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僭王記  作者: 玉兎
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第七章 蹂躙(七)

 この日、ガンプを巡る攻防は過去最大の激しさを見せ、戦局は二転三転して容易に決着がつかなかった。

 第一の転機はウルリッヒによる公宮襲撃である。

 第二城壁の失陥こそ想定内であったものの、この奇襲は完全に守備側の意表をつき、公宮はあえなくウルリッヒによって占領される。

 公宮上に掲げられたドルレアク軍旗によってその事実を知ったガンプの軍民は動揺を禁じえず、対照的に討伐軍将兵は勝利を確信して士気を高めた。

 喊声をあげて攻勢を強める討伐軍の前に、ラーラベルク軍は防戦一方となる。もしこのとき、ラーラベルク公爵みずからが愛槍を引っさげて陣頭に立たなければ、おそらくラーラベルク軍は敵の勢いに飲み込まれていただろう。



 熊戦士ベルセルクと称えられるヘルムートの剛勇は、波濤はとうさえぎる巨岩のごとく乱戦の中で屹立きつりつし、決して倒れることも、飲み込まれることもなかった。

 公爵みずからの奮闘を目の当たりにしたラーラベルク兵は、驚き騒ぐ自分たちを恥じ、覚悟を決めて討伐軍と向かい合う。

 戦場となったガンプの街路は、もともとの構造にくわえて、守備側が主要な道を塞いだことで迷路のようなつくりになっていた。勝利を確信して勢いに乗った討伐軍は、遮二無二しゃにむに突撃を繰り返し、ラーラベルク軍はその都度、これを誘導し、分断し、包囲し、撃滅していく。公女レオンハルトが考案し、各部隊の指揮官に叩き込んだ戦術は、公女不在の中でも十分に機能した。



 公爵の剛勇と、公女の作戦。

 この二つを軸としてラーラベルク軍は討伐軍の攻勢を押しとどめ、のみならず、自分たちから討って出て、敵兵を押し返し始める。

 この逆撃は討伐軍にとって予想外のものであり、市街地における両軍の戦闘は一進一退の膠着状態こうちゃくじょうたいとなった。

 この間、ヘルムートは公宮奪還のため、一兵でも惜しい前線から二百もの兵士を抽出し、後方へと差し向ける。一歩間違えれば敗北のきっかけにすらなりえた賭博的な決断であったが、結果としてこれは奏功そうこうした。

 ほどなくして、公宮の上空に翻っていたドルレアク家の旗がひきずりおろされ、ふたたびラーラベルク家の旗が掲げられたのである。



 これを見たラーラベルク兵とガンプの住民の歓呼の声は鉱山都市全体を揺るがせる。

 同じ光景は攻め寄せていた紅金騎士団、およびドルレアク軍の目にも映っていた。彼らは公宮占拠が失敗したことを悟り、討伐軍の攻勢は目に見えて衰える。

 このとき、討伐軍の主力部隊を指揮していたのはドルレアク公爵の寵臣であるテニエス伯ヴェンデルであり、優れた統率力と沈着な判断力をあわせ持つ壮年の指揮官は、これ以上の攻撃に益はないと判断、日没を期に矛を収めた。



 形としてはラーラベルク軍の防御を崩しきれなかった討伐軍の敗北である。

 しかし、見方をかえれば、討伐軍はこの半日で第二城壁を突破し、ついにガンプ内部に侵入を果たしたことになる。ガンプ攻略は着実に進行しており、その意味でラーラベルク軍は昨日よりも確実に追い込まれていた。



