第六章 ガンプの叛乱(八)
ラーラベルク公爵の本拠地であるガンプの街は、南、東、西の三方を峻険な山地に囲まれた天然の要害である。
正攻法でガンプを攻め落とそうとすれば、唯一の進入路である北側から兵を投入せざるをえない。当然、北の防備はきわめて厳重であり、ガンプの豊富な鉱山資源でつくられた城壁が高く、厚く、そびえたっている。破城槌や投石器をもってしても簡単に突き崩すことはできず、また、防壁は地面深くまで達しているため、土を掘りぬいて潜入することも難しい。
この城壁を避けて都市に攻撃を仕掛けようと思えば、今度は険しい地勢が天然の防壁となって敵軍の侵攻を阻む。
そこには自然の障害だけでなく、ラーラベルク公爵家が張り巡らせた罠が幾重にも仕掛けられていた。山岳戦に長けたラーラベルク軍は、それらを活用して侵攻軍を思うさま引きずり回し、奔命に疲れさせた後、一戦して山中から叩き出すのである。
それを可能とするのはラーラベルク兵の精強さだ。
良質の鉄を産し、優れた職人が集うガンプの街が、高品質の武具を生産するのは自明の理。これらの武具に身を包んだラーラベルク兵は、数こそ少ないが勇猛果敢で知られていた。
そのラーラベルク軍を率いる人物の名をラーラベルク公ヘルムートという。
雄偉な体格と優れた膂力を誇る戦士であり、その剛勇は並の騎士が束になってもかなわない。その異名たる『熊戦士』は、神話の時代、主神ウズの麾下にあって最強をうたわれた『熊皮をまとった戦士たち』を指している。
これはヘルムートの自称ではなく、ウズ教会から正式に認められた名乗りであり、つまり今代のラーラベルク公の剛勇と忠誠は神代の英雄たちに匹敵するものである、と教会から認められたのである。
この評価はいささか大げさではあったが、決して不相応なものではなかった。
まだ爵位を継ぐ以前、外征に赴いたヘルムートは、みずから鍛えた大槍を手に敵陣の只中に躍り込み、ただ一人で敵兵十七名をなぎ倒したという武勇伝を持っている。
――なお、この武勇伝には後日談があり、意気揚々とガンプに帰還した公子殿下は、婚約者であった女性から「また無茶をして!」とものすごい剣幕で叱られ、大きな身体を精一杯に縮めて許しを請うた、というオチがつく。
事の真偽はさておき、このような話が巷間に流布され、好意的な笑い話のタネにされるあたりからも、今代公爵の為人は推して知れるだろう。
ガンプの住民は公爵の治世を寿ぎ、小さな不満と大きな満足の中で、穏やかな日々を過ごしていた。
その平穏が破られたのは統一暦六三〇年 六月のこと。
紅金騎士団一万五千がガンプに向けて進軍中との報告を受けたとき、ヘルムートも、その子であるレオンハルトも驚きはしなかった。
先年に起きたアーデルハイト皇女の叛乱(両名とも宰相の謀略だと確信しているが)以後、ダヤン侯とラーラベルク公の関係は悪化の一途を辿っており、衝突は時間の問題だったからである。
ヘルムートには三人の子供がいるが、長子エデルガルトは数年前に山中で事故死しており、末のアストリットはまだ六歳の幼子だった。必然的に父の補佐をつとめるのは次子のレオンハルトとなる。
レオンハルトは、熊に例えられる父とはまるで似通っていない容姿と体格の持ち主だった。
それも当然といえば当然の話で、名前の勇ましさとは裏腹に、レオンハルトは見目麗しい公女なのである。
ラーラベルク家には奇妙な風習があり、男児には女性の名を、女児には男性の名を、それぞれつけることになっている。
何代前かもわからない遠い昔、公爵家の一族が男女を問わず次々病死するという変事が発生したことがあり、これが呪いのせいだと騒がれた。
