第一話 『人は何をもって友達を定義するのか』 後編
とは言ったもの、事を進める方法が分かったわけではない。
人と上手く付き合う方法は依然として分からないままである。
友達。互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。調べてみるとそんな風に出てくる。
今まで僕に心を許してくれた人がいただろうか。いや、そんなの記憶にない。もしそんな人が過去にいて、今目の前に現れたとしたら、その人と親密な関係になれる自信がある。
諸星は難しい正確なうえに、あの難病に罹っている。
僕が思うに、この病気を患っている人の考え方は二種類だ。
一つは、「記憶がなくなるまでの時間を精一杯楽しもう。記憶がなくなったら、また新しい思い出を作ればいいんだ」というもの。
もう一つは、「せっかくの思い出を忘れてしまうのは辛い。なら、最初から作らないほうがいい」というもの。諸星は後者だろう。
親父が諸星の信頼を買っているのは、諸星と打ち解ける方法を心得ていて、諸星の記憶がなくなった後にそれを実行しているからだろう。それが分かるまで何年もかかったってことだろう。
それを親父から訊いても仕方がない。人はそれぞれ違う。方法はみな違うんだ。同じ諸星への接し方でも、親父のやり方を真似ただけでは上手くいかない。だから親父はその方法を教えてくれなかったんだ。
たださあ、僕に友達がいないの知ってるんだから、普通の友達の作り方くらい教えてくれてもいいのに。
そんなこんなで、相変わらず考えがまとまらないまま学校に来てしまった。
相変わらず独り。僕も諸星も。前々から思っているけど、普通の友達すらいない僕にはレベルが高い。失敗続きで怖気づいている自分がいる。
何を隠そう、グズグズしすぎてもうすぐ放課後なんだよ!
はぁ、最近は諸星には積極的な部分を出せてたのにこれじゃ前までと同じだ。この性格は直したいと思っているのに。
とりあえず今日はいったん帰るか。
「月山。ちょっといいか?」
今の聞いてクラスメートだと思った?残念、担任だ。
「何ですか?」
「手伝ってほしいことがあるんだ」
またか。そう思いつつも嫌だとは思わない。作業自体は嫌いじゃないから。ただ、こういうものは一人でいる人に声をかけられるものらしい。手伝ってほしいというのは建前で、クラスに馴染めない生徒の悩み相談みたいなことになる。それで本当のことを言ったところで先生は解決できないと僕は知っている。だから僕は毎回言うんだ。
「一人でいるのが好きなんです」
「そうはいうけどさ」
先生というのは何故かみんな仲良しを目標にしているようだが、そんなのは空想だ。相性があったり、そもそも人付き合いを好まない人もいる。現に先生の前で僕はそういう設定だ。
「お前だっていずれは社会に出る。そうなったら人付き合いは避けられない。今のうちに慣れておかないと苦労しなくていいところで苦労するぞ?」
「そればっかですね。人と関わらない職に就けばいいんじゃないですか?」
「それがお前の本当にしたい仕事ならそれで構わないが、そんなの限られるだろ」
「人と関わらない仕事が僕のしたい仕事です」
「はぁ」
こういうやり取りも何度目だろうか。僕だって友達が欲しいんだ。口ではああいっているが、好きで一人でいるわけじゃないんだ。
そういう心の叫びに気付けないのに悩み相談なんて傲慢もいいところだ。それに気付ける人にだったら打ち明けてもいいかもしれないが、そんな人がいるならとっくに悩みなんて解決しているだろう。それに、
「僕以外にも問題の人がいるんじゃないですか?」
「諸星のことか?」
先生も分かっているようだ。僕が知る限り、先生が諸星に声をかけているところはほとんど見たことがない。そもそも先生は病気のことを知っているのか?
