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僭王記  作者: 玉兎
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第五章 リンドブルム(七)

 ドムス・エンデ千騎長は五百の紅金騎士を率いてドレイクの大通りを疾走していた。

 北門から評議会館へ、まっすぐに。石畳を蹴る馬蹄の音が静まりかえった大通りに響き渡り、周辺の住民は時ならぬ轟音と地響きに驚いて、家の中で不安げに身を寄せ合った。

 日が落ちた後の大通りは暗闇に沈み、出歩いている人の姿はまったく見えない。普段であれば、この時間でも宿や酒場は開いているし、歓楽街などはここからがかきいれ時といった盛況を呈するのだが、さすがにこの状況で営業をする命知らずはいないようだった。



 もっとも、ルテラト区の中には、都市が騒乱状態にある中でも平然と店を開けている剛の者もいたりしたのだが、ドムスは別段べつだん彼らを取り締まるために兵を出したわけではない。

 アルセイス軍撤退の報が北門に届き、それに応じて戦況を主導するために兵を動かしたのである。



 その兵がわずか五百に過ぎなかったのは、ドムスが出し惜しみしたためではない。

 貧民窟スラムでインが予測したように、現在のシュタール軍は寄せ集め状態だった。ドムスには智も勇もあるが、必要な地位と権限がなければ他部隊の兵を統御するのは難しい。

 カロッサ伯の手勢は指揮官の死を知って意気阻喪いきそそうしており、しかもアルセイス軍によって死傷した者が少なくなかった。彼らはドムスの指揮を受けることは了承したものの、この状態で敵軍と戦えと命じたところで、まともな働きは期待できないだろう。それどころか、かえって騎士団の足を引っ張りかねない。



 ドレイク守備隊にいたっては、味方と計算することさえはばかられた。

 市街の各処にばらまかれた評議会議長パルジャフの檄文は、はっきりとシュタール帝国を敵として扱っており、当然、彼らも目にしているに違いない。

 この状況でドレイク兵を戦場に投入するのは無謀である、とドムスは判断せざるをえなかった。正直なところ、北門の守備からも外してしまいたいのだが、それをすれば好んで彼らを敵陣営に追い立てるようなものである。一千をこえるドレイク兵の離反は、傍観している他部隊の動向にも影響を与えずにはおかないだろう。



 考えた末、ドムスは自部隊の半数を北門に置き、敵と味方、双方に対する押さえとすることにした。そして、みずからは残りの半数を率いて評議会館をおさえにかかる。

 その行動の下にはパルジャフと同じ認識があった。評議会館の主こそ都市の支配者。ただでさえ檄文によってカロッサ伯の死が知れ渡り、帝国の威信は低下している。この上、リンドブルムとやらに評議会館を占拠されてしまうと、本当にドレイクが帝国の手綱を離れてしまう。

 なんとしても食い止めなければならなかった。




 そうしてドムスら騎士団が北広場に到着したとき、ひとりの青年がこれを出迎える。

 まるで闘技場テアトルムのように煌々とかがり火がかれた広場の奥。

 闇夜にうっすらと浮かび上がる評議会館の外観を背景とし、地に長大な剣を突きたてて悠然と構える姿には、いかなる恐れもおびえも存在しない。

 いっそ傲慢なまでに落ち着きはらって帝国軍の前に立ちはだかる青年の顔を見た瞬間、ドムスは相手の狙いを察したように思った。



◆◆



「突撃せよッ!!」

 次の瞬間、ドムスはまったく迷うことなく突撃を命じていた。

 宰相の走狗、真紅の猟犬とあだなされた紅金騎士団に、多対一を忌む騎士道精神は存在しない。

 むろん、ドムスは何も考えず、ただ戦意の赴くままに突撃を命じたのではない。

 あたかも闘技場テアトルムに見立てたかのごとき広場の様相、そこで悠然と待ち構える青年がひとり。いかにも奇異な光景であるが、紅金騎士団千騎長は冷静に相手の思惑を推し量っていた。



