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僭王記  作者: 玉兎
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第六章 ガンプの叛乱(一)


「率直に申し上げると、少々意外でしたな」

 アルセイス軍撤退の報を受け、評議会館ではリンドブルムの会議が開かれていた。

 その席上で、セッシュウが不意にそんな言葉を口にする。



「と、いいますと?」

 カイが不思議そうに問うと、セッシュウは小難しい顔で続けた。

「いやさ、ウールーズなる公子の尽力でアルセイス軍が退いたのはもちろん慶賀けいがすべきこと、犠牲なくして事を為せるのであれば、それに越したことはないですからな。ただ、主殿のこと、交渉ではなく武力で決着をつけようとなさるのではないか、と考えておったのですよ。たとえば、公子の従者にまぎれてテオドールなる敵将を討ち果たす、といったような」

「……というのがセッシュウ殿の意見ですが、イン?」



 水を向けられたインはかすかに口角をつりあげた。

「ま、それを考えなかったといったら嘘になるな。もっとも、たとえ実行しようとしたとしても、ウールーズは間違いなく拒否していただろうが」

 そう言った後、ごく自然な調子でこう付け加える。

「それに、まだ本番が残っている。アルセイスが兵を退き、おまけに勝手に内輪もめをしてくれる分には、わざわざ叩く必要もない」



 先のウールーズとの会談は、インたちにとってアルセイス国内の事情を知る良い機会になった。

 もちろん、ウールーズが国内の機密を一から十まで口にしたわけではない。公子の言動から推測したのである。

 別段、高度な推理は必要ない。

 ウールーズがひそかにオリオール姉妹を探しに来たということは、ディオン公父子がいまだにオリオール伯の遺児を気にかけている証拠。これだけでディオン公爵家とオリオール伯爵家の紐帯ちゅうたいを察することができる。

 そして、そのオリオール伯爵家を滅ぼしたテオドールに対し、ディオン公が良い感情を抱いているはずもなく、噂で聞こえてくるディオン公とテオドールの不和は事実であろうという推測が成り立つ。



 また、ウールーズがドレイク侵攻を阻もうとしたことから、この侵攻作戦からディオン公が除外されていた事実がうかがえる。このことから、国王がディオン公に対して隔意を抱いていることも、ほぼ間違いないと判断できる。

 そういったアルセイスの国内事情を把握した上で、今回の戦いの顛末てんまつが、今後のアルセイス王国にどのような影響をもたらすかを考えてみれば――自然、喊声かんせいと刀槍の響きが聞こえてこようというものであった。




 セッシュウはふむとうなずいた。

「内輪もめ。なるほど、カロッサ伯の首級ひとつで、それだけのものが得られるのであれば、強いて交渉をぶち壊しにする必要はありませんな。ウールーズなる者、そのことに気づいておったのでしょうか?」

 セッシュウはウールーズと直接顔をあわせていない。したがって、十五歳の公爵家嫡子がどの程度の人物であるのか、実際に顔をあわせた者たちの言葉から把握しようとしているらしかった。



 インはこれについて、次のように応じる。

「間違いなく気づいていただろうよ。それでも、ここで動かないわけにはいかなかった、というところだろう」

 それだけクロエたちのことが心配であり、また、今回のアルセイス軍の動きに納得できないものを感じてもいたのだろう。外からではうかがい知れない事情もあったと思われる。

 ともあれ、ウールーズ・ド・ディオンという人物、年齢を考えれば驚くべき頭脳と度胸の持ち主といえる。今回のことで、インの脳裏にはこの公子の名がかなり明確に刻まれていた。




 と、ここでパルジャフが軽く右手を掲げて発言を請うた。

「ディオン公爵家の嫡子の名は伝え聞いております。切れ者であり、ことに審理しんりの場における明哲めいてつ老巧ろうこうの法官さえ凌ぐとか」

 そう言うと、パルジャフはここでいったん言葉を切る。ついでに、話の流れも断ち切ってしまった。

「しかし、このことはいったん脇に置いておきたい。公よ、いま聞き捨てならぬことをおっしゃったように思えたのだが。『本番が残っている』とは何を指しておられる?」



 パルジャフの探るような視線がインに向けられる。

 今、ドレイク内の秩序はリンドブルムを中心として急速に確立されつつある。むろん、全員が諸手もろてをあげて新興勢力の台頭を歓迎しているわけではなく、むしろ大半の人間は表向き従いつつも、裏で様々に策動しているだろう。それでも、少なくとも表立ってインに逆らおうとする者はいない。