 両軍は互いに戦闘後の後始末に忙殺ぼうさつされながら、敵陣の動きを注視し続ける。

 夜闇が安寧あんねいをもたらすものでなくなってから間もなく一月。

 決着のときが近づきつつあるのは誰もが感じていたが、それがいつになるのか、また、どんな形で訪れるのか。この二つを正確に予測しえる者はどこにもいなかった。




◆◆◆




 討伐軍の本陣となっているドルレアク公メルヒオールの天幕は、ドルレアク公都ドラッへの謁見の間に匹敵するほどの大きさを持っている。

 東方の絹帝国ザイデンから特別に買い求めたこの天幕は、すべて絹によって出来ており、神々や霊獣、草花の刺繍が細かく施されている。

 メルヒオールはこれをあがなうために五万枚の金貨を支払った。これをドルレアク公爵家の富強の象徴とみなすか、浪費の象徴とみなすかは見る者次第であろう。



 現在、その天幕では軍議が開かれていた。

 ドルレアク軍の主要な指揮官は全員そろっており、紅金騎士団からも団長ルドラが参加している。

 その彼らの視線はメルヒオールの前にひざまずくウルリッヒに向けられている。

 公宮占領を諦めたドルレアク家の公子は、側近であるリュディガーの献言にしたがって兵を退き、抜け道をとおって帰還していた。



 二百の囚人兵は壊滅、三百を数えた直属部隊にも百近い被害が出ており、ウルリッヒの手勢の数は半減している。

 それだけ見れば惨敗といえるが、ウルリッヒが仕掛けた奇襲の効果は無視できるものではなく、功績と失態を比べれば明らかに功績が優る。

 その確信があるためだろう、一連の戦況を父公爵に報告するウルリッヒの表情はふてぶてしさに溢れていた。




 ――しばし後、報告を聞き終えたメルヒオールは無言でウルリッヒを見据えた。

 父公爵の鋭い眼差しにウルリッヒは一瞬怯んだが、ここでうつむけば自ら非を認めるようなものだ、と胸を張る。

 ウルリッヒは『偶然』発見した抜け道をとおって公宮に奇襲をしかけ、これを陥落させた。しかる後、奇襲の効果はもう十分だと判断して『整然と』退却してきたのである。

 功績を独占するために情報を隠蔽いんぺいした事実もなければ、ひとたび捕らえた公爵家の一族を油断から逃した挙句、敵の攻撃を防ぎきれずに公宮を奪還されてしまったという事実もない。



 そんなウルリッヒに横合いから声がかけられる。

 落ち着きと鋭気を感じさせる声の主はテニエス伯であった。

「たまさかラウラ鉱山に踏み込んだ日に、たまさか公宮の裏手に通じる坑道を見つけるとは、公子は実に幸運でございますな。あやかりたいものです」

 テニエス伯はいかにも感嘆したように言ったが、ウルリッヒの情報隠匿じょうほういんとくを疑っているのは誰の目にも明らかであった。

 だが、証拠は何もなく、詰問したところでウルリッヒが白状するはずもない。だからテニエス伯は異なる方向から、これを責めることにした。



「しかし、そのような抜け道を発見なさったのでしたら、どうしてすぐに報告してくださらなかったのか。本陣に待機していた精鋭部隊をもってすれば、一気にガンプを陥落させることもできたでありましょうに」

「千載一遇の好機を逃さぬためだ、テニエス伯。へたに味方に知らせれば、その動きから敵にこちらの狙いを察知されてしまうかもしれぬ。ゆえに速やかに行動し、速やかに公宮制圧をはかった。もとより、それが父上から与えられた任務であったゆえな」



 それを聞いたテニエス伯は首を傾げる。

「なるほど、そうして素早く公宮を占領なさった手腕はまことにお見事でござった。しかし、それならばどうして占領した公宮を捨てられたのでしょうか? ラーラベルク兵の大半は前線に出ていたはず、あえて公宮を捨てる必要があったとは考えにくいのですが」

 ウルリッヒはじろりとテニエス伯を睨んだ。

「一部隊のみで敵本陣を強襲し、公宮を占領し、なおかつ前線より数百の兵を引き出すことに成功した。奇襲の効果としては十分だと考えたゆえ兵を退いたまでだ。この判断を早計だったと非難するのは勝手だが、その場合、俺がここまでお膳立てを整えてやったのに、敵軍の備えを破れなかったおぬしらの不手際も非難されてしかるべきと心得よ」


