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僭王記  作者: 玉兎
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第五章 リンドブルム(八)

 夜が明けたとき、ドレイクにおける大勢たいせいは決しつつあった。

 アルセイス軍は去り、シュタール軍は敗れ、ただ一つ残ったリンドブルムが勝利を収めた――その認識が住民の中に広まっていた。

 実際には、アルセイス軍は一時的に兵を退いただけであり、シュタール軍はいまだ北門を占拠しているのだが、それでもリンドブルムという新興勢力が二大国を相手どってドレイクの主権を握った事実は動かない。



 また、北門を占拠するシュタール軍に関しては、もはや主体的な動きは不可能となりつつある。

 紅金騎士団千騎長ドムス・エンデの敗北により、シュタール軍はカロッサ伯に続いて、またしても総指揮官を失うことになり、寸断された指揮系統はもはや修復しようがなかった。

 カロッサ伯が率いていたドルレアク兵は、もはやこれまでとアルシャート要塞へ退き、北門に参じたドレイク守備隊のほとんどは、翌朝になると姿を消していた。

 残ったのは紅金騎士団のみ。千騎長であるドムスは敵軍の虜囚となり、残った百騎長らは合議で北門の占拠続行を決定したものの、これは戦意が失われていない証拠というわけではなく、先夜の戦いで重傷を負って戻ってきた数百の兵士と、ほぼ同数の軍馬を抱えているため、進むも退くもできかねる状態だったから、という理由が大きい。




 この結果を受け、評議会館を奪ったリンドブルムのもとには、それこそドレイク中から人々が押し寄せてきた。

 数日前まで誰も名前を知らなかった新興勢力を、ドレイク市民がはじめからある程度うけいれることができたのは、やはりそこにパルジャフ・リンドガルの名前があったからだろう。

 一方で、噂や檄文で語られる緋賊ひぞくあらためリンドブルムの実態を我が目で確かめたい、という目的もあったに違いない。



 一夜にしてドレイク有数の権力者に成り上がったインは、それらの対応をパルジャフに一任した。もっと噛みくだいて表現すると、押し付けた。

 先にパルジャフが挙げた五名、すなわち早くからインたちに協力を約束し、実際に兵を率いて評議会館に駆けつけた者たちは、さすがにイン自らが対応したが、それ以外――紅金騎士団の敗北を聞きつけてから腰をあげた者たちに対しては、さしたる関心を向けなかった。

 別段、彼らの日和見ひよりみさげすんだわけではない。ただ、勝利に惹かれて集まった者たちに対しては、両手を広げて歓待するより、次の勝利を味あわせた方が効果的だろう、と判断したに過ぎない。



 次の勝利とは、もちろん再襲するアルセイス軍に対するものだ。

 インが会うことを優先したのは、そのための情報を握っていると思われる者たちであり、結果として、ウールーズはたいして待たされることなく、インと対面することができたのである。




◆◆◆




「知らんな、オリオールの姉妹なぞ」

 にべもなくインは言い捨てる。

 ウールーズがドレイクを訪れた理由を語り終えた直後の第一声がこれであった。



 さらにインは続ける。

「フクロウの紹介とあってはむげにもできない。そちらが姉妹を探したいというなら邪魔はしない。ついでにいえば、俺はその姉妹とやらに興味はないので、探し出してアルセイスの王やら将軍やらに差し出すつもりもない。そのことは明言しておこう」

 邪魔はしないし、興味もないので勝手に動け。そう言うインの顔を、ウールーズはじっと見据えた。澄んだ双眸が、窓から差し込む陽光をうつして小さく煌く。



 ウールーズが静かに問いかける。

「過日、王国派の評議員がセーデに兵を動かしたと聞きました。その理由は何だったのですか?」

「答える義務はない――と言いたいところだが、遠来の客に対して、それでは礼を失するか。推測だが、セーデの住民の中に緋賊ひぞくが混じっていることをつかんだからではないか? 同胞たるラーカルトの仇を討つために兵を動かす、いかにもあの男が好みそうな友愛に満ちた美談だからな。あの奇矯ききょうなふるまい、嫌いではなかっただけに、奴が死んでしまったのは残念だ」



