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僭王記  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(五)


 あけて翌日。

 ルテラト区を出たインはそのままセーデ区に入った。都市内での出入りに関しては、わざわざ水路を利用する必要はない。

 そんなインを出迎えたのは、朝風と共に鼻腔をくすぐるかぐわしい薫りだった。



 匂いの源は道の両脇に植えられた香草である。

 訪れる者を迎え入れ、去りゆく者を送り出す薫りの道。これはスラムの建物や地面に染み込んだ悪臭を払う浄化政策の一環でもある。

 提唱者はカイであり、子供たちと共に定期的にセーデのあちこちに草花を植えてまわっている。

 どうやら今朝もその日だったようで、本拠に向かう途中、インはカイとひとりの女の子が香草を植えている場面にでくわした。



 キルと同じ年頃であるその子の名はリッカといい、母と祖父、それに妹と共に緋賊の一員となっている。

 ハキハキとした物言いをする責任感の強い少女で、子供たちのまとめ役のような存在であった。



 ふと顔を動かしたリッカの視線が、インのそれと真っ向から衝突する。

 すると、リッカはびくりと身体を震わせ、そそくさとカイの後ろに隠れてしまった。照れているわけではない。リッカの顔にはハッキリと戸惑いと怯えの色が見て取れる。

 先生、とリッカがカイに呼びかける。

 それでインの姿に気づいたのだろう、カイがにこりと笑って声をかけてきた。



「お帰り、イン」

「ああ。また土いじりか?」

「うん。いくつか珍しい種が手に入ったから、ここの土で育つかどうか試してみようと思って」

「熱心なことだ」



 そう言って、インは周囲を見渡した。

 物陰からカイたちの様子をうかがっていた数名の住民が慌てたように視線をそらす。

 それを見たインはかすかに顔をしかめた。



「お前に手を出す間抜けはセーデにいないと思うが、いちおう気をつけろよ」

「おや、インが僕を心配してくれるなんてめずらしい」

「心配しているのはお前じゃなくて、そっちの子だ。孫に傷でもつけてみろ、セッシュウが鬼みたいになって襲ってくる」



 インが口にしたセッシュウというのはリッカの祖父にあたる人物である。

 キルとアトに並ぶ緋賊の主要戦力。大陸東部の生まれで、行方不明になった義理の娘と三人の孫をさがして中央地域にやってきた。

 幸い、娘と二人の孫は見つかったのだが、もうひとりはいまだ行方不明のままであり、セッシュウはその手がかりを求めて一時的にドレイクを離れている。



 インはセッシュウから自分がいない間の家族のことを託されている。冗談めいた言葉は、その実、かぎりなく本気に近い。

 もちろん、カイもそのことは承知していた。安心させるようにしっかりとうなずいてみせる。



「セッシュウ殿の信頼を裏切ったりはしないよ。安心して」

「ならいい。そういえば、ゴズから話は聞いたか?」

「昨日聞いたよ。今、何人かに頼んで情報を集めているところ」

「わかった。まとまったら俺の部屋に来てくれ」

「諒解。ところで、インもどう? たまには土いじりも悪くないと思うんだけど」



 手に持ったシャベルを示して誘いをかけてくるカイ。

 インは肩をすくめて応じた。



「遠慮しとこう。これ以上そっちの子を怯えさせると、セッシュウ以外の家族にも怒られる」

「……べ、別に怯えてなんていませんッ!」



 そう言ったのは、もちろんカイではなくリッカだった。

 カイの陰に隠れてしまった自分を恥じるように前に出てくると、ぺこりとインに向かって頭を下げる。

 母親ゆずりの長い黒髪が滝のように肩口から流れ落ちた。



「お、お帰りなさいませ、イン様。ご無事のお戻り、なによりでございます」



 おそらく母親のまねをしているのだろう、リッカは精一杯丁寧にそう述べる。

 ただし、視線の方は相変わらずインから逸らされたままだった。

 明らかな隔意を感じさせる振る舞いであるが、別段、インは気にしない。リッカに限らず、子供に嫌われる、あるいは怖がられるのはいつものことであったから。



「カイの手伝い、ご苦労」

「は、はい、お褒めにあずかり――じゃなかった、ええと、まことに恐縮でございます……で、いいのよね?」



 後半は聞こえないように呟いたつもりなのだろう。この場にいる二人の青年には丸聞こえであったが、カイは優しさから、インは関心の無さから、それぞれ聞こえなかったフリをする。

