ソラ君とウチのプレリュード第3番
どのくらい意識を失っていたのだろうか?
ふいに覚醒すると、部屋に人の気配が増えている事に気付いた。
「坊やの調子はどうだ?」
この声、あの男だ。
寝顔をさらすのがなんだか腹立たしくて、痛みを堪えて寝返りをうって顔を背ける。
「どうだ? じゃないわよ馬鹿。痛みで高熱が出ている。なんで手加減できないかなぁ……」
「本気で向かってきたからそれに答えただけだ」
「相手は子供よ? 限度ってものがあるでしょう。これから一緒に住む事になるんだからそんなんじゃこれから苦労するわよ」
「ふんっ」
一緒に住むだって? マジで言っているのか……こいつらは……オレはそんなこと――
――頭に人のぬくもりを感じる。
誰かに優しく撫でられているようだ。
「トゥーインクル、トゥーインクル、リートォスタァー」
女は眠りを妨げないように子守唄のような音量で歌ってくれていた。
「ハウアイ、ワンダァーワットユーアー」
どこかで聞いた事のある曲だ。冒頭の歌詞と同じ曲名だったと思う。
ここで目を覚ますのは何か知らないけど恥ずかしい。目はぐっと閉じて起きているのがばれないように、素敵な歌声を聞き逃さないように聞き耳を立てる。
心地よさで体中の痛みが引いていく気がする。
オレは人を騙すために使ってきたが、歌にはこんな力があるのか。
「――ライクァ、ダイヤモンド、インザースカイ」
オレの歌にもこんな力があるのだろうか?
「トゥーインクル、トゥーインクル、リートォスタァー」
もう少しで歌が終わってしまう。
もっと……もっと聞いていたいのに。
「ハウアイ、ワンダァーワットゥユーアー」
歌が終わると、急にいいようのない名残惜しさを覚えた。
それと同時にまた強烈な眠気も……。
「ふふ、おやすみ」
人の温もりと優しさを、オレは生まれて初めて感じた――
朝の日差しで目が覚めると、驚くことに体中の痛みは消えていた。
体を起こし部屋中をベッドの上から眺めていると、程なく女が部屋に入ってきた。
大人に優しくされた事がなかったため、昨日のこともあって何か顔を合わすと体がソワソワする。この初めて沸き起こった得体のしれない気持ちにオレは戸惑った。
「顔色もいいし、すっかり大丈夫そうね。若いって凄い」
「お、おう」
「あれ? 顔まだ少し赤いわね、大丈夫?」
手でオレの前髪をかきあげ、おでことおでこをつき合わせて来る。
「ふむ? 熱はないみたい」
「だ、大丈夫だからやめろよ」
ちくしょう、なんだこの気持ち。
調子が狂いっぱなしだ。
「そう? ならいいわ。服を持ってきたからこれに着替えて」
言われたまま服を受け取り、着替えだそうとすると、熱烈な視線を感じる。
「一人で着替えられる? 手伝うよ」
「ひ、一人で出来るに決まっているだろ!」
女に背を向けて着替えだす、話しかけられだけで胸がドキドキする。
自分の中の得体の知れない気持ちと格闘しながら着替えを終えると、気持ちを落ち着けて女のほうへ向き直る。
すると女は、いつか教会の外の窓から見たことのある聖母の様な優しい顔をしていた。
「うん。私の見立てに間違いはなかったようね、似合っているよ」
「っ」
ダメだ、やっぱり目をあわせる事ができない。
かわりに床を見つめる事しか出来ない自分が情けない。
「これから朝食だから。おいで、一緒に行こう」
手を引かれるようにして連れていかれたオレの手のひらは緊張で汗ばんでいた。
レッドカーペットの敷かれた広い廊下を抜け、螺旋状の階段を降りていくと、沢山の人間が整列してオレ達を待ちうけていた。
そして皆一斉にこちらへ顔を向けて
「スノウ様、お坊ちゃま、おはようございます」
と、お辞儀をしながら声を掛けてくる。
そういえば女の名前はスノウだったか。
思い出した、忘れないようにしよう。
それにしてもだ、あいつらこっちのほうを見てお坊ちゃまとか言っていたな、もしかしなくてもオレのことか?
