第七章 蹂躙(三)
「条件がある。ひざまずいて俺に忠誠を誓え、豎子。頭を地面にこすりつけて慈悲を乞うのだ。そうすれば、この場にいる者たちが女どもを傷付けることは決してない、と約束しよう」
ウルリッヒの言葉を聞いたヒルデが目を怒らせる。
先にヒルデはウルリッヒを痛罵し、結果として自分以外の女官に悲運を招いてしまった。そのことを忘れたわけでは決してなかったが、だからといってこんな非道を見過ごしにすることはできない。
「六つの幼子に何を言って……! 恥を知りなさい、ウルリッヒ公子!!」
語気鋭く言い放つヒルデを見て、ウルリッヒは白けた眼差しを向けた。
「学ばない婆だな。おい、そこの二人、あいつを黙らせろ、いいかげんやかましい」
ウルリッヒの命令を受けた二人の囚人兵が、興奮しきった顔でヒルデに襲いかかる。ヒルデはこれに対し、思いのほか巧みな短剣さばきを見せて対抗したが、その抵抗は蟷螂の斧以上のものにはなりえなかった。
ヒルデが一人と剣を交えている隙に、もうひとりが身をかがめて突進してくる。
腰のあたりに衝撃を感じたと思ったときには、ヒルデの身体は相手の勢いに押されて宙に浮いていた。そして、そのまま背中から地面に叩きつけられる。
「く、ぐッ!?」
衝撃のあまり息がつまり、ヒルデの口から乾いた呼気が吐き出される。
しかもこのとき、身体を強打した弾みでヒルデは短剣を手放してしまった。
痛みをこらえながら、落ちた短剣に向けて手を伸ばすが、ヒルデの手が短剣に届く寸前、つい先ほどまで剣を交えていた囚人兵の足がヒルデの細腕を踏みつける。そして、そのまま容赦なく体重をかけた。
ぱきり、と小枝が折れるような音があたりに響く。
それはヒルデの腕の骨が踏み折られた音であった。
悲鳴はあがらなかった。ヒルデは歯をくいしばって荒れ狂う苦痛の波に耐えている。
それでも、その口からはこらえきれない苦悶の声がこぼれ出ており、それはいやおうなしにアストリットの耳に達した。
「ヒルデッ!」
顔どころか声まで蒼白にしてラーラベルクの公子が叫ぶ。
そんなアストリットを、ウルリッヒは心地よさげに見下ろしていた。
「豎子、はやくした方がいいのではないか? 婆もそうだが、そちらの小娘はもう限界のようだぞ」
ウルリッヒがあごで指した場所では、大きく目を見開いたカティアが囚人兵にされるがままになっている。
先ほどから悲鳴は途絶えていた。気を失ったわけではない。見開かれた目からは光が消え失せ、囚人兵が何をしようとも反応を示さない。手放しつつあるのは、意識ではなく正気の方であろう。
アストリットはそこまで明確にカティアの状態を把握できたわけではなかったが、信頼する女官の心に何か取り返しのつかないことが起きつつある、ということは理解できた。
だから、アストリットはためらうことなく、その場にひざまずいた。
胸の奥でその行動をいましめる声が響いた気がしたが、公子はその声に耳を貸さなかった。
この行動で自分の中から何かが失われるとしても、その『何か』がカティアやヒルデ、他の女官たちに優る価値を持っているはずがない。そう考えたからである。
「公子様、なりませ――ぐぅッ!?」
ヒルデがアストリットの行動を制止しようとするも、のしかかる囚人兵に無造作に頬を殴りつけられ、言葉が途中で止まってしまう。
アストリットの額が地面に付いたとき、女官たちの口からは悲鳴が、ウルリッヒの口からは哄笑が発された。
「くははは! 抗うことしか知らない女どもより、よほど度胸も決断力もあるではないか。よし、最後だ。この俺の手に口づけをして忠誠を誓え」
そういって、アストリットの眼前に右手を突き出すウルリッヒ。
幼いとはいえ、その誓いが何を意味するのかは理解できる。はじめて少年の行動に躊躇がうまれ、アストリットは視線をさまよわせる。
目に入ってきたのは、カティアの身体を抱えあげた囚人兵の姿だった。すでにカティアの上半身はむき出しにされ、白い肌が衆目にさらされている。
その光景は、アストリットのためらいを打ち消すには十分すぎる意味を持っていた。
少年の唇が、篭手をはめたままのウルリッヒの手の甲におしつけられる。