 残った敵は北門のシュタール軍のみ。

 まっとうに考えれば、本番とはこのシュタール軍を排除して、本格的にドレイク統治にとりかかることを指しているのだろう。

 だが、三万を超えるアルセイス軍との対峙をさしおいて、インがこれを本番と呼称することにパルジャフは強い違和感をおぼえた。何かもっと別の意味が――此方こなたの頭痛を誘発するような厄介な意味が隠されているのではないか、と思ったのである。

 そして、この推測は正鵠せいこくを射ていた。



「アルシャートを落とすことだ」



 端的に、簡潔に、これ以上なくわかりやすく、インは返答する。

 数秒間の沈黙に続いて、パルジャフは低い声を押し出した。

「……それはドレイクの政情が落ち着くのを待ってから、ということですかな? それとも――」

「むろん、これからすぐに、だ。ドレイクはアルシャートを奪うための足がかり。ここで攻め手をゆるめては、ドレイクを落とした意味が半減してしまう」

 パルジャフはそれを聞くや、深々とため息を吐いた。

 『本番』の一言を耳にした瞬間から、もしやとは思っていたが、実際にインの口から語られると、両肩が疲労と憂慮ゆうりょでずんと重くなる。相手がまじりっけなしの本気であるとわかってしまうだけに、この重みは身体の芯まで響いた。



「……無謀である、と申し上げざるをえませんぞ、公」

 アルシャート要塞は琥珀こはく街道をやくするシュタール帝国でも最大級の軍事拠点である。この要塞が建設されてからこちら、大陸南部の勢力がヒルス以北に兵を送り込めた例はただのひとつも存在しない。

 かつてアルセイスの両翼と称されたディオン公とオリオール伯、あの二人でさえ黒鋼の城門を打ち破ることはついにかなわなかった。



 たしかに、ドレイクを落としたことで、インが動かせる兵力は飛躍的に増大している。だが、その多くは所詮一都市の守備を専任とする兵士であり、五鋼騎士団はもちろんのこと、一般のシュタール正規兵と比べても戦闘力はいちじるしく劣る。

 インへの忠誠もなければ、外征の経験もない、身もふたもなくいってしまえば雑兵ぞうひょうだ。そんな兵が何千と集まったところで、アルシャートの分厚い外壁には傷一つ付けられないだろう。ドレイクには攻城兵器のたぐいもないのである。



 アルシャート要塞には、常時一万を超えるシュタール正規兵が詰めている。ドルレアク公が、ただ一度の敗北でドレイクを諦めるとは考えられないので、今後、要塞の兵力はさらに一万、二万と増えていくはずだ。場合によっては帝都からの増援もあるだろう。

 今後の課題は、いかにしてアルシャートからの攻撃を防ぐかにある、とパルジャフは考えていた。おそらく、インとカイはアーデルハイト皇女の存在を利用するつもりだろうが、皇女の存在だけで数万の帝国軍が止まるとも思えず、パルジャフなりに策を用意してもいたのである。




 ところが、インの頭には『防』など一片もなく、ただ『攻』だけがあるらしい。

 そして、インがそう考えているということは、カイもまた同じ考えであるということだ。

 パルジャフがカイを見やると、リンドブルムの軍師は澄ました顔でうなずいた。やはりこの二人は、あらかじめドレイクを奪った後のことも考えていたらしい。

 カイが穏やかに口を開く。

「パルジャフ卿。戦いにおいて重要なのは主導権を握り続けることです。そして、そのためには常に敵に対して一歩でも多く踏み込むこと。主導権とは自ら動く者にのみ与えられる、というのが撲の考えです。卿にしても、ドレイクの城壁を盾にして、兵と住民の命をすりつぶすような戦いは極力避けたいとお考えでしょう?」



 パルジャフは重々しくうなずいた。

「それはむろんのことだ。防衛戦ともなれば、住民の生活がいちじるしく圧迫されようからな。しかし、アルシャートを落とすといっても、いかにしてあのくろがねの城を陥落せしめるのか。たとえ皇女殿下が陣頭に立ったとしても、城門が開くとは考えられぬ」

「そこは状況を踏まえて色々と考えています。アルシャートに逃げこむ敗残兵の中に、こちらの手勢を紛れ込ませるのも一案でしょう」



 ドレイクが落ちて間もない今だからこそ出来る策がある、というのがカイの主張であったが、実のところ、カイもここで時間をおくことの利はよくわかっている。むしろ、許されるならそうしたい、と考えていた。

 リンドブルムという組織をしっかりと立ち上げ、これをドレイクの住民に周知徹底するためには、やはりどうしてもある程度の時間が必要となる。兵の疲労や住民の混乱を考慮すれば、しっかりとした準備期間を設けるにしかず、というのがカイの結論だった。



