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僭王記  作者: 玉兎
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第六章 ガンプの叛乱(二)

 鉱山都市ガンプは、その名のとおり、鉱山にいだかれるようにして建設されたシュタール帝国南西部に位置する都市である。

 鉱山の名はラウラといい、鉄、銅、鉛といった鉱物資源が採掘され、いずれも良質かつ埋蔵量が豊富であり、シュタール帝国でも屈指の優良鉱山として知られていた。

 このガンプを治める領主の名をラーラベルク公爵という。

 ラーラベルク公爵家は、たとえば同じ南部の貴族であるドルレアク公爵家などと比べると勢力ははるかに小さい。領地はガンプとその周辺のみであり、常備兵は三千あまり――ドレイクの半分にかろうじて届く程度だった。ラウラ鉱山を有しているため、財政的には恵まれているが、それでもドルレアク公の富裕には遠く及ばない。



 他方、シュタール宮廷における格式の高さでは、ドルレアク公に上回ることはるかだった。実質的に廷臣の最高位に立っているといっていい。

 ドルレアク公爵家とて帝室の血が入った名門であるのだが、ラーラベルク公爵家はアルトアイゼン皇家の嫡流にあたる人物が臣籍に降下して出来た家であり、いかな南部の大貴族といえど格式では及ばないのである。



 ラーラベルク公爵家が誕生した当時、シュタール帝国は皇位継承をめぐって大きく混乱していた。それこそ内乱の発生も時間の問題だと思われるほどに。

 初代ラーラベルク公となった人物はこの事態を憂慮し、自ら望んで臣籍に降ることで、同腹の弟に帝位を譲り、内乱を未然に防いでのけたのである。

 ラーラベルク家が公爵としては異例なほどに勢力が小さいのは、別段べつだん没落したからではない。ラーラベルク家が力をたくわえようとすれば、その血筋ゆえに必ず皇家に警戒心を与えてしまう。ひいては帝国全体に悪しき影響を及ぼしてしまうだろう。

 そう考えた初代は地位を求めず、土地を求めず、弟から宰相位を提示されたときも迷うことなく辞退した。ラーラベルクの小なるは、決して帝位をうかがったりはしないという初代の意思のあらわれなのである。



 この初代の志は公爵家の後継者たちにも引き継がれており、ラーラベルク公爵家とアルトアイゼン皇家のつながりは極めて深い。

 これは今代のラーラベルク当主であるヘルムートも同様であり、だからこそ、帝室を食い物にしている(とヘルムートが思っている)ダヤン侯爵との関係は険悪の一語に尽きた。

 ことに第一皇女アーデルハイトの刑死以後、両者の関係は完全に破綻し、常に刃の気をはらんだものになっていた……





「――というのが、ガンプとラーラベルク公に関して僕が知っていることだよ、イン」

「ふむ。となると、ドムスが言っていたガンプの叛乱とやら、事実である可能性はかなり高いことになるか」

 インが言うと、カイはこくりとうなずいた。

「そう考えれば、先ごろからの帝国軍の動きのほとんどに説明がつけられるね。ヘルムート公の存在は、ダヤン侯にとってもドルレアク公にとっても目の上のこぶだから、両者が手を組んだ理由の、少なくとも一つはこれだと思う。この件は、アト殿にとってはつらい知らせになるだろうね」

 皇家と繋がりが深いということは、当然、アトとの繋がりも深いということ。カイはアトの心情を思いやって視線を落とす。



 一方のインはといえば、軽く肩をすくめるだけだった。ガンプを訪れたこともなければ、ラーラベルク家との関わりもないインにとって、ガンプがどうなろうと知ったことではなかった。なにより、これからシュタール帝国と戦いを繰り広げていけば、いやでもアトの知り合いと刃を交えることになる。いちいちアトの心情を気にかけてはいられない、というのが正直なところだった。



「宰相の方がラーラベルクとやらを疎んじる理由は今のでわかったが、ドルレアク公が目の仇にする理由はなんだ?」

 問いかけると、カイも気を取り直したようにはきと応じた。

「ラウラ鉱山が欲しいんだよ。シュタール帝国は国内だけでも鉱山を何十と持っているけど、ほとんどは皇帝直轄領になっているから、いくらドルレアク公でも手が出せない。その点、ラウラ鉱山はラーラベルク公の所有だからね。これをとってしまえば、良質の鉄が山ほど手に入る。しかも、今後も継続的にね。ガンプには優秀な職人が多いから、武器でも防具でも作り放題だ」



 それを聞いたインは、なるほど、とうなずく。

「ドレイクも欲しい。ガンプも欲しい。ならば両方手に入れてしまえ。そう考えたドルレアク公の行動の結果が今の戦況か」

「二兎を追う者は一兎をも得ず、ということになるかな?」

「さてな。このまま行けば、ガンプという名前の兎は獲れそうだが」

 インは淡々と言った。

 ただ、ガンプが落ちれば、ドルレアク公が本腰を入れてドレイクを奪いに来るのは確実だ。その意味では、ラーラベルク公とやらには一日でも長く踏ん張ってもらいたい、とは思う。その分、リンドブルムがアルシャート攻略に割ける時間が長くなるからである。