 いささか気まずい沈黙は、遠くからカイとリッカへ呼びかける声が聞こえてきたことで終わりを告げた。

 それを潮にインは本拠へ足を向ける。



 ふと空を見上げれば、雲ひとつない青の色彩が視界一杯に広がっていた。



◆◆




『今日から数えて三日の後、広場にて緋賊の公開処刑をとり行う』



 評議会の名前で大々的に告知された文章をあらためて確認したカイは、おとがいに手をあてる。

 場所はインの部屋。室内にはインとカイの他、キル、アト、ゴズの三人の姿がある。



「これまでのところ評議会に捕まった人はいないから、処刑されるのは僕たちと関わりのない賊ですね。いずれこういう手に出てくるかな、とは思っていました」



 カイの言葉を受けたアトが眉根を寄せる。



「緋賊とは眉を赤く染めた野盗の名称。無関係の野盗であっても、眉を赤く塗りさえすれば緋賊になる、ということですね」



 そのとおりです、とカイがうなずく。

 すると、それを聞いたゴズが首をかしげた。



「処刑を喧伝して我らをおびき出そうという魂胆ですかな。しかし、こちらは処刑される者たちが自分たちと無関係な人間であるとわかっているのですから、のこのこ出て行くはずもなし。評議会側もそれは承知しておりましょう。となると……?」



 この疑問にはカイが答えた。

 額にかかった金色の髪を払いつつ口を開く。



「おそらく評議会は野盗なり囚人なりを緋賊に仕立て上げ、これを衆目の前で処刑することで民心の安定をはかるつもりでしょう。これこのとおり緋賊は捕らえました、ドレイクの治安は評議会によってしっかりと守られています、と都市の内外に示すために」



 緋賊の構成人数や幹部の情報はほとんど知られていない。

 知られていないということは、評議会が偽の事実をでっちあげることもたやすい、ということである。

 無関係の人間を処刑するとはいえ、それが重罪人であれば評議会内部で反対意見が出ることもないだろう、とカイは言う。

 ゴズとアトがなるほどと言いたげにうなずいた。

 さらにカイは言葉を続ける。



「三日の時を挟むことで、緋賊の幹部たちは処刑を知りながら部下を見捨てた、と喧伝することもできますね。このところ、緋賊を奴隷解放の義賊と見る向きも生まれていますから、そういった風潮を早めに摘んでしまおうという意図もあるのかもしれません」



 義賊云々に関しては他ならぬカイが仕掛け人であったりするのだが、それはともかく、今回の公開処刑における評議会側の狙いは明瞭だった。

 緋賊が処刑の場に現れれば、これ幸いと一網打尽にしてしまう。

 もし現れなかったとしても問題はない。処刑を実行すれば、一に民心を落ち着かせることができるし、二に高まりつつある緋賊の評判を落とすことができる。三に公開処刑という娯楽を市民に供することで、評議会への不満をやわらげる効果も期待できよう。

 どう転んでもドレイク評議会に損はない。これはそういう策であった。




 カイの説明を聞いたインは考え込む。

 自分と関わりのない罪人が捕まろうと処刑されようと、インにはどうでもいいことである。傍観したところで胸が痛むことはない。

 しかし、カイのいうとおり、ここで動かないと評議会に宣伝工作の機会を与えてしまうことになる。それは面白くない、とインは思った。



 なにより、インの目には今の状況が好機と映っている。

 評議会が名指しで緋賊に策を仕掛けてきたのだ。それはつまり、ドレイクの最高権力者たちが、インたち緋賊をその他大勢の野盗と同一視できなくなったことを意味している。

 応手次第で、緋賊の存在をこれまで以上に高からしめることができるだろう。



 むろん、対応を誤れば今日までの活動が水泡に帰してしまうわけで、動くにしても慎重に事を運ぶ必要があった。

 まずはじめに考えるべきは、これをしかけてきた相手の正体である。評議会と一口にいっても、その中には帝国派、王国派、独立派といった様々な勢力が入り乱れている。策の出所を正確に把握しなければ、かえって敵の術中にはまってしまう恐れがあった。



「そのあたりはどう見る、カイ?」

「そうですね……」



 周りに他者がいない場合、カイはインと対等に近い話し方をするが、こういう場ではきちんと部下としての節度を見せる。

 主から意見を求められたカイは脳裏にあるドレイク評議会のリストをめくり、この策の仕掛け人を推定した。



「独立派のパルジャフ議長は策を弄する為人ではありません。王国派のフレデリク卿は盗賊など眼中にない御仁。そんな御仁がわざわざ僕たちを罠にはめようとするとは考えにくいです。残るは帝国派の領袖ラーカルト・グリーベル子爵。僕たちは、あの人の息のかかった隊商や傭兵団を幾つも潰してきましたし、恨まれる要素は十二分にあります」



 それを聞いたインはじろりとカイを見据える。

 なにをいけしゃあしゃあと、とその表情が語っていた。



「まさに昨日もそうだったしな。で、それを画策したのはお前なんだが、そのあたりはどうなっているんだ? そういえば初めに『いずれこういう手に出てくるかなと思ってた』とか言ってたな。帝国派を動かしたくて、連中の息がかかった奴らを重点的に潰していたのか?」

