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僭王記  作者: 玉兎
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第五章 リンドブルム(一)

「取り急ぎ東門を確保するべきであろう」

 カイから今後とるべき行動について問われたパルジャフは真っ先にそう言った。

「仮にこちらが評議会館を占拠したとしても、敵に四方の城門を押さえられてしまっては補給もままならず、枯死こしするしかない。ゆえに、喫緊きっきんの問題は都市の外から物資を運び入れる道を確保することだ」

 西門はすでにアルセイス軍に押さえられた。

 アルシャート要塞が街道をふさいでいる今、北門を落としても意味はない。

 これはアルセイス王国に通じる南門にも同様のことがいえる。

 残る一つはダウム河に通じる東門である。ここを確保しておけば、仮に戦いが長引いたとしても最低限の交易は行える。住民が飢える事態におちいることはないだろう。



 もちろん、東門は東門でシュタールなりアルセイスなりの手がまわる可能性はある。特にアルセイス軍はダウム河を行き来する船団――ディオン公爵家直属の水軍を抱えているので、その水軍が出てくれば、東門を確保できたとしても水路そのものをふさがれてしまう恐れがあった。

 しかし、だからといって手をこまねいていれば事態はますます悪化する。



 パルジャフはヒゲをしごきながら天井を見上げる。その顔はいかにも悩ましげで、現状打開の難しさを物語っていた。

「とはいえ、カロッサ伯が東門の守備をおろそかにしているはずもなし、簡単に奪えるものではあるまいがな」

 カロッサ伯は城門の守備に自身の手勢をいており、ドレイク兵や傭兵を使っていない。したがって東門を守る兵の数自体はそれほど多くないと推測できる。

 そのかわり、兵の質は折り紙つきだ。評議会館が炎上している今、東門の警備はこれ以上ないくらい厳重なものになっているはず。パルジャフが口にしたように、これを奪うのはきわめて困難であろう。



 パルジャフ・リンドガルは思慮深く、胆力もある政治家であるが、兵を率いる指揮官としては凡庸ぼんようの域を出ない。

 これからの展開を考え、東門を落とした方が良いという解答に行き着くことはできても、そのための具体的な方策を打ち出せるわけではなかった。




 パルジャフの言葉を聞いたカイは、納得したように二度、三度とうなずいてみせる。

 もとよりカイは、パルジャフの口から目の覚めるような名案が飛び出してくると期待していたわけではない。

 カイがパルジャフに今後の方策をたずねた理由は、パルジャフの内心をはかるためでもあった。

 東門を押さえるということは、食料を運び入れる経路と住民の逃げ道、この二つを確保することを意味している。パルジャフの作戦の根底には、住民を飢えから遠ざけること、住民の身命を守ること、この二つがえられているわけだ。

 見方をかえれば、インたちがこれらをおろそかにしたとき、パルジャフは離反するだろうという推測が成り立つ。インを支える身として、そのあたりを把握しておく必要があったのである。




 その後、カイは口許くちもとに手をあてて何やら考え込んでいたが、すぐに思案をまとめたようで、次の問いをパルジャフに向けた。

「パルジャフ卿が今すぐに動かせる兵はどれほどですか?」

「屋敷をかためている私兵はいつでも動かせる。これは二十人ほどだ。奴僕に武器を持たせれば、もう二十ばかり増やせるだろう」

 今は亡きラーカルトやフレデリクなどは、パルジャフの三倍以上の私兵を抱え込んでいたが、パルジャフは二人のまねをしようとはしなかった。

 多数の私兵は金食い虫だ。また、議長が大勢の私兵を雇い入れていると知られれば、都市内に不穏な空気が立ち込めることになる。それを嫌った、という理由もあった。



 ドレイク議長の権限があれば守備隊を動かすこともできるが、評議会を経ていない命令は正当性に欠ける上、パルジャフは個人としてインに従うとすでに明言している。したがって守備隊の数は含めなかった。

 カイもいまさらし返さない。ただ、パルジャフが口にした人数を聞いたとき、緋賊の智嚢ちのうの顔にはこれまでになかった、ある危惧きぐが浮かんでいた。

「わかりました。であれば、パルジャフ卿はなるべく早く邸宅を引き払われるべきです」

「む? 家人をセーデに連れてこいということか?」

 セーデの守りを固めると共に、パルジャフが裏切らないように家族を人質にとる。そういう意図か、とパルジャフは考えた。

 別に怒りはしない。この状況下ではむしろ当然の指図さしずといえる。



 だが、カイはこれに対して首を横に振る。

「もちろんセーデに来られるというなら歓迎しますが、僕が案じているのは、パルジャフ卿や卿のご家族の身に危険が及ぶことです。アルセイス軍が出てきたのなら、彼らの手が卿らに伸びてくる可能性はきわめて高いですから」