 そこまで考えたインは、これ以上の思案は時間の無駄、とばかりに軽く両手をあげた。

「ま、とうに陥落しているという可能性もあるが、だからといって俺たちのやることが変わるわけでもなし、山向こうの戦況を案じていても仕方ない」

 そういうと、インは本題に入る。

 むろん、それはアルシャート要塞攻略に関する話であった。



◆◆



「敗残兵に混じって要塞内に入るとして、帝国兵の鎧はどの程度集まった?」

「なんとか使い物になるのが二百ほどだね」

 そのほとんどは、テオドールが掃討したシュタール兵の死体から剥ぎ取ったものであるが、インはとくに気にしなかった。

「それだけあれば、まあ足りるか」



 軽くうなずくインに、カイが問いを向けた。

「イン、誰を連れて行くつもりなんだい?」

 セッシュウがフェルゼンに向かった今、動けるのはインとキル、カイ、そしてもうじきやってくるアトとゴズである。敗残兵になりすますということを考えると、女性であるアトとキルの二人は向いていない。外見が柔弱なカイも無理があるだろう。ゴズは外見こそ問題ないが、戦闘に致命的な難があるので、やはり無理。

 必然的にリンドブルムで動けるのはインのみということになるのだが、インには二つばかりアテがあった。




「例のイグナーツという男、あれを使う」

 それはパルジャフの檄に応じて、真っ先にリンドブルムに協力を約束した五人の中のひとり、ドレイク守備隊の百人隊長の名前であった。

 ドムスが敗北した後、シュタール側についたドレイク兵をリンドブルムに引き込んだのも、この人物の功績である。



 イグナーツは二十代半ば。灰褐色の髪と目の持ち主で、すらりとした体躯はよく鍛えられており、兵書を読み解く教養があり、任務遂行能力も高い。容姿も整っている。

 およそ他者から嫌忌けんきされる要素などないように見えるが、彼の周囲に人が集まることはなかった。

『鋭すぎる剣は守備隊には向かないよ』

 この言葉がイグナーツの為人ひととなりを端的にあらわしている。口にしたのはドレイクの守備隊長をつとめるカリオテという人物であった。

 才能も覇気も十分以上に持ち合わせているイグナーツであったが、それゆえにというべきか、その言動はとかく圭角けいかくが目立つ。

 容赦なく他者の欠点を指摘する性格も、苛烈に過ぎる眼光も、他者を遠ざけこそすれ近づける役には立たず、上官は彼を嫌い、同僚は敬遠し、部下は恐れた。



 そんなイグナーツであるから守備隊の中では孤立しがちであったが、パルジャフは彼の才を認め、何かと引き立てていたらしい。百人隊長への推薦もパルジャフによるものだった。

 狷介けんかいではあっても恩知らずではないイグナーツはそのことを忘れておらず、誰よりも先に議長のもとに駆けつけた。そうすることで自身の忠誠を印象付けるという狙いもあったろうが、イグナーツなりにドレイクのことを考えた結果でもあったのだろう。ドレイクにはイグナーツが世話になった姉夫婦が暮らしているのである。




 そのイグナーツを用いる、とインは言った。

 実のところ、インは三年前のセーデでの戦いの際、当時はまだ百人隊長になっていなかったイグナーツと行動を共にしたことがある。あまり心温まる交流ではなかったが、互いに面識はあるわけだ。

 それを聞いたカイは目に興味の色をあらわした。

「へえ、それは初耳だな。どういう出会いだったか聞いてもいいかい?」

「パルジャフの妻を助ける際にな。あいつが苦心して考案した作戦を、俺がぶち壊した」

 といっても、インはことさらイグナーツの邪魔をしたわけではない。単に、イグナーツの存在を知らずにヴォルフラム一党に奇襲を仕掛けただけである。



 カイは頬をかいて苦笑した。

「その時の光景が目に浮かぶね」

 結果としてパウラは救出できたわけだが、イグナーツにしてみれば納得できるものではなかっただろう。カイは当時のイグナーツの心情を思って、こっそり同情した。

 ちなみに、当時のカイはシュシュの秘薬の影響もあり、今ほど自由に歩きまわれる状態ではなかった。知恵は出せても体力的に戦闘は難しく、イグナーツと顔を合わせることもなかったのである。



 あらためて考えるまでもなく、インとイグナーツの組み合わせは潜入という繊細せんさいな任務に相応しいものではなかったが、インなりに成算はあるらしい。案外、イグナーツの能力を高く買っているのかもしれない、とカイは思った。