 いっそ傲然ごうぜんと、ウルリッヒはテニエス伯に言い放った。

 責められるべきは敵軍を追い詰めることができなかったテニエス伯らの主力部隊であって、別働隊を指揮した自分に落ち度はないという態度である。

 これに対してテニエス伯はすっと両眼を細めて反論する。

「お膳立てを整える? 行動開始の通達もなしに独行どっこうなさった方のお言葉とは思えませぬな。先の軍議で我らをぬるいと断じ、自分ならば一息でラーラベルクの死命を制することができると豪語なさったのは公子ご自身であらせられる。それに失敗した途端、あたかも友軍のために動いたかのごとき物言いをなさるのはいかがなものか。率直に申し上げて、責任を回避しようとなさっているとしか思えませぬ」




 ウルリッヒとテニエス伯の間にたちこめていた険悪な空気が、刃の気配を漂わせ始めた。

「……ほう。臣下の分際で嫡子たる俺を卑劣漢ひれつかん扱いするか?」

「言葉が過ぎたようでしたら謝罪いたしましょう。しかし、今は軍議の最中でござる。第二城壁を攻め落とし、都市内にまで踏み込んだ勇敢な兵たちの功績をないがしろにする言動は看過かんかできません」

 口論は次第に白熱していき、それにともなってウルリッヒとテニエス伯以外の口は重たくなっていく。

 両者の言い争いに口を挟めば、後継者争いに巻き込まれかねない。そのことを承知しているゆえの沈黙であった。




「やめよ」

 ドルレアク公メルヒオールの冷厳な声が響く。口をつぐんだウルリッヒとテニエス伯を見やったメルヒオールは、まず嫡子の名を呼んだ。

「ウルリッヒ」

「は、なんでございましょうか、父上」

「戦においてしんに忌むべきは敗北ではない。戦う相手は木偶でくではないのだ、時に敗れるのは是非もないこと。ゆえにしんに忌むべきは敗北にあらず、敗北を隠すことである。それはただ敵に敗れるのみならず、己を腐らせる醜行しゅうこうよ。人が腐れば国も腐る。亡国の兆しとなる行いは厳に慎め。よいな?」



 銀灰色の髪を持つ公爵は、そう言ってじっと息子を見据える。

 ウルリッヒが失態を糊塗ことしようとしていることを明確に見抜いている眼差しであり、言葉であった。釈明も弁解も許さぬ視線にさらされたウルリッヒは、背に汗を感じつつ、一言もなく頭を垂れる。

 それを見たメルヒオールは、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。

 我が子の失態も、その失態を隠そうとした態度も面白くないが、結果としてウルリッヒがガンプに打撃を与えたのは事実である。その功績は失態を償うに足りる、とメルヒオールは判断した。これ以上、臣下や騎士団の前で恥をかかせるには及ぶまい。



 メルヒオールは次にテニエス伯にも釘を刺した。

「ヴェンデルよ。ウルリッヒがもたらした好機を前線部隊が生かしえなかったことは事実。軍議とは味方同士で非をあげつらう場にあらず、今日の失態を明日に活かす場である。わきまえよ」

「は、申し訳ございません」

 テニエス伯はそういって頭を垂れた。テニエス伯が主力となって第二城壁を陥落させたのは確かだが、その先にさらなる備えがあることを見抜けず、ラーラベルク公に名を成さしめたのも間違いない。功績と失態が半ばする立場はウルリッヒとさしてかわらなかった。




 ウルリッヒとテニエス伯、二人の後頭部を見下ろしながら、メルヒオールは冷然とした表情を崩さない。

 現在、メルヒオールの愛情は三歳の末子に注がれているが、だからといって、成人しているウルリッヒをさしおいて、幼児を正式な後継者として立てるつもりはなかった。

 末子がもう十も年嵩としかさであれば、あるいはそれも考慮したかもしれないが、昨今の情勢の中で幼児を後継者の席に据えるほどメルヒオールは耄碌もうろくしていない。この点、ウルリッヒの側近であるリュディガーが予測していたとおりであった。



