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僭王記  作者: 玉兎
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第五章 リンドブルム(六)

 ブリスが治療のために運び出された後、テオドールは目を閉ざして己の思案に沈んでいた。

 こんなとき、テオドールの脳裏をよぎるのはたいてい五年前の出来事である。

 統一暦六二五年に起きたオリオール伯リシャールの叛乱。

 その前夜、テオドールが密かに国王のもとに伺候しこうした事実を知る者は、大陸にただ二人しか存在しない。すなわち、テオドール本人とアルセイス国王である。



 国王の前に進み出たテオドールは、神妙な顔で一つの進言を行った。

 ディオン公ウスターシュとオリオール伯リシャール。この二人の存在は、今後長く王権の独立を妨げるであろう、と。



 当時、アルセイス国王は三十歳。賢王と名高い父王から王位を継いで二年、大国アルセイスを統治する器量があることは多くの廷臣が認めていたが、先代から仕える重臣たちからはいまだ経験が不足しているとも見なされていた。

 何をするにも上級貴族の許可が必要となる国事のありように不満と不安を覚えていたところであっただけに、国王はテオドールの進言に耳を傾ける気になった。

 三十歳を迎えた国王を、貴族たちはまるで物を知らない子供のように扱う。このままでは自分は彼らの傀儡かいらいにされるのではないか。国王はそんな疑いを禁じえなかったのである。



 テオドールが非凡であったのは、口舌こうぜつろうして国王をたぶらかそうとしなかったことだ。ディオン公やオリオール伯に野心あり、などといった偽りを口にしなかった。むしろ、両貴族の態度は若く経験の少ない国王を案じてのものであろう、と擁護までしたのである。

 ただし、その後にこう付け加えた。



 ――だからこそ、危険である。



 アルセイスを代表する二人の貴族、ディオン公とオリオール伯は、野心ゆえにではなく、その高潔な人格ゆえに、国王にとって危険な存在となりえる。

 この両名はいずれも能力、識見において非の打ち所がなく、貴族社会における人望も厚い。ことにオリオール伯はまだ若く、今後、長く王国の柱石として働いてくれるに違いない。

 それはつまり、アルセイス王国が彼らを中心として回っていく、ということである。国王ではなく、彼らが国の中心となる。



 テオドールは言う。

 その状態を国王がよしとするのであれば、言うべきことは何もない。

 だが、そうではないのなら。

 アルセイス王として、誰はばかることなく権力を振るうことを望んでいるのなら、このテオドール・フルーリーを利用されよ。



 テオドールの説くところは、要するに自薦じせんであった。

 二人ではなく、自分を重用しろと国王に求めたのだ。

 それではディオン公らにかわってテオドールが立つだけではないか、との国王の指摘にテオドールは笑って応じる。

 テオドールは平民出身であり、貴族社会における人望がまったくない。ディオン公やオリオール伯と異なり、国王が目ざわりだと思えば、すぐにでも放逐ほうちくすることができるのである。

 まず、テオドールを用いて邪魔な上級貴族を排除する。その後、テオドールが言葉をたがえて国王の意にそわない動きをするようであれば、これを宮廷から追放してしまえば残るのは国王のみ。すべての権力を居ながらにして掌中しょうちゅうに収めることができる。

 己を利用しろというのはそういうことである、とテオドールは説明した。



 これを聞いた国王は、ぬけぬけというものだ、とおおいに呆れた。テオドールがおとなしく排除される気などないのは明らかであったから。

 が、同時に面白いとも思った。

 国王がテオドールを引き立てたのは戦功を考慮しての結果であり、そこまで明確な使い道を意識していたわけではない。強いていうなら、ディオン公とオリオール伯がはばをきかせている軍部に風穴をあける布石になれば、と考えたに過ぎない。

 国王にとっては思いもよらない平民将軍の使い道。それを自覚し、利用しろと口にするテオドールの野心に興味がわいた。



 テオドールが危険な男であるのは――それこそディオン公やオリオール伯よりも危険な人物であるのは明白だったが、貴族社会に人望がなく、いつでも排除できるとの言葉が国王の意にかなった。事実、そのとおりだからである。

 それに、国王の眼前でこれほど真っ向から己の野心を口にする人物は初めてであり、その点も若き国王を興がらせる一因となった。

 テオドールは一世一代の賭けに勝ったのである。




 以来五年間、国王とテオドールの蜜月みつげつは続いている。

 いまやテオドールは、かつてのオリオール伯と同じ地位までのぼりつめ、ディオン公爵の政敵と目される存在になりおおせた。

 ここでさらにディオン公爵の排除に成功すれば、テオドールはくらい人臣じんしんを極めることができるであろう。

 これがかなえば、平民出の人間としては空前の大出世といえる。アルセイス王国が七覇の一つとして認められて以来、一兵卒の身からこれほどの躍進をはたした廷臣はひとりも存在しない。



