ソラ君とウチのプレリュード第4番
――オレからボクへ
ヨシュア夫妻の養子になり新生活が始まってから二年、ボクは十歳になった。
この二年間は子供のいなかったスノウにとても可愛がられた。
というか、あのヨシュアが焼きもちでボヤく位には甘やかされた。
自分の呼び方を「オレ」から「ボク」に変えたのもスノウの影響だ。
よくわからないけど、こっちのほうがスノウ的にはかわいいらしい。
スラム街で生きるため必死になって得た、たくましさやずる賢さはその過程で徐々に失われていって、すっかり軟弱な人間になってしまった。
そんな軟弱なボクを見かねたヨシュアは、ボクを鍛え直すためにスノウの目を盗んでは自分の仕事現場まで連れていってくれるようになった。
スノウはまだ危ないからと大反対したけど、ボクはこれでよかったと思う。
二人には少しずつでもいいから、恩返しをしたいとずっと思っていたのだ。
ヨシュアの仕事はというと『スパイト滅却師』という特殊な職業。
『スパイト滅却師』とは言葉通り人間に害を与える『スパイト』を滅却することを生業とした者たちを指す言葉で、国から仕事を依頼されるくらい立派な仕事だ。
『スパイト』はどこにでも現れる厄介な存在なのだが、それを滅却する力を持った人間は『スパイト』の数に対して極端に少ない。
育成機関もあるが案件の数に対して、まだ人材の育成が追いついていないのが現状だ。だから、ボクのように『スパイト滅却師』としての才能がある人間は経験を多く積み、国のために活動する事を求められている。
危険な仕事ではあるけど、ヨシュアのサポートもあり簡単な仕事ならヨシュアの役に立てている自身を持てるようにまでなった。
ボクがヨシュア達に養子にもらわれたのも、この『スパイト』と呼ばれる悪の存在を『滅却』する力を持っていたからだろう。そうじゃなければスラム街の悪ガキを養子にもらうメリットなど一つもない。いっぱい経験を積んでふたりのために役に立ちたい、ふたりに喜んで欲しい。それがいまのボクの願いだった――
――五年後
ボクは十五歳になった。なのに身長はちっとも伸びず背丈は同年代の女の子並み。
声変わりもしていないため未だに女の子と間違われる事が多い。
そのせいか男に告白される事もある……流石にやめて欲しい。
『スパイト滅却師』の仕事はようやく見習いの名が外れ、ヨシュアにも仕事で頼られる事が増えてきた。
そんなある日、珍しい時間にヨシュアから呼び出され彼の部屋へ急いだ。
開口一番、彼はこういった。
「お前に任せたい仕事がある」
「なんですか? 改まって」
平静を装ってはいたけど、内心は飛び上がって喜びたいほどうれしかった。
あのヨシュアがボクを一人前と認めてくれたのだ。
期待に答えて頑張らなくては。
「昔からの馴染みに、学園の学園長をやっているやつがいるんだが……そいつからある依頼を受けて、な」
教育機関にも知り合いがいるのか顔が広いなぁ、ヨシュアは。
「俺の仕事は立て込んでいるし、何度も断ったんだが、あいつは人のいうことをまったく聞かなくてなぁ……。最終的には代理の者でもいいから助けてくれと強引に押し切られてしまった」
人の話を聞かないのはヨシュアも相当だと思うけど、それさえも押し切ってしまうとはその学園長ってのはどれほどの傑物なのだ?
「で、その代理がボクだと?」
うなずくヨシュア。
「それで、その依頼内容なのだが――」
仕事を任せてくれるうれしさで、笑みがこぼれそうになるが、それを悟られないように口を結び、依頼内容をじっと待った。
…………ヨシュアにしては珍しく、妙に間がある。
よっぽど危険な案件で、本来ならボク一人ではまだ困難な仕事なのかもしれない。
「『うちの学園に来ればわかる』だそうだ。まったく自分から頼んでおいてあいつは……」
内心ずっこけてしまうも、平静を装ったボクに依頼書を渡すヨシュアの顔が普段より十歳くらい老けて見えた。
他人に弱みと隙を見せたがらないヨシュアのレアな顔を見てしまった。
そこに触れると危なそうなのでスルー。
怒らせると怖いもん。
「えっと……こういう人なんですね?」
「そういう奴だ」
今度は苦虫を噛み潰したような顔をし出した。
きっとその人物との過去のトラブルでも思い出しているのだろう。
ヨシュアでも扱いきれない人物の依頼だとわかると、別の意味で心配になってきた。
「学園に行けばいいらしいですが、実際どこに行けばいいのでしょうか?」
「おっと、すまんな。奴の学園は『国立ローズブルク音楽学園』といってな、音楽の名門校だ。名前くらいは知っているだろう? お前はそこで仕事をすることになるはずだ」
『国立ローズブルク音楽学園』
確かに知っている。
というか世界中の人間が知っていると思われるくらい知名度がある学園だ。
音楽の名門校であり、定期的に海外ツアーをしていてその歌唱力とカリスマ性でファンを増やし続けている。各国の大統領や首相など権力者達にも熱心なファンがいるほどで、彼女らのツアーチケットはプラチナチケットになっていて入手困難だった。
それとあそこは確か――
「あそこって『女学園』ですよね、男のボクがいって大丈夫なんですか?」
「そのことなのだが――」
「待って! そこからは私が答えるわ」
へ?