医者も薬も祈祷もきかず、困じ果てた時の当主が、生まれた男児に女性の名を、女児に男性の名をつけたところ、それぞれ無事に成長した。
以来、ラーラベルク家ではこの風習が続いている。もちろん、それは長子も末っ子もかわりはなく、エデルガルトとアストリットは女性名であるが、当人たちは男性である。
この慣わしどおり、男性名をつけられたレオンハルト公女は、いかなる人物なのか。
母親にそっくりと言われる顔は小さく優しげで、手足は伸びやかであっても逞しくはなく、背丈も標準の域を出ない。腰など一抱えにできそうなくらい細かった。
母親譲りの真っ直ぐな濃紺の髪は長く伸び、窓辺で鳥と戯れていれば、深窓の令嬢で通るくらいの気品と麗しさを備えてもいた。
だが、当人の気性が、その身を公宮の内に留めておかなかった。
群青色の瞳は深い才知を宿してきらめき、律動的な歩みからは溢れんばかりの生気と鋭気が感じられる。兵士や鉱夫、街の住民たちとも積極的に交流し、時には子供たちの請いに応じて得意の横笛を奏することもあった。
公女の存在を知らない新人鉱夫に酌をしろと絡まれたときなどは、お酒の飲み方を教えてあげるとうそぶいて、自分から飲み比べを挑んで撃退したこともある。
後になって仲間たちから公女のことを教えられた鉱夫は、翌日、顔面蒼白になって公宮へ出頭した。その彼に対し、レオンハルトはけろっとした顔で「良い勉強になったでしょ?」とからかい、何もいえずに頭を地面にこすりつける鉱夫を咎めることなく家に帰したのである。
そんな公女であったから臣民からの信望はきわめて厚く、さらにいえば、その人柄は先帝からも愛された。
もともと皇家とラーラベルク公爵家のつながりは深く、先帝は若年の頃からラーラベルク公女の文武の才能を嘱目していた。レオンハルトを第一皇女の傍仕えに任命したのは、レオンハルトならば風変わりな我が娘をよく支えてくれるであろう、と考えたからに他ならない。
結果として、この人事はレオンハルトに生涯の友と主君を与えた。
アーデルハイトからは「奔放なること風のごとし」などとからかいまじりに評されたレオンハルトであるが、アルトアイゼン皇家に対する忠誠心は花崗岩のようにかたく、だからこそ、第一皇女を謀略で排除し、第二皇女を宮中の虜囚としたダヤン侯に対する敵意は深かった。
先に第一皇女が刑死したおり、レオンハルトは『皇帝』の命令で西部国境に赴いており、報を聞いて馳せ戻ってきたときにはすべてが終わっていた。のみならず、許可なく任地を離れたと責められ、身柄を拘束されそうになったのである。
ジークリンデは鋼玉宮の奥深くにあって顔を見ることもかなわない。皇女の刑死を傍観した他の貴族はあてにならぬ。レオンハルトはガンプに戻る以外に道はなく、この逃亡が『ラーラベルク公こそ皇女叛逆の首謀者である』という宰相の主張を補強するものとなる。
すべてが一本の糸で結ばれていたことは、誰の目にも明らかであった。
◆◆
宰相が兵を動かすのは予想どおりであり、当然、ラーラベルク父子はそれに備えていた。
その意味では、出兵までに半年以上の時間をかけた宰相の行動はやや遅鈍に映る。ダヤン侯らしからぬ動きの鈍さにヘルムートは首をかしげたが、レオンハルトはだいたいのところを察していた。
おそらく、ラーラベルクというシュタール屈指の名家を潰すことに対する国内の反発を考慮したのであろう。第一皇女に続いて、即座にラーラベルク家まで潰してしまえば人心が動揺する。
ラーラベルク家と近しい勢力に対する切り崩しの時間も欲しい。そういった思惑が半年という時間に込められている、とレオンハルトは推測した。あるいは、追い詰められたラーラベルク家の方から謀反の旗をあげるのを期待していたのかもしれない。