 ただし、この方法には大きな問題がある。

 時間を置くことで利を得るのはリンドブルムばかりではない、ということだ。

 シュタールもまた、時間を置くことで敗戦の衝撃から立ち直ってしまう。むしろ、地力に優る分、時間を置くことの利はシュタールの方が優っているといえよう。

 今しがた、インが口にした『ここで攻め手をゆるめては、ドレイクを落とした意味が半減してしまう』という言葉はこれを指している。

 ことシュタールとの戦争に関していえば、時間を置けば置くほどに不利になるのはリンドブルムの方であった。

 ゆえに、ここで一息ついている暇などない。今は巧遅こうちよりも拙速せっそくを。ひたすら攻めて、攻めて、攻めぬく時だ。

 



 ここでインがカイの言葉を引き継いだ。

「ついでに言っておくと、アトは戦力として数えてはいるが、皇女として利用するつもりはないぞ。少なくとも、今の時点ではな」

 この段階で第一皇女の存在を明らかにしてしまうと、リンドブルムが第一皇女の組織になってしまう。人々はリンドブルムの戦いを、シュタール帝国の内戦として見るようになるだろう。

 それではリンドブルムを立ち上げた意味がない、とインは言った。

「アルシャートを落とす算段については俺とカイでやる。ドレイクの統治についてはパルジャフに一任するので、好きなようにやってくれ」

「好きなように、とおっしゃるが……」



 唐突の感をぬぐえないインの台詞に、パルジャフは当惑したように目を瞬かせた。

 今やドレイクはインの都市だ。これを統治する権限をまるまる投げ渡されても、はいそうですか、と受け取るわけにはいかない。付け加えれば、パルジャフは自分がインに警戒されていると用心しており、ここでへたにうなずくのは危険だと考えた。



「この身はあくまで公の配下。過ぎた権限をふるうのはためらわれます」

「過ぎた権限も何も、お前は『自由都市』を守るために俺についたのだろう? シュタール帝国から自治権を与えられていたドレイクが、リンドブルムから自治権を与えられるようになった、変化といえば、ただそれだけのこと。議長として評議会を再開するなり何なり、ドレイクのために最善と思えることをやればいい。むろん、リンドブルムとしてののりには従ってもらうが、それはアルシャートを落とした後に話す。今はお前の好きなように動け」

「なんと……?」



 またしても思いもよらない言葉をかけられ、パルジャフは絶句する。

 たしかに、パルジャフはインに臣従の誓いを述べた際、自由都市を守るため、と口にした。だがそれは、この騒乱におけるドレイクの被害を最小限に食いとどめたい、国や貴族の思惑で住民の身命が損なわれる事態を避けたい、という意志を端的に言い表したに過ぎない。

 勝利の暁にはドレイクに自治権を与えよ、かつ自分の議長としての権限を復活せしめよ、などと要求したわけでは断じてなかった。





 だが、インはパルジャフの驚愕をまったく気にとめず、もう話は終わったとばかりにセッシュウに話しかけている。

「セッシュウはフェルゼンの守りをアトとかわってくれ。こちらの状況を伝えておかねばならないし、向こうがどうなっているかも知っておく必要があるからな」

「承知つかまつった。呼び戻すのはアトだけでよろしいか?」

「そうだな……向こうの状況が許すようならゴズもか。それと、クロエにこの手紙を渡しておいてくれ」

 インが取り出したのは、ウールーズが書き記したものだった。



 当人はもうディオン公領に戻ってしまっている。インが考えをあらためて姉妹の生存を伝えたわけでもない。

 これはウールーズがドレイクを発つ際「もしオリオール姉妹が見つかったら渡してほしい」といって手渡してきたものだった。

 どうやらこちらの内心は初めから読まれていたようだ、とインは内心で苦笑したが、手紙を渡す程度のことをわざわざ拒絶するのも不自然だろうと考えて受け取った。年少の相手に対して一目置いたということもある。



 その後、いくつかの案件を話し合った後、インは会議を終わらせた。

 次に向かった先は同じ評議会館の一室である。入り口の扉に二人の兵士が張り付いているその部屋には、紅金騎士団の千騎長ドムスが負傷の身を横たえていた。



◆◆



 インが部屋に入るや、寝台の上で身を起こしていたドムスが不機嫌そうに唸り声をあげた。

「小僧、何が狙いだ? わしを生かしておいたところで何の益にもならぬぞ」

 そう口にするドムスの右腕は、肘から先の部分がなくなっている。インの波状剣フラムベルクによって腕甲ごと叩き斬られたためであった。



 一方で、その腕に血止めの布を巻いたのはインであり、火に包まれた北広場から引きずるようにしてドムスを連れ出したのもインであった。

 全身を返り血で染めた狂戦士が何の目的でそんなことをしたのか、とドムスはいぶかしんでいる。

 今のドムスは傷の手当を済ませ、服も着替えてこざっぱりとした格好になっている。当然、甲冑は剥ぎ取られており、武器も取り上げられていたが、縄や鎖でいましめられているわけではない。