「……ち、誓いを、ここに……わが忠誠は、とわに、御身に」
いつか、ラーラベルク家の家臣たちが父にしていた忠誠の儀式を思い出しながら、アーシャはおぼつかない言葉で宣言する。そして、再び地面に頭をこすりつけた。
ウルリッヒの口から、再度哄笑が響き渡る。
「いいだろう――囚人ども、ただちに女たちから離れよ」
ウルリッヒはそう命令したが、すでにどの囚人兵もウルリッヒの言葉など聞いていなかった。意識のすべてを女性の肌に向けている。
ドルレアク家の公子に同じ命令を二度も口にする趣味はない。
渋面で控えていたリュディガーにうなずきかけると、心得たリュディガー他数名の兵士が進み出てきた。
振るわれた刃は四本。いずれも無防備な囚人兵の背を貫きとおし、心臓をえぐる。
粘つく血が囚人兵の胸からあふれ出し、くみしかれていた女官たちの衣服と肌を赤く染めた。
ウルリッヒは約束を違えなかった。
かといって、ラーラベルクの人間に慈悲を示したわけでもない。アストリットを虜囚とし、カティアやヒルデたちは山林の奥、断崖がある場所へと追いやられた。戦が終わるまで公宮に戻すわけにはいかなかったのである。
そうしておいてから、ウルリッヒは待機させていた三百の自部隊の展開を完了させた。
残るは最後の仕上げ――二百名の囚人兵部隊をけしかけて公宮を襲撃するだけである。
「待たせたな、貴様ら! 見ろ、あれがラーラベルクの公宮だ! これより先、俺はお前たちの行動をいっさい止めぬ。いいか、いっさいだ! 思うさまに殺し、奪い、犯すがいい!」
その命令に対し、囚人兵は凶暴な喊声で応じた。二百近い囚人たちの喊声だ、間違いなく公宮にいる者たちの耳にも届いたであろう。
証拠に、公宮がにわかにざわつきはじめている。
しかし、すでに部隊の展開を終えたウルリッヒはあわてない。今さら気づいたところで遅い、と冷笑を浮かべる余裕さえあった。
「金貨を奪ったなら金貨をくれてやる! 女を奪ったなら女をくれてやる! 存分に戦うがいい、奪ったら奪った分、すべて貴様らに与えるッ!!」
高まる喊声と欲望はとどまるところを知らず、囚人兵たちは武器を掲げ、足を踏み鳴らして興奮をあらわにする。
それが最高潮に達したタイミングを見計らって、ウルリッヒは高らかに号令を発した。
「かかれェッ!!」
その命令に囚人兵たちの醜悪な雄たけびが応じる。
ラーラベルクにとって受難の時が始まろうとしていた。
◆◆
喊声をあげて突撃していく囚人兵部隊を見やったウルリッヒは、口許に笑みを閃かせて嘯いた。
「ふん、ラーラベルクにとっては終わりの始まり、といったところか」
ウルリッヒの作戦はそう複雑なものではない。
まず囚人兵を捨て駒として公宮にぶつけ、敵の戦力配置をさぐる。
囚人部隊が公宮を落としてしまえばそれでよし。守備兵に撃退されたとしても、殲滅されるまでにはラーラベルク軍に相応の被害を強いるであろう。そこをウルリッヒが直属の部隊で叩けば、ドルレアク兵の被害を最小限でおさえることができる。
そうして、公宮の庭に掲げられているラーラベルク家の旗を引きずりおろし、ドルレアク家の旗を掲げれば、ラーラベルクの臣民は公宮が落とされたことを悟って抗戦の意欲を失うだろう。
それがウルリッヒの勝利条件であった。
「ヘルムートめが公宮にいると厄介なことになると考えていたが、今となっては彼奴もたいした脅威ではない。公子を殺すといえば、手も足も出せまいからな」
運に恵まれるとはこういうことか、とウルリッヒは思う。
その視線の先には、首に奴隷用の枷をはめられたアストリットの姿がある。幼い公子は先ほどから悄然とうつむいたまま、唇を引き結んで一言も発しようとしない。
ウルリッヒの笑みが自然と深くなった。
そのとき、数名の兵士が姿をあらわして、ウルリッヒに報告を行う。
「殿下、ご命令どおり囚人兵どもを連れてまいりました」
「ご苦労」
兵士の言葉どおり、現れたのは十名あまりの囚人兵であった。いずれも、先刻の場には居合わせなかった者たちである。ラーラベルク公宮を落とし、思う様に暴虐をむさぼろうとしていた彼らは、ウルリッヒの命令で急遽この場に残ることになった。せっかくの略奪の機会を奪われた彼らは、あからさまに不満そうな表情を浮かべている