 一方で、ウルリッヒの器量に物足りなさを感じていることも事実であり、ウルリッヒを正式な後継者に定める決心もつけかねている。

 見方によっては優柔不断ととられかねないが、メルヒオールにしてみれば、現時点で後継者を選定する必要を感じていないだけのことであった。

 なんといっても彼はまだ五十二歳、支配者として若いとはいえないが、年老いているわけでもない。当人もまだまだ隠居する意思はなく、少なくともあと十年は表舞台で政治と軍事の実権を握り続けるつもりでいる。

 後継者を定めるのは、その間の息子たちの成長を見極めてからでいい、というのがメルヒオールの考えであった。



 ウルリッヒがこれから人格的な成長を見せればそれでよし。今回、訓戒をたれるだけで済ませたのも、子の成長に期待する意図があってのことである。

 あるいは、末子が成長にともなって麗質れいしつを発揮するようであれば、それもよし。

 それに、これから二人以外に男児が生まれることも十分に考えられる。実のところ、ラーラベルクの血をドルレアク公爵家にいれるというウルリッヒの案は、メルヒオールの頭の中にもあるものだった。



◆◆



 低く、それでいてよく通る声が静寂を破った。

「ウルリッヒ公子にお訊ねしたい」

 その声は紅金騎士団長ルドラ・エンデのものであった。

 抑制のきいた声は穏やかで、悪名高い真紅の猟犬の総指揮官に相応しからぬ声音だ、と感じる者も多いことだろう。



 軍議ということもあり、常は紅い鉄兜で隠されている顔もあらわになっている。

 ルドラは先年、三十に達したばかり。彫り深く、鼻高く、目つきは鷹を思わせる鋭さであり、精悍せいかんという言葉をそのまま形にしたような風貌をしている。くわえて、癖の強い赤銅色しゃくどういろの髪と黒褐色の肌は、ルドラの中に南方の黒人種族の血が流れていることを物語っていた。



 クイーンフィア大陸中央部に位置するシュタール帝国は、古来より大陸各地から様々な人種が流入しているため、髪や目、肌の色は多彩である。

 そのため、外見による差別は少なかったが、絶無というわけでもない。アルセイス王国よりさらに南方、海の向こうの黒人種族は、シュタール人にとっては未開の蛮族と同義であり、その血を継ぐルドラを蔑視する者は少なくなかった。

 ウルリッヒもそのひとりで、ルドラを見る目は厭わしげに細められている。その視線を言語化すれば、奴隷女の腹から生まれた黒犬ごときが、というものになる。



 そんなウルリッヒの視線を、ルドラは平然と、あるいは冷然と受け止め、淡々とした口調で問いかけた。

くだんの抜け道、今はどのような状態になっているのかをお聞かせ願いたい。塞いでいる最中か、これから塞ぐのか」

 首尾よくガンプを陥落させたとしても、ラーラベルク一族を取り逃がしてしまっては後日の災いだ。それに、こちらが兵を送れるということは、向こうからも兵を送れるということ。追い詰められたラーラベルク軍が乾坤一擲けんこんいってきの賭けに出てくることも考えられる。



 この意見に無視できないものを感じ取ったのか、テニエス伯をはじめとした他の指揮官もウルリッヒを見る。

 これに対し、ウルリッヒはわずらわしげに応じた。

「要らぬ心配だ。リュディガーに命じて、すでに塞ぎ終えた」

「五百の兵が通れる道を一刻や二刻で埋めることは難しいと思うが?」

「何も通路すべてを埋め立てずとも、入り口さえ塞いでしまえば問題はあるまい」

 ここでウルリッヒは小ばかにしたように鼻を鳴らした。

「団長どのは存外小心者よな。少数のラーラベルク軍がそれほど恐ろしいのか? 連中が出てきたとすれば、かえってこれを殲滅せんめつする好機ではないか」

「ラーラベルク公爵率いるガンプ守備軍の勇猛は全軍将士の知るところ。これを警戒するのは当然のこと」



 ウルリッヒの嘲弄するような物言いにもルドラはまったく動じない。

 かといって「少数のラーラベルク軍」に公宮から叩き出されたウルリッヒをあげつらうこともしなかった。

 ルドラにしてみれば、ドルレアク家の嫡子が自分のことをどういう目で見ようともたいした問題ではない。欲しいのはガンプ攻略に必要な情報であって、ウルリッヒの敬意でも友好でもないのである。




