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僭王記  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(六)


 自由都市ドレイクの代表者は誰かと問われれば、多くの者がパルジャフ・リンドガルの名前を挙げるだろう。

 パルジャフはドレイク評議会において議長をつとめ、事実上の元首としてドレイクの施政をつかさどる立場にあり、優れた政治手腕で今日まで自由都市の繁栄を支えてきた。

 対外的な交渉能力も高く、ドレイクがシュタール帝国から自治権を勝ち得たのはパルジャフの才覚によるところが大きい。

 また、リンドガルという姓は旧リンドドレイク王国の血筋を引いていることを示しており、その意味でもドレイクの長として相応しいと考えられていた。



 パルジャフは四十五歳。鷹が翼を広げたような精悍な眉と、顔の下半分を覆う豊かな黒髯が印象的な人物で、両眼には高い見識と安定した知性をうかがわせる穏やかな光が瞬いている。

 ドレイクが毎年のように生み出す富を考えれば、議長であるパルジャフは小国の王よりもはるかに豊かな生活を送れるはずだが、自分を律する辞書に「妥協」の文字を載せていないパルジャフの生活ぶりはきわめて質素である。

 その徹底ぶりは、政敵のみならず、一族や配下の中からさえ「吝嗇りんしょく」という不満が生じるほどだった。



 このように、都市の内外からドレイクの最高権力者と目されているパルジャフであるが、誰はばかることなく評議会を牛耳っているかといえば、決してそんなことはなかった。

 むしろ近年では、評議会の議事がパルジャフの思い通りに進む方がまれである。

 その理由となっているひとりが、低く濁った声でパルジャフに話しかけてきた。



「おや、元首どの。なにやらお疲れの様子であるが、大丈夫ですかな?」



 たるんだ頬、たるんだあご、たるんだ腹。過度の美食と漁色でバランスが崩れた身体を金銀細工が覆っている。

 それがドレイク評議会帝国派の領袖ラーカルト・グリーベルの外見であった。

 パルジャフとは対照的に眉もヒゲも、ついでにいえば髪の毛もわずかしか残っておらず、大きく見開かれた円らな両眼がパルジャフに奇妙な圧迫感を与えてくる。

 話しかけられたパルジャフの顔に嫌悪感が浮かぶことはなかった。少なくとも表面上は。



「ご心配いただき恐縮だ、ラーカルト卿。体調に問題はない。それと、この身は元首ではなく議長に過ぎぬ。間違いのないように願いたい」

「失敬失敬。許されよ、元首どの」



 ひひ、と耳障りな笑い声をあげるラーカルト。

 それを見たパルジャフの黒髯がわずかに揺れたが、ヒゲで隠れた口の動きを読むのは、たとえ読唇術の大家であっても不可能だったに違いない。

 そんな二人に声をかけたのは、すらりとした長躯と瀟洒な雰囲気をあわせもつ、いかにも貴族然とした人物であった。

 王国派評議員の筆頭フレデリク・ゲドである。



「仲良きことは美しきかな。お二方の友好を妨げるつもりは毛頭ありませんが、この場に集いし評議員の方々はいずれも多忙の身。この身もこれから七つばかり約束を抱えておりましてな。かなうならば、早々に議事を進めていただきたく思うのですが、議長閣下」

「……失礼した、フレデリク卿。お言葉どおり、早速本日の評議を始めるといたそう。ラーカルト卿もよろしいか?」

「無論無論。私もこれから七人ばかり女を抱く用件を抱えておるゆえ、はよう終わるならそれに越したことはないわい」



 その言葉に帝国派の評議員からわずかに笑い声が起こったが、それもすぐに消える。

 かくて、いつものように寒々とした空気の中、ドレイク評議会が始まった。




 幾つかの報告。幾つかの提案。幾つかの決定。

 熱のない会議は実り少なく淡々と進められていく。その流れが止まったのは、明後日に控えた公開処刑の件が議題にのぼった時である。

 といっても、すでに事態はラーカルトによって九分九厘まで進められており、今さら反対を唱える者はいない。

 この場にいる評議員たちは処刑される緋賊が偽物であることを知っているが、望まずして眉を赤く塗られた者たちはいずれも重罪人であったから、憐れむ声もあがらなかった。



 パルジャフが口にしたのは、偽物の緋賊を処刑した後、本物の緋賊がなお活動を続けた場合の対処である。

 緋賊を公開処刑することで民心の安定をはかる。これは確かに効果があるだろうし、奇妙な高まりを見せている義賊という評判を打ち消すことも期待できる。

 ただ、処刑するのはあくまで偽物であり、本物の緋賊に痛手を負わせているわけではない。最悪の場合、今回の件をきっかけとして緋賊の活動がより過激になる恐れもあった。



 近年、緋賊による被害は増え続けているが、彼らに関する情報は遅々として集まっていない。

 パルジャフはこの武装集団に無視しえないものを感じはじめており、今回の一件が悪い方向に転がってしまった場合に備え、今のうちから対処を定めておくべきだ、と考えていた。

