第四章 ドレイク擾乱(八)
第三将軍テオドール・フルーリー。
アルセイス王国におけるこの人物の立場を一言であらわすとすれば『異端児』が最もふさわしいだろう。
大陸七覇の一角、建国から二百年以上の歳月を閲した歴史ある大国として、アルセイスの名はクイーンフィア大陸全土に知られている。国王の膝下にはディオン公爵をはじめとした高名な貴族が数多く集い、国王の手足となって国の治世を磐石たらしめるべく日夜働いていた。
――言葉をかえていえば、宮廷であれ、軍部であれ、国策に携わる枢要な席はことごとく上級貴族によって独占されていた、ということである。
その状況に風穴をあけたのがテオドールであった。
平民将軍の二つ名が示すとおり、テオドールは平民出身、それも姓さえない開拓民の子だった。
貧しく、華のない開拓地での生活を嫌って王都に出たテオドールは軍に入り、主に南西のセルセタ連合王国との戦いで武勲を重ねていく。
戦いにあっては勇猛果敢、部下や同僚には気前が良く、ひとたび口にしたことはどんな困難があっても必ず成し遂げる。テオドールはたちまち頭角をあらわし、軍内部でもその名を知られるようになる。
貴族然とした容姿や振る舞い、巧みな口先、さらに派手好き、賭け好き、女好きという素行の悪さも手伝って、テオドールを嫌う者は少なくなかったが、仲間思いの部下思い、必要とあらば上級貴族にくってかかって恩賞をかっさらってくる亜麻色の髪の青年を慕う者はそれ以上に多かった。
そんなテオドールの名が一躍王国中に知れ渡る契機となったのが、今から七年前、統一暦六二三年に起きた『センテーヌ河畔の戦い』である。
このとき、アルセイス軍の主力はシュタール帝国との戦いで出払っており、テオドールは二千の兵を率いて十万をこえるセルセタ軍と対峙することになる。
この戦いにおいて、テオドールは独力で十日以上にわたってセルセタ軍を足止めし、敵軍を一歩たりともアルセイス領内に踏み込ませなかった。のみならず、ディオン公、オリオール伯らが北方からとって返してくるという偽情報を流してセルセタ軍を混乱させ、一夜、奇襲を敢行する。
この奇襲におけるテオドールの作戦指揮は完璧であり、兵力の配置と運用は巧妙をきわめた。その結果、セルセタ軍の指揮官ペルセペル公王は敗死、十万の軍は四散する。アルセイスの長い歴史の中でも稀有な大勝利であった。
これ以後もたびたびテオドールに敗北を喫したセルセタ軍は、彼を「金眼の悪魔」と恐れること甚だしく、テオドールが第十将軍に任命されて国境を離れると知ったときは、戦いに勝ったわけでもないのに宴が催されたほどである。
王都リィスに居を移したテオドールの躍進は、その後もとどまるところを知らなかった――という具合に話は進まない。
上級貴族の多くは下層から隆起してくる勢力を嫌う。貴族が一人増えれば、それだけ利権争いの相手が増え、自分たちの権益が脅かされるからだ。貴族社会の機微を知らない平民出身の将軍が宮廷で歓迎されるはずもなかった。
テオドールの抜擢は軍における人望を考慮した国王の意思であり、これは貴族たちも認めざるを得なかった。ディオン公やオリオール伯が他の貴族を説得してまわった効果も大きかっただろう。
ディオン公らは上級貴族にしてはめずらしく人材発掘に熱心であり、それ以上に国策に携わる重要な席がことごとく貴族の手で独占されている現状を憂慮していた。
どれだけ努力しても一定以上の地位にのぼれないとわかれば、有能な者ほど懸命に働く気力を失っていく。それは結果としてアルセイス王国の衰退を招くだろう――そう考えていた公爵らは国王の決定を積極的に後押しした。
テオドールの抜擢は、アルセイス王国が人材登用に無関心でないことを内外に示すための一手となると判断したからである。
こういった幾つかの思惑が重なり合った末、テオドールは第十将軍に任命された。
だが、貴族たちが認めたのはそこまでであった。平民風情にこれ以上の栄達は許さないとの意思は、それ以後、テオドールが一年近くに渡って閑職に据えられたことからも明らかである。
その間、テオドールは一度も不平不満を口にすることはなく、むしろ時間に余裕ができたことを幸いとして王都中を歩き回り、賑やかな都での生活を満喫しているように見えた。
実際、センテーヌ河畔の戦いにおけるテオドールの年齢は二十二歳であり、一年や二年、閑職に据えられたところで毛ほどの問題もない若さといえる。
平民将軍は王都の美酒美女美食を心の底から楽しんで貴族の嫉視をかわす一方、親を失った子供たちを手厚く保護し、学舎をたてて庶民に字を教えるといった公共福祉に取り組むようになる。
宮廷においてはいささかの功績にもならない行いだったが、市井の人々がテオドールの名を知る機会は飛躍的に増大する。テオドールは資金を出すだけでなく、みずから学舎で教鞭をとって勉強を教えるなど、積極的に民衆に顔を見せてまわり、時には庶民に混じって酒盛りに参加することまでした。
ある時、テオドールは彼が建てた孤児院の少女から一本の百合の花を手渡される。少女が孤児院の花壇で一生懸命に育てたという白い百合を受け取ったテオドールはおおいに喜び、以後、これにあやかって自らの姓をフルーリーと定める。アルセイスの言葉で「花が咲く」ほどの意味であった。
第十将軍に任じられて一年が経つ頃には、テオドール・フルーリーの名と顔は王都中に知れ渡り、街を歩けばそこかしこから親しげな声がかかるまでになっていた。
オリオール伯リシャールの叛乱が起きるのは、それから間もなくのことである……