 インは静かにそう言った。フレデリクの死を惜しんでいるのは事実なのか、口許を引き結んだ顔は死者をいたんでいるように見える。

 先夜、敵兵の血を浴びて戦っていた狂戦士と同一人物とは思えないが、よくよく見れば、顔や首、手のひらなどに火傷やけどのあとが幾つも残っている上、黒い髪はところどころ火にあぶられてちぢれている。おそらく、衣服の下はもっとひどい状態だろう。



 そんなことを考えながら、ウールーズはさらに一歩踏み込んだ。

「クロエ様とノエル様のお二人を無事アルセイスに連れ帰ることができれば、我がディオン公爵家は今後、リンドブルムに対して最大限の便宜べんぎをはかることを約束します。必要とあらば、この身が質として残ることもいといませんが、それでも答えはかわりませんか?」

「かわらんな。知らないものは知らない。これもついでにいっておくが、俺はアルセイスの事情に興味はない。アルセイスは敵であり、テオドールも、ウスターシュも等しく敵だ。本音をいえば、二人仲良く手を取り合って攻めて来てほしいくらいのものだ。その方がわかりやすいし、面白い」



 ソファに背をあずけたインがくつくつと笑う。

「だから、ここで駆け引きをするだけ時間の無駄だ。姉妹を探すなら探す、アルセイスに戻るなら戻るで、さっさと行動に移った方がいいだろうさ」

 言うや、話は終わりとばかりに立ち上がる。

 このとき、インはクロエらに無断で事を決してしまったわけだが、その点については気にしていなかった。

 これで二人がアルセイスに帰る道が閉ざされたわけではない。混乱がおさまった後、こういうことがあったと二人に伝えて、それであの二人がディオン公爵のもとに行きたいと望んだなら、そのとき改めて送り出せば済む話である。

 結果としてウールーズに無駄足を踏ませることになるが、今のインには姉妹よりウールーズを重んじる理由は何一つ存在しなかった。




 これに対してウールーズは、座った格好のまま、わずかに目をみはってインの顔を見上げていた。

 けんもほろろに申し出をはねつけられたわけだが、その顔に驚きはあっても怒気はない。インに応じて立ち上がった後も、視線はまっすぐインの顔に向けられている。

 今、ウールーズは意外の感に打たれていた。

 先夜の戦いぶりや、盗賊という前身からして、リンドブルムの主はもっと欲望や野心にあふれた、権力への執着が強い人物だと思っていたのだが、ウールーズの想像と実際のインの姿には大きなへだたりがある。



 といっても、別段べつだん、インが清廉せいれんな人物であると思ったわけではない。

 ウールーズが見るに、インには欲望も野心もあったし、ぎらつく黒の双眸からは権力への渇望かつぼうじみたものが確かに感じられた。当たり前だ、そうでなくては大陸七覇の二つを相手取って武力闘争を挑むはずがない。

 では、何が実物と推測との差異を生じさせているのか。 



 それは言語化することが難しいものだった。

 強いていうならば、くはあってもにごってはいない、という感じだろうか。

 澄んだ黒。

 ウールーズは眼前の相手からそんな印象を受け取っていた。





 インが姉妹のことを隠していることを、ウールーズはほぼ確信している。これといった確証があるわけではないのだが、かつてマリクを追い詰めたこともあるウールーズは、他者の言葉、表情から真偽を見抜く天性の目と耳を持っていた。

 ウールーズは特異な生い立ちゆえに、幼少時から他者の耳目を意識せざるをえなかった。その境遇がもたらしたものだと思われたが、ともあれ、ウールーズはインの言葉に偽りを見出していた。

 問題なのは、だからといってインが姉妹を利用する気振けぶりを見せないことである。

 むしろ、その態度は他者の詮索せんさくから姉妹を守ろうとしているように感じられた。



 ウールーズは思う。

 そもそも、インが姉妹の身柄を握っていたのであれば、もっと早くから利用することができたはずだ。野心ある人間にとって、オリオール姉妹はアルセイスをかき乱すためのこの上ない道具である。