 そして、テオドールが人臣として最高位を極めたとき、彼の前に最後の障害が姿をあらわすことになる……



◆◆



「――ずいぶんとおやさしいことですわね、閣下」

 どこかなまめかしさを感じさせる声が耳にすべりこみ、テオドールの沈思を破る。

 テオドールはゆっくりと目を開け、声が聞こえてきた方向に視線を向けた。

「……カラドゥか」



 ブリスと入れ替わるように姿をあらわしたのは、第十将軍カラドゥ・シェロン。

 中肉中背で、これといって目立つところのない狐目の将軍は、藍色の目に底深い光を宿して言葉を続けた。

「常の閣下であれば、ここまで失態を重ねた者は、多少の能があろうと容赦なく処断なさるでしょうに。閣下といえども直弟子には甘くなりますの?」

「手厳しいな。お前はブリスのことを認めていると思っていたが?」

「認めておりますわよ。取り澄ました顔の裏で、陰々と栄達を願ってやまぬ性格は見ていて面白うございましたもの。ただ、今回の不手際はいただけません」



 カラドゥは功名心を持つことを否定しないが、それも命をかけて貫くだけの覚悟があってこそ。功名心で先走った挙句、命惜しさに逃げ出すなど無能者のやることである。

 実のところ、テオドールもほぼこれと同じ考えだったが、ここではそれをおもてに出さず、配下を擁護した。



「我が秘剣マンゴーシュを破るのみならず、太刀をもってやり返す。にわかには信じがたいが、困ったことに世の中には達人というしかない使い手がいるものだ。そして、ブリスはその達人とあたってしまった。相手が悪かったというべきで、それをもって切り捨てるのはあまりに無慈悲というもの。それにな、カラドゥ」

「なんでしょうか?」

「金持ちに銀貨を与えても感謝されることはない。ところが、貧乏人に銀貨を与えればおおいに感謝される。銀貨の価値は変わらずとも、人によって得られる反応は異なるのだ」

「慈悲をかけるならば、相手が打ちひしがれたときにこそ、ということですか。それも開拓民の格言ですの?」

「そんなところだ」



 カラドゥに対してそう答えた後、テオドールは心の中で続けた。

 ――オリオール伯を討って五年、そろそろ『次』にとりかかっても良い頃合だ。そのために、あれは役に立つのだよ。

 剃刀かみそりのように薄く、鋭い笑みがテオドールの口許に浮かぶ。

 だが、それも一瞬。

 次に口を開いたとき、平民将軍の声音は常と同じく、快活さに満ちたものに変じていた。



「それはさておき、卿がここに来たということは、くだんの檄文を見たということだな?」

「はい。これみよがしに通りに張り出されておりましたわ」

「では話が早い。これより我らは速やかに南に走ってリリアンの部隊と合流する。ただちに全軍に通達せよ」

 それを聞いたカラドゥは目をみはる。

「せっかく奪った城門を放棄なさるのですか?」

「ああ」

 テオドールはこともなげにうなずいた。



 檄文はシュタールとアルセイスの両国を非難していたが、真っ先に記したのがアルセイスの悪行であるという時点で、本当の狙いがテオドールらの排除にあることは容易に推測できる。

 へたに踏みとどまれば、兵と住民の間で不測の事態が起こるかもしれない――いや、おそらくリンドブルムの人間が意図的に争いを引き起こす、とテオドールは考えた。檄文をばらまき、あとは住民たちの意思に任せよう、などと悠長なことを考える者たちではないはずだ。



 まず侵略者であるアルセイス王国を討つと呼号して市民の戦意を煽り、その勢いと高揚に乗じて支配者であるシュタール帝国に挑ませる。それがこの檄文を記した者たち、リンドブルムの狙いであろう。

 ようするに、彼らはドレイク市民とシュタール帝国を切り離すため、アルセイス軍を利用しようとしている。

 みすみすその手に乗ってやることはない。




 もちろん、ただ敵の策動を恐れて退くのではない。

 テオドールの狙いは単純であり、同時に狡猾こうかつでもあった。

「この内容では、リンドブルムとやら、遠からず北門のシュタール軍と派手に噛み合うだろう。それに乗じる」

 そう言って、テオドールは持っていた檄文の紙面を軽く叩いた。

 アルセイスがドレイクから兵を退けば、残るのはリンドブルムとシュタールのみ。これだけ派手に檄文で非難した以上、両者が和解することはありえず、必然的にぶつからざるをえない。その後でアルセイス軍が乗り出せば、労せずして漁夫の利を得ることができるだろう。