レオンハルトが気にしたのは、宰相が動員した兵力が紅金騎士団一万五千のみである、という報告の方であった。
それを聞いたとき、レオンハルトは眉をひそめた。
紅金騎士団の勇猛と残虐は確かに脅威だが、城攻めでは騎士の最大の利点である機動力が活かせない。半年もの準備期間があったのだから、宰相の権力をもってすれば、この十倍の兵力を動かすこともできたはずだ。
ダヤン侯はどういうつもりか、と首をかしげたが、その疑問はほどなく解決する。
公都ドラッへを発したドルレアク軍四万が紅金騎士団に合流したのだ。
これでガンプ討伐軍は五万を超える大軍となった。
それを知ったヘルムートは、早々に城外での野戦という選択肢を捨てる。公爵といってもラーラベルク公の領土はガンプとその周辺のみであり、常備兵は三千あまり。まともにぶつかれば一戦で蹴散らされてしまう。
民衆や鉱夫を徴兵して兵力を増やすという手もあったが、そのような急ごしらえの部隊で五鋼騎士団に正面から立ち向かうのは愚というものであった。
城外の領民をガンプに収容し、城門を閉ざして立てこもる。それがラーラベルク軍がとった作戦である。
誰であっても、この戦況では他に手だてはなかったであろう。
――いや、強いて言えば、城外の領民を受け容れない、という選択肢もあった。彼らを都市にいれてしまえば、その分、食料の減りが早くなってしまう。都市内の住民と摩擦が起きる恐れもあるだろう。
しかし、紅金騎士団の出撃が確認された以上、外の領民を受け容れないということは、彼らを猟犬の恣意に委ねることと同義である。食い殺されることが明らかな民を放置し、自分たちの安全だけを考える、という思考はラーラベルク父子には存在しなかった。
戦いは初日から苛烈を極めた。
紅金騎士団を先頭に突撃を開始した討伐軍は、無謀ともいえる攻撃を繰り返して城壁に挑み続ける。これに対し、ラーラベルク側も激しく応戦し、城門前はたちまち阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
飛び散った両軍兵士の血肉が地面を赤黒く染め上げ、積み重なった死屍が地面を覆い隠していく。矢石が飛び交う都度、兵士たちの喚声と絶鳴が渦をまいて大地を揺るがし、城壁をきしませ、山野に潜んでいる獣たちさえ興奮したように吠え立てた。
三千対五万五千。兵力比だけを見れば、ラーラベルク軍一人に対し、討伐軍十人以上が挑む計算になるが、城門前に五万以上の兵を展開できる余地はなく、押し寄せた討伐軍の中で戦闘に参加できるのは、先頭付近に位置する一万だけである。
それでも三千対一万の戦いであるから、数の上でラーラベルク軍が不利であることはかわらない。ただし、ラーラベルク軍には城壁という防衛拠点があり、上方から攻撃できるという利点があった。矢を射掛けるにしても、下から上へ射るより、上から下を射た方が威力も精度もまさる。
討伐軍は城壁をよじ登るべく梯子を押したて、あるいは城門を突き破るべく破城槌や投石器を持ち出したが、ラーラベルク軍は果敢に応戦して、それらの攻撃を次々と退けていく。
結局、初日の攻撃において、城壁の上に達した討伐軍兵士はただの一人もあらわれなかった。
城門前には甲冑をまとった騎士と兵士の屍が山と積み重なっていたが、そのほとんどは寄せ手の将兵であり、ラーラベルク軍の損害はきわめて軽微。
まず完勝といってよい内容であった。
しかし、討伐軍の脅威が明らかになったのは、ここから先であった。
討伐軍がとった作戦は単純で、敵より兵力に優る利点を活かし、部隊を入れ替わり立ち代わり、昼と夜の別なく繰り出して猛攻をしかける、というものである。