「そういう狙いがなかったといえば嘘になりますね」



 悪びれずに答えるカイの顔は、普段子供たちに読み書きを教え、一緒に草花を植えて歩いている『先生』のそれとは一線を画している。

 豊富な知識と明晰な頭脳でイン・アストラを支える軍師。

 それが、かつてカールハインツと呼ばれていた青年が持つ、もう一つの顔であった。



 インは鼻から荒い息を吐き出し、再度の問いを放つ。

「で、いずれこういう手に出てくると思っていたんなら、対抗策は考えてあるんだろうな? 正面から公開処刑をぶち壊す、という案があれば即決だ」

「罠を食い破るのは、罠に落ちてからでいいと思います。今回はこちらが罠にはめた形なので、食い破るのは相手の喉笛にしておきましょう――グリーベル子爵邸を襲います」



 えたりとばかりに笑うイン。

 二人の会話に聞き入っていたアトとゴズは唖然とする。残るキルははじめからインの顔を見ているだけだ。

 周囲の様子を尻目に、頭目と知恵袋は策を煮詰めていく。



「公開処刑が行われる広場に詰めているのは、評議会の兵ばかりでなく、ラーカルトの私兵もだ。奴の邸宅はほぼ空っぽというわけか」

「はい。もちろん多少は残っているでしょうが、インとキル君がいれば問題ありません。知ってのとおり、ラーカルト卿は帝国貴族と評議員、それに商会長を兼ねている人で、彼の商会はシュタールの威光を笠に着た強引な商売をおこなっています。一泡吹かせることができれば、快哉を叫ぶ人は多いことでしょう」



 そう言うと、カイはどこか悪戯っぽくつけくわえた。

 弱きを助け、強きをくじくのは義賊の基本です、と。



 カイの意図を察したインが、めずらしくしみじみと呟いた。 

「なんと悪辣な奴だろう」

「うわ、それはインに言われたくない台詞で一、二を争いますね」

「もう一つは何だ?」

「女たらし、です」

「それは俺を悪辣な女たらしだといってるのか? まあ別にかまわんが、それよりラーカルトの屋敷を襲うとなれば、お前が好かない事態になるぞ」



 インは戦闘に際し、すすんで女子供を手にかけることはない。慈悲やら情けやらではなく、単純にその必要が無いからだ。逆にいえば、必要があれば容赦なく手にかけてきた。

 これから攻め込む屋敷に女子供がいた場合、その者たちを案じて手心を加えるようなまねはしない。逃がすとしても、それは完全に戦いの決着がついた後のことになるだろう。



 ラーカルトには妻と生まれて間もない子供がいる。まさか赤子をつれて処刑見物はしないだろうから、屋敷には彼の妻子と侍女たちが残っているだろう。

 緋賊がグリーベル邸に攻め込めば、巻き込まれる可能性はきわめて高かった。



 カイはインとは違う。戦場における兵士以外の死を忌むカイにしては、ずいぶんと容赦ない作戦だ、とインには思えた。

 そんなインに対し、カイはあっさりと答える。



「その点はぬかりありません。インとキル君は思う存分暴れてください。他の面倒事は僕とアト殿、それにゴズ殿でやるつもりです」



 その言葉に驚いたのはインではなく、傍で話を聞いていたアトたちだった。

 今のカイは決して健康とはいえない状態で、一日を寝台の上で過ごすこともある。以前、大病をわずらった影響だ、とアトたちは聞いていた。

 調子の良い日は普通の人となんらかわりなく動けるので、普段はあまり意識することはないのだが、それでも戦場に赴ける身体ではないだろう。実際、緋賊が襲撃に出る際、カイは必ず留守居を命じられていた。

 驚くアトたちを尻目に、インは無雑作にうなずく。



「なんだ、お前も出るのか。ここの守りはどうする?」



 病身のカイを案じる素振りも見せない姿は、薄情とそしられてもおかしくないものだったろう。

 しかし、この場にいるカイ以外の者の目には、それはかえって相手への信頼をあらわす態度だと映った。

 当のカイはといえば、主にならうようにいたって平然としている。インの問いかけについても、それについては大丈夫というようにしっかりうなずきを返した。



「明後日になればセッシュウ殿が帰ってきます」

「ああ、そういえばそうだったか。孫捜しに進展があればいいが」



 そんな言葉を交わしてから、二人は細部の詰めに入った。

 城壁の中と外では襲撃のやり方もかわってくる。あまり大勢で動けば人の目につきやすくなり、かといって少数ではグリーベル邸の制圧に支障をきたす。

 襲撃の報告が届き、広場のドレイク兵が駆けつけるまでの短い時間で事を成さねばならなかった。




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