上ある様に見えます」
100cm以上はあるか……。うん、あるな。
「あれって普通に蝙蝠羽蜻蛉ですよね」
「非常に大きな蝙蝠羽蜻蛉だと思います」
「おっ、やっとドルとローザの姿が見えた」
「す、済みません、足手纏いで……」
「レベルが上がれば身体能力が上昇します。勿論体力もです」
俺は、300m手前で立ち止まり、エレーナさんを降ろすと、茂みの中に身を隠す様に指示を出した。
「この距離で見ると更に大きく感じます。あんなのが、後方に5万匹以上ですよね……」
細剣とエクスでは、飛行型との相性が悪いか。襲い掛かって来るのを待つ戦い方では時間が掛かり過ぎる。
「2人共、飛行型相手に苦戦してますね」
「飛行型を相手にする時は、スリングショットやルークや魔法を扱える人がいないと戦いに……」
「このパーティーには、将来有望な魔法使いの卵がいます。ですが、それはこれからの話ですからねぇ~。相手が飛行するから突剣技との相性が悪い訳です。ドルの場合は……。まぁ~、仕方無いですね。渡したばかりのエクスを使い熟せ無いのは当然かな。一度だけ加勢しようと思います。そこに隠れて見ていてください」
「は、はい……。何を……」
「見てのお楽しみですです」
私は、ドルの隣へ移動した。瞬間移動では無い。
「ドル。お疲れ様。まさかこんなに大きく育った蝙蝠羽蜻蛉だったとはな」
「はい。それで」
ドルは、小さな声で話を続けた。
「父上。奥ですが、こんなのが1万匹以上います」
「ざっと、5万匹以上だ。後方にまだまだ居る」
「天災級じゃないですか」
「エレーナさんも同じ様な事を言っていたかな。天災レベル。大惨事だと」
「この数に襲われたら、父上が開発した魔導具の防御壁も長くは持たないと思います」
「だろうな。あれは、魔王の侵攻。亡者や人魂の対策の為に神聖魔法を改良し開発した物で、生きている魔物用では無いからな」
「ちょっと、トシ。ドルとお喋りしてないで、これ何とかしてぇっ。あっちにもいっぱいいるのよ」
「おっと。忘れてました。樹木を倒さない様に加減して魔法を使います。それに、私が討伐してしまうと10倍で経験値を蓄積出来ません。魔物達を全て地面に叩き落とした後は分かりますね」
「突いて、切って、薙ぎ払うだけね」
「ローザ。それ細剣ですからね。程々にお願いします」
「任せておいて」
「ドル。エクスはどうだ」
「……」
「どうした」
「いえ。……ローザさんには負けません。地にいる相手ならどうにでもなります」
「言ったわねぇ~。ドル勝負よ。多く討伐した方が勝ち。良いわね」
「良いでしょう。レベルが上がった俺の実力をお見せします」
……。討伐してくれるなら、勝負でも何でも良いか。
「勝負も良いですが、魔物が相手です集中してください。ここに集めます≪スメールチ≫」
私は、風属性の上級魔法。習得難易度☆5修練度☆10のスメールチを、森中に何本も発生させた。
「きゃぁ―――。たす、助けてくださいぃ―――」
えっ……。エレーナさん、竜巻からあんなに離れてるのに……。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽ドル視点
「ドル。エクスはどうだ」
「……」
剣が話掛けて来たぁっ。って、言っても流石に信じてくれないよな。
「どうした」
幼い女の子みたいな声だった。何て言ったら変に思われるよな……。
「いえ」
今は……。魔物に集中しないと。……よしっ。
「ローザさんには負けません。地にいる相手ならどうにでもなります」
「言ったわねぇ~。ドル勝負よ。多く討伐した方が勝ち。良いわね」
多く倒した方が勝って。母上らしいな……。何か騎士団に配属されたばかりの頃を思い出すよ。
「良いでしょう。レベルが上がった俺の実力をお見せします」
「勝負も良いですが、魔物が相手です集中してください。ここに集めます≪スメールチ≫」
スメールチ。確か、風の上級魔法だったはず。上級魔法を扱える魔法使いは世界に数えるしかいないはず。父上はドゥ―シャー、最高峰のヒーラーであって、魔法使いでは無いはずだ……。魔剣も。
「きゃぁ―――。たす、助けてくださいぃ―――」
うん。女性の声っ。って、あの木にしがみ付いてるのって、エレーナさんだっ。
ありがとうございました。