 しかし――



「不要不要。一度で駄目なら二度、二度で駄目なら三度、奴らが暴れるたびに公開処刑を繰り返してやればよい。市民どもも娯楽が増えて喜ぶだろうて」

「それだけの重罪人をどこから用意するというのだ、ラーカルト卿」



 ラーカルトの言葉にパルジャフが疑問を投げかける。

 すると、ラーカルトは迷う素振りも見せずに言い放った。



「重い罪を犯した者がいないのなら、軽い罪の者をあてればよい。それもいなくなったら、適当に奴隷を見繕えばよかろう。逃亡した奴隷、反抗した奴隷、役に立たぬ奴隷。奴隷は我らの財産であるが、斬っても惜しくない者なぞ掃いて捨てるほどおる。それでも足りなくなったら、貧民窟の貧乏人どもを狩り立ててしまえ」



 それを聞いたパルジャフの眉が勢いよくつりあがる。

 ドレイク議長にとって、今の放言はとうてい容認しえないものであった。



「セーデ区に暮らす者たちが我らを脅かしていたのは何年も前のこと。近頃は道も掃き清められ、近隣の街区との揉め事もとんと聞かなくなっている」

「それでも彼奴らは都市に住む者の義務である税をおさめておらぬ。つまりは犯罪者よ。わしらの目の届かぬ所で、以前のように幻覚草を栽培しておらぬとどうして断言できようか。そもそも、あのような薄汚い区画がいつまでも残っていること自体、議長どのの責任が問われるところではないのか?」

「……それについては、この身の力不足を諸卿に詫びるほかない」



 相次ぐ帝国と王国の介入を阻むため、寝食をけずって奔走しているパルジャフにはスラムの対処に費やす時間がない。そのことを承知した上でのラーカルトの発言だった。

 ここでフレデリクが口を開く。



「議長どの、お顔を上げてください。お忙しい議長どのに貧民窟の対処まで任せるのは酷と申すもの。この場にいる諸卿は皆そのことをわきまえております。どうして議長どのを責めたりいたしましょうか」



 この政敵の言葉にラーカルトが黄色い目を光らせた。

 分厚い唇がいやらしく歪められる。



「ほほう。まことにそう思っているのなら、卿みずからお忙しい議長どのになりかわってスラムを清めてきたらどうか」

「おお、それは実に素晴らしいお考え――と言いたいところなのですが、議長どのに及ばぬとはいえ、この身も多忙なのですよ、子爵閣下。さきほども申し上げたが、この後も面会の約束が詰まっておりまして。近頃、自由になる時間といえば、就寝前に我がアルセイスでつくられた白ワインを傾けるときだけなのです」



 ラーカルトのあてこすりなどまったく意に介していないフレデリクの返答だった。

 それを聞いたラーカルトが苦々しげにあご肉を震わせる。



「ふん! まあよいわ。ところでいま、我がアルセイス、と聞こえたが? そなたはドレイクの評議員であると思うたが、わしの心得違いであったかのう?」

「おお、これは失礼いたしました。この身はあくまでドレイクのために働く評議員。グリーベル子爵閣下の仰るとおりでございます」



 臆面もなく言い放つと、フレデリクは大仰に一礼した。

 顔をあげたフレデリクは、パルジャフに対して結論づけるように言う。



「そもそも此度の公開処刑は緋賊を撃滅するまでの、いわば一時しのぎに過ぎません。次の一時しのぎの算段をたてるよりは、大本たる緋賊の撃滅を話し合う方がはるかに有益でありましょう。野盗の跳梁は交易都市の根幹に関わる一大事ゆえ、貧民窟の問題とは違って議長どのの粉骨砕身の努力を期待してもかまいますまい」



 その言葉にすかさずラーカルトも追随した。

 わざとらしく腕を組んで大きくうなずく。



「ふむ、そのとおりであるな。公開処刑の算段はわしがつけたのだ。肝心の野盗の撃滅は議長どのに任せてしかるべきであろう。むろん、議長どのが手に負えぬと申されるのであれば、その役割を代わるにやぶさかではないが」