 これから先、ドレイクを統治しようとする者たちにとって、事実上のドレイク元首であったパルジャフの存在は厄介なものとなる。自陣営に取り込むことは容易ではなく、仮に取り込めたとしても、人望ある配下の存在は統治者にとって有害だ。

 かといって、放置しておけるほど軽い存在ではない。パルジャフを放置したあげく、敵陣営に走られてしまえば目もあてられない。



 ババ抜きのババのようなものである。

 自分の手にあれば持て余す。敵の手に渡れば脅威になる。邪魔だから、と捨てることも許されない。

 札遊戯カードゲームならともかく、現実にそんな手札があったとき、これをどう扱うべきか。

 てっとり早いのは、燃やしてしまうことであろう。



「ドレイクは帝国領であり、カロッサ伯にはこの地を統治する権限も名分も与えられていました。カロッサ伯にしてみれば、強いてパルジャフ卿を味方につける必要はなく、また敵にまわすことを恐れる理由もなかった。しかし、アルセイスは違います」

 アルセイス王国にドレイクを治める権限、名分はない。その分、カロッサ伯よりもパルジャフの協力をほっすることせつであろう。パルジャフがアルセイス王国に従う旗幟きしを鮮明にすれば、都市内の混乱は最小限で済む。

 逆にパルジャフが敵対してくれば、混乱は拡大の一途をたどる。力ずくで押さえることはできるが、それをすれば住民の反発は凄まじいものとなり、今後の統治に悪しき影を落とす。

 そんな状態でシュタール軍の反撃を受ければ、都市の外と内に同時に敵を抱えることになり、苦戦は免れないだろう。



 自分がアルセイスの将軍であれば、そのような事態になる可能性は断固として排除する、とカイは言う。

「僕であれば、一度はパルジャフ卿に礼をくして協力を願います。そして、それが拒絶されたなら躊躇ちゅうちょなく討ち果たします。今の状況ならば、罪をなすりつける相手には事欠ことかきません」

 さらりと恐ろしいことを口走るカイを見て、パルジャフは目を丸くする。



 だが、カイの言は首肯しゅこうできるものであった。

 パルジャフは以前、カロッサ伯の足下に拝跪はいきしないかぎり、議長である自分は遠からず伯爵から命を狙われるだろうと予測した。

 ドレイク統治の名分を持つカロッサ伯でさえ、パルジャフを危険視していたのだ。名分を持たないアルセイス王国の態度が、カロッサ伯以上に苛烈なものとなることは十分に予測できることであった。





「すでに兵を動かしている可能性もあります。その際、卿が屋敷にいなければ、保護を名目として家人をとらえようとするかもしれません」

 四十やそこらの人数でアルセイス軍をとどめることはできない。だから、急いだ方がいい、とカイは言った。

 その忠告が純然たる親切心でなされたものであることは、パルジャフにもよくわかった。わかったが、話を聞き終えたドレイク議長の口許には苦いものが浮かんでいた。



 パルジャフが思うに、カイがこうもすらすらとアルセイス軍の動きを推測できるのは、緋賊ひぞくが同じことを考えていたからであろう。

 つまり、今カイが口にしているのは、場合によっては緋賊ひぞくがとっていた作戦なのだ。実際に実行していたかどうかはさておき、選びえる作戦の一つとして考慮していたからこそ、それをアルセイス軍にあてはめることで素早く的確な推測ができる。

 それに気づけば、胸奥きょうおうから苦いものもこうというものであった。




 そんなパルジャフの表情の変化に気づかないカイではなかったが、ことさら釈明しようとはしない。

 アルセイスの動きを危惧していることも、場合によっては自分たちがその行動をとっていたことも、いずれも事実。釈明の余地はなく、釈明する必要もない。

 今、ドレイクで行われているのはしのぎを削る命のやり取りであり、無益な釈明に時間を費やしている暇はなかった。



 パルジャフもそのあたりはわきまえている。せりあがる苦いものを飲み下してうなずいた。

「たしかにありえることだ。とはいえ、今から家の者を都市外に逃がす時間はないゆえ、ソフィア教会に避難させようと思う。シュタール軍にしても、アルセイス軍にしても、三大神の教会に手を出せばどうなるかは分かっていよう。妻は女神の信徒ゆえ、教会もこころよく受け入れてくれるはずだ」