ウルリッヒは相手の感情を一顧だにせず、その足元に無造作に金貨をばらまいた。
「お前たちには特別な命令を与える。応じた者にはその金貨をくれてやろう」
そう言われれば、不満など春に降る雪のようにたちまち溶けて消えてしまう。一斉にうなずいた囚人兵たちに向かって、ウルリッヒは「特別な」命令を下した。
「ここから山林の中をまっすぐ進むと、ラーラベルクの女官たちがいる。そいつらをなぶり殺しにしてこい」
それを聞いた瞬間、ウルリッヒのすぐ近くで誰かが息をのむ音がしたが、ウルリッヒは気にも留めない。それどころか、なおも続けた。
「繰り返すがなぶり殺しだ。すぐには殺すなよ。できるかぎり苦しめて殺せ。もう殺してくださいと向こうから懇願するくらいにな」
「……ま、待ってッ! それ、約束が、違う!!」
アストリットがウルリッヒに詰め寄る。必死な面持ちを見せる幼い公子に向け、ウルリッヒは嘲笑を浴びせかけた。
「おかしなことを言う。俺は約束を破ってなどいないぞ」
「でも、さっきカティアたちを傷つけないって、そう言って……!!」
「ああ、言ったな。『この場にいる者たちが』女どもを傷付けることは決してない、と。だから、わざわざあの場にいなかった連中を呼び寄せたのだ。みろ、俺はきちんと約束を守っているだろう?」
ウルリッヒの右目には嗜虐が、左目には残忍さが、それぞれ充満している。
側近であるリュディガーがいれば制止していたであろう。だが、このとき、リュディガーは公宮襲撃の指揮を執るべく、部隊を率いて別行動をとっていた。
リュディガー以外の臣下に、ウルリッヒを止められるだけの影響力を持つ者はいない。
ドルレアク公爵家の嫡子は、執拗に、徹底的にラーラベルク家の公子をなぶり続ける。
猫が鼠をなぶるように、といえば猫が怒りの声をあげるだろう。それくらい、意味のない執拗さであった。
はじめ、アストリットは相手が言わんとすることがわからなかった。
その反応が気に食わなかったのか、ウルリッヒは改めて己の意図を説明する。
「こやつらは、あの場には居合わせていなかった。だから、あの小生意気な女どもに何をしようと、それは誓いを破ったことにはならぬ。得心したか、豎子?」
ここでようやく、アストリットは相手の思惑を悟る。
これまで想像したこともなかった悪意を総身で感じ取り、公子の身体が大きく震える。このとき、アストリットが浮かべた表情は、家族や近臣でさえ見たことのないものであった。
「うわあァァッ!!」
だまされた、と悟ったアストリットがウルリッヒに掴みかかっていく。
ウルリッヒは無造作に手を伸ばし、そんなアストリットの髪をわしづかみにした。そして、先刻カティアに対してそうしたように、自分の目線の高さまで持ち上げる。
アストリットは苦痛の声をもらしたが、目に宿った強い輝きはかわらずウルリッに向けられたままだ。
力任せに吊るされながらも、アストリットは約束を破ったウルリッヒを非難し続けた。
「卑怯者! 卑怯者ッ!! ぼ、ぼくが言うことを聞けば、助けるって言ったのにッ!!」
「言うことを聞けば、か……ばからしい」
ウルリッヒがアストリットの髪から手を離す。重力に引かれたアストリットの身体が地に落ちる。ウルリッヒは間髪いれず、アストリットの小さな顔を鉄靴で踏みつけた。
容赦なく踏みにじりながら、ウルリッヒは唇を曲げて嘲笑を吐き出した。
「お前が望もうが望むまいが、貴様は俺の道具なのだ。ゆえに、貴様の意思には銅貨一枚の価値もない。そんなものと引き換えに女どもの安全を買えると本気で考えていたのか? いかに豎子とはいえ、物を知らぬにもほどがある」
右の頬には鉄靴、左の頬には泥土。横を向いた格好で踏みつけにされたアストリットは、口を開こうとして開きえず、身体を動かそうとして動かしえず、ただ胸中で荒れ狂う感情に翻弄されるばかりであった。
悔しさ、みじめさ、情けなさ、恥ずかしさ。
そういった感情が渾然となって溶け合い、目から涙となってあふれ出てくる。今のアストリットにそれを止める術はない。せめて泣き声をあげないことだけが、精一杯の抵抗であった。
