【改稿の誘惑/Scripta manentの覚悟】ウェブ上の「記録物」であること。
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問題提起では無く、作者自身の葛藤を綴ったものです。
よろしければ、書き手の皆さん、読み手の皆さんなりの「読んだ作品が、後で改稿されること」についての印象などをお聞かせいただければ、嬉しいです。
いきなり私事ですが、先日、一章ごとに執筆済み完成品を投稿する形式で、足掛け5ヶ月の連載を完結させました。その前の投稿作は全話執筆完了してからの投稿でした。
その経験の中で、書き手としても読み手としても、最も印象深い機能が【投稿「後」の編集機能】です。
良い印象も、悪い印象も含めて感じたことを綴りたいと思います。
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ウェブ情報に代表される、インターネット情報資源の特性は多彩ですが、その一つが「情報が固定し難い」という点です。つまり、将来にわたって『同じ状態であり続ける』保証が弱いこと。専門的に言うならば「アベイラビリティー(availability:入手可能性)」でしょうか。
一般に、ウェブ上の情報の半減期は約2年です。これは、今現在存在しているウェブ情報の内、半分以上が2年後には元々のウェブ上の位置に存在していないという意味です。
興味深い、実際の研究成果(注1)を紹介します。
2001年に収集された約1,100万ページ分のウェブ情報(NW100G-01)のうち、jpドメイン(日本のサーバで運用されているもの)のみに限定した1,000万ページが、収集時点(2001年8月29日~11月12日)のURLと同じアドレスでアクセスできるかどうか、および、Internet Archive(注2)でも元ウェブページが確認できる約400万件を元に、いつ頃にウェブ上から消えたのか、を確認した調査があります。
(※注1:宮田洋輔ほか.“ウェブページの寿命:2001年に存在した1000万ページを対象とした調査”.日本図書館情報学会研究大会発表論文集.東京,2013-10-12.日本図書館情報学会,2013,p33-36.)
(※注2:「Internet Archive」.https://archive.org/)
2013年の追跡調査の主な結果をまとめると、以下の通りです。
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1)同じURLでアクセスできたものは、全体の7.8%
2)アクセスできない理由で最も多いのは、ホストエラー(サーバごと行方不明)で、46.5%
3)アクセスできなくなるまでの平均日数(寿命)は、1,108日、ただし偏差が激しい
4)寿命を1年ごとで細分すると、寿命1年程度が32.2%、2年経過で48.8%、5年で85%
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このデータから言えることは、ウェブ上の多くの情報は1年後には見られなくなっている可能性が高く、5年も経てば8割以上が見られなくなってしまう、ということです。
ここ『小説家になろう』は2004年からの運用ですので、12年が経っています。そう考えると、このサイトで提供されている「ウェブ情報」としての様々な小説類は、全体からみると本当に少数派の「長生きのウェブ情報」ということになります。
その意味では、このサイトで執筆・公開されている多くの小説は「将来にわたって利用できる、記録物」としての役割を十二分に果たしているのですが、本当にそう言い切れるでしょうか。
そこに疑念を抱かせるものが【公開後の編集機能】です。
今から記す内容は、決してこの機能を悪く言うものではありませんし、事後編集が悪いと言うつもりもありません。
『なろう』での小説執筆・公開において、便利であり有意である機能だとと、自分自身思っていますし、それがここ『なろう』の醍醐味でもあろうかと思っています。
ただ、執筆者として、読者として、少しこの機能について皆様にも考えて欲しいと思います。
紙媒体(印刷出版物)としての『書籍』の場合、一度世の中に出てしまったものは、誰にもコントロールできません。「出版の自由」があり、モノとして所蔵した書籍を強制的に取り上げることは、現代社会のほとんどの国においてできません。
#『図書館戦争』の世界設定も、これに関連することですね。「表現の自由」は侵せないので「モノだけを事後取り締まる」架空の法律を制定した訳です。それに対抗したものが『図書館の自由に関する宣言』における「収集・提供の自由」です。閑話。
よって、例え著者自身であろうとも、一度自分の手元を離れた書籍の文面を勝手に書き換えることは出来ません。情報を固定し、将来にわたって同じ情報を得られる状態を作り出すこと。これが「記録(record)」の本質です。
ですが、ウェブ情報は違います。
確かにアーカイブ(ローカル保存や魚拓等)により、保存することは「可能」ではありますが、それが「本来の姿」ではない。現在のウェブの仕組み(クライアント・サーバシステム)においては「どのような情報を公開提供するか」「いつまでその情報を公開するか」は、提供者・作者にゆだねられます。
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具体的に『なろう』の小説でお話します。
自分が書いた小説を公開した後、後からいくらでも文言を修正できます。場合によっては削除も可能です。よって、投稿公開後、誤字脱字の修正を始めとして「手直し」をすることは、気軽に盛んに行われています。
これは『なろう』小説の良いところでもあります。