「あの子は何というか……関わりにくいんだよね」
まあ、それは何となく分かる。僕もそうだし、周りの人もそう思っている。
「言い寄ったことはあるんですか?今みたいに」
「言い寄ったって、人聞き悪い。まあ、今みたいな形で関わりに行ったことはあるよ」
「どうだったんですか?」
「会話にならなかったよ」
ため息をつきつつ、先生は答えた。
「どんな感じだったんですか?」
「うーん。俺が何を言っても『興味がありません』の一点張り」
想像できる。
「それに比べたらお前はいいよ。ちゃんと受け答えしてくれるから」
「そりゃどうも」
結局、それからは特にこれといったことは話さないまま先生と別れた。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
手を振る先生に会釈して、教室に向かう。
窓から外を見てみると、グラウンドではサッカー部が部活動に勤しんでいるのが見える。校舎内でも、吹奏楽部の演奏が廊下まで響いている。
こんな性格だから察しがつくと思うが、僕は帰宅部だ。
何かしらの部活に入って、活動し、部員と親睦を深める。こういったことにちょっとした憧れはあるが、上手くやれる自信なんてない。
教室の前まで行くと、教室の電気が点いているのが見えた。他の教室のは消えているので、少し気になった。
どうせ荷物を取りに行かないといけないんだ。誰かいるにしても入らないと。
僕は教室に入った。
「「あっ」」
一人、ポツンと席に座る彼女と目が合った。諸星だ。
「どうしたんだ?こんな時間まで」
「勝手でしょ?」
「まあ……」
言いながら自分の席の方に行き、バッグを手に取った。そして廊下に向かって歩いて、教室を出る前に振り返った。
「なあ、本気で友達いらないって思ってる?」
「……ええ」
またその溜め。
「何で?寂しいと思わないの?僕は正直言って寂しいよ。友達だってほしいと思ってる。だから、君がそう思う理由が分からないな」
「ほっといてよ」
「君はいつも寂しい目をしてる気がするんだ。それに、友達に関する話をするといつも間とか溜めができるよね。本当はほしいんじゃないの?」
「やめて」
「どうなんだ?教えてよ。何で君はそんなこと言えるの?何が君をそうしているの?」
僕が責めるように言葉を投げ続けていると、バン、と机を叩いて諸星が立ち上がった。キッと睨みつけるように僕を見て、叫んだ。
「あなたに何が分かるの!?私の気持ちが!何も分からないくせに、他人のことに首を突っ込まないで」
その目は潤んでいた。責めるのはやめよう。
「<メモリー・リブート>なんだよな?」
「え?」
僕が責め続けてたのには理由がある。これを言う機会を狙っていたんだ。いきなり言ってもダメだろう。感情が露わになって、隙ができる時を狙った。
「どうして、そのことを……」
当然の疑問だな。
「僕の苗字、覚えてる?」
「月山君……はっ!まさか」
「僕の親父は月山嵩幸。月山精神科医療センターの院長だ」
「お父、さんの……」
「え!?」
今なんて言った?親父のことお父さんって。
「わっ!急に大声出さないでよ」
落ち着け。ここで取り乱したら格好がつかないぞ。後で親父に問い詰めてやる。
「ご、ごめん。それで、僕も最近になって聞いたんだ。諸星がそんな状態だってこと」
「それで散々寄ってきてたの?」
「いや、最初に声をかけたときはまだ知らなかった。仲良くなりたかったのは本当だ」
刹那。驚きの表情に変わった彼女の目には涙が滲んでいた。間ができる時、目を普段より大きく開けて、驚いたような顔をすることはあったが、涙を見せるのは初めてだった。
「月山君は、私がいつかあなたのことを忘れる日が来ることを知っているのでしょう?」
「ああ」
「それなのにどうして私と仲良くなりたいと思うの?」
「その気持ちに、理由はいるのか?」
そう、理由なんていらない。付けようがない。だって自分でも分からないのだから。直感というか本能というか、何か得体のしれない、スピリチュアルな何かによって生み出された感情なのだから。
「ひっ、うぅっ……」
目を伏せ、嗚咽を上げ始めた。足元は少しずつ湿っていく。
「こんな私が、友達を作って、楽しい思い出を作るなんて、許されるの?」
「権利は平等にある」
「私は、多分もうすぐ忘れるよ?それでもいいの?」
「そうしたらまた始めればいい。何度でも」
「嬉しい…」
やっと、諸星の口角が上がった。両手で必死に涙を拭う。
「私にそうやって言ってくれた人、多分初めて。すごく、嬉しいよ」
笑った。笑う諸星は年相応の可愛らしい女の子に見えた。そうやって笑えれていれば自然と友達もできるだろうに。
僕は深呼吸した。
「改めて言わせてもらうよ。僕と友達になってくれる?」
「うーん」
しばらく考える仕草をして、再び口を開いた。
「嫌かな」
「えっ!?」
まさかの返答に思わず変な声が出た。しかし、彼女はいたずらに笑って、
「そんな安っぽい関係はいらない。私たちは『親友』。そういうことにしない?」
諸星真白はズルい。
いままで頑なに仲良くなることを拒んできたのに、突然そんな輝かしい笑顔でそんなことを言わないでくれ。夕日に照らされて、より一層輝いて見える。
「あ、ああ」
こんなぎこちない返事をするのがやっとだ。
とにもかくにも、彼女と仲良くなることに成功した。いや、しすぎた。
彼女、少しでも動き出すと歯止めが利かないタイプらしい。
いきなり一緒に帰ろうと言われ、病院の前まで一緒に帰った。正直緊張しすぎてあまり記憶がない。
それでも、最後の言葉は覚えている。
『これからあなたのこと、「紘幸君」って呼ぶね。あなたも「真白」って呼んで』
別れ際にこんなことを言われた。ハードル高いって。
「おう紘幸。帰ってたか」
「あ、ああ。ただいまー」
「おかえり、って、何でそんなにやけてんだ?」
「なな、何でもない!」
え?そんなにやけてた?もしかして諸星、じゃなかった、真白の前でも?そうだったら今ここで自害する。
そんな僕の様子を見て、親父は察したのか、優しく微笑んだ。
「やっぱりお前は頭がいいな。もう、見つけたんだな」
それだけ言って地下の研究室に降りて行った。