 このルドラの態度を見て「あしらわれた」と感じたのだろう、ウルリッヒの眉が急角度で跳ね上がる。

 と、その時だった。

 血相をかえたドルレアク兵が天幕に飛び込んできて、大声で報告する。

「も、申し上げます、公爵閣下! 一大事でございますッ!」

「何事か、一大事とは仰仰ぎょうぎょうしい」

 メルヒオールが不快げに言う。

 報告に正確性を求めるメルヒオールは、感情的で大げさな形容を好まない。駆け込んできた兵士は、不機嫌そうな公爵の様子に一瞬怯んだようだったが、すぐにそれどころではないと思い直したようで、声高に報告した。



「ラーラベルク軍が打って出てまいりました! どうやら住民の一部も協力しているようで、多数の松明を掲げて進軍しております。現在、我が軍は市街地にてこれを迎え撃っておりますが、敵の勢いは凄まじく、このままでは城壁まで押し戻されるのも時間の問題でございますッ!」

「公宮に土足で踏み込まれたことによる動揺を、夜戦の勝利でぬぐい去るつもりか、ヘルムート――兵どもに伝えよ。慌てず、隊列をととのえて押し返せ。ラーラベルク軍は少数だ。多勢に見えたとしても、それは夜の闇に女子供を紛れ込ませた小細工に過ぎな――」

「それだけではないのです!」



 メルヒオールの言葉半ばで、報告の兵士は公爵の言葉を遮って叫んだ。

 普段ならばその場でむちを振るうほどの無礼であるが、あまりに強張った兵士の顔に、事態の容易ならざるを悟ったメルヒオールは怒りをこらえて報告の続きを待つ。

 そうして兵の口から出てきた言葉は、メルヒオールがまったく予想だにしていなかったものであった。



「ア、アーデルハイト殿下が――」

「……なに?」

「お亡くなりになったはずの、アーデルハイト殿下がラーラベルク兵を率いているのです!! て、敵兵はこれに力を得て勢いを増す一方。お味方の中には、殿下に武器を向けていいのかとためらう者もあり、とても相手の勢いを止めることができません! 早急に公爵閣下のご指示を仰ぐべく参じた次第でございますッ」





「……アーデルハイト、だと?」

 公爵の右眉が大きくはねた。

 メルヒオールは下級貴族の腹から生まれたアーデルハイトにはなんら共感するところがなく、斧槍ハルバードを振り回すような娘が第一皇女とは、と常に苦々しく思っていた。

 ダヤン宰相と敵対的な立場にある、という意味でメルヒオールとアーデルハイトは似た立場に立っており、やりようによっては手を取り合うことも可能であったろうが、メルヒオールにその意思はまったくなかった。

 先に宰相が叛逆の罪で皇女を処刑したとき、メルヒオールは表向きその死を悲しみ、宰相の非を追及する立場をとったものの、内心ではまったく正反対のことを考えていた。



 そのアーデルハイトが、どうしてラーラベルク兵を率いてガンプから姿を現すのか。

 これまでひそかにラーラベルク公爵にかくまわれていたのだとすれば、先年に処刑された皇女は偽者なのか。

 だが、これは考えにくい。アーデルハイトの処刑は宰相の手で実行され、彼女の死はウズ教会によって大陸史に明記されている。この両者をあざむくことは至難であろう。

 となれば――



「偽者はガンプから出撃した方か?」

 メルヒオールは呟く。

 ラーラベルクの公女レオンハルトはアーデルハイトの側仕えだった。適当な女官を皇女に仕立てることも、皇女らしいふるまいを仕込むことも可能であろう。

 そう考えれば、今日までアーデルハイトが姿を見せなかったこともうなずける。偽皇女はラーラベルク軍にとって最後の切り札であり、安易に用いることはできなかったに違いない。

