ソラ君とウチのプレリュード第6番
仕事に取り掛かる前に新たな問題が生じてしまった。
それは通常授業が始まったときに起こった……というか気づかされた。
ユキさんから機内で渡された教科書を開き、授業を真面目に受けたのだが内容が全然頭に入ってこない。ユキさんから聞かされていた以上に学問でも超名門校だったのだ。
「編入生、君ならこんな問題楽勝じゃないか? こっちに来てやってみろ」
困難というものは訪れて欲しくないと強く願うほど、急速に距離を縮めてくる。
それが正に今だった。
どうやらボクは編入試験の全教科で優秀な成績を収めたらしい。
らしい、というのはレインさんに披露した歌唱以外の試験を実際には受けていないのだ。
誰かが、というかユキさんが他教科の点数を大分盛った可能性が高い。
ボクは勉強が嫌いではないが出来るほうではないのでそういうのは正直困る。
いま教師に指され、やる事になったこの数学の問題もボクには判別不能な古代文字のようにしか見えない。
最初の授業でお馬鹿が知れ渡ったら任務に支障をきたす恐れがでてくる。アナマリアお嬢様を改心させる代替案を見つけられない現状、依頼内容どおりボクは彼女に圧倒的な実力を見せ付けてその座を奪い取らなくてはならないのだ。こんな所で躓いていてはいけないのだが……せめて選択問題だったら当たる可能性もあったものを。
深呼吸してもう一度黒板に書かれている問題を見てみる。
うん、さっぱりわからない。
このまま現実逃避を続けても仕方ない。
教師もなんだか不審がっている、もうどうしようもないのか―
「x=四√五です」
えっ? 何今の。
無意識のうちに声が出たぞ?
『ソラ君。ウチの声が聞こえるかい?』
レ、レインさん?
思わずチョーカーに変身しているレインさんを撫でる。
「お、見ただけで答えがわかるとは流石過去最高得点で編入試験を突破しただけはあるな。よし席に戻っていいぞ。え~この問題で気をつけるところは――」
レインさんの突然の登場に驚き、教師の言っていることがまったく頭に入ってこない。
「え、え?」
「お、どうした? 編入生」
「あ、なんでもないです。すいません」
体の内側からレインさんの声が聞こえる。新生活の気苦労でとうとう幻聴が……席に戻って休もう。
『ソラ君、もう忘れたのかい? 出会ったときに体験しただろう。ウチは君の脳内に直接語りかける事が出来る。しかも、ウチはソラ君が実際に声を出さずとも、思考から言葉を勝手に読み取るからこうやって会話も出来るよ』
さすがレインさん、存在も能力も漫画のチート主人公みたいな人ですね。
『ふふん。ウチってすごいでしょ? 褒め称えると良いよ』
流石レインさん! 憧れちゃうな~ってあれ? でも待てよ。
そうしたらボクのプライベートな部分はどうなるんだろう。
こうやって頭で考えていることが筒抜けなんですよね?
こんな格好をしてはいるけどボクだって健全な男子です、女性であるレインさんに知られたくないことだってありますけど、そこのとこ、どうなんですか?
『その辺は気にしなくて良いよ。ウチは男の子のそういった部分にはまーったく興味ないから。こっちでフィルターでも掛けておくよ、安心して。それよりも学園生活うまくやれそうかい? 勉強面はお馬鹿ってばれると色々まずいから、最初のうちはウチがサポートするけど、この状態を維持するのはエネルギーをいっぱい消費して正直つらい。だからウチのためにも、自分の将来のためにも勉強を頑張って。いい?』
……勉強は正直自信ないけど、なんとか頑張ってみます。
『そう、その心意気だ。心配事も減ったし、ちょっと疲れたからウチは寝るよ。何かあったら起こしてくれたまえ』
わかりました。お休みなさいレインさん。
その後は、つつがなく授業を受けた。
内容はまったく頭に入ってこないけど、今後のために教師の言ったことはノートに全て書き留めておく。
でも……はたして、仕事をこなしつつこの難解な授業を理解できる時は来るのだろうか?