 しかし、インはそれをしていない。ディオン公爵という大貴族とのつながりを得られる機会を前にしても、知らぬと言い続けた。ウールーズが約束履行のための人質になることを口にしたときでさえ眉ひとつ動かさなかった。



 ――アルセイス軍を打ち破るのに他者を利用する必要なぞない、と言わんばかりに。



 戦力比をかんがみれば、傲慢ごうまんと呼ぶことさえはばかられる無謀な態度。それでも、その意志を揺るがせにしないからこそ、この人物からはにごりもよどみも感じられないのだろうか。

 だとすれば、確かにここで口にするべきは駆け引きではない。




 小柄なウールーズにじっと見上げられ、インは怪訝そうに眉を上げる。

「まだ何かあるのか?」

 それに対してウールーズが口を開きかけたとき、不意に部屋の扉が叩かれた。

 インが入るように声をかけると、それに応じて扉が開かれ、カイが姿を見せる。

 黄金色の髪の青年は開口一番、無礼を詫びた。

「お話中に申し訳ありません」

「かまわん、なんだ?」

 インが促すと、カイは真剣な表情で報告を行った。

「南に出した斥候からアルセイス軍の情報が届きました」



 ここでカイはちらとウールーズに視線を向け、次いで確認を求めるようにインを見た。

 インがこれに対してうなずくのを見届けてから報告を続ける。

「南の街道からアルセイス軍が急速に北上中です。歩兵を主力として、数は二万強。くわえて一万ほどの後続も確認いたしました。どうやらこちらは輜重隊しちょうたいのようですが、軍列の中に攻城兵器も見て取れたとのこと。先行している部隊は、早ければ今日の夕刻にも南門に達します」

 それを聞いたインはひとつうなずいた。その口許は楽しげに歪んでいる。

「ふん、昨日の今日だというのに、さすがに速い。だがまあ、ちょうどいいと言えばちょうどいいか」

「と、言いますと?」

 カイが首をかしげると、インは口許の笑みを消さぬまま先を続けた。



「パルジャフの仕事を少なくしてやろう。アルセイス軍接近の知らせを大々的にドレイク中に触れろ。敵の強大な兵力はもちろん、攻城兵器があることまで包み隠さずにな。ああ、ついでに敵の指揮官も明記しておくか。テオドールは分かっているが、他に誰か有名なのはいるか?」

「報告では、歩兵部隊の先頭に立っているのは黒い甲冑を着込んだ、見るからに屈強な将軍だったとのことです。兜を外した顔には、斜めにはしる向こう傷が見えたとか。他の特徴とあわせて考えれば、おそらく――」



「アルセイス第七将軍 リリアン・シェロン様でしょう」

 その名を口にしたのはカイではなく、ウールーズだった。

 ウールーズはさらに続ける。

「国王陛下の忠実な臣下で、こと勇猛さに関してはアルセイス軍随一といっていいと思います」

「それはまた、わかりやすい奴が出てきてくれたな」

 そう言ったインは、台詞をとられて苦笑しているカイを見て、先ほどの命令の続きを口にする。

「テオドールとリリアン、二人の将軍の名前を明記して、アルセイス軍襲来を都市中に派手に知らせろ。で、最後にこう付け加えておけ。リンドブルムに忠ならんとする者たちは、すべての手勢を率いて南広場に参集されたし、とな。もちろん、金銭的、物資的な協力でもかまわない」



 それに対して、カイはこくりとうなずいた。

「ふるいにかけるわけですね」

「ああ、群がってきた連中の大半は、これでまた日和見ひよりみに戻る。先の五人と、ここで残ったやつ。今後はこの連中を重用していけばいい。そういえば、カロッサ伯が城外に追い出した守備隊長は何か言ってきたか?」

 カイはかぶりを振って問いに応じた。

「様子見を続けています。パルジャフ卿の呼びかけにも、言を左右にして応じていません」

「なら、同じことを伝えておけ。さすがに気づいていないとは思わないが、こっちの風向きを確かめるのに必死なあまり、アルセイス軍への注意がおろそかになっているかもしれん」