「わかりました。そうと決まれば急いだ方がいいですね。ここからの帰りで卿が襲われてしまえば元も子もありませんので、僕が護衛をかねて――」




 カイがそう口にしたとき、それまで黙っていたセッシュウが急に口を開いた。

「あいや、待たれよ、カイ師。その役目はわしが引き受けよう」

「……セッシュウ殿?」

 突然のことにカイが驚いていると、セッシュウはそんなカイの顔色を見定めながら言葉を続けた。

「実は主殿あるじどのから頼まれておりましてな。このところカイ師は働きづめゆえ気をつけてやってくれ、と。別段べつだん、今のカイ師の顔色が悪いというわけではござらんが――」

 セッシュウはそう言ってカイの両目を覗きこむ。

「決して良くはない、とわしの目には見える。戦いはまだまだこれから、今は無理を重ねる時ではござるまい。大切な御身体だ、いとうて下され」



 言われて、カイは戸惑ったように額に手をあてた。

「僕としては、これ以上ないくらいに調子が良いと感じているのですけど……」

「気の高ぶり、というものもござろうて。こたびのことはわしらにとって大きな一歩、この老骨ろうこつですらたぎるものがござる。お若いカイ師であれば、常どおりとはなかなかいかぬと心得る」

 だからこそ不調を自覚してからでは遅い、というのがセッシュウの主張だった。



「パルジャフ殿を説得するのであれば、それはカイ師でなくてはなりませぬが、護衛の役目なればわしでも務まりましょう。それに、ですな」

「それに?」

 カイが問い返すと、セッシュウは茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。

「孫が精一杯に主殿あるじどのの力になろうとしているときに、このじいが留守居ばかりというのも格好がつかぬと申すもの。ここはひとつ、わしにも出番をあたえて下され、軍師殿」




◆◆◆




 ブリス・ブルタニアスがパルジャフ邸をおとずれたのは、パルジャフがセーデ区から戻ってまもなくのことであった。

 フレデリク・ゲドの側近であった青年の名と顔は、もちろんパルジャフもおぼえている。フレデリクと共に紅金騎士団に殺されたと思われていた青年が姿をみせたとき、パルジャフは驚いた。紅金騎士団の牙から逃れた青年が、テオドール将軍の使者だと聞いてなお驚いた。

 鮮やかな侵攻の手並みからして、相当に高位の将軍が出てきたことはわかっていた。第三将軍の名も予測の内に含まれていたが、それでもその名が現実の敵手として立ちはだかってくれば、パルジャフとて平静ではいられない。

 テオドールが積み重ねてきた武勲にはそれだけの重みがある。



 くわえて、ここでテオドールの名があがったことは、ダヤン侯が情報を流した相手が彼である可能性を示唆しさしていた。

 ブリスがシュタール軍の襲撃を逃れた点を踏まえれば、その可能性はきわめて高いといわざるをえない。帝国の宰相と王国の驍将ぎょうしょうとの結びつき。ドレイクにとって、これほど大きな災いはない。

 自然、パルジャフの表情は厳しいものになっていた。




 そのパルジャフを前にしたブリスは、毅然きぜんとした態度でアルセイス王国に従うことの利を説き、テオドールが示した条件を告げる。

 それは端的にいえば、アルセイスに従うのならば、これまでと同等の地位と権限を保障しよう、という申し出であった。ドレイクの議長としてのそれではなく、アルセイスの廷臣としての地位と権限であるのは言うまでもない。



「――以上がテオドール将軍のお言葉です。議長閣下のご返答をうかがいたい」

 パルジャフを見据えるブリスの眼差しは勁烈けいれつであり、言動の端々から溢れんばかりの鋭気が感じられる。

 入り口で武器をあずけたブリスは無手であり、一方、パルジャフの両脇には帯剣した護衛が二人控えているのだが、ブリスがそのことを歯牙しがにもかけていないのは明らかであった。

 もともと切れ者として知られていたブリスだが、フレデリクの傍らにいた頃はここまでの迫力の持ち主ではなかったように思う。

 テオドールの下に戻った今、もう猫をかぶる必要はない、ということなのだろう。



 もちろん、だからといってひるむパルジャフではない。悠然とした態度を崩さずに応じる。

「この身はドレイクの議長であり、ゆえにドレイクの安寧を第一の責務とする。その安寧をそこなったアルセイス軍に協力するいわれはなかろう」

「これはしたり。その安寧とやらを真っ先に損なったのはシュタール軍でありましょう。明確な証拠を何一つとして示さぬまま、多くの評議員とその家人を手にかけた。その中には武器を持たない女性、子供もいたのです。この許されざる虐殺を議長閣下はとなさるおつもりですか?」