 緋賊とやらの実力を測る意味でもちょうどいい、というのがテオドールの思案だった。

 テオドールはブリスからの報告で緋賊の存在を知っている。インという貧民窟スラムの主のこと、かつて貧民窟スラムを制していた男の娘がその下にいること。そして、彼らのもとにオリオール伯の姉妹がいることも。

 今となってはブリスを斬った刀使いや、檄文を考案した策士も彼らの仲間であろうと推測できる。



 野盗とは思えぬ人材の豊富さだ。カロッサ伯を討ち取ったこと、パルジャフがリンドブルムにくみしたことが事実だとすれば、テオドールといえど安穏と構えてはいられない。

 より詳細な情報が必要だった。

 だから、シュタール軍にぶつける。もし、リンドブルムがそれを打ち破るほどの実力を示したなら、その時は――






 テオドールの思案は深い。

 このとき、テオドールの胸中では二つの作戦が同時進行している。

 一つはもちろん今現在進めている侵攻作戦。

 アルセイス軍の目的はドレイクの奪取であり、ここを足がかりとしてシュタール帝国領に攻め込むことである。

 リリアン率いる主力部隊に攻城兵器が配備されているのは、ドレイクを落とすためではなく、アルシャート要塞を落とすためだ。現在、アルシャート要塞に多数の兵がこもっていないことをテオドールは知っていた。



 もう一つは、ディオン公爵を排除するための布石を打つ作戦である。

 謀略によってオリオール伯の一族を掃滅したテオドールが、今日までディオン公爵に手出しをしなかったのは、公爵が隙を見せなかったこともあるが、もっと根本的な理由として国王の許可が出なかったことが挙げられる。

 国王としては、オリオール伯誅殺で動揺する人心をしずめるためにも、ある程度の期間をおく必要があると考えたのだろう。くわえて、壮年だったオリオール伯と異なり、ディオン公はすでに老境にさしかかっている。あえて謀略をもって除かずとも、とおからず寿命で死ぬという計算も働いていたに違いない。



 公爵の嫡子であるウールーズは若年にして名を馳せているが、所詮はまだ十五、六の子供に過ぎない。現当主であるウスターシュが死ねばディオン公爵家の勢力は衰える、という国王の判断は間違っていない。

 しかし、テオドールとしては、そうのんびりと構えてもいられなかった。

 ウスターシュの死は、国王とテオドールの蜜月の終わりを意味する。その重大な転機が、いつ訪れるかもわからない公爵の寿命であってもらっては困るのだ――『次』の準備がしにくい、という意味で。



 それにあの公爵のことだから、今から二十年後、八十歳になってもまだ矍鑠かくしゃくとしている可能性がある。やや辟易へきえきとしながら、テオドールはそう思う。

 だから、テオドールは能動的にディオン公を排除するつもりであった。

 状況が動くのを待つのではなく、自分の手で状況を動かす。そのためにも国王の尻を叩かねばならぬ。

 そして、そのための舞台として、今度のドレイク侵攻はすばらしい条件を揃えていた。




 具体的にいえば、ディオン公の介入によって、この侵攻作戦を失敗に終わらせる。

 第一の目的とはっきり矛盾しているが、ようはこの作戦が成功しようと失敗しようと、自分にとって損はない、という状況をテオドールはつくりあげているのである。



 経緯はどうあれ、国王がだくを与えた侵攻作戦をディオン公が阻止したとなれば、国王は不快のかたまりとなるだろう。この感情を利用して、国王にディオン公の排斥を決断させる。

 問題はディオン公がテオドールの計算どおりに介入してくるかどうかだが、なに、介入してこなければ、腰をすえてドレイク侵攻を進めればいいのであって、テオドールとしては何の問題もない。



 だが、おそらく公爵は介入してくる、とテオドールは読んでいた。というより、確信していた。

 テオドールとディオン公ウスターシュの間には、五年前のオリオール伯誅殺から始まる長い因縁がある。

 かつてはテオドールの昇進を影ながら後押ししたディオン公であるが、現在はテオドールのあくなき野心を危険視しており、野心家が国王の信頼を得ている状況に危惧を隠さない。