 ここにおいてメルヒオールは敵の狙いを看破した、と考えた。

 卑怯未練ひきょうみれんな策に苛立ちを感じつつ、そのことを立ち騒ぐ配下に伝えようとする。




 そこに二つ目の凶報が届けられた。

「申し上げます! は、叛乱でございます! 我が軍の兵士の一部が輜重隊に襲いかかり、兵糧や武具をおさめた天幕に火をつけてまわっておりますッ!!」

 それを聞くや、諸将の間から動揺が瘴気しょうきのように立ちのぼり、天幕が騒然とした空気に包まれる。ただでさえ第一皇女の名を聞いて動揺しているところに、叛乱の報告である。さすがにテニエス伯やウルリッヒは平静を保っていたが、それ以外の指揮官の顔には大なり小なり狼狽ろうばいの影がちらついていた。



 メルヒオールは鋭く舌打ちし、声を高める。

「うろたえるな、ばか者どもッ!!」

『――ッ!』

 公爵の一喝を受け、諸将は反射的に背筋を伸ばす。

 メルヒオールは抑制のきいた口調で叛乱が偽りであることを喝破かっぱした。

「敵に通じている兵がいたのなら、もっと早くに行動を起こしておるわ! おおかた闇夜にまぎれて陣地に潜入したラーラベルク兵が、我が軍の鎧をまとって暴れておるのだろう。陣中でみだりに叛乱を叫ぶ者は敵の間者とみなして斬り捨てよ。まずはそこの兵士、貴様からだ。衛兵、この者の首をはねよ!」

 そういってメルヒオールが指したのは、第二の凶報を届けた兵士である。

 兵士は仰天して、無実を訴えようとした。

「お、お待ちくださいませ、閣下!? それがしは――」

 その先を口にすることはできなかった。公爵の命令を受けた衛兵の剣がきらめき、兵士の首が宙を舞う。



 粛然しゅくぜんとして静まり返った天幕にメルヒオールの声が響く。

「繰り返す。陣中でみだりに叛乱を叫ぶ者は敵の間者とみなして斬り捨てよ。この命令をすべての将兵に徹底させる。異論ある者はいるか?」

 ドルレアク家の臣下は承知の意を示すために一斉に主君に頭を下げる。

 それを見て、メルヒオールはさらに続けた。



「皇女に関してもみだりに憶測を口にすることは許さぬ。もし本当に皇女が生きてガンプにいたのなら、何故に今日まで姿を見せなかった? 何故にわざわざ日が落ちてから姿を見せた? 決まっておる、日の下では容易に化けの皮がはがれてしまうからだ。前線の兵どもに伝えよ、第一皇女と見えるは真っ赤な偽物。追い詰められた敵軍が用意した偽りの皇女に過ぎぬとな!」

「か、かしこまりましてございますッ!」

 はじめに「一大事」と騒いで報告に来た兵士は、不幸な同僚の二の舞になってはたまらぬとばかりに大慌てで天幕から飛び出していく。



 それを見送ったメルヒオールは不快そうに眉をひそめた。

 刑死した第一皇女は公的には叛逆者であり、本来、本物だろうと偽者だろうと構わず討ち取るべき相手なのである。

 だが、中級以下の帝国将兵の間では第一皇女の人気はいまだに根強く、それはメルヒオール麾下のドルレアク軍でさえ例外ではなかった。

 だからこそ、メルヒオールは叛逆については一言も触れず、偽者であるという点を繰り返し強調したのである。




 浮き足立った配下を一瞬で鎮静せしめたメルヒオールは、椅子から立ち上がると矢継ぎ早に命令を下す。このようなとき、じっとしていると要らぬことを考える者も出てくる。果たすべき命令があれば、妙な考えも浮かぶまいと考えてのことだった。