「むろんとする気はない。だがシュタール軍の行いを否定することと、アルセイス軍への協力をうべなうことは、まったく別の話である」



 この返答にブリスはうなずいてみせた。やや唇をゆがませながら。

「なるほど。それではおたずねいたします。シュタール軍の行いを否定していたとおっしゃるのなら、どうして惨劇を防ごうとなさらなかったのですか? あの虐殺は何日も続いておりました。よもや知らなかったとはおっしゃいますまい。議長閣下がカロッサ伯を制止なさっていたら、死者の数は半分にも、それ以下になっていたはずなのです」

 それを聞いたパルジャフの顔に苦いものが浮かび、沈痛な声が押し出される。

「……暴挙を食い止められなかったことは事実である。その罪をただすことができなかったことも。ゆえに非難は甘んじて受けとめよう。だが、これはドレイクの中で起きたこと。アルセイスが兵を差し向けて非をただす名分はあるまい」

「殺された者の中にはアルセイス人も多く含まれていたのです。無辜むこの同胞の命を理不尽に奪っておきながら、名分がないとは恐れ入る。議長閣下、あなたはドレイクの市民が他国で虐殺されたとき、それは他国の問題だからと傍観ぼうかんなさるのですか!?」



 思わず、という風にブリスの腰があがる。護衛の兵たちの手がすばやく剣のつかにかかった。

 数瞬すうしゅんのにらみ合いは、落ち着きを取り戻したブリスが腰を下ろすことで終わりを告げる。

「……失礼をした。こたびの虐殺がドレイク評議会の本意でないことはテオドール将軍もご存知です。ゆえに将軍は議長閣下のもとに私を遣わされた。討つべきはドレイク評議会ではなく、シュタール帝国である――それが将軍のお考えです。ひるがえって、議長閣下のお考えは奈辺なへんにおありなのか。シュタール軍の暴虐を防ぐことをせず、その後、罪をただすこともなさらず、そして今、テオドール将軍の手をはねのけようとなさっている。あえて申し上げるが、決断から逃げているようにしか見えませぬ」



 現在の戦況をご存知ないとはおっしゃいますまい、とブリスは続ける。

 西門が陥落した今、もはやドレイクの命運は尽きたといっていい。ここでパルジャフがテオドールの手を取れば、今後の都市内の混乱を最小限でとどめることができるのだ。

 それがわかっていながら、あえてその機を見過ごすというのであれば、もはや何のための議長か、ということにならないか。安寧を守るというお題目ばかりを口にして、いっかな行動しようとしないパルジャフの存在はドレイクにとって害悪になりかねない。

 ブリスはじっとパルジャフを見据え、最後通牒ともとれる言葉を口にした。

「ありもしない最善を求め、目の前にある次善を選ぶことを躊躇ちゅうちょする。人はこれを指して優柔不断と呼ぶのです。議長閣下、ドレイクのために、住民のために、どうか速やかな御決断をたまわりたい」






 ――少しだけ考える時間がほしい。

 パルジャフはそう言ってブリスに別室で待つように求めた。護衛をつとめていた二人が促すと、ブリスは思いのほか素直に従った。多少なりともパルジャフの意思がアルセイスに近づいたと見たのだろうか。



 室内にひとり残ったパルジャフが、小さく息を吐き出してから隣室に繋がる扉をあけると、ひょっこりセッシュウが顔を見せる。今の交渉をすべて聞いていたのだが、もちろんこれを取り計らったのはパルジャフであった。

 理由は緋賊ひぞくに対して潔白を証明するためである。ひとたび心を決したならば、パルジャフは態度をふらつかせなかった。単純に潔白を証明するだけなら、ブリスを追い返せば済む話なのだが、邸宅を引き払う時間を稼ぐためにも交渉に応じる――応じたように見せかける必要があったのである。



 こうしている今も、パルジャフ邸の中では大勢の人間がなるべく足音をひそめて動きまわり、屋敷を出る準備を進めている。できるだけ身軽に、という指示は出ていたが、だからといって即座に準備が完了するわけではない。突然の命令に驚き、慌てている者も少なくない。