 カイは続けて訊ねる。

「二つアテがあるってことは、もう一つは?」

「タリアの傭兵団だ」

「ああ、例のにせ緋賊ひぞくを討伐したときのタタール傭兵団だね」

 ここでカイが口にした偽緋賊というのは、今から二月近く前、緋賊の名をかたって暴虐のかぎりを尽くしていた盗賊集団のことを指す。

 時に郊外の村を一つ丸ごと焼き尽くし、討伐に赴いたドレイク守備隊を撃退するほど強勢を誇っていた彼らは、ギルドの依頼を受けた傭兵団によって壊滅に追い込まれた。

 そのときの傭兵団というのが、タリアという女頭目に率いられたタタール傭兵団である。



 付け加えれば、同じくギルドの依頼を受けて討伐に参加した傭兵の中に板金鎧プレートメイルをまとい、斧槍ハルバードを担いだ人物もいた。

 これがアトであり、同時期に偽緋賊の殲滅せんめつに乗り出したインと戦場で出会うことになる。さらに、この偽緋賊に捕らわれていた者の中には、セッシュウの孫であるツキノがいた。

 緋賊にとっては様々な意味で転機となる戦いだったといえる。





 このタリアという女頭目、間もなく四十路よそじにさしかかろうという年齢であるが、多数の荒くれ者を率いる度胸があり、戦乱で焼け出された人々を助ける義侠心も併せ持った立派な人物であった。

 短髪、長身、痩せぎすと、一見したところ男性と見まがう風姿の持ち主で、骨ばった顔つきは美人とは言いがたかったが、ひとたび笑えば人好きのする顔になる。細かいことにこだわらない豪放磊落ごうほうらいらくな性格で、百人近い傭兵団を切り盛りしつつ、ドレイクの一角に店を構えて商店を経営する才覚も持ち合わせている。後者に関しては、傭兵団が戦場で散った際、残った者たちが路頭に迷わないように、という用心のためであるらしい。



 タリアについてはカイも面識がある。味方になってくれれば間違いなく心強い人物だ。

 これまでインやカイがタタール傭兵団と接触しなかったのは、百人を超える傭兵団を抱え込むほどの財貨がなかったからだが、ドレイクを制した今となっては、その程度の額はすぐにも府庫から引き出すことができる。

 インの口許に苦笑が浮かんだ。

「ま、金はあっても、受けるかどうかは向こう次第だがな。受けるかわりにアトを寄越せ、とか言い出しかねんし」

「あちらの団長はアト殿にご執心だからね」

 カイもインと似た表情を浮かべて言った。アトの力量や性格をいたく気に入ったタリアは、以前から顔をあわせるたびに「うちにこい」と熱心にアトを勧誘していた。アトがインに従うと決めてからも、何もよりによって貧民窟スラムに住まわんでも、と渋い顔を隠さなかった。

 インが出向けば間違いなくひと悶着もんちゃくあるだろう。



 軽くあごを撫でながら、インは続ける。

「かといって、俺が出向かないと余計にもめそうだからな。この後、直接話をしてこようと思う」

「そうだね。アルシャートへの潜入は一歩間違えれば全滅必至な作戦だし、そのあたりは雇い主になるインの口からちゃんと伝えた方がいいと思う。その意味では立案者の撲も行った方がいいかな」

「やめとけ、お前が行くと別の意味でもめる」

 インは苦い顔を隠さない。タリアの傭兵団は大半が男性なのだが、中にはタリアを慕う女傭兵たちもいる。いずれも屈強な体格の戦士ばかりなのだが、カイが出向くとその歴戦の女傭兵たちがそろって黄色い声をあげるので、非常に面倒くさいのだ。

 外見だけ見れば柔和な美少年であるカイは、女たちの庇護欲をダイレクトに刺激するらしい。




 そんなことを話しながら、インとカイは着々と準備を整えていった。時を置けば、それだけ敵は落ち着きを取り戻して付け入る隙がなくなってしまう。ガンプの叛乱による影響が消えないうちにアルシャート攻略に取り掛かってしまいたい、というのが二人の考えであった。



 ところが、これより数日後、この計画は根本から見直されることになる。




 その日の朝、太陽が城壁の向こうから姿をのぞかせる時刻、インの部屋の扉が蹴破るような勢いで開かれた。

 扉に背を向けて座っていたカイや、インの傍らであくびをしていたキルが、襲撃ないし暗殺を疑って、思わず剣の柄に手を伸ばしたほどの乱暴な訪問だった。

 あらわれたのは長い亜麻色の髪と高い背丈を持つ少女――アトである。

 常の礼儀正しさをかなぐり捨てた顔は蒼白になっており、握り締めた拳は細かく震えている。インにせよ、カイにせよ、あるいはたまさかこの場にいたキルにせよ、アトがここまで平静を失ったところを見るのは初めてであった。



 よくよく見れば、髪は乱れ、顔からは汗が滴り落ち、着ている衣服にはねた泥がこびりついている。アトがフェルゼンから戻ってくるのは、早くても明日だろうと思われていた。それが今ここにいるということは、おそらくほとんど休みなしで馬を走らせてきたのだろう。

「どうした、アト?」

 問いかけるインの声にも、わずかながら驚きの色がある。

 その問いに応じるように、震える口がゆっくりと開かれていった。



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