 現在のドレイク守備隊長は保身の感覚に優れた人物である。三派閥が角をつきあわせるドレイクにあって、長年にわたって守備隊長の座を保持し続けてきたことからも、そのことはうかがえる。

 だが、保身の感覚だけで今日の事態に対応することはむずかしい。

 ドレイク守備隊の数は六千。数の上ではいまだにリンドブルムを上回っているため、ここで一気に都市を奪回することができれば――ということも当然考えているだろう。



 実際のところ、すでにドレイク守備隊の二割近くはリンドブルムの麾下に加わっているため、守備隊長が考えているほど兵力差があるわけではないのだが。

 先夜、真っ先に駆けつけた五人の中にイグナーツという名前の百人隊長がおり、このイグナーツが北門の同僚たちに働きかけて、一千をこえる守備兵の大半をリンドブルムに招くことに成功したのである。

 ドムス・エンデの予期せぬ敗北により、シュタール軍は混乱状態に陥っていただけに、事は速やかに進んだ。



 守備兵の感覚としては、リンドブルムに加わったというよりは、パルジャフ議長の麾下に戻ったという感じだろうが、そのあたりの認識の齟齬そごはおいおい矯正きょうせいしていけばよい。

 インから見れば、城外の守備隊はいずれ麾下になる可能性がきわめて高い兵力であり、アルセイス軍に血祭りにあげられてしまっては困るのである。

 知らせた結果、守備隊長が保身感覚を働かせてアルセイス軍に投降する、という可能性もないわけではないが、もともと彼らはアルセイス軍に対抗するために出陣した兵たちだ。くわえて、先にパルジャフが発した檄文は城外にも届いている。隊長がアルセイスに降伏すると決めても、配下の大半はその決断に従わないだろう。



 ――いっそのこと、アルセイス軍が到着するまでにみずから出向いて決着をつけてしまおうか。

 そういった計算を働かせはじめたインの視界からは、すでにウールーズの存在は半ば消えかけていた。

 だから、ウールーズが口を開いたとき、わずかに驚いた。

「リンドブルム公、一つおうかがいしたい」

「……む?」

 インが驚いた理由の一つは慣れない呼ばれ方をしたせいかもしれないが、ともあれ、次のウールーズの発言はインの、そしてこの場に居合わせたカイの意表をつくものであった。



「無血でアルセイス軍を退かせる策があると申し上げたら、耳を傾けていただけますか?」




◆◆◆




「あーら、リリアン。少し見ない間にますます鉄面皮に磨きがかかったんじゃなくて? お肌の色もこころなしか鉄っぽくなってるわよ」

「そういう貴様は、ただでさえ軽かった口がますます重みを失ったようだな、カラドゥ。そのうち、鳥のごとく空を飛び始めるのではないか」

 久々に顔を合わせた二人のシェロン一族は、挨拶がわりの第一声をぶつけあってから、あらためてお互いの顔を見やった。

 かたや満面の笑み、かたや仏頂面という違いはあったが、いずれも相手の顔に血族間の親愛を見出すことはできなかったようだ。



 リリアンは低い声を押し出し、従兄弟いとこに問いかける。

「どうするつもりだ、カラドゥ?」

「というと? 何に対しての問いなのか言ってもらわないと答えようがないわ」

 からかうようなカラドゥの言葉に、リリアンは苛立たしげに言葉を続けた。

「ウールーズ公子がお越しになったことだ。どう対処するつもりか、と訊いている」

「さて、どうしようかしらね――って、そんな怖い顔しないでちょうだい!? それについてはあたしも驚いているの。ディオン公がこんなに早く、しかも密使ではなくて公子様を差し向けてくるとは予想していなかったわ。おそらく、テオドール閣下も同じはずよ」