城攻めにおいて下策とされる力攻め。ドルレアク公メルヒオールと紅金騎士団長ルドラ・エンデは、それをいっそ堂々としかけてきた。
兵力を利して休養をとりながら戦える討伐軍に対し、ラーラベルク軍は常に総力で守らなければならず、睡眠はおろか食事さえ満足にとれない状況が続いていく。体力の消耗、集中力の欠如は、必然的に被害の拡大につながった。
数の少ないラーラベルク軍にとって、兵士ひとりの死は討伐軍より何倍も響いてくる。
ガンプの将兵は敵の攻勢をよく防ぎとめていたが、絶え間ない攻勢が三日続き、五日に達し、七日を越え、十日を過ぎる頃には、精神よりも先に肉体に限界が来た。
ヘルムートやレオンハルトが声をからすも、次第に対応が遅れ始める。休養さえ満足にとれない状況で、城壁の修復が十分に行えるはずもなく、攻撃開始から十三日目、ついに城壁の一部が投石器によって崩れ落ち、そこに紅い甲冑をまとった紅金騎士団が殺到した。
ラーラベルクの将兵は必死にこれを食い止めようとしたが、心身ともに限界に近い兵たちが、帝国最精鋭を誇る五鋼騎士団に敵する道理がなく、間もなく討伐軍はガンプが誇る鉄壁の防御を食い破ることに成功するのである。
◆◆
城門を突破した討伐軍将兵は勝利を確信して歓声をあげた。
城門さえ破れば、後は市街を蹂躙し、公宮を攻め落とすのみ。帝都の鋼玉宮などは、宮殿それ自体が一個の城塞として機能しているが、ラーラベルク公宮にそれほどの規模はない。
そもそもガンプという都市自体、狭隘な山裾につくられたために規模は小さく、人口は十万に届かない。ひとたび内部に侵入してしまえば、これを制圧することは容易であり、だからこそ、討伐軍は城壁を突破するために全力を費やした。最初の城壁さえ突破してしまえばガンプは陥落する。そのことをドルレアク公らは把握していたのである。
――ところが。
城門を突破して、いざガンプを制圧せんと進もうとした討伐軍将兵が見たものは第二の城壁であった。
城壁といっても規模自体は小さく、高さも厚さも第一城壁には及ばない。というのも、おそらくは土塁、すなわち土でつくられた防壁だからだ。
それを見た討伐軍将兵の口から嘲笑が沸き起こったのも当然であろう。第一城壁に比すれば、子供だましともいえる急造の防御拠点。討伐軍にとってこれを潰すなど造作もないことであった。
連日の猛攻で疲弊しているのはラーラベルク軍ばかりではなかったが、勝利の確信は疲労を忘れさせる。あの粗末な土壁の向こうに武勲と栄達が待っていると思えば、多少の傷など気にもならない。
ラーラベルク軍の最後のあがきを完膚なきまでに叩き潰すべく、討伐軍は喊声をあげて突撃を開始した――
討伐軍の本陣は第一城壁を望む野原に築かれている。
その本陣で第二城壁の報告を受けたドルレアク公メルヒオールは眉間に深いしわを刻んだ。
「敗れた上は、いさぎよく身を処すことも公爵たるの心構えであろうに。それとも、なんぞ策を秘めておるのか、ヘルムート?」
渋みを感じさせる重く低い声で、ドルレアク公は敵手たるラーラベルク公の内心を忖度する。
ドルレアク公は今年五十二歳。決して若いとはいえない年齢だが、狩りと戦で鍛えられた身体は均整がとれ、赤に銀珠をあしらった甲冑や黒貂のマントといった豪奢な武装を軽々と優美に着こなしている。
公爵の頭部を守る兜には竜を象った意匠が施されており、両眼にあたる部分には鮮やかな紅玉が嵌め込まれている。その紅い双眸はあたかも主を守るかのように傲然と周囲を睥睨していた。
その威厳あるたたずまい、精気に満ちた外貌からは、他者に命令することに慣れた者の雰囲気がにじみ出ており、公爵の位に相応しい品格を感じ取ることができる。