◆◆◆
燃え上がるは緑地に黒の十字紋。ラーラベルク公爵家の旗。
かわって掲げられたは赤地に黒の十字紋。ドルレアク公爵家の旗。
レオンハルトがその光景を目にしたのは、殿のつとめを終えて第二城壁から帰還した、まさにその直後のことだった。
務めを果たし終えたレオンハルトは指揮所の一室で鎧を脱ぎ、女官から渡された白布で顔や首の汚れをぬぐっていた。と、そこに驚愕にみちた将兵のざわめきが聞こえてきたため、父と共に外に出たのである。
そこで、その光景を見た。
ひるがえるドルレアク公爵家の旗は、公宮が敵軍に占拠されたことの証。ヘルムートは豪胆、レオンハルトは明哲、いずれも滅多なことで動じることはない父と娘である。その二人が驚愕で言葉を失ったのだ、ラーラベルク軍を襲った衝撃の大きさは、その一事から推し量ることができるだろう。
いったいどこから敵軍が出現したのか。
最大の攻め口である北側は、ヘルムートやレオンハルトが身を挺して敵軍を押しとどめている。
であれば、後背に回り込まれた、と考えるのが妥当だろう。
しかし、ラウラ鉱山に配置した部隊からは何の連絡もない。奇襲を受けたとしても、狼煙ひとつあげる暇もなく殲滅されたとは考えにくい。
となると、他に考えられるのは裏切りだが、それはありえない、とレオンハルトはかぶりを振った。公宮を守るのは、長年公爵家に仕える信頼できる臣ばかり。仮に不心得者がいたとしても、たちまち他の者に制圧されてしまうだろう。
では、どうしてドルレアク公の旗が公宮に翻っているのだろうか――
いや、今はそんなことを考えている場合ではない、とレオンハルトは己を叱咤した。
誰の仕業にせよ、公宮はすぐにも取り返さなければならない。
こうしている今も、異変に気づいた兵たちがざわついている。敵軍もじきに気がつくだろう。自軍の士気が潰え、敵軍の士気が高揚する。それは戦において敗北と同義である。
なにより、公宮には次代のラーラベルク公爵が――幼い弟がいるのだ。
「お父様! ここはお任せします。公宮は私がッ!」
そういって、父親の返答も待たずにレオンハルトは駆け出した。鎧を着る手間も惜しみ、ひたすらに公宮を目指す。後ろに続く兵士はおよそ二十人。いずれもレオンハルト直属の部下たちであった。
幸いというべきか、まだ街中に敵兵の姿はない。それでも公宮の異変に気づいた者たちの口から悲鳴じみた声があがっている。レオンハルトの姿に気づいた者の中には、事情を問おうとする者もいたが、今は答えている暇はなかった。
ともすれば配下を置き去りにしかねない速さでレオンハルトは街路を疾走する。
ほどなくして、見慣れた公宮の門が見えてきた。レオンハルトは飛び込むように公宮の門をくぐりぬけ、そして――踏み荒らされ、踏み躙られた我が家の姿を見た。
「ヒィィ、た、助け――あ、ガァァァ!?」
「や、やめて! 助けて、助けてくださ、いやあああッ!!」
「離してェッ!? お母さん、おかあ――さ…………」
響くのは絶叫、さもなければ断末魔の声。
絹を切り裂くような叫びが耳朶を打ち据え、地面には無数とも思える紅色の水たまりが出来ている。
小なりといえども、確かな威厳と壮麗さを感じさせていたラーラベルク公宮は、今、狂笑を響かせる賊徒が闊歩する魔窟と化していた。
襤褸をまとった襲撃者たちは、新たな犠牲者を見つけては喚声をあげて襲いかかり、死と暴虐を途切れることなく生産し続けている。
地に倒れている者の大半は武器を帯びていない。女子供の姿も目立った。市街地での戦いに備えて、一部の住民は公宮に避難していたのである。
兵士とおぼしき亡骸の中には、何本もの剣が突き立てられているものもあった。おそらく面白半分に滅多刺しにされたのだろう。その傍らに倒れている女性の身体は綺麗なままであったが、その首はありえない方向に曲がっていた。
「………………下衆どもが」
ざわり、と。
レオンハルトの長い髪が逆立った。
部下たちが止める暇もない。今も生者を――獲物を求めてうろついていた囚人兵たちに対し、ラーラベルクの公女は声もなく躍りかかる。