 それを聞いたリリアンが飴色あめいろの両眼を猫のように光らせる。

 相手の表情から真偽を推し量るように、カラドゥに向けられた視線の圧力が強まった。

 並の兵士であれば、それだけで震え上がってしまいそうな迫力だったが、カラドゥは慣れたもので、軽く肩をすくめるだけで圧力をやり過ごしてしまう。



「だから、そんな怖い顔しないでってば。本当のところが知りたいなら、直接公子様からうかがえばいいでしょう?」

「……この戦況でわざわざ一粒種ひとつぶだねの公子を派遣してきたのだ。元帥ウスターシュ閣下の求めるところは撤兵てっぺい以外にありえぬ。だが――」

 リリアンは言葉じりを濁らせた。



 みずからを国王の忠実な配下、忠実な武将と任じるリリアンは、職責を戦場に限定しており、宮廷の権謀とは距離を置いてきた。リリアン自身の気質、能力も野天で戦場を駆けることに特化しており、陰謀のたぐいに関わったことはない。関われるだけの能もない、と自覚している。

 今回のドレイク侵攻に関しても、リリアンは国王に命じられて最後の局面で将軍として名を連ねたに過ぎない。

 リリアンとしては王命がくだった以上、全力でこれを遂行するだけであるのだが、正直なところ、気がすすまないものを感じていた。



 リリアンは国王に忠誠を誓っているが、上位者としてディオン公爵にも相応の敬意を払っている。今回のように宮廷の勢力争いを戦場に持ち込まれるのは不本意なのである。

 くわえて、この作戦は奇妙にリリアンの嗅覚に触れてくるものがあった。どこがどう、と具体的に表現することはできないのだが、どこかきな臭さを感じる。

 一筋縄ではいくまい、との予測どおりにウールーズ公子が姿をあらわした。まさかこの戦況で陣中見舞いでもあるまいから、公爵の要求は侵攻の制止であろう。



 第一将軍であるディオン公にはそれをする権限がある。

 しかし、王命を受けたテオドールがこれに従うはずがない。リリアンとしても、国王からじきじきにテオドールの補佐を命じられた以上、第三将軍の決断に賛同せざるをえない。

 自分が何かよからぬ策謀にからめとられている気がして、リリアンは落ち着かなかった。




 カラドゥはそんなリリアンを見て、かすかに口角をあげる。

「そうね、テオドール閣下が撤兵の求めに応じることはないでしょう。でも、心配しなくても大丈夫よ、リリアン。なんといっても、テオドール閣下は国王陛下のご命令で動いているのですもの。ウスターシュ閣下はあくまでアルセイスの廷臣、最後には陛下の御意志を尊重なさるでしょう」

 ここでカラドゥはくすりと笑うと、リリアンの鼻先に指をつきつけた。

「陛下の忠臣であるあなたがここにいる。これこそ正式なちょくにまさる陛下の御意志のあらわれだわ。ディオン公がそれに気づかれないはずがない。お気づきになった上で、それでもなお公爵が陛下の御意志を阻もうとなさったなら、それは――」

 リリアンに向けていた指をそっと自分の口許にあて、カラドゥは意味ありげに言葉をとめた。



 リリアンはそんなカラドゥをいとわしげに見据える。昔からこの従兄弟いとこは意味ありげな言葉で周囲を振り回し、平地に無用の乱を起こすへいがあった。

 一喝してやりたいところだったが、これ以上ここで時を費やしてしまうと、テオドールとウールーズの二人を待たせることになってしまう。

 やむをえず口を閉ざしたリリアンは、テオドールの天幕に足を向ける。カラドゥと並んで歩くのは不本意であったが、こちらもやむをえなかった。






 ドレイクに向けて一路北上していたアルセイス軍。その本陣を訪れたウールーズは、大半の者たちが予測していたとおり、アルセイス軍の撤兵を求めた。

 これに対し、指揮官であるテオドールは撤兵が不可であると応じる。たしかにテオドールの作戦行動は第一将軍の認可を得ていない。よって、軍制上、ディオン公はテオドールを制止する権限を持っている。

 しかし、テオドールが出陣した目的は、ドレイクで行われたアルセイス人虐殺という暴挙への報復であり、まだ生きてドレイクにとどまっているアルセイス人の救出である。時をおけばおくほどに被害は大きくなっていくだろう。