大貴族と聞いて多くの人々が想像する人物像、ドルレアク公はその想像を過不足なく具現しているように思われた。
ドルレアク公はしばし黙考する。
ラーラベルク公の罠を疑ったわけだが、仮に罠があるとしても、ひと当てしなければ罠の詳細を掴むこともできない。いったん兵を退き、紅金騎士団に損害を押し付けることも考えたが、ここでの消極的な判断は将兵の士気をそいでしまうだろう。
ドルレアク公は宮殿の中だけで年月を過ごしてきたわけではなく、戦場の機微というものを知っていた。
「しょせんは急造の防壁、しかも敵兵の消耗はすでに限界に達しておる。突き崩すのにさして時はかかるまい。前線指揮官の判断をよしとする。攻撃を続行せよ」
「は、かしこまりましたッ!」
報告に来た配下が喜色を浮かべて立ち上がる。その彼が前線に馳せ戻るべく踵を返したとき、それはきた。
突然、地響きが本陣を襲った。
地響きだけではない。つい先刻落としたばかりの第一城壁、その向こうから討伐軍兵士のものと思われる驚愕と絶叫が響いてきたのである。
容易ならぬ事態の発生を感じ取ったドルレアク公の眉が急角度ではねあがった。
「何事が起きたのか、早急に確認せよ!」
公爵の厳命をうけ、周囲の側近たちがあわただしく動き始める。
彼らによって答えがもたらされたのは、それから間もなくのことであった。
ラーラベルク軍は第一城壁と第二城壁の間に巨大な落とし穴をつくっていた。先ほどの喚声は先陣の兵たちがこれに落ちてしまったときのものである。
この落とし穴は一度落ちてしまえば大のおとなでもよじ登ってこられない深さまで掘りぬかれており、しかも深さだけでなく幅も広かった。第一城壁と第二城壁の間の地面をまるごとくりぬいた格好である。落とし穴というより巨大な堀といった方がいいかもしれない。
ガンプの第二城壁は、この空堀を掘って余った土でつくられている――討伐軍の前線指揮官たちは遅まきながらそのことに気がついた。
これだけの作業を短期間で成し遂げる実行力は想像を絶するが、ガンプには地面を掘る専門家、つまりは鉱夫たちが山ほどいる。彼らの手になる仕事であろうと思われた。
第一城壁と第二城壁の間には、地面にまぎれるようにして急造の木橋がかけられている。今日までラーラベルク兵はこの橋を利用して城壁間の移動をしていたのだろう。
ただ、橋の幅はせまく、二、三人が並ぶのが精一杯だった。
第二城壁を攻めようと思えば、この細い橋に大軍を投入するか、いちど堀の底に降りてから、あらためて城壁の下まで攻め寄せるかの選択を迫られる。
あるいは、堀を埋め立てるという手もあるが、当然、その動きを第二城壁にこもったラーラベルク軍が見逃すはずがない。
高さや強度におとる第二城壁の弱点を、ラーラベルク軍はこのような形で補ったのである。
しかもこのとき、ラーラベルク軍が仕掛けた罠はまだ終わっていなかった。
突然、空気がきしむような轟音が戦場に響き渡り、兵士たちの喚声すら飲み込んでラウラ鉱山の山肌を震わせた。
落とし穴の底にまかれていた油が火矢によって引火したのである。
炎の高さは一時的に第一城壁すら越え、本陣の将兵は城壁の向こうに立ち上る火柱をその目で見た。
堀に落ちた兵士たちは生きながら焼かれることになり、その苦悶と絶叫は討伐軍兵士の心胆を寒からしめた。堀の底で火だるまになっている味方を助けたいと思った者は多かったが、そのための術を見出せる者はどこにもおらず、彼らは味方の惨状をただ見ていることしかできない。
そんな討伐軍に向け、無数の矢が空気を切り裂いて殺到する。