鎧をまとっていないレオンハルトの足音は牝鹿が駆けるにも似た軽快さであったが、刃に込められた殺意は灰色熊が裸足で逃げ出す域に達している。
翻った刃は雷光のごとく輝き渡り、囚人兵の一隊はほとんど一瞬でレオンハルトに斬り伏せられた。
公女はぎりっと奥歯をかむ。
「いったい、どこから入り込んできたッ!?」
十や二十の敵兵のために、ここまで公宮が荒らされるはずがない。実際、今も公宮の中からは悲痛な叫び声が響いてきている。
敵兵の数は少なく見積もっても百以上。だが、それだけの数を誰にも気づかれずにラウラ鉱山にまわすなど不可能だ。こういう事態を防ぐためにこそ、ヘルムートとレオンハルトは鉱山側にも兵を配していたのだから。
この場にいる者たちはそのことを知っている。だからこそ、レオンハルトの疑問に答えを見出せる者はいなかった。
と、レオンハルトたちの姿に気が付いたのか、公宮の方から次々と囚人兵が姿を見せた。彼らの視線はまっすぐにレオンハルトの顔――いや、形良く膨らんだ胸や、細い腰に向けられている。
鎧を着ていないレオンハルトは鎧下のみの格好であり、女性であることは一目瞭然である。おまけに、遠目でもそれとわかる鮮麗な髪と綺麗な顔立ちをしている。
囚人兵たちは蜜に引かれる虫のごとく寄り集まってきた。
これに対し、レオンハルトは柳眉を逆立てて迎え撃とうとしたが、配下のひとりが鋭い声で公女を制止する。
「姫様、どうかご辛抱を! 今は急ぎアストリット様のもとへ向かわねばッ」
「それは……ッ」
「ここはそれがしどもが引き受けますゆえ、お早く! フーゴ、おぬしは姫様をお守りせよッ」
「ははッ!」
フーゴと呼ばれた若い青年騎士が甲冑をならして返答する。
レオンハルトの決断は早かった。進言した部下の名前を呼び、短く告げる。
「ヨーゼフ、すぐに戻るわ。気をつけて」
「ははッ!」
そう言うや、ヨーゼフは部下を差し招いて囚人兵に突きかかっていく。
これに対し、囚人兵たちは叫喚と共に躍りかかってきた。防具らしい防具は何一つ身につけていないというのに、まったくひるむ様子がない。
一対一であれば、ラーラベルク兵にとって恐れるに足らない相手だが、数の上では向こうがまさる。そうなると、命知らずの敵の脅威ははねあがる。くわえて、レオンハルト麾下の兵は今日まで最前線で戦い続け、しかもつい先ほどまで過酷な殿を務めていた。体力、気力の消耗は隠しようがない。ヨーゼフがレオンハルトを先に行かせたのはこのためでもあった。
部下たちが敵兵と刃を交えている隙に、レオンハルトは公宮へと入ることに成功する。
しかし、ここでも目にするのは入り口と似たものばかり。顔見知りの庭師や兵士が、物言わぬ身体となって廊下に打ち捨てられているのを見るたび、剣の柄を握るレオンハルトの手には力が込められていった。
戦える兵士はほぼ全員が前線に出ている。公宮の守備兵の多くは年齢や戦傷といった理由で、実戦で戦えない者たちばかり。これでは突然の奇襲に対応できなかったのも当然だ。
これは敵軍の作戦行動力を甘く見た自分の失態だ、とレオンハルトは唇をかむ。
公宮のつくりに精通したレオンハルトとフーゴは、囚人兵を避けつつ奥へ奥へと進んでいく。間もなく公爵一族の居住区画にたどり着いたが、ここにも敵兵の姿があった。
もはや公宮が制圧されたことは疑いようがない。
せめて弟が無事でいるように、と願いながらレオンハルトは廊下を駆ける。
そして。
「アーシャ!」
弟の愛称を叫びながら部屋に飛び込んだレオンハルトが見たのは、無残に荒らされた室内の光景だった。家具は壊され、調度は奪われ、壁にかけられていた姉弟の母の肖像画は斜めに切り裂かれている。
唯一、幸いといえるのは、どこにも血の痕跡がなかったことだ。
カティアやヒルデといった女官たちが機転をきかせてくれたのだろうか。
そうであればよい、と願いつつレオンハルトとフーゴの二人は部屋を出る。
と、そのとき、ひときわ大きな破砕音がレオンハルトの耳に飛び込んできた。
それが謁見の間に通じる大扉が破壊された音だと気づいたラーラベルクの公女は、ほとんど反射的にそちらへ向かって駆け出していた。
 