先ほどの決心が少し揺らぎかけ、そんな自分に落胆する。
こんな時、スラムに居たころの自分だったらどうしていたっけ?
ダメだ、思い出せない。
レインさんのことを考え、勉強や自分のことで悩んでいるとあっという間にお昼休みの時間になっていた。
さて、どうしよう?
いきなりターゲットに近づいたら怪しまれるだろう。
ここは編入生らしく大人しくして、誰かに声を掛けられるのを待ってみようか? 声を掛けてくる人物とそれに反応する人間を観察すれば、このクラスの人間関係や力関係がわかるかもしれないし。
よし、この手でいってみよう。
うまくいかなかったらその時はまた違う方法を試してみればいい。
「ねぇねぇ」
「えっ?」
ツンツンと背中を突然つつかれ驚く。
「ソラさん、さっきの凄かったね。途中式も書かずに見ただけで答えをだしちゃうなんて普通できないよ。あそこにいる子達もソラさんとお話をしたいって言っているし、よかったらお昼一緒にどうかな?」
視線を追うと女の子達が三人固まっていて、その内の一人がこちらに向かって軽く手を振ってくれている。
「ど、どうも。え~と」
「あ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。私、エカテリーナっていうの、よろしく。で、さっきの話だけど、どうかな?」
「お昼一人でどうしようかなって思っていたところなんです。喜んでご一緒しますよ、エカテリーナさん」
なんという渡りに船。
彼女に笑顔を向けつつ、他の生徒達の動向を探る。
すると、教室の入口に授業が終わると同時にどこかへ駆けて行ったヒナタが戻ってきていた。なんだかこちらを一睨みした後、またどこかへ行ってしまったけれど……。
更にボクやヒナタと同じようにチョーカーを付けた子が品定めをするような目線をこっちに送ってきている事に気づく。
そのチョーカーをしている女の子の顔に見覚えがあった。
ターゲットであるアナマリアお嬢様だった。
遠目から見てもルックスが際立って見える。
国立ローズブルク音楽学園に在学する女性は音楽の才能に秀で、学業優秀、容姿端麗な特別な人間しかいないみたいだが、その中でも一際目立っている。
そんな自分の美貌が他者を圧倒しているのを自覚しているのだろう、自信に満ち溢れたまなざしがそう物語っていた。
ふと、誰かに似ている気がしたが多分気のせいだろう。
それよりこのお嬢様の鼻をへし折らなくちゃならないのかぁ……これは一筋縄でいきそうにないぞ。
「ソラさんこっち!」
「ナンパ大成功だね。よくやった、エカテリーナ」
「まっかせなさい」
「誘っていただきありがとうございます。ここ座って良いですか?」
せっかく誘ってもらった食事だ。こちらに集中して、アナマリアお嬢様の事は答えをあせらずじっくりいこう。
「そんなの気にせず座りなよ。もうおなか減ったし、早く食べようぜ」
「「「「「いただきます!」」」」」
情報収集のためでも名門のお嬢様達との会話は緊張し、最初は気後れしていたが、それがバカらしく思えるくらいにみんな気さくでいい子ばかりだった。
この子達はアナマリアお嬢様の悪影響を受けていないのかもしれない。
「ソラさんのお弁当おいしそう~。勉強も料理も出来るなんて流石! それでいてチョーカーまで持っているなんて素敵」
「ハハハ、そんな事ないですよぉ」
謙遜するにも訳がある。
料理の出来ないボクが、こんな美味しいものを作れるわけがない。
気づいたらかばんの中に入っていたのだ。レインさんが気を利かせて作ってくれたのだろうか? そうだとしたらありがたい。
栄養バランスも彩りもよく考えられているし、ボクの好きなおかずがきっちり入っているし。