 今回のドレイク侵攻も、ディオン公の目には胡乱うろんなものに映っているはずであった。






 アルセイス軍の最高指揮官は言うまでもなくアルセイス国王であるが、実際に軍を指揮統率するのは第一将軍であるディオン公である。

 通常、アルセイス王国が軍を発する場合、国王が出陣の決断を下し、それを受けてディオン公が各将軍を集めて軍議を開き、この席で指揮官が任命され、以後はその指揮官が作戦を主導していくことになる。

 しかし、今回の作戦でテオドールはこの手続きを踏んでいなかった。

 事の発端ほったんはドレイクでアルセイス人が虐殺されたことであり、テオドールの出陣はその報復および生き残りの保護を名目としている。いわば緊急出動であり、元帥たる第一将軍を飛び越えて、直接に国王から命令を受けている。



 こういった例はそれほどめずらしくはない。敵国の奇襲を受けた場合など、緊急を要する事態はいくらでもあるからだ。

 その意味では問題ないともいえるのだが、今回にかぎっていえば、緊急出動という名目が表向きのものに過ぎないことは明々白々であった。

 なにしろ、この作戦に動員された兵力は輜重部隊を含めて三万を超えており、この大軍は事あれかしとばかりに国境に布陣していたのだから。おまけに攻城兵器まで持ち出しているとあって、緊急に集めた部隊ですと主張しても子供さえあざむけないだろう。

 さらにいえば、指揮官には軍部の重鎮が三人も名を連ねており、いずれも国王・テオドール閥の人材であった。

 明らかにディオン公の目を盗み、準備万端整えて、出陣のときを待っていたとしか思えない。



 当然、ディオン公はこのことに気が付く。

 その後、どう動くか。

 第一将軍であるディオン公は無認可の作戦行動を掣肘せいちゅうする権限を持っている。このあたり、国王の権限と第一将軍の権限が競合していて、すこしばかりややこしいのだが、簡単にいえば、テオドールは国王の命令を受けているものの、その命令は軍議を経た正式なものではないので、ディオン公が咎めようと思えば咎めることができるのである。



 もちろん、これはかなりの力業であり、そんなことをすれば国王との関係が抜き差しならないものになってしまう。

 それでもディオン公は動くだろう。なぜといって、公爵のもとにはドレイクにオリオール伯の遺児がいるという情報が流れているからである。

 このままテオドールがドレイクを支配してしまえば、姉妹の身命はテオドールに握られてしまう。それと知って黙っていられるディオン公ではない。



 オリオール伯は大罪人の身であり、その遺児のために動くと公言することはできない。となれば、王命を受けて動くテオドールをとめるためには、第一将軍としての権限を主張せざるをえない。

 当然というべきか、ドレイクからもたらされた姉妹生存の報をディオン公に流したのはテオドールである。それと悟られないように注意したので、おそらく向こうは気づいていないだろうが、仮に気づいていたとしても、報告自体は事実であるから動くしかない。





 テオドールの思考は明らかに単純な武人のそれではない。

 ドレイクの早期攻略が成功すれば、むろんそれでよし。仮に失敗した場合、まず間違いなくディオン公が介入してくるので、失敗の責をその一事に帰せしめる。

 その結果、国王が抱くディオン公への憤懣ふんまんを刺激することにより、五年前の出来事を再現する。



 作戦が成功しようと失敗しようと、その先には更なる高みが待っている――そういう状況をつくりあげてから行動するゆえに、常に余裕を失わない。

 いや、仮にすべての計画が失敗に終わったとしても、テオドールから余裕が失われることはないだろう。

 人の身であれば百戦百勝とはいかないもの。

 たとえ敗北を喫しても、してやられたと一笑して心身のよどみを振り払い、さあ次だとうそぶくだけの心の強さ。転んでもただでは起きない七転八起あきらめのわるさこそ、平民将軍の真骨頂。



 そのテオドールの視線が、今、はっきりとリンドブルムをとらえていた。

 つぶすべきか、取り込むべきか、はたまた利用するべきか。それを見極めるために。





◆◆◆





「――アルセイス軍が退いたか。テオドールとやらはえらく思いきりがいい奴らしいな」

 セーデ区、リンドブルム本拠の一室。

 主要な人物が軒並み顔をそろえた席で、アルセイス軍撤退の報告を受けたインは敵将を簡潔に評価した後、確認のために報告者に問いかけた。

「偽退の可能性はないな、カイ?」

「まず間違いない、と撲は見ています」



 カイの返答を得たインは、こらえかねたようにくくっと笑う。

 そして、笑いをおさめるや、厳然として命じた。

「ならばよし。セーデの守りはカイとパルジャフに任せて、俺とキル、それとセッシュウで評議会館を占領する。今すぐにだ」

 その言葉に驚きの表情を浮かべた者もいたが、カイは予測していたのか、顔色をかえずに即座に応じた。

「今のところ、評議会館に他勢力の兵が入った気配はありません。火もすでに消えたようです。もっとも、これは消火に成功したのではなく、燃えるものは全部燃えてしまった結果でしょう。石造りの建物は火の影響が見えにくいので、中に入る際は気をつける必要があります」