 世に空城計くうじょうけいと呼ばれる作戦がある。城に攻め寄せてきた敵軍に対し、わざと城門をあけ放って無防備のていを見せつけることで、何か策があるのではないかと疑わせ、攻撃をためらわせる作戦のことである。

 あの青年の狙いは空城計と同じであろう、とドムスは見て取った。

 いかにも物々しく構えて何かあると見せかけ、その実、何もない。へたに攻め手をゆるめてしまえば相手の思う壺にはまってしまう。ここは問答無用で蹴散らすのが最善である、とドムスは判断した。




 豪快な決断であるが、その底にはやはり冷静な計算が働いている。

 状況から考えて、ここでシュタール軍を待ち受けている相手はリンドブルム以外にありえない。

 アルセイス軍が撤退してから半刻(一時間)たらず。リンドブルムが北広場に大掛かりな罠を仕掛ける時間的余裕はなかった。

 同時に、檄文をばらまいてから今にいたるまでの間、彼らが何百、何千という部隊を組織したとも考えにくい。そんな動きがあれば、必ず目についたはずだ。



 結論として、この場に大掛かりな罠や多数の伏兵は存在しない。

 罠や伏兵があったとしても、それは五百名の紅金騎士が馬蹄で蹴散らすことができる程度のものだ。

 それだけの思慮を経た上で、ドムスはみずから先頭に立って突進を開始したのである。




 このドムスの決断に対し、青年――インは笑みを浮かべていた。

 嘲笑ちょうしょうではない。哄笑こうしょうでもない。穏やかで険のない笑みは、心底からの喜びをあらわしている。

「やはり、シュタール帝国はこうでなくてはな」

 敵の小細工など意に介さず、圧倒的な兵力を正面からぶつけてくるドムスの戦法は、単純であるがゆえに付け入る隙がない。強大な武力の正しい行使の仕方だ、とインには思える。



 まっすぐに突っ込んでくる紅金騎士団は数さえ知れない。インの位置からざっと見ただけでも百以上。おそらく後方には、この数倍の騎士たちが続いているだろう。

 それだけの数の騎士が厚い甲冑に身を固め、馬さえも鎧をまとって突進してくるのだ。押しつぶし、引きちぎり、踏み砕く。敵対する者に対し、刃向かうことはおろか、あらがうことさえ許さない力の奔流ほんりゅう

 巍々(ぎぎ)たる城壁が迫り来るにも似たその姿は、まさしく鋼の軍勢。



 インの顔を猛々しい戦意が覆っていく。

 それでもなお、口許の笑みは消えない。

 カロッサ伯を弱敵扱いする気はさらさらないが、それでも物足りなさを覚えたことは事実である。

 あのシュタール帝国に喧嘩を売ったのだ、全身が総毛そうけだつような恐怖を、腹の底にずしりとのしかかる脅威を感じさせてもらわなければ拍子抜けというものだ。

 その点、迫り来る紅金騎士団は、おもわず笑いがこみあげてくるほどにわかりやすい力の具現だった。



「そうだ、こうでなくては面白くない!」

 面貌めんぼうに戦意をたぎらせるインであったが、しかし、まだ剣は抜かなかった。

 かわりに腰にさげた袋から濃緑色の液体が満たされた瓶を取り出す。そして、殺到してくる紅金騎士団の先頭、人馬一体となって突っ込んでくるずんぐりとした騎士めがけて無造作になげつけた。



 瓶は騎士本人ではなく軍馬の鼻面に直撃した。長細い顔を覆う馬鎧にあたった瓶はあっけなく砕け散り、中身ごと四散する。

 馬鎧を通じて小さくない衝撃が伝わったはずだが、時に数千の矢風の中を突っ切って敵陣に躍りこみ、敵兵を馬蹄で蹴散らす軍馬がこの程度の衝撃でひるむはずもない。飛び散った破片が目を傷つけるような不運もなかった。