 ここでの撤兵はドレイクの同胞を見捨てるに等しく、元帥閣下ならびにウールーズ公子には、ぜひともその意味合いをくみとっていただきたい、とテオドールは述べたてた。



「――国王陛下が元帥閣下を飛び越える形で私に命令をなさったのも、ひとえにアルセイスの国民くにたみを思えばこそでありましょう。本来であれば、陛下は真っ先に元帥閣下にお命じになったに違いありませんが、今回はたまさか私が最もドレイクの近くに位置しておりました。それゆえ、陛下は私にドレイク征伐を命じられたのだ、と心得ております。どうか公子のご理解を賜りたい」

 テオドールはそういって恭しくこうべを垂れる。軍部における席次はテオドールの方がウールーズよりもはるかに上であるが、今のウールーズはディオン公爵の代理人に等しい。テオドールの言動は上位者に向けるそれであった。



 テオドールの言葉はいかにも筋道だっており、同時に相手に重圧をかける役割も果たしている。この出兵は国民の救出のためであるということは、つまり、撤兵の求めは国民を見捨てろというに等しい。それでもウールーズが撤兵を求めるようならば、その事実は今後、アルセイス中に広まっていくことになるだろう。ディオン公とその嫡子ちゃくしは、自分たちの面目のために国民を見捨てたのだ、と。

 『国王の命令』という大義名分をあえて一番最後に口にしたのも、相手の判断を一方に追い込むための布石であろうと思われた。



 そのあたりを看取かんしゅしたカラドゥは、ウールーズがどのような反応を返すのか、興味をもって観察していた。

 若年にして令名をはせるウールーズ・ド・ディオンであるが、その活動は公爵領内にとどまっており、宮廷に足を運ぶことは滅多にない。カラドゥも一、二度言葉を交わしたことはあるが、くわしい為人ひととなりを知るには至っていなかった。




 そのカラドゥの前で、ウールーズはゆっくりと口を開く。

「テオドール卿のおっしゃること、まことに道理であると聞こえます。此度の出陣が暴虐なるシュタールを誅伐ちゅうばつすることにあり、なおかつドレイクにとりのこされた同胞を救うことにあるのなら、これを止めることは何人なんぴとにもできません。まして国王陛下のご命令があるのであれば、どうして卿らを妨げることをいたしましょうか。我が父がこの場にいても同じことを申していたでしょう」

 それを聞いた瞬間、その場にいた三人の将軍の顔に等しく「ほう?」と言いたげな表情が浮かび上がった。

 ウールーズは悩むそぶりも見せず、テオドールの言葉を全面的に受け入れたのである。



 あまりにもあっさりとした決断。

 だからこそ、その言葉に裏があることをテオドールは瞬時に察知した。あのディオン公の嫡子が、この程度の弁舌で言いくるめられるはずがない。

 さて、どういう手を隠しているのか。

 テオドールはひそかに楽しささえ覚えつつ、なおも芝居を続けた。



「では、我らはこれより進軍を再開したく思います。順調にいけば今日、少なくとも明日中にはドレイクを落とすことができるでしょう。元帥閣下にはそのようにお伝え願いたい」

 その言葉に対する反応は素早かった。ウールーズはごく自然な調子で言う。

「その必要はありません」

「……ほう? 公子、それはどういう意味ですかな?」

 穏やかでありながら高圧的という、両立しがたい要素を兼ね備えた公子の言葉に、テオドールは怪訝そうに問い返す。

 もちろんそれは表向きのことであり、内心でテオドールはおもしろがっていた。さっそく来たか、というところである。



 そんなテオドールに気づいているのかいないのか、ウールーズは淡々と続ける。

「そのままの意味です。テオドール卿、ならびにリリアン卿、カラドゥ卿はただちに兵を率いてアルセイス国内にお戻りください」

「これは異な事を。我らを止めることはしないと、今しがた公子はそう仰ったはずだ」

 それを聞いたウールーズは小さく首を傾げた。

「テオドール卿。少し互いの言葉に齟齬そごがあるように思われます。たしかに私は卿らを止めることはしないと申し上げました」

「しかり。その上でこれ以上進軍するなという。つまりは止めていらっしゃる。明らかに矛盾しておりましょう」

「止めてはおりません。進軍する必要がない、と申し上げたのです」



 これを聞いて眉間にしわを寄せたのは、テオドールではなくリリアンだった。

 右の眉から左の頬にかけて、深々と刻まれた向こう傷が大きく歪んでいる。リリアンは重々しい声で口を挟んだ。

「公子、すまぬがこの武人にもわかる言葉で話していただきたい」

「いたって単純なことです、リリアン卿。シュタールの誅伐、同胞の救出、いずれもすでに完了しております。だから、これ以上卿らが進軍する必要はないと、そう申し上げました」

