3
物語に始まりがあるように、物語には終わりがあるというものだ。
僕は、目の前に小さな建物があることに気がついた。
どれだけ、自転車のペダルをくるくると回し続けたかはわからない。目の前に見えてきた建物が僕の気持ちを安堵させた。
自転車のペダルを回す回数が多くなるにつれて、小さかった建物もどんどん大きくなっていった。
全体的に白い建物であったが、第一印象としては「病院だろうか」と僕は思った。
僕は、自転車を建物の横に停めて、降りた。
スタスタと入り口付近まで歩いて、周りを見渡した。そろそろ日が暮れてしまいそうなことに気がついた。そろそろなんとかしないと暗闇の中で一夜を過ごすことになってしまう。
「誰かいますか」
僕は、叫んでみた。特に返事はなかった。反応がなかったとはいえ、そろそろ日が落ちる。早いところなんとかしないといけないという気が僕を前に進ませた。
僕は、恐る恐る病院らしき建物のドアを前に押して開けた。重そうな扉の外見とは裏腹に、思いの外軽く開いた。
内部は、荒れている印象はなかったものの、人がいるような雰囲気ではなかった。黄緑色のビニール製のカバーがかかったソファーが数個おいてあったり、受付カウンターが目の前にあった。周りの壁には虫歯予防キャンペーンなるポスターが貼ってあったから、ここは歯科医院であると判断した。
「電気はないだろうか……」
あたりを見回して、電気のスイッチらしきものがないか確認した。そもそも、ここに電気が通っているかどうかの保証などないのだが。
しばらく探して、スイッチらしきものを見つけて押したが、やはりつかなかった。僕は「そりゃそうだ」とつぶやいて、受付のソファーのほうに戻った。歩きながら僕は、この先のことを考えた。何度も何度も同じことひたすら考え続けた。この先どうなるのだろうか。生まれてはじめて感じる孤独だった。
ソファーに横になると、一気に疲労が僕の体から飛び出してきた。足が鉄パイプかというくらい硬く重くなった。眠気も尋常ではない。光と安息の地を探さないという使命感だけで、自転車を漕いでいたのだからその意識がふっと切れてしまうと一気に体に重みがくるのは無理がないことである。
僕は、眠りにつくことにした。眠りについてしまえば、周りが暗かろうがなんだろうが気にならない。できれば、目を覚ました時に元の世界に戻っていることを祈るばかりだ。おやすみなさい。
やはり、疲労感がすごかったのが、僕は病院の窓から入ってくる朝の日差しによって目を覚ました。
ぐぐっと両手を天井に向けての走った。「うぐっ」という声とともに、凝った体のコリをほぐすことに僕は成功した。
ソファーから下りようと思った瞬間だった。
僕の目の前に、黒い猫がいることに気がついた。歩いている途中だったのだろう。尻尾を立てたまま僕の方を見て静止していた。
ひさしぶりの生き物に僕は興奮を覚えた。今にも飛びつきたくなるような勢いではあったが、そんなことをしてしまったら逃げられてしまうと思い、その感情を押し殺した。
何分間かその状態が続いた。彼は僕を敵ではないと認識するまでひたすら待った。
さらに何分か後にようやく彼は警戒を解いた。その場に、座ったのである。
僕は、恐る恐る彼に近いっていった。彼の前に座ることに成功した。
「ありがとう」
そう言って、彼の頭を右手でさすった。
「どういたしまして」
僕は、彼の右手をさすって、動物の感触をかみしめていた。僕はお腹が空いてはいたけれど、孤独感のほうが辛かったから、生きているものに触れる感動は非常に嬉しかった。
どういたしまして?
僕は、あたりを見回した。
ここに人間の言語を操るものは僕だけだろう。人の気配なんてない。
僕は、右手で黒猫をさすり続けた。
「そろそろ、頭の毛がねじれて、火でも起こせるんじゃないかと思うくらい痛いからやめてくれないか」
そろそろ空耳じゃないかと思ったが、どうやら違うらしい。僕は、目の前にいる動物を凝視した。
「しゃべれるのか」
「当たり前だ」
猫が喋る世界。ああ、いよいよ普通の世界じゃないんだなと思った。