 にもかかわらず――



 次の瞬間、軍馬の脚が折れた。馬首が急角度でかたむき、そのままつんのめるように顔から地面に突っ込んでいく。とっさに手綱をひいた騎士の動きにもまったく反応を示しておらず、おそらくいななき一つあげることもできずに意識を刈り取られたのだろう。

「なんとッ!?」

 乗っていた騎士――ドムスはなんとか鞍上で踏ん張ろうと試みたが、この状況では練達の騎士といえどもいかんともしがたい。一瞬後には鞍から地面に投げ出されていた。



 ドムスだけではない。

 被害はほとんど一瞬で周囲の騎士にも拡大していた。彼らが乗る軍馬が一斉に悲痛ないななきを発し、騎士たちのぎょを受け付けなくなったのである。

 ある軍馬は突然に棹立さおだち、ある軍馬はドムスの愛馬と同様、気絶して地面に崩れ落ちた。狂ったように前肢と後肢で交互に直立を繰り返している馬もいる。

 あまりの事態に、物に動じない紅金騎士たちから動揺の気配がたちのぼる。彼らは突然の軍馬の狂乱が何によってもたらされたのか、まったく分からなかったのである。



 だが、すぐにその原因に気が付いた。

 いやおうなしに気づかされた、といった方がいいだろう。糞便の臭いを何十倍にも濃くしたような猛烈な悪臭が騎士たちの鼻腔に届いたのだ。

 ドムスらは知るよしもなかったが、それはリンドブルムの軍師がつくった香油の原液であった。インはフレデリク・ゲドが自邸にこもる原因となったこの液体を、今度は紅金騎士団を押しとどめるために用いたのである。



 戦場の死臭、腐臭になれた騎士たちにとっても耐え難い激臭。厚い甲冑も、巧みな剣技も、臭いの侵食は防げない。人間よりもはるかにすぐれた嗅覚を持つ馬にとっては、鼻腔に焼けた鉄串を突き立てられるようなものだったであろう。

 突然に乱れたった先頭部隊の混乱は、たちまち後に続く騎士たちにも波及した。

 倒れた味方を避けきれずに転倒した騎士がおり、とっさに馬を棹立さおだたせて追突を回避した騎士は、さらに後ろから来ていた後続の騎士に衝突されて罵声をあげた。

 さえぎる物のない平原であれば、後続の騎士たちは左右に展開して混乱を最小限にとどめたであろうが、ドレイクの北広場は五百の騎士が縦横無尽に駆けられるほど広くない。



 しかもこのとき、騎士団の後続に対しても、とどめとばかりに暗闇からくだんの液体が入った瓶が投じられていた。

 混乱はさらに加速し、拡大していく。

 それでもさすがは紅金騎士というべきか、十を超える騎士が混乱を突っ切ることに成功した。彼らははかったように一斉に穂先をそろえ、インめがけて突っ込んでくる。

 対するインは布袋から二つ目の小瓶を取り出していた。



「見事と言いたいが、馬にこだわるのはやめるべきだったな」

 投じられる瓶。飛び散る液体。人馬の悲鳴。

 その後に起きたのは、さきほどの光景の焼き直しであった。





「総員、馬を捨てて徒歩かちになれィ!」

 もはやこの場で軍馬は役に立たぬ。そう判断したドムスの命令が広場に響き渡った。

 ドムス自身、疾走している馬の鞍上から地面に叩きつけられている。骨の一、二本はおろか四肢の一つ二つが使い物にならなくなっていても不思議ではないはずだが、命令には苦痛の影さえ差していない。その明晰めいせきな指示は混乱していた配下の騎士にいくらかの落ち着きをもたらした。