紙の書籍になってしまえば、増刷がかかった際に直す例外を除けば、誤字脱字すら直せません。ストーリー展開に関わる誤りがあっても直せません。当然、自分が納得いかなかったからといって直すこともできません。それが「書籍化」の怖ろしさです。
だからこそ「編集者」があり、「校正者」があり、著者自身も何度も何度も推敲を重ねて、ようやく「出版」にこぎ着けるのです。
ですが、『なろう』では、後からいくらでも直せます。人間ですからミスは必ずあります。また「編集者」「校正者」がいるわけではない私達にとって、公開後の他人の目(読者からの指摘)は、大切な「編集者・校正者」の代わりとなります。その「第三者」を、助け合い・読者・支援者からの感想・メッセージという形で受け取ることができ、それを元に自分の作品をより完成されたものに近づけてゆく。これは本当に得難いことです。
『なろう』での作品投稿を、インフォーマル・コミュニケーション(非公式)のものと捉えれば「編集機能」は『ネット小説』ならではの長所として素晴らしいものであると言えます。
ですが、『なろう』も広大なインターネット上で流通するネットワーク情報資源の一つです。「記録物」です。特にグーグル等のサーチエンジンで容易に検索される、表層ウェブ(オープンな情報)です。つまり、世界中の人々にとって「公開されて自由に閲覧できる記録物」です。
先の調査結果にあるように、全体的に見れば寿命の短いウェブ情報資源群にあって、十二分に「寿命の長い」ウェブ情報として存在しながら、実際の『なろう』の小説は、時間の経過につれて「同じモノ」である可能性が低くなるのです。
誤字脱字程度の改編は、いいでしょう。読者の反応をみて、語彙や文章表現の方法を変えるのも、小説執筆の練習をするという意味では大変重要です。これもいいでしょう。大いにやってしかるべきかも知れません。
ですが、物語そのもの、情報としての価値そのものを変更してしまうような「改編」をした作品は、もはや「同じ作品」ではありません。
ストーリー展開の変更、話単位での話構成の組み替え、登場人物の氏名等の変更……これらは「未完の作品について、非公式での交流を通してブラッシュアップ(磨き直し)をする」という意図でしか、本来行うべきでないことだと、個人的に考えています。
確かに文学賞などに応募して書籍化される作品は、大いに改稿されます。ですが、多くの場合、それらの「投稿作品」は「(書籍製品としては)未完であり、手直しすることを前提とした限定公開」のものです。また、プロでも連載作品を単行本化する際に、大いに手直しをすることがあります。ですが、この場合「以前のバージョン(連載時のもの)」はどこかに残っています。(例えば新聞連載や雑誌連載であれば、少なくとも国立国会図書館で連載時のものを見ることができます)
ですが『なろう』では違います。
修正した後のモノしか残りません。その前のものは、著者以外の誰も「公式には」見られないのです。(例外的に、ダウンロード保存したりPDF化して残すことはできますが、それはあくまで「個人的な行動」に過ぎません)
各話の後につく【20yy年mm月dd日(改)】の、この【(改)】印。ポインタをあてても、改稿年月しか分かりません。改稿場所はおろか、何度改稿されたのかさえ分かりません。もうこうなれば、最初に投稿した情報は「寿命」が過ぎています。新しいものになっている。同じではないのです。
最初にも断りましたが、自分自身は決してこの機能や「改稿」そのものが悪いとは思いませんし、それを主張したいわけではありません。読者の立場にたってみても、よりよい作品に変わるならば「改稿」してくださる方が嬉しいでしょう。著者としても、自分の作品をよりよいものにするためには「改稿」による手直しは必要です。
ですが【投稿する】をクリックした瞬間に、それは「記録物」として世の中に流通する、つまり「本屋に並ぶ書籍」と同じ土俵に立つのだということを忘れないでください。
読者の目にとまり、継続して楽しんで貰うために、定期的に投稿をすることは、ここでのテクニックとしては重要かも知れません。でも、あなたが「消耗品として消えてもいいもの」を生み出しているのではないのなら。「作品」を生み出しているのならば、せめてそれを「その時点で満足できる水準」まで作り上げてから「投稿する」をクリックして欲しいと思います。
それが「記録物」を生み出す責任だと思います。
【Verba volant, scripta manent】という、元はローマ元老院での演説だというラテン語の格言があります。
日本語訳は【言葉は飛び去るが、書かれたものは残る】――「記録」の大切さを説いたものとして有名で、自分が今いる業界に入った際、座右の銘というか心の拠り所としている言葉の一つです。
ここ『なろう』で投稿を始めた際に、自分の戒めとしてフォルダ名に使っているくらいです(笑)
【scripta manent】――【書かれたものは、残る】の覚悟、皆様はどのように意識されているでしょうか。
今回、初めて本当の意味での「連載」(全体の執筆が終了していない内に、一部を公開する)形で作品を書いてみての苦労が、このエッセイになりました。
自分自身は「一度、投稿公開したら、誤字脱字以外は原則直さない!」を戒めとしているので、その分、投稿する直前まで、自分が納得してあきらめがつくまで推敲を重ねる人です。その代わり、後で振り返って物語り構成などにアラを発見し、orz…となっても次回の反省に回します。
ですが、今回は「改稿」の誘惑と何度も戦いました。言うは易し、ですね。今のところ我慢できていますが……。
「我が子」は、産み直し・育て直しできないものなんですよ……作品しかり、人間しかり(……orz)
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