むろん、これは第二城壁のラーラベルク軍が放ったものであり、矢の雨は呆然とする将兵に容赦なく降り注いで、兵士たちはばたばたと倒れていった。
細い橋上に折り重なるように倒れた兵士の身体は、それ自体が進軍を阻む障害物と化した。
堀の底は熱と炎の地獄、橋の上は死者と負傷者で出来た肉の壁。
ここにおいて、進退きわまった討伐軍は一時的な退却を余儀なくされることになる。
◆◆
その後、第二城壁をめぐる攻防は七日間続いた。
ドルレアク公は奪い取った第一城壁の上に弓箭兵を並べ、第二城壁に矢の雨を浴びせつつ、人海戦術をもって堀を埋めたてにかかった。これに先立って唯一の通路であった木橋を落としたのは罠の存在を考慮したためである。
ラーラベルク軍にとって、第一城壁が陥落し、第二城壁に拠点を移した段階で橋は無用のものになったはず。それでもなお、橋をそのままにしておいたことに、ドルレアク公は罠の存在をかぎとったのである。橋上に将兵が充満した状態で橋を落とされてしまえば多大な被害をうけてしまう。面倒であっても一から堀を埋め立てた方が、結果として攻略を早めることができるであろう。
こうして討伐軍は真正面から第二城壁を攻め落としにかかった。
盾を掲げて敵軍の矢を防ぎつつ、土や石、時には敵兵の死体を投げ込んで堀をふさぎ、少しずつ、確実に第二城壁に迫っていく。
四日が過ぎる頃には、堀の半分は埋め立てられており、ドルレアク軍の指揮官のひとりは、ころはよしとばかりに投石器を持ち出した。土で出来た壁など、投石器の攻撃をもってすればただ一撃で崩れ去る。これで一気に決着を、と目論んだのだ。
しかし、事は思惑どおりに運ばなかった。
埋め立てたばかりの地面はやわらかく、投石器および投擲する巨石の重さを支えることができなかったのである。
車輪が地面にめり込み、立ち往生してしまった投石器は、かえって味方の動きを妨げる障害物となってしまった。こんな不安定な状態で投擲を実行すれば、城壁どころか味方の部隊を粉砕しかねない。
結局、この投石器は討伐軍自身の手で燃やされることとなり、自軍の不手際にドルレアク公は不快のかたまりとなった。
その不快さは一向に抵抗をやめないラーラベルク軍にも向けられている。
どうやらラーラベルク軍は城内の鉱夫を兵として徴用したらしく、第二城壁の上には屈強な体格をした鉱夫の姿が目立つようになった。
彼らは訓練を受けていないが、城壁の上から石を投げ落とすくらいのことはできる。そして、それは討伐軍兵士にとって剣や槍に匹敵する殺傷力を秘めており、すでに鉱夫たちの手で何十、何百という将兵が命を落としていた。
手塩にかけて育て上げてきた自軍が、ろくに文字さえ知らないような粗野な鉱夫たちによって傷ついていく。
その事実がまたドルレアク公の不快感を煽るのである。
力攻めを選んだ以上、ある程度の損害は覚悟していた。
だが、現状の被害は明らかに想定を超えている。それでいて、攻略の方は予定よりも進んでいないときている。
討伐軍が第二城壁に攻めかかってからすでに七日。第一城壁に攻めかかってからの日数を数えれば、二十日以上。
この間、ドルレアク軍の死者は二千を超えており、負傷者もあわせれば、死傷者の数はゆうに六千を超える。紅金騎士団の被害も含めれば、間違いなく万に達しているだろう。
多くの日数を費やし、多くの犠牲を払って、なおガンプの城内にさえ入ることができないという戦況を前に、ドルレアク公の機嫌がよかろうはずがない。
そのことがわかるだけに、夜、軍議のために集まった指揮官たちの表情は暗かった。
ただ、彼らも無為に日々を重ねているわけではない。手ごたえは確実にあった。