養子の件、オレ抜きでどんどん話が進んでいっているらしい。
「ふふ、こっちよ」
再度手を引かれ、きらびやかな部屋へ連れて行かれる。そこにはとても大きくて豪華な長テーブルがあった。
その上には見たこともない料理が美味しそうなにおいを漂わせて所狭しと並べられている。急に空腹を覚え、きゅーっと腹の音がなってしまう。聞かれていなければいいが……。
料理に見ほれていると、ふいにテーブルの一番奥に座っている男と視線があった。
昨日オレをボコった男、ヨシュアだった。
睨みつけるが、それがどうしたといった感じに睨み返され、その圧力に思わず目をそらしてしまう。今日は目をそらしてばっかりだ。
「来たか。そこに座れ、食事の時間だ」
「ささ、食事にしましょう」
スノウに席を引かれ着席すると、スノウはそのままオレの隣の席に座った
オレ達二人が着席すると、同じ格好をした少女たちが部屋に入室してきてテーブルにある料理を手早く皿に切り分けてくれた。
空腹を我慢していたオレは手づかみでそれらの料理を食べ、手元にあったスープで喉に流し込む。
手にする料理がどれもこれもおいしい! これならいくらでも食べられそうだ。
腐りかけのクズ肉やカビだらけのパンを食べてきた自分の胃が驚いているのを感じる。無我夢中で食べ続けていると食事が喉につまり悶絶する。どうにか手元にあった甘酸っぱいジュースで流し込むとようやく一息つく。
そこで、ようやく自分に向けられた視線に気づいた。
スノウは笑顔でこちらを見つめていた。
「おいしい?」
思わずコクンとうなずく。
「よかった」
「それはよかったがな、お前には食事マナーを教えてやらないといかんな」
スノウとは違いヨシュアは呆れ顔をこちらに向けていた。
「それは追々でいいでしょ? ねっ」
「そうは言うがな――」
「いいからいいから。さ、私達も食べましょう」
食事もあらかた済ませると苦い泥水のような飲み物が運ばれてきた。
苦くて美味しくなかったが、スノウの勧めでミルクと砂糖をいっぱい入れるとようやく飲めるものになった。最初からこの状態で出して欲しいものだ。
オレが飲み終えるのを見計らっていたのか、二人共オレに話があると言ってきた。
あの話の事だろう。
「ヨシュア、あなたから話して」
「うむ。改めて言おう俺たちは坊やを養子に迎え入れたいと思っている」
やっぱりか。
「私は、私たちと本当の家族になって欲しいなって思っているの」
「え?」
家族……か。
「驚くのも無理は無い。が、ここまで来たからには坊やに拒否権はな――」
「あの人のことは無視していいわ。私もあの人もあなたの事を気にいっちゃったのよ。最初は家族というものに慣れないかも知れないけど、私たちもそれに関しては同じだから、一緒に成長していこうよ。ね?」
昨晩つきっきりで看病されたことを思い出す。
どうしてもスノウを悲しませるのは気が引けて、オレは家族になることを心の中で誓う。すると言葉は意図せず口から出ていた。
「は、はい」
「やったー。みんなパーティーよ! 今日は無礼講よ」
今までの環境ではありえなかった、自分に対するうれしそうな笑顔を向けられて戸惑う。
これでよかったのだろうと思う。
自分の一言がこんなに人を喜ばせる事なんて無かったのだから。
「そうだ、あなたの名前を聞いていなかったわ。教えて?」
「ソラ」
物心ついた時には勝手についていたオレの名前を伝える。
「ソラ……いい名前ね。今日からあなたは私達の家族の一員だよ。よろしく」
新しい家族が出来たヨシュア・スノウ夫妻は三日三晩歓迎会を開いてくれた。
体力の限界まで騒ぎ、食べ、飲み、それまでの人生を取り戻すくらいに笑った。
この二人とならやっていけるかも知れない、そんな予感がした――