 ドムスは愛用の槌矛メイスを構えてインと向かい合う。

 強烈な悪臭といえど別に毒ではない。慣れてしまえば戦うことに支障はなかった。

「紅金騎士団千騎長がひとり、ドムス・エンデである! 小細工はここまでだ、小僧。闘神の御許で我らを敵とした判断を悔いるがいいわッ!」

 言うや、ドムスは周囲の騎士を差し招いた。逆上し、単身で敵に挑みかかるようなまねはしない。そして、敵に時間を稼ぐ暇も与えない。

 参るぞ、と吼えたドムスが石畳を蹴ると、配下の騎士たちが一斉にこれに続く。

 落馬による負傷の影響は間違いなくあるはずなのだが、ドムスの言動、判断にはいささかの曇りも見られなかった。




 今度こそ剣戟が交わされるかと思われたが、インはなおも石畳に突き立てた波状剣フラムベルクを引き抜こうとしない。

 三つ目の、そして最後の瓶を取り出したインは、それを無造作に手前の地面に叩きつけた。床に放られた瓶は乾いた音をたてて砕け、中に入っていた液体が周囲にまきちらされる。



 このとき、ドムスやその他の騎士の動きが止まったのは、前方から吹き付けてきた悪臭に怯んでのことではなかった。

 どんな手品でもタネが割れてしまえば驚きも失せる。敵が手に持っている物がそういうものだと分かっているのだから、いまさら怯むはずもない。

 ドムスたちが止まったのは、足元から伝わる感触が明らかに変化したからであった。



 かがり火が焚かれているとはいえ、広間全体が隅々まで照らし出されているわけではない。

 おぼらな影に沈んだ広場の石畳には、わらがまかれていた。紅金騎士団の進入路となる北の入り口付近をのぞいて、である。

 先刻、ドムスはリンドブルムが大掛かりな罠をしかける時間的余裕はないと考えた。その判断に間違いはないが、かき集めたわらをばらまく程度であれば、さして時間は必要ない。



 敵が来ることを予期して、燃えやすいわらをばらまいておく。

 その狙いはドムスならずとも察しはつく。

 そう、インは激臭を放つ香油の原液を投じて紅金騎士団を混乱に陥れたが、この場合、重要なのは『香』ではなく『油』の方である。

 もちろん、カイがつくった香油は火を近づければ即座に燃え上がるような代物ではないが、原液、それも燃料となる物がばらまかれている状況であれば、本来の用途とは異なる使い方もできる。



 ここにおいて、インはようやく波状剣フラムベルクを抜き放った。その切っ先が向けられたのはドムスら紅金騎士ではなく、近くで燃えているかがり火である。

 ドムスの口からうめくような声が漏れた。

「貴様、何を……!?」

「俺が何をしようとも、お前たちが気にすることはないよ、紅金騎士団。何が起こっても、怖れず、怯えず、戸惑わず、ただ従順に敵に喰らいつく。だからこそ、お前たちは猟犬の名を冠しているのだろう?」

 薄い薄い笑みを閃かせたインが波状剣フラムベルクを振りかざす。そして、ドムスが制止する間もなく、勢いよく振り下ろした。

 かがり火がぐらりと崩れ、火の粉が勢いよく石畳に降り注いだ、その瞬間。



 広場にいた者たちすべての視界に、赤々と咲き誇る炎の花が映し出された。



 燃え上がる火は、まき散らされたわらを、そこにまかれていた油を伝って、なめるように勢力を広めていく。

 周囲はほとんど一瞬で炎に包まれた。

 その熱気に押されるように、一歩、二歩と後退するドムスたちの耳に、インの嘲り声が響く。

「刃は怖れずとも火は恐れるか。それもまた、畜生ちくしょうの名を冠した貴様らには相応しいのかもしれないな」

 周囲の炎を切り裂くようにして、波状剣フラムベルクを構えたインが騎士のひとりに躍りかかる。

 標的となった騎士は、全身に炎をまとったかのごときインの一撃をさけることが出来なかった。振るわれる刃の切れ味はすさまじく、まるで鎌で薙がれた雑草のように、騎士の頭部はあっさりと胴体から切り離されてしまう。



 次撃を予想して槌矛メイスを構えるドムス。

 しかし、インは何故だか動こうとしなかった。頭を失った胴体の前に立ち、あふれ出る返り血を避けようともしない――いや、むしろすすんで返り血を浴びているように見える。

 なんのためにそんなことを?