こちらの被害は大きいが、それはラーラベルク軍とて同じこと。だからこそ、彼らは鉱夫を徴兵するという手段に出ざるをえなかったのである。
堀の埋め立ても着実に進んでいる。このままでいけば明日、遅くとも明後日には直接第二城壁に攻撃を仕掛けることができる。そうなれば、所詮は土の壁、たやすく守りを突破して公宮に達することができるであろう。
臣下を代表して主君にその旨を言上したのは、ドルレアク公の寵臣であるテニエス伯ヴェンデルである。
と、それを聞いた一人が、唐突に野太い声で笑い始める。
それはドルレアク公の嫡子ウルリッヒの口から出たものであった。
テニエス伯の眉が不快げに動く。
「公子、何が楽しいのか存じあげぬが、ここは軍議の場でございますぞ」
「これが笑わずにいられるか、テニエス伯。そのようにぬるい戦ぶりでは、いつまで経ってもガンプを落とすことはできぬぞ」
二十五歳になるウルリッヒは、父よりも一回り大きな体躯を誇示するように胸を張って言った。口とあごに濃い髯をたくわえた顔立ちは、三十歳を越えているといっても十分に通用するだろう。
テニエス伯はドレイクに赴いたカロッサ伯と並ぶドルレアク公の寵臣であるが、ウルリッヒの大きな両眼に遠慮の色はない。むしろ、そこには敵意に近い感情がたゆたっていた。
というのも、現在ドルレアク公が寵愛している女性はテニエス伯の妹にあたり、公爵はこの女性が産んだ末の子をおおいに可愛がっているのである。
末の子はまだ三歳になったばかり。当然、公爵家の後継者となるには幼すぎるが、ウルリッヒは警戒を隠せなかった。おもてだって廃嫡を示唆する言葉が出たわけではないが、父の愛情が自分に通っていないことは感覚として理解できる。
そして、テニエス伯が自分の甥を次代のドルレアク公とするべく策動していることも察知していた。
今日までウルリッヒは後陣に追いやられ、ただの一度も戦闘に参加してない。これもウルリッヒに武勲をたてさせまいとするテニエス伯の陰謀であろう、とドルレアク家の嫡子は判断していた。
一方のテニエス伯も、自分が公子から敵視されていることは承知している。
ウルリッヒは暴虐というわけではなかったが、諸事に気性が荒く、また他者に対する好悪の念が激しかった。ひとたび恨みを抱けば許すということを知らない為人といっていい。
もしウルリッヒが公爵位につけば、テニエス伯も、妹も、幼い甥もまとめて処刑されてしまうだろう。テニエス伯としては、いやおうなしに甥を立てざるをえないのである。
三十六歳になるテニエス伯は、ウルリッヒの好戦性に即座に反応するほど軽躁ではなかった。だが、柳のごとく受け流せるほど自尊心が低いわけでもない。
ウルリッヒに劣らぬ鋭い視線で相手を見据える。両者の眼光が宙空で衝突し、不可視の火花がきらめいた。
「公子、なにをもって我らの戦いぶりをぬるいとおっしゃるのか?」
「簡単な話よ。いま申していたな。少なくとも明後日までには城壁を突破する、と。おおいに結構だ。しかし、その先に第三の城壁が待っていたらどうするのだ?」
「む……」
「彼奴らは第一の城壁を守っている間に第二の城壁をつくりおった。であれば、第二の城壁を守っている間、第三の城壁をつくりあげていると考えるのが当然であろう。我らを奔命に疲れさせ、時間を稼ぎ、その間に市街と公宮を要塞化するのがラーラベルクの戦術だ」
滔々(とうとう)と語るウルリッヒに、周囲から驚きと奇異の視線が向けられる。
が、ウルリッヒはかまわず先を続けた。
「鉱夫と鉱山技術をいかした小癪な手だ。いかにも土臭い戦法だが、今日までの貴様らの戦いぶりを見るに、これは有効だと認めざるをえない。しかも、貴様らはいまだそのことに気づいておらず、無策に力攻めを続けようとしておる。これをぬるいと言わずして何という? 博識なテニエス伯が相応しい言葉をご存知なのであれば、ぜひ教えていただきたいものだ」