入り口のドアの方からドでかい音が響いてきた。
すわ暴漢でも乱入してきたかと思い振り向くと、脚を蹴り上げた状態でポーズを決める女性がそこにいた。
見事な脚線美だった。
それと黒い下着も見えている、恥ずかしくないのだろうか。
いや、違うそうじゃない。
いきなり現れたこの女性は誰だ。
いろんな意味でとてつもなくやばい人だって事だけは解る。
ヨシュアの様子を伺うと、大きなため息をついて闖入者を疲れきった顔で見つめていた。
それを見たボクは一瞬で察した、この人が件の学園長なのだと。
「ユキ、来るなんて聞いてないぞ。お前がこっちに来てどうする」
「細かいことをいいなさんな~。おお、この子がソラ君かな。ふ~ん」
急速ダッシュでボクとの距離を一瞬で詰めてきたユキと呼ばれる学園長は、値踏みするようにぐるぐるとボクの周りを歩き出す。
その際、彼女から香水がほんのり香ってきてボクは落ち着かなくなる。
ボクは良い匂いのする大人の女性に弱い。近くにいられるだけでドキドキしてしまう。
初恋であるスノウの事を思い出してしまうからだ。
年は三十代半ばだろうか、肩甲骨付近まで伸びた美しいストレートの黒髪がさらさらと揺れるたび良い匂いが漂い、ボクの鼻腔をくすぐる。
自信に満ちたまなざしは何事にも屈しない意志の強さを感じさせる。体のラインを覆ったスーツをビシっと着こなしていて、ルックスだけを見ればとても美しく、仕事の出来る大人の女性だった。先ほどの派手な登場シーンや、ヨシュアの話す人物像でその全てを台無しにしてしまっている。俗に言う残念美人とはこの人にためにある言葉だろう。
ああぁ、もったいない。
「うん。容姿は問題なし。少しお化粧すれば同年代の女の子よりかわいくなりそう」
ようやく歩みを止めたかと思うと、変なことを言い出す。
「ソラ君。ちょっとしゃべってみて」
「はぁ、はじめましてユキさん」
「ふむふむ。次は何か歌ってみて」
こちらの事はお構いなしに言いたい事をまくし立てるユキさんに辟易し、ヨシュアに視線で助けを求めてみるも、目線が合うと目を閉じ、首を横に振っている。
ボクはそれを「ユキに何をいっても無駄だ」というメッセージと受け取った。
少し逡巡したのち、これはユキさんなりの試験なのだろうと解釈して、この街伝統の歌『母のまなざし』を歌いだした。
これは出産を終えた大人の女性が赤ん坊に聞かせる定番の曲で、日に日に成長していくわが子を喜ぶ母の気持ちが込められた歌詞になっている。
スローテンポでソプラノ中心な音域なため歌い上げるには相応のスキルを要するのだけれど、この街ではこの歌を歌い上げることで一人前の母親として皆に認められる。そのため、新米夫婦の家から歌声が漏れ聞こえてくるのがこの街の日常だ。
ボクは母親の気持ちがわかるわけではないけど、スノウと一緒に練習したこの曲が大好きだった。子供を生まなかった彼女がボクを自分の赤ん坊として扱って贈ってくれた曲。
養子になったのは八歳の時だ。赤ん坊という年齢ではなかったけどそれがとてもうれしくて、何度も何度も一緒に歌ったっけ。この曲ならどんな相手でも感動させられる自信がある。だからこの曲を選んだ――
「ふぉ~パチパチパチ。ソラ君、本当歌うまいね。歌に無限大のエネルギーと愛情を感じる。想像していた以上だよ。今いくつ?」
「十五です」
「ふむ……年も問題ないか。ヨシュア、この子なら大丈夫そうだ。学園に連れて行くよ~」
学校に通ってはいたのだが、仕事に伴う長距離移動のためあまり通えてはいなかった。勉強は専属の家庭教師に教わっていたので問題は無いと思うが、同年代との交流が少ないボクが、女学園にいって大丈夫なのだろうか。しかも音楽の名門校ときている。
当然プレッシャーを感じる。
だが、ヨシュアが任せてくれた初めての仕事だ。
ボクを拾って育ててくれた二人へ恩返しをするチャンスだ頑張るしかない。
「よし、行こっか」
「えっ、行くって。いまからですか? 何の用意もしてませんよボク」
いくらなんでも急すぎる。
「用意なんかいいからいいから。時間は待っちゃくれないのよ? それと今から君はソラちゃん! いいわね?」
「ソラちゃん? まさかとは思いますが、ボクに女装でもさせる気ですか」
「うち女子高よ? 当たり前じゃない。あ、気にしないでいいわ。うち制服の評判はいいし、みんなかわいい女の子ばかりよ。うれしいでしょ、なにか不満でもあるの?」
「あります! ていうか、すぐバレますって。それと女装したボクは学園で何をやらされるのですか? 仕事内容を聞かされてください精査します」
これは当然の要求だと思う。
でも、この人には無駄だった。
答えが帰ってくる前に首根っこ捕まえられて、車に乗せられてしまったからだ。
「細かい事は機内で話すから、さぁいくよ~」
本当すごいわこの人。
「ユキ、ソラを頼む」
「任せておきな!」
ボクを送り出すヨシュアの顔が気がかりだったが、その心配を吹き飛ばすユキさんの豪腕。