「わかった。ま、火に関しては自業自得だな」

 評議会館に火を放った張本人が苦笑する。

 カイはそれを見て、小さく肩をすくめた。




 次にインが視線を向けたのはパルジャフである。

「パルジャフ、今の時点で協力を約束した連中はどれほどいる?」

「即座に参じてもよいと申した者は五名、考える時間が欲しいと申しでた者の中で、脈ありと見えた者が四名といったところですな」

「なら、その五名には朝になったら兵を引き連れて評議会館に駆けつけろと伝えておけ」

「承知いたした――公、うかがってよろしいか?」

 パルジャフが問いかけると、インはうなずいて応じた。

「なんだ?」

「先刻、評議会館を落とす利は少ない、と公は仰せだったように記憶しているのだが、アルセイス軍が兵を退いた今、真っ先に評議会館を狙うのは何ゆえであろうか?」



 そんなことか、と言いたげにインは肩をすくめる。

「その評議会館を落とす利を説いたのはお前だろう。ドレイク市民にとって、評議会館の主こそ都市の支配者だ、とな。アルセイス軍撤退の報はすぐにシュタール軍にも伝わる。俺たちが動かなければ、連中が先に動くだけだろうさ」

「……仮に我らが先んじることができたとして、その後に襲ってくるシュタール軍を撃退することがかないましょうや?」

 パルジャフがちらとカイをうかがうと、心得たカイは北門の現況を報告した。



「紅金騎士団の他、カロッサ伯の残存兵、それに一部のドレイク守備隊も加わっているようです。およそ三千五百、といったところかと」

 内訳でいえば、紅金騎士団が一千弱、カロッサ伯の残存兵がほぼ同数、残余はドレイク守備隊となる。アルセイス軍がシュタール兵の掃討を実行していなければ、もう少し数は増えていただろう。その意味では、テオドールが行った掃討作戦がリンドブルムに利した形になっている。



 ただ、それを踏まえても現状の兵力差は百倍近い。いかんともしがたい数の差がパルジャフに緊張を強いてくる。

 だが、インは一向に気にするそぶりをみせなかった。

「今のシュタール軍は寄せ集めだ。カロッサ伯の死を知った兵どもは気落ちしているだろうし、指揮権の問題もある。紅金騎士団とカロッサ伯の部隊が昨日の今日で協調できるとは考えにくいだろう。檄文が広まった今、ドレイク守備隊を用いることもできまい。いつ裏切られるかと心配でな」

 それはつまり、いくらでも付け込む余地があるということであった。



 どちらかといえば、問題はアルセイス軍の方だろう、とインは思う。

 アルセイス軍の狙いが漁夫の利にあることは明白だ。向こうとしては、ここでインたちがシュタール軍と戦うのは想定どおりといったところだろう。見事に手のひらで踊らせてやった、と手を叩いているかもしれない。

 インはテオドールの目論見をかなりの精度で予測している。

 ことさらインが明敏めいびんなわけではなく、それだけテオドールの意図がわかりやすいのである。



 問題は、相手の意図がわかったからといって、それをくじくことができるとはかぎらないことだった。

 この場合、共倒れを狙うアルセイスの意図をくじくには、リンドブルムとシュタールの共闘が必要となる。あるいは、いずれかが相手に服従すること。

 むろん、どちらも不可能だ。

 ならば動かずに事態を静観しているか。そんなことをすれば、アルセイス軍の本隊が到着して、シュタール軍ともども踏み潰されておしまいだろう。



 へたにアルセイスの思惑を意識してしまえば身動きがとれなくなる。

 ならばいっそ、相手の思惑なぞ気にしなければいい。インはそう割り切った。

 もとより檄文は五十に満たない寡兵かへいでアルセイス軍を退かせるための策であって、市民を戦力に数えていたわけではない。アルセイス軍としては、うまくこちらの狙いを外してシュタール軍との戦いに追いやったつもりだろうが、アルセイス軍の次はシュタール軍というのは、インにとっては予定どおりの行動である。いまさらひるむものではない。



「これに備えてたっぷりと休み、うまい飯をたらふく食ったわけだからな。英気は十分に養った。次は行動する番だ――いくぞ」

 静かな、それでいて力感のこもった号令に、複数の力強い声が唱和した。 




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