いかにもわざとらしい丁寧さで教えを請うウルリッヒ。
犀利で知られるテニエス伯であったが、これには咄嗟に言い返すことができなかった。
今しがたのウルリッヒの言葉が、ラーラベルクの戦術の根幹を見抜いたものであることに驚愕したからである。
ラーラベルク軍の切り札は、精鋭の兵士ではなく、険阻な地形でもなく、高品質の武具でもない。鉱夫と鉱山技術こそ敵軍の防御の要。その言葉はテニエス伯の胸にすとんと落ちてきた。それほど説得力に満ちた指摘であったのだ。
そう感じたのはテニエス伯ばかりではなく、その場に集った他の指揮官の口からも驚きや納得の声があがっている。
テニエス伯の眉がかすかに上下した。
これまで戦いといえば力押ししか知らなかった公子が、急に戦術家としての資質に目覚めたとは思えない。であれば、今の思考をウルリッヒに吹き込んだ何者かがいるはずだ。
それを探り当てる必要を、テニエス伯は感じた。
「公子にお訊ねしたい。そこまで仰せになるからには、この戦況に一石を投じる妙案をお持ちであると推察するが、如何?」
「むろん。何の思案もなく軍議で口を開いたりはせぬ」
「されば、ぜひその案をお聞かせ願いたい」
そのテニエス伯の言葉に、ウルリッヒが口ひげをつまみながら応じる。
「簡単なことよ。正面からではなく、背面にまわって敵の虚をつけばよい」
「……ラウラ鉱山はヒルス山脈の一角。その険阻な地形は鎧兜をまとった将兵が通れるものではございませんぞ。それに、山中にはラーラベルク軍の仕掛けた罠が無数に配されており、見張りも厳重です」
「だからこそ、後背を突かれた彼奴らは驚き慌てよう。奇襲とは敵の予期せぬ所を攻めるから奇襲なのだ。無数の罠がしかけられた険阻な地形。これを短時間で突破すれば、一息でラーラベルクの死命を制することができようぞ」
その言葉は、やはり常のウルリッヒらしからぬものであった。
テニエス伯はそっとドルレアク公をうかがう。
それまで黙って息子と寵臣の話に耳を傾けていた公爵は、ここでようやく口を開いた。
「ウルリッヒ、こころみに問う。おぬしの作戦を採るとして、誰を裏手にまわすのか?」
「むろん、この身が参ります、父上」
「兵はいかほど必要だ?」
「我が部隊三百のみで十分でございます。ただ、囚人兵の指揮権をいただきたい」
「ふむ……」
ドルレアク公はわが子の言葉を吟味する。
囚人兵とは死刑相当の重罪人たちを集めた部隊であり、敵領の撹乱をはじめとした死の危険が高い任務で重宝される。
生き残り、手柄をたてれば釈放されるわけではない。戦場で死ぬか、刑場で死ぬかの違いである。それでも、どうせ死ぬのなら、戦場で敵を殺し、街を蹂躙し、女を犯してから死んだ方がいい――そう考える罪人たちが囚人兵として取り立てられる。
そういった部隊であるから、指揮官がわずかでも隙を見せれば味方の軍にも噛み付いてくる。囚人兵の指揮には相応の能力と経験が不可欠であった。
公爵の決断が下るまで、かかった時間はごく短かった。
「――よかろう。囚人兵二百、おぬしにあずける。見事作戦を成功させたならば、望みどおりのものをとらせようぞ」
通常、素早い決断は相手への信頼を示す。
だが、ウルリッヒは父の決断に、自分に対する無関心を――もっといえば、死んだとて構わぬという無情さを感じ取っていた。
ドルレアク家の嫡子は父に向かって恭しく頭を垂れる。それは、父や周囲の人間から表情を読まれることを避けるための行為であった。