 そう言うと、ウールーズは従者のひとりに一抱えもある木箱を持ってこさせた。それこそ、人間の首級一つなら楽々おさまる大きさである。



 それを見た瞬間、三人の将軍は何かを悟ったように思った。



「どうぞ、おあらためください」

 ウールーズに促され、リリアンが木箱のふたを持ち上げる。

 中に入っていたのは、予想どおりというべきか、塩漬けになった人間の生首であった。

「これは……」

 リリアンのつぶやきにウールーズが応じる。

「シュタール帝国の廷臣、カロッサ伯ウィルフリートの首級です。いまさら卿らに申し上げるまでもないと思いますが、カロッサ伯はドレイクの支配者として、アルセイス王国に近しい者たちに弾圧を加えた張本人。アルセイス人虐殺の首謀者です。先にテオドール卿はドレイクの城門を突き破り、シュタール兵に手痛い打撃を与えたとうかがっております。シュタールに対する誅伐は完了したとみなしてよろしいでしょう。これ以上の戦闘の続行は、新たな被害をうむだけです」




 カラドゥが探るような視線を向けてウールーズに問いかける。

「公子様、ずいぶんとドレイクの内情にお詳しいですわね?」

「ドレイクに取り残された同胞を案じたのは卿らだけではないということです、カラドゥ卿。私も、私なりに行動しました。すでにドレイク内部は、パルジャフ議長をはじめとした勢力によって秩序を回復しつつあります。シュタール兵は勢力を失って北へ逃れつつあり、これ以上、無辜むこのアルセイス人が命を奪われる事態は起こらないでしょう。このこと、議長の確言もいただいております」

 言い終えたウールーズは木箱のふたを元に戻し、静かに告げる。

「シュタールの誅伐は完了し、同胞を襲う惨禍さんかも食い止めることができました。出兵の目的はすべて完遂かんすいされ、戦いを続ける理由は何一つとして残っておりません。私が卿らにこれ以上進軍する必要がないと申し上げた意味、おわかりいただけたでしょうか?」





 カラドゥはちろっと唇をなめ、目をすがめてディオン公の嫡子を見やる。

 その口が挑むように開かれた。

「公子様、これはあくまであたし個人の意見なのですが、今こそドレイクを奪う絶好の機会である、とはお思いになりませんこと?」

 それを聞いたリリアンが眉をひそめた。

「カラドゥ、貴様、何を言い出す気だ?」

「あくまでここだけの話よ、リリアン。公子様とお話しする機会は希少だし、少しくらい可能性の話をしても罰は当たらないでしょう。それで、いかがかしら、公子様?」



「カラドゥ卿らしからぬ下策である、と申し上げざるをえません」

 ウールーズがかぶりを振って応じると、カラドゥはわざとらしく唇を尖らせた。

「あら、これは手厳しいわね。ドレイクの富と繁栄がシュタール帝国に利しているのは三歳の子供でも知っていることよ。それをアルセイスのものとすることが、どうして下策になるのかしら?」

「ドレイクがもたらす富と引き換えに、我が国にぬぐいがたい汚名が張り付いてしまう恐れがあるからです」



 ウールーズは言う。

 そもそも、今回の出兵の目的は同胞を害されたことに対する報復と、生き残った者たちの救出であった。

 ここで綺麗に兵を退けば、世人せじんは明確な出兵目的と速やかな進退を賞賛するだろう。テオドールらの武勇を、アルセイス王の深い慈悲を称えてやまないだろう。

 だというのに、ここで領土欲を出してしまうと、今回の出兵がありふれた侵略戦争になってしまう。それだけならまだしも、アルセイスの威信を地に落とす疑いが生じてしまう。



 カラドゥは思慮深げに目を光らせながら、さらに問うた。

「その疑いというのは何かしらね?」

「アルセイス軍のそもそもの目的はドレイク奪取であって、報復も救出も出兵の口実に過ぎなかったのではないか、という疑いです。ひいては大本になったアルセイス人虐殺さえ、ほかならぬアルセイス側の関与があったのではないかと疑われてしまうでしょう。アルセイス軍の出撃が速やかであり、準備が万全であったればこそ、この疑いを言い解くことは困難をきわめます」