「ヴェンデル、ただちに前線に馳せ戻ってヘルムートめを食い止めよ」

「御意!」

「ウルリッヒは陣地を撹乱している曲者どもを殲滅せんめつし、兵たちの動揺を押さえ込め」

「承知!」



 勢い込んでうなずくウルリッヒに、メルヒオールはもう一つ命令を追加した。

「それともう一つ、リュディガーに抜け道の状態を確認させよ」

 メルヒオールが気にかけたのは、陣地に潜入したラーラベルク兵がどこから湧いて出たのか、という点だった。

 ガンプ正面には討伐軍の大軍が展開しているので、ここをすり抜けてくることはほぼ不可能である。今のラーラベルク兵に、短時間でラウラ鉱山を迂回してくる体力があるとも思えない。

 となると、抜け道を経由してきたと考えるのがもっとも妥当だった。ウルリッヒの奇襲が失敗に終わった直後というタイミングを考えれば、この推測はおそらく間違っていない。



 先のルドラの言葉ではないが、今夜の攻撃はラーラベルク軍にとって乾坤一擲けんこんいってきのもの。偽の皇女などという手段をとってきたことからも、そのことはうかがい知れる。

 昨日今日で考えた策ではあるまい。おそらく、これがラーラベルク公爵家の切り札だ。

 それはつまり、これをしのげば最早もはや敵に打つ手はない、ということであった。




◆◆◆




「また、えらくでかい天幕だな。しかも全部が絹とは、無駄遣いにもほどがある」

 ドルレアク公の天幕の近く、闇夜にまぎれて身をひそめていたインが豪奢ごうしゃな天幕を見て呆れたように言った。

 隣にいたキルがなにやら思案しながら口を開く。

「高く売れそう」

「確かに高そうだが、買い手がつくか?」

「細かくする」

「なるほど。しかし、これだけ大きいと、適当に切るだけでも手間がかかりそうだ」

「がんばって切る」

「それでいくか」



 そんな会話をかわしている二人の横では、ドルレアク兵の格好をしたレオンハルトが腰に両手をあてて溜息をついていた。

「これからラーラベルクの、ひいてはシュタールの命運をかけた命がけの切り込みをするところなんだけど、なんで襲撃前の野盗みたいな会話になってるのかしら」

 インは軽く肩をすくめた。

「ま、こちらは元野盗だしな」

「格好だけなら今も野盗」

 キルの言葉どおり、囚人兵に扮した二人の格好は野盗に見えないこともない。



 レオンハルトは腰にあてていた右手をこめかみにもってきて、ぐりぐりともみほぐす。

「皇女殿下とあなたたちがどこで知り合って、どういう風に行動を共にしてきたのか、本気で興味が湧いてきたわ」

「俺も、どうして第一皇女が板金鎧プレートメイルを着こんで斧槍ハルバードを振り回すようになったのかについて興味がある」

「なら、お互いに生き残ったら、知りたいことを教えあうことにしましょうか」

 そう言ってレオンハルトはくすくすと笑った。

 今夜の作戦は不確定要素が多い――というより、不確定要素しかない作戦であり、レオンハルトはそれを考案し、実行に移した責任者だ。

 重圧を感じていないはずはないが、それをおもてに出すことはしない。事にのぞんでの肝の太さは相当なもののようであった。もっとも、そういう人物でなければ、昨日までは顔も知らなかったインたちと共に敵陣に潜入する、などということは出来なかったにちがいない。



 と、レオンハルトは不意に笑いをおさめ、視線を空に向けた。

 闇夜に潜むためには新月か曇りであることが望ましかったが、あいにくと月が出てしまっている。もっとも、糸のように細い三日月なので、この点は時に恵まれたといっていいだろう。

「……頃合ね」

 言うや、レオンハルトは腰の剣を引き抜いた。



 ラウラ鉱山からの吹き降ろしの風がレオンハルトの濃紺の髪をなびかせる。

 傍らにいたインの鼻に、かすかな芳香が届いた。




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