「不肖このフレデリクも、いつなりと議長どのに助力する心積もりでおります。そのこと、評議員の皆様が集まったこの場で誓わせていただきましょう」



 帝国派の領袖と王国派の筆頭。

 二人の立場は異なるが、独立派を率いるパルジャフの権威と影響力をできるかぎり削ぎ落としたいという狙いは共通している。

 結託する両者に対してパルジャフは感謝の意を示した。示してみせるしかなかった。




◆◆◆




 その夜、アトはリッカと共にひとりの女の子の部屋を訪れていた。

 緋賊の本拠の中でも五指に入る上等な部屋のひとつ。そこで起居する少女の名をツキノという。リッカの妹であり、およそ一月前、アトと共にセーデにやってきた子供である。



 寝台に身体を横たえるツキノの顔色は青白く、頬はこけ、目はくぼみ、手足は驚くほど細い。本来は母や姉と同じ黒色である髪は、極度の栄養不足のせいでくすんだ灰色へと変化しており、姉とアトを見上げる瞳は白濁していた。おそらく、アトたちの顔はほとんど見えていないだろう。



 今のツキノは誰の目にも等しく病人だと映る。

 事実、ツキノは自分の足で歩くこともままならない状態であったが、実のところ、これでもかなり回復したのである。

 一月前、ある盗賊団のアジトから救出された時のツキノは、過酷な労働と貧相な食事のせいで片足を冥界に踏み入れたような有様だった。



 緋賊によって救出されたツキノは、薬師でもあるカイの尽力と、祖父、母、姉の献身的な介護の甲斐あって命の危険を脱することができた。

 しかし、失われた身体機能はすぐには回復しない。最悪の場合、一生もとに戻らない可能性もあると指摘されている。

 故国を奪われ、奴隷に落とされ、己の身体さえ思うように動かせぬ。

 年端もいかない少女にとって過酷としか言いようがない境遇であった。



 救いがあるとすれば、ツキノ当人が回復に強い意欲を持っていることだろう。

 逆に意欲がありすぎて、手足の筋力を戻す運動をする際、母のスズハや姉のリッカが止めに入らないといけないこともしばしばだった。

 アトとリッカを部屋に迎えた今も、顔色こそ悪かったが、ツキノの声に暗い影はない。かすれた声で、それでも嬉しげに二人の来訪を歓迎した。



「お姉ちゃん、アト姉様も、いらっしゃいませ」



 そういって上体を起こそうとするツキノ。リッカは慌てて傍に駆け寄り、妹の身体を支えてあげた。

 本当なら横になっていて欲しいのだが、あまり周囲の人間が病人扱いするのはよくない、とカイに言われていたので、それを口にするのは思いとどまる。

 病人扱いしないという意味では、身体を支えるのもやめた方がいいのかもしれないが、さすがにそこまでは無理だった。



「ありがとう、お姉ちゃん」

「どういたしまして」



 そういってリッカは自分の額をツキノのそれに軽く触れさせる。その口から安堵の声がもれた。

「うん、熱は大丈夫そうね」

「お姉ちゃんは心配性だね。大丈夫、最近は身体の調子もずいぶん良くなってきたんだから」

「おととい、そう言って無理して身体を動かして、昨日一日、熱を出して寝込んでいたのはどこのどなただったかしら?」

「あう……ごめんなさい」



 つい昨日のことを引き合いに出され、ツキノは肩をすぼめる。

 もちろんリッカも本気で怒っているわけではない。それを伝えるために、優しく妹の髪を撫でてやった。その際、ツキノに気づかれないように唇を引き結んだのは、指から伝わる髪の感触が、女の子のものとは思えないくらい硬く乾いていたからである。

 奴隷として酷使された影響がこんなところにも残っている。そのことにリッカは強い怒りを覚えた。



 故郷を失った後、奴隷に身を落とした境遇はリッカも妹とかわらない。だが、リッカは母と離れ離れにならずに済んだ上に、リッカらを買った隊商キャラバンには理由なく奴隷を虐げようとする者はいなかった。

