ソラ君とウチのプレリュード第8番
スラム街で生き残る術を持たなかったボクが飢え死にせず、生き残れたのは『歌』のお陰だ。
最初のきっかけは顔役に歌声を見出された事だが、興味が湧いた歌の才能を伸ばせたのはどんなに荒れ果てた街でも一つは必ずある教会のミサだった。
そこで定期的に行われたミサに訪れる聖歌隊の歌声を聴いていく内に、元々音感のあったボクはこれなら自分も出来るのではと思い、試しに教会の外で歌を合わせた。
音を正確に覚え、呼吸をする所やリズム感などを必死に吸収していき合唱のノウハウを学んだ。
幼い僕はそこで磨いた能力をまっとうな事に使えなかったが、そこで得た技術を駆使してスラム街の路上で仲間と場数を踏み続け、生き残ったからこそ、あの日ヨシュアとスノウと出会えて、ボクは初めて誰かに必要とされる人間になれたのだ。
ボクの歌声が、あの救いのなかった最悪な人生をここまで導いてくれた。
歌一つでスラム街からここまで這い上がってきた経験と自信。
才能と美貌に恵まれたエリートがなんだというのだ。
いつも死と隣りあわせの中でボクを救ってくれたこの『歌声』がそんな物に負けるはずがない――
歌唱テストに全てを出し切ったボクは、確かな手ごたえと共に教室へ戻る。
先に試験を終えて着席していた現『エオル』のメンバーの表情は皆一様に硬かった。
結果次第では名誉ある『エオル』の選抜から外されることもあるからだ。
この学園内で『エオル』というものがどれだけ重要なポジションかは彼女達を見ればわかる。
それ以外の生徒達は自分達が『エオル』に上がる目は無いと知っているからか、近くの生徒達と談笑していた。それでもドアが開き教師が教壇へと進むと、その雑談もぴたっと止まった。
「なんて顔しているんだお前達は。そう硬くなるな、このクラスから脱落するものも選抜から外れる生徒もいない。先生もうれしいぞ」
教室内にあった過度な緊張感が和らいだのもつかの間、続く言葉で雰囲気が一変してしまった。
「ただ、上位は近年まれに見る接戦だったため、新たに追試験を受けてもらうことになった。アナマリア、ヒナタ、それに……ソラ」
教室中がざわつく。
(え、ソラさんに負けちゃったんだ、ミミちゃん。中学生からずっとトップスリーに入っていたのに)
(でも、ソラさんすごくなかった? 感動のあまり手をギューってしすぎて手のひらに跡ついちゃったよ、私)
(私なんて気付いたら泣いていたよ……先生達だってみんなソラさんに注目していたし)
どうやら、ミミさんがボクに負けたのは相当インパクトのある出来事だったらしい。
「みんな静かにしろ。まだ伝える事がある」
ざわついた教室が、教師の一言で静かになる。
「三人には昨日観測されたレベル三の『『スパイト』』を『滅却』してもらう事になった。今呼ばれた三人はこの後ブリーフィングルームに来るように。詳細はそこで伝える。以上だ」
来た――
国立ローズブルク音楽学園は音楽だけでここまで名声を得ていたわけではない。
一般には認知されていない裏の顔。
それは『スパイト滅却師』の育成機関という側面だ。
ボクもユキさんから最初に聞かされたときは驚いた。
育成機関は他にもいくつかあるのだが、ここがそうだとは既にプロとして活動しているボクでも知らなかったくらい。
教師が移動し、それに続く形でアナマリアお嬢様、ヒナタとボクがその後に続いた。
薄暗いブリーフィングルーム内には複数の液晶モニターとパソコンが並べられており、その機器を冷やすためか室内はひんやりと涼しかった。
全員室内にいるのを確認した教師は、イスに座るようボク達に促す。
「早速だがこれを見てくれ」
教師の傍にある大型モニターに映像が出力される。
ボクはその映像に釘付けになる。
そこには仲のよい家族が出先で撮ったであろう動画が映し出されている。
幼い子供の両手を両親が片方ずつ引いて、みんなで山道を駆けているところを写したものらしい、皆笑顔からこぼれた白い歯が眩しい。
場面が変わって、今度は子供と母親が食事をしている場面が映し出された。
緑の大地の上にキャラクター物のシートを広げていて、そこにバスケットも見える。
そこから出されたであろうトマトやお肉が挟まったバケットを頬張っている子供は満面の笑みだ。 ほどなくして撮影をしていた父親もカメラを何かで固定したのか、その輪の中へ入っていく。
皆、カメラの前で楽しそうに笑っている。
家族愛が詰まっていて、心がほっこりするいい動画だ。
だが、今この動画をボク達に見せる意図は一つしかありえない。
「この動画に写っている男が今回のターゲットだ。昨日『スパイト』に変化するまではごく普通の一般家庭のサラリーマンだった」
思わず左奥歯をかみ締め、眉間に皺がよってしまう。
出来るなら話の続きを聞きたくない。
『スパイト』がらみの話は悲惨じゃなかったためしがないからだ。
想い空しくモニターの映像が切り替わり、先ほどとはまったく毛色の違った映像が映し出される。
「今日撮影された男の姿がこれだ」
髪は乱れ、目の焦点は定まらない、服もぼろぼろな人間の姿があった。
同一人物には見えないがこれが『スパイト』化の影響だ。
『何か』に絶望し、そこを『スパイト』に狙われ、そうならざるを得なかった者の末路だ。
滅却師として早く彼を解放してあげなければならない。
「一体彼に何が起きたのです?」
アナマリアお嬢様は皆が聞きたかったであろうことを率先して教師に尋ねた。
「この家族は旅行の帰り道、車の追突事故に巻き込まれてね……彼以外は今も集中治療室の中だそうだ。その事故の原因は長距離ドライバーの居眠り運転が原因だが、彼は自分が旅行を計画しなければこんなことにはならなかったはずだと、事故後からずっと自分を責め続けていたらしい。電話をもらった彼の友人がそう証言してくれたよ」
「そこからどうして『スパイト』になってしまったんですか?」
ヒナタも堪らず教師に問いかけた。
「『スパイト』はこういった心に傷を負って、自分を責めている真面目な人間を狙って取り付く。今回はその『悪意』に取り付かれてしまったのが偶々彼だった。誰でもこの男のようになってしまう可能性を秘めている。私たちはそれを事前に食い止めることは出来ないが、被害を最小限に抑え、彼を解放することはできる。私たちには奴ら『スパイト』を滅却する力があるのだから」
学園に来るまでボクはヨシュアの仕事にくっついていって一緒に『スパイト』滅却師として活動していたが、『スパイト』にこういったバックグラウンドがあることを彼は教えてくれなかった。
ヨシュアの考えていることはボクにはわからないが、彼なりの考えがあったのだろう。いつか対等な関係になって聞かせてもらえればいいが……。
「これから彼に取り付いた『スパイト』を滅却する作戦を発表する」
室内にエアコンの音が鳴り響く。
ボク達は黙って教師の言葉を待つ。
「彼は『スパイト』にとりつかれるれる前、自分自身に怒りをぶつけていた。激情、憤怒。彼の心はそういった感情で満たされていたはずだ。その気持ちを君たちの歌で『浄化』し、鎮め、正常化に耐え切れなくなった『スパイト』を彼の体からあぶりだし、速やかに滅却しろ。『浄歌』をヒナタ。滅却をアナマリアとソラ、君たち二人で行いなさい。曲目はこれを使うといい。指定の場所まではこちらが車で護送する。それまで部屋で待機して、ブースターをいつでも使えるようにしてくれ」
「「「了解」」」