 その言葉がウールーズの口から出た瞬間、天幕内の空気が音をたてて凍りついた。実際に温度も何度か下がっていたかもしれない。それくらい明確な変化があった。

 ウールーズが言及しているのは、十分な準備期間を経ていなければ実行できないはずのテオドールの奇襲作戦であり、緊急の出動のはずなのに糧食はおろか攻城兵器まで完備しているアルセイス軍の兵備の充実ぶりである。



 虐殺があったから兵を発したのではない。

 兵を発するために虐殺を起こしたのではないかと、ウールーズはそう口にしたのだ。



 あくまで「他者にその疑いを抱かれる恐れがある」という物言いだったが、ウールーズが言わんとすることは明白である。

 ウールーズは今、テオドールを、ひいてはこの作戦にだくを与えた国王を正面きって難詰したに等しい。

 出兵の口実欲しさに同胞をあやめたか、あるいは見殺しにしたのではないか、と。




 この場で下手なことを口走れば、アルセイス軍同士が相打つ事態になりかねない。

 さすがにカラドゥも軽口を叩きかねて沈黙の砦にこもってしまう。

 と、次の瞬間、ぱんぱん、という軽い音が天幕内に響きわたった。テオドールが事態をおさめるように両手を二度叩いたのである。



「なるほど、公子の懸念はもっともだが、なに、それはあくまで我らがドレイクに欲目を見せた場合の話だ。こうして首謀者の首を得て、しかもドレイクの混乱が収まったと聞いたからには、強いて兵たちに血を流させる必要はあるまい。新たにドレイクに立った勢力への対処は、あらためて陛下の御前で話し合えばいいだろう」

 あえて裏の意図には触れず、相手の言葉の表層に対して返答する。

 テオドールはそのやり方でウールーズの追及を阻んだ後、なにくわぬ顔で眼前の木箱を指し示した。



「公子、この首級はあなたにお預けしてよろしいかな?」

「……いえ、カロッサ伯を討ち取ることができたのは、陛下のご決断とテオドール卿の驍勇ぎょうゆうがあってこそ。テオドール卿の手で陛下に届けていただくのがよろしいかと存じます」

「さようか。であれば、そのとおりにするといたそう」

 実際にカロッサ伯を討った者については、両者共に言及しない。今この場において、それはさしたる意味を持たないことだからである。

 国王へ報告する際、首級をあげたのはテオドールということになっているであろうし、ディオン公がそれに異議をさしはさむこともないだろう。



 テオドールは、続けて他の二将に命じた。

「リリアン、カラドゥ、私はこれから陛下への報告書をしたためる。撤退の準備は任せるぞ」

「……は」

「……かしこまりました」

 先にリリアンが、続けてカラドゥが頭を垂れる。二人は予期せぬ展開を前に戸惑いを隠せない様子だったが、さすがにいつまでも呆けてはいなかった。



 二将が動きはじめた後、テオドールの視線が再びウールーズに向けられる。

「公子も気をつけて戻られよ。必要ならば護衛の兵をつけるが、いかがなさる?」

「お気遣い感謝いたします、テオドール卿。けれど、護衛ならば間に合っていますので」

「承知した。ああ、それと公子、できれば今後は王都の方にも顔を見せていただきたいな。今は時がないが、あなたとは色々と語り合ってみたいものだ。互いに過去のわだかまりを解く一助になるかもしれぬ」



 あっけらかんと、あるいはぬけぬけと。

 そう話しかけてくるテオドールの顔を見やったウールーズは無言で一礼する。

 それがウールーズなりの返答であった。




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