 できればもう少しブリスとの交渉を長引かせ、時間を稼ぎたい。

 パルジャフがそう考えていると、セッシュウがからからと笑い声をあげた。

「パルジャフ殿は芝居の才もおありのようじゃな」

茶化ちゃかさないでもらいたい、セッシュウ殿」

 パルジャフはしぶい顔で応じた。



 ブリスに対しては、いかにも迷いを抱えている様子を見せつけ、交渉を長引かせたパルジャフであったが、あまり演技が過ぎると隣室のセッシュウにらぬ疑念を抱かせる恐れがある。

 それを避けるためには、ほどの良さが必要だった。先のブリスとのやりとりは、交渉事に慣れた身でも神経がすりへるものであり、それをからかわれれば良い気はしない。

 もっとも、セッシュウの一言はパルジャフになんら疑いを抱いていないことを表明するものでもあったから、その点では安堵してもいる。

 おそらく、セッシュウもそれを承知の上で言ったのだろう。




「しかし、テオドール・フルーリーか。大物が出張でばってきたものよ」

 パルジャフは腕組みをして、大きく息を吐いた。時間稼ぎの交渉で得た情報は、パルジャフに少なくない衝撃をもたらしている。

 ただし、敵将の名が判明したことによる利点もあった。

 五年前に起きたオリオール伯爵の叛乱、これに端を発するテオドールとディオン公の不仲はパルジャフも聞き知っている。そのテオドールが出てきたということは、ディオン公爵が動いていないという傍証ぼうしょうになる。となれば、ディオン公直属の水軍も動いていないだろうと推測できる。

 そう見せかけて実は――という可能性もあるので油断はできないが、これはドレイクにとって朗報といってよい。パルジャフにはそう思えた。





 ……このとき、パルジャフの考えはやや先走さきばしっていたというべきだろう。

 テオドールやディオン公の動きに気を配るのは当然のことだったが、彼らの配下とて傑物ばかり。簡単にあしらえる相手ではないのだ。

 むろん、それはブリス・ブルタニアスも例外ではなかった。





 不意にセッシュウが窓の外に視線を向ける。老将の鼻はひそやかに迫る刀槍とうそうの気配をぎとっていた。

「――ふむ。これはしてやられたかもしれん」

 窓から外を見やったセッシュウが、平然とした顔でこれはいかんと口にする。

 怪訝けげんそうに眉をひそめるパルジャフに対し、セッシュウは外を指し示した。

「ごらんあれ。きょうの気をまとった男どもがひそかに屋敷を取り囲もうとしておる。見たところ、格好はバラバラであるが……」

 反面、動きは統制がとれている、とセッシュウは見てとった。この様子では、おそらく裏手もふさがれているだろう。



 それを聞いたパルジャフの表情が険しくなる。

 この状況でドレイク議長の屋敷を取り囲むのはアルセイス軍以外ありえない。装備が統一されていないのは襲撃者の身元を隠すためであろう。

 交渉が失敗に終わった際の準備にしては念入ねんいりすぎる。

 もしかしたら、ブリスははじめからパルジャフを討つつもりだったのかもしれない。みずからパルジャフ邸を訪れたのは、標的が確実に邸内にいることを確かめるためであり、同時に邸宅の包囲を完成させる時間を稼ぐため。



 つまり――時間稼ぎを目論んだパルジャフの行動は、ブリスにとっても望むところだったのだ。

 だとすれば、先ほどブリスが素直に退室に応じた理由は、交渉成功の可能性を感じ取ったからではなく、これ以上交渉を続ける必要なしと判断したから、ということになる。

 であれば、次に相手がとる行動は――



「いかんっ」

 パルジャフが音高く舌打ちする。謹厳きんげんな議長に似つかわしくない振舞ふるまいであったが、それだけ切迫したものを感じ取ったのだろう。

 そして、その感覚は正しかった。

 舌打ちの音が消えるより早く、邸内から時ならぬ悲鳴と絶叫がわきおこる。一つや二つではない。

 ブリスも二人の従者も武器は取り上げたはずだが、どこかに隠し持っていたのか、あるいは見張りの剣を奪い取ったのか。いずれにせよ、ここにおいてパルジャフを討ち果たさんとするブリスの狙いは明らかとなった。



 わきあがる刀槍の響きが、たちまち邸宅をおおくしていく。

 これが今日という日にドレイクで起きた何番目の戦闘であるのか、おぼえている者はすでにどこにもいなかった。



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