 決まっている。これほどの火を起こした当人が、その影響を受けずに済むはずがない。よく見れば、インの袖や裾には火が燃え移っている。

 インは返り血でその火を消しているのだ。全身を血で濡らしてしまえば、以後も火は燃え移らない道理である。





 ぞくり、と。

 およそ戦場において、ただの一度も臆したことのないドムスの背に戦慄が走った。血を浴びる青年の姿を見て、そして、その格好のまま波状剣フラムベルクを構えてこちらに向き直る姿を見て、知らず、槌矛メイスを握る手に汗が滲む。

 もはや何一つ顧慮こりょすることはない、といわんばかりにインが猛然と突っ込んでくる。

「シャアッ!!」

 気合と共に振り下ろされる鋼の刃を、ドムスは槌矛メイスを掲げて真っ向から受け止めた。

 頭蓋を叩き割らんとするインの猛撃に対抗すべく両腕に力が込められ、膨れ上がった筋肉が窮屈そうに腕甲の留め具をきしませる。

 ドムスの眼前には、楽しげに口許を歪ませるインの顔がある。その顔を見て、ドムスははっきりと自身を襲う戦慄の正体を知った。



 この敵は何としてもここで討ち取らなければならない。

 そうしなければ、喰らいつかれ、噛み裂かれるのは自分たち紅金騎士団だ。



 それはただの直感。何ひとつ根拠のない妄想のたぐい

 戦場で狂気に駆られて残虐性を示す者などめずらしくもない。そのことをドムスは良く知っている。

 知っているが、それでもなお、眼前の敵をここで討ち果たさなければ、との思いは一向に薄らぐことがない。

 知らず、紅金騎士団千騎長の口からは、相手に劣らぬ猛々しい雄叫びがほとばしっていた。




◆◆◆




 血と炎、悪臭と叫喚が充満する市街戦。

 その様子を離れた場所から観察していたウールーズは、勝利の天秤が一方に傾いたことを悟った。

 翠眼すいがんが見据える先には、シュタール兵の血で身体を染めた青年の姿がある。



「マリクに聞いた貧民窟スラムの長の特徴と一致します。あれがイン・アストラですね」

 静かな声でつぶやく。平静な面持ちを保ってはいたが、内心でウールーズは驚き呆れていた。なんというでたらめな戦い方だろう、と。

 当人としては成算あっての行動なのだろうが、ウールーズは見ているだけでめまいがしてきそうだった。

 いかに策があったとはいえ、一勢力の長が紅金騎士団相手に単身で立ち向かうのは無謀そのものであるし、市街地のど真ん中で火攻めを実行したときには「正気ですか!?」と叫びそうになった。周辺の家々に飛び火して、大火になったらどうするつもりだったのか。




 目的のためには手段を選ばないあたり、いかにも盗賊あがりらしいといえる。

 もっとも、わらにしても、油にしても、十分な量はなかったようで、火勢自体は思ったより小さい。この分なら、おそらく火が燃え広がることはないだろう。

 時間がなかったために罠が不完全だったのか、あるいはそれ以外の思慮があったのか。

 ともあれ、当面の問題はいかにしてインと接触するかである。

 もとより、ウールーズはオリオール姉妹の情報を得るためにインと会うつもりだったが、今となってはそれ以外にも会わねばならない理由ができていた。

 他でもない、テオドール・フルーリーの存在である。




 ウールーズはドレイク急襲の作戦など聞いていなかった。ウールーズが知らないということは父公爵も知らないということ。おそらくテオドールは、何らかの理由をこしらえて国王から直接命令を受け取ったのだろう。あるいは、国王の方から命令が下ったのか。

 いずれにせよ、この作戦はディオン公爵の目が届かないところで準備され、実行に移されたものだ。テオドールに武勲をあげさせることで、相対的にディオン公の力をそぎ落とそうという魂胆はあまりにも明白であった。