 ドムスは胡乱うろんな目つきを隠そうともせずにインの顔をねめあげた。



「火で責められようと、水で責められようと、軍の機密は一言半句も漏らさぬ。わしを拷問したところで、得られるのは徒労くらいのものであろう」

「ふん、中年男を責めたところで面白くもない。千騎長程度が知りえる機密に興味はないしな」

 インが応じると、ドムスは眉間にしわを寄せた。

「ならば何故、わしを生かして捕らえた? 武勲を誇るなら首級で十分、生かしておく必要なぞあるまいが。かといって、敵に情けをかけたとも思われぬ。おぬしの面構えを見るに、敵に情けをかけるくらいなら、代わりに小便をかける手合いであろう」



 それを聞いたインは鼻で笑った。

「お望みならそうしてやるぞ。お前を生かしておいたのは、単にその方が北門の後始末が楽だからだ。なんなら他に捕らえた部下ともども、今すぐ解き放ってやるが?」

「ぬ? それはどういう意味だ?」

「言葉どおりだよ。今ここで解き放てば、貴様は部下を連れてアルシャートに逃げ帰るだろう。そうすれば、俺は労せずしてドレイクを制圧することができる」

 途端、ドムスの眉間のしわがひときわ深くなる。

「わしがあくまで北門に固執したらどうするつもりか? まだ北門には無傷の騎士たちが多く残っているはずだ」

「そうなったら、間抜けな指揮官をいただいた紅金の騎士どもを哀れみつつ、あらためて叩き潰してやるだけのことだ。アルセイス軍が兵を退いた今、俺は持てる力のすべてを貴様らに振り向けられる。もう一度、ドレイクの民に五鋼騎士団が蹂躙される場面を見せつけてやるのも一興。それを見れば、新たに参じたドレイク兵たちも心から俺に従うようになるだろうしな」



 だから、どちらでもかまわない、とインは言った。

 ドムスが逃げようが、抗おうが、その選択に痛痒つうようを感じることはない、と。



「ふん、たいした自信だ。アルシャートから援軍が到着すれば、戦況などいくらでもひっくり返ることに気づいておらぬと見える」

 吐き捨てるドムスに対し、インは嘲りを返した。

「援軍が到着すれば、か。つまり今の自分たちでは勝ち目がない、と認めるわけだ」

「ぬ、それは――」

 思わず言葉に詰まる。はっきりと意識していたわけではなかったが、確かに現時点における敗北をドムスは認めていた。先夜のていたらくを思えば、認めざるをえなかった。



 とはいえ、それを素直に口に出すのも業腹である。ドムスは少し意趣返しをしてやることにした。どうせ他にやることもない。相手が激昂して斬りかかってくる可能性もあるが、それはドムスにとって望むところであった。

「アルセイスが兵を退いたといったが、あれが一時的な撤退であるのは火を見るより明らかではないか。こんなところでのんびりしておると、南からの大軍に取り囲まれるぞ?」

 それを聞いたインは一瞬妙な表情を浮かべた後、すぐに得心したように二度うなずいた。

「ん? ああ、そうか、貴様は知らないんだったな」

「なんのことだ?」



 ドムスが怪訝そうな顔になる。

 そうすると、両のもみあげと顎鬚あごひげが繋がったこわい容貌に、わずかばかり愛嬌のようなものが生じる。そんなドムスに対し、インはあっさりとした口調で告げた。

「アルセイス軍、総勢三万がすでに帰国の途についていることを、だ」

「なんと!? それはどういうことだッ」

 驚きのあまり、吼えるような声をあげるドムスだったが、インは呆れたように肩をすくめるだけだった。

「おのれは何も話さぬといっておきながら、敵には説明を求めるのか? それはあまりに都合が良すぎるというものだろう、千騎長」



 反論の余地のない言い分を前に、ドムスはぐぬぬと唸る。意趣返しどころか、かえって相手にやりこめられてしまった無念も、その唸り声には含まれていた。

 忌々しげにインを睨むドムスだったが、不意にその表情が変化する。

 このとき、ドムスは唐突に思い出していた。

 イン・アストラ。この貧民窟セーデの主に対し、訊きたいことがあったことを。




 訊ねたところで素直に答えが返ってくるはずもない。そのことは今のやりとりからも明らかであったが、それでも相手の反応から分かることもあろう、とドムスは考えた。軽く舌で唇をしめらせてから、ゆっくりと口を開く。