 その後、母娘は色々あって緋賊に加わることになり、祖父のセッシュウとも早いうちに再会することができた。



 目の前のツキノや、いまだ行方の知れない妹サクヤに比べ、あまりにも幸運だったといえる。

 むろん、そのことにリッカが引け目をおぼえる必要はまったくない。ツキノが恨みごとを述べたわけでもない。

 それでもリッカは自分に対して怒りを覚えていた。他の誰をも恨みようがないリッカにとって、責める相手は自分くらいしかいなかったのである。




 ツキノの体調を考えれば、あまり長話をするわけにもいかない。くわえて、アトとリッカは明後日に行われる襲撃のためにやっておかねばならないことが幾つもあった。

 おやすみの挨拶をして部屋を出た二人は、そのまま一緒に廊下を歩いていく。

 その途中、ふとリッカの足が止まったのは、いまださめやらぬ怒りの残り火が胸中でくすぶっていたせいだったかもしれない。

 怪訝そうに振り返るアトに、リッカは面差しを伏せながら低い声で問いかけた。



「どうして……」

「え?」

「どうして、こんなことをしないといけないんでしょうか?」



 顔をあげたリッカの目に光るものを認めたアトは、とっさに返答に迷ってしまう。

 リッカが言わんとしていることに見当がつかなかったからではない。見当がついていたからこそ、安易な答えは返せないと思ったのである。

 リッカの口から堰を切ったように言葉が溢れ出た。



「おじいちゃんにお母さん、ツキノ、それにあたしのことを助けてもらったのは感謝してます。でも、ここに来てからずっと、戦い、戦い、また戦い。そればっかり。戦いに出るたびにたくさん人が傷ついて、死んじゃった人もたくさんいるのに、それでもあの人は戦うのをやめようとしない」



 あの人、というのがインを指しているのはアトならずともわかっただろう。

 負傷者の治療は主にカイの役割であるが、時に何十人と出るけが人すべてをカイが診ることはできない。リッカはカイの手伝いをしながら、戦いのたびに負傷して苦しむ人たちを見続けてきた。治療の甲斐なく死んでいく人を看取ったこともある。

 そういった人たちはセーデの一画に葬られることになっており、リッカは母親と共にときどき花を手向けにいく。そして、行くたびに増え続ける墓標の数を見て、心を寒くしてきたのである。



「感謝してるんです。本当に、感謝してるんです。でも、でも、こんなに戦う必要があるんですか? 戦いをやめたって、ここに攻めて来る人なんていないじゃないですか。もしいたとしても、あの人やカイ先生、それにアト姉さんたちがいれば、やっつけることは出来るはずです」



 リッカは怖かった。

 このままセーデにいれば、イン・アストラの下にいれば、いつか周りの人たちすべてが死に絶えてしまうのではないか、と。

 いつか母から聞かされた物語が思い浮かぶ。道化師が奏でる笛の音に導かれ、姿を消した子供たちの話。

 インが吹く戦いの角笛は、いつか祖父を、母を、妹を、そしてリッカ自身を死の淵に突き落としてしまうのではないか。そう思えてならなかった。



 不安を訴えるリッカに対し、アトは慰めの言葉をかけることができない。

 リッカが訴える不安は、アトが緋賊に対して抱いている懸念と同義だったからである。



 緋賊は――インは人を殺しすぎるのだ。



 総数が少ない緋賊にとって情報の漏洩は存亡に直結する。だから、刃を交えた相手を生かして返さないことを無慈悲だ残虐だと非難するつもりはない。そうした襲撃で得た戦果で、アトやリッカが腹を満たしているのは確かな事実なのである。

 ただ、苛烈な攻撃は対価として激しい反撃を招く。武器を捨てても助からないとわかれば、相手も命懸けで立ち向かってくる。結果、死傷者が増えるのは避けられないことだった。



 リッカは幼い身でそうした死傷者と向き合ってきた。それこそ日常的に。

 そこにきて今度は都市内の評議員の邸宅を襲撃するという。

 リッカの心が悲鳴をあげたのは、むしろ当然のことだったのかもしれない。



 結局、アトは泣きじゃくるリッカに最後まで何も言えなかった。

 なだめるようにリッカの肩に手をおき、母のスズハのもとまで連れて行く。スズハは器量よしのリッカがそのまま大人になったような女性で、この母娘が並ぶと時に姉妹のように映る。

 娘とは対照的に物静かで控えめなスズハであったが、察しの良い賢婦人でもあり、アトの短い言葉で事態を正確に把握したらしい。アトに礼を言ってから、優しく娘を抱きしめる。

 ひときわ高まるリッカの泣き声。その悲痛な声に耳を打たれながら、この時、アトはひとつの決意を固めていた。




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