 本来、ウールーズは即座に公都に戻り、父公爵に事の次第を報告するべき立場にある。

 だが、テオドールがドレイクを支配するということは、あの男にオリオール姉妹の生死を握られることと同義であり、そのことがウールーズをドレイクにおしとどめた。

 かつてオリオール一族を殺しつくした男が、今になって姉妹に手心をくわえるとは考えられない。それこそ、オリオール姉妹は混乱の最中に暴徒に殺されました、などという筋書きを書くことさえテオドールはできるのである。

 それだけは何としても阻止しなければ、とウールーズは決意している。



 アルセイス軍の――いや、テオドールの作戦を阻止する方向で動く。

 そのためにはどうするべきか。

 ウールーズはひとりでドレイクに来たわけではなく、東門近くの船着場に武装商船ベルキューズが停泊している。これはディオン公爵家が私有する商船で、六十名の船員はみなディオン家の私兵である。ベルキューズ自体も衝角ラムや強弩を備えた軍船であった。

 必要とあらば、正規の軍船をほふれるだけの武力であるが、テオドール率いる大軍相手では無に等しい戦力でしかない。



 協力者が必要だった。

 宿敵であるシュタール軍にくみするのは論外なので、必然的に、残るリンドブルムに協力を求めなければならない。

 とはいえ、今のウールーズの立場を説明するには時間がかかるし、向こうが素直に信じてくれるとも思えない。最悪、テオドールと共謀してリンドブルムを罠にはめようとしている、と疑われる可能性さえある。



 この危急の時にうろうろするな、とばかりに牢屋に叩き込まれるかもしれないとあっては、安易に評議会館におもむくこともできかねる。

 ウールーズとしては難しい決断を迫られていたのだが、今しがたの戦いを見てからというもの、不思議とウールーズの中から迷いは消え去っていた。

「やはり、直接あたってみるのが一番ですね」

 ウールーズはそう結論づけた。

 なぜといって、あんな無茶な戦いをする相手に対し、あれやこれやと思案を重ねても仕方ないと思えたからだ。理を説こうと、利を提示しようと、たぶんあんまり意味はない。



 危険はあるが、逡巡しゅんじゅんして機を逸することに比べればだいぶマシだろう。たとえ悪い方向であっても、事態が動けば対処もできるし、あたらしい選択肢が生じることもある。だが、居竦いすくまっているだけでは何もできないし、何も変わらない。

 なにより、ウールーズの性格的にも、このやり方が好ましかった。妙に知恵を働かせて小ざかしく立ち回るよりは、相手と真っ向から向き合った方がしっくりくる。



 ――少し後、このウールーズの決断を聞いた私兵たちは血相をかえて反対した。

 彼らはディオン公ウスターシュがじきじきに選んだウールーズの護衛であり、端的にいって、オリオール家の姉妹よりも公子の身の方がはるかに大切だったからである。

 ここは一度公都に戻り、公爵に情勢を報告すべきだろう、と護衛たちは声を揃える。

 それに対し、ウールーズは助言に感謝しながらも首を縦に振ろうとはしなかった。



「時として、考えて行動するより感じるままに行動する方が良い結果をもたらす場合もある、と父上もおっしゃっていました。なにより、クロエ様とノエル様は私にとって、とても大切な方々なのです。五年前、子供だった私は誰ひとり、何一つ、救えなかったけれど、今は違う。ここでドレイクを離れてしまえば、一生後悔することになります」

 ウールーズはそういって配下の進言を退ける。

 同時に、これが公人としての判断ではなく、私人のわがままであることも自覚していた。父公爵のもとにドレイクの情勢を報せる必要があるのは確かなのだ。



 そのため、ベルキューズを一度公都へ戻そうとしたのだが、今度は私兵たちが首を縦に振らなかった。切れ者として知られるウールーズであるが「公子を置いたまま公都に戻るなど冗談ではない!」と訴える者たちを説得することはできず、結局、ディオン公爵家の君臣はそろってドレイクにとどまることになるのである。




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