「――ヘルミーネ、という名をしっておるか?」

「ん……? ああ、たしかラーカルトの妻の名前だったな」

 ドムスの推測に反して、インは思いのほかあっさりと応じてきた。一瞬、ドムスはそのことに戸惑ったが、相手が応じる気であるなら、それに乗じるのが得策だとすばやく判断する。



「そうか。グリーベル邸を襲撃したのは緋賊なり、との噂はまことだったのだな。して、ヘルミーネは生きておるのだろうな?」

「息子ともども生きているさ」

「……仮にも帝国子爵の妻子。不当な扱いなどしておらぬだろうな?」

「不当な扱い?」

 ふん、とインは嘲るように笑った。



「ひとたび戦いに勝てば兵と民とを問わずに皆殺し。そんな貴様らにとって不当な扱いとは何を指す? 仮に夫を殺された妻を慰み者にしたところで、貴様らに不当と罵られる筋合いはない」

 自分たちをかえりみて物を言え。

 それを聞いたドムスの口から、ぎり、と歯軋りの音がこぼれおちた。

「つまり……それをした、ということか?」



 答え次第では躍りかかってきかねない迫力を見せるドムスに対し、インは実につまらなそうに言い捨てた。

「するかよ、あほう。仮に、と言っただろうが。ヘルミーネには指一本触れていない。触れれば折れてしまうたぐいのか弱さは好みじゃないんでな」

「それは、まことであろうな?」

「心配なら条件つきで会わせてやってもいいぞ。どうやら知己のようだし、直接当人に訊いてみるがいい。俺から不当な扱いとやらを受けなかったかどうかをな」



 インはそういって咽喉を震わせるように笑う。

 もとより、インが素直にドムスの問いに応じたのは、この条件を持ち出すためだった。

 ヘルミーネの名を出した際のドムスの目には、紅金騎士団千騎長としてではなく、ドムス・エンデ個人の意志がはっきり見てとれた。

 ここを突けば情報の一つ二つ引き出すことは可能だ、とインは判断したのである。



 そして、その見立てが正しかったことは、口を閉ざして苦悩の色を浮かべるドムスの顔を見れば明らかであった。

 しばし後、ドムスは苦衷くちゅうをそのまま顔に出しつつ、低い声で問いかける。

「条件とは、何だ?」

「簡単だ。ヒルスの北で何が起こっているかを教えろ。帝国軍がドレイクに兵を向ける以前から兵備を整えていたことはわかっている。帝国宰相とドルレアク公の不自然な接近も、大方それが理由だろう」

 このあたりはセッシュウやパルジャフの話を聞いた上での推理だが、事実とそうかけ離れてはいないだろう。



 インは軽く両手をあげた。

「別に細かな軍の配置を教えろとは言わない。どこで、何を理由とした混乱が起きているのか、それだけでいい。もちろん無理にとは言わないが、その場合、俺が貴様の願いを受け入れる理由がなくなるのは理解できるな?」

 それを聞いたドムスの口から、何度目のことか、唸るようなうめき声がもれる。



 紅金騎士団の千騎長はその後もしばらく迷いを見せていたが、よくよく考えてみれば、アルシャート要塞がある以上、その北側で何が起こっているかを知ったところで、眼前の青年には何もできないことに思い至った。

 おそらく騒ぎの規模から増援の有無を推測しようとしているのだろうが、それはほとんど意味がない。なにしろ、北の叛乱はもうじき片付く上、仮に叛乱の鎮圧が長引いたとしても、シュタール帝国には二面作戦を行うだけの十分な軍事力がある。



 ドムスがアルシャート要塞から援軍を引き出せなかったのは指揮系統の違いゆえであり、カロッサ伯の死が伝わり、ドルレアク公が新たな指揮官を選任すれば、要塞にこもっている部隊は一気にドレイクに殺到してくるだろう。

 そして、それは遠い先のことではない。

 であれば、ここで表面的な情報を与えたとしても、帝国軍が危地に陥ることはない。ドムスはそう判断した。それによって帝国貴族の妻子を救い出す端緒を得られるのなら、差し引き大きな得であろう、とも。





 ――かくて、イン・アストラは北の鉱山都市をめぐる帝国内戦の情報を得るにいたる。

 この情報はドムスの意に反して今後の展開に大きな影響を及ぼすことになるのだが、この時点ではまだ、そのことを知る者は誰一人として存在しなかった……




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