◆◆
「したり顔で『名高き自由都市をいただこうか』などと言っておきながら、いきなりつまずくとはな。我が事ながら実にしまらん」
渋い表情でそう言うと、テオドールは激戦の痕跡を色濃く残す戦場を見渡した。
場所はドレイクの西門である。テオドールの視線の先では白い甲冑と赤い甲冑が折り重なるように倒れている。兵ばかりではなく軍馬の死体も目についた。
つい先刻まで、この場でテオドールの部隊と紅金騎士団が激しい戦闘を行っていたのだ。
テオドールが率いるアルセイスの騎馬部隊は二千、対する紅金騎士団は一千であり、数にまさるアルセイス軍は敵を押し返すことに成功する。だが、この時点で百以上の戦死者を出すのはテオドールにとって想定外であった。
想定外といえば、シュタール軍がこれほど早く部隊を立て直してきたことも、テオドールにとっては想定外といわざるをえない。テオドールの手許には紅金騎士団の情報も届いており、都市内で彼らと戦う事態は予測していたが、紅金騎士団は南門を出て城外から襲いかかってきた。おかげで評議会館を攻め落とすべく先行させていた部隊を戻さざるを得なくなり、シュタール軍に態勢を立て直す時間を与えてしまう結果となっている。
「宣戦同時攻撃が読まれていたか? それにしては西門があっさり陥落したのは解せないな。挟撃してくる気配もなかった」
アルセイス軍の計略にかかったフリをしてわざと西門を明け渡し、しかる後に内と外から挟撃する――シュタール軍にそんな高度な作戦があったようには見えなかった。都市内のシュタール部隊の混乱は誰の目にも明らかであったし、一方で、紅金騎士団が短時間で戦闘態勢を整えて攻撃してきたのは事実である。
どうもチグハグだな、とテオドールは敵の動きに不可解さを覚えた。
その視線が西門から都市の中心部に向けられる。こうしている今もたえず立ち上る幾条もの黒煙。城壁の上にいる兵士の報告によれば、燃えているのは間違いなく評議会館であるという。
最大の想定外はあれだ、とテオドールは首をひねる。
繰り返すが、テオドールは紅金騎士団を退けるために先行させた部隊を戻した。アルセイス軍はいまだ評議会館に爪さえひっかけていない。なのに、どうしてドレイクの中心地が攻め落とされている?
「ブリス、どういうことだ?」
テオドールは傍らに控えた長身の青年に問いかける。
城門を内から開いた最大の功労者は深々と頭を垂れ、主君の問いに答えられない無能を詫びた。
「申し訳ありません。今、調べさせておりますが、皆目――」
「見当がつかない、か」
「はい。シュタール軍が極度の混乱にみまわれていることは確かなのですが、それ以外は杳として」
考えられるとすれば、カロッサ伯の統治に不満を抱く者が、アルセイス軍出現の報にあわせて何らかの行動を起こした、というところだろう。だが、何をすればシュタール軍があそこまで乱れるのか。評議会館にいるはずのカロッサ伯の動向も明らかになっていない。
今の状況で憶測を除いて誠実に報告しようとすれば、詳しいことは一切不明、と述べるしかなかった。
陳謝するブリスに対し、テオドールは失望を示さなかった。
ブリスが分からないというのであれば、本当に分からないのだろう。そして、長期にわたってドレイクで働いていたブリスがつかめない事実を、他の人間がつかめるとも思えない。
ここにおいてテオドールはあっさりと速戦の選択肢を放棄した。
「ならば、リリアンの到着を待って正面からドレイクを占領するとしよう」
当初の予定では、西門を落とした勢いをもって一気に評議会館をおとし、ドレイクの中枢を制圧することになっていた。
だが、評議会館は原因不明の混乱に見舞われている。力ずくで奪い取ることもできないわけではないが、紅金騎士団との戦いで少なからぬ被害を出した今、これ以上の損耗はできれば避けたい。
西門をおさえているかぎり、アルセイス軍は好きなように都市内に兵力を投入できる。よって、あえて損害覚悟で力押しに出る必要はない、とテオドールは判断する。
歩兵部隊を率いるリリアンの兵力は二万を超えるので、万に満たないシュタール軍を討つことは十分に可能なのだ。しかも、テオドールはブリスからの報告でドレイク内の情勢をつぶさに把握している。カロッサ伯のために懸命に立ち働くのは、伯爵直属の二千人と先ほど押し返した紅金騎士団くらいのもの。他の兵や市民は強い方になびく。であれば、最大勢力であるアルセイス王国にとって恐れるべきものは何もない。
何もないはずであった。
テオドールはわずかに黙考した後、言葉を続ける。
「とはいえ、シュタール軍が混乱している好機を座して見逃す法はない。混乱がおさまれば手強い敵となるのだ、討てるときに討つのは当然のこと。北に去った紅金騎士団の動きはつかめたか?」
その問いに対し、未だつかめず、との報告を受けたテオドールは、それまで無言で控えていた第十将軍カラドゥに声をかけた。
「ではカラドゥ。卿は千を率いて西門を固めよ」
「承知いたしました――と申し上げたいところなのですが、閣下はどうなさいますの? みずから掃討の指揮をお執りになるつもりならば、このカラドゥ・シェロン、全力でお止めいたしますわよ? 状況がまるでわからない戦場に指揮官を放り込んだなんて知られたら、リリアンが目を三角にして怒りますもの。私自身、閣下を無用の危険にさらすことは望みません」
冗談のような口調だったが、カラドゥの藍色の目は真剣そのものであった。
それに対し、テオドールは心配するなと一笑する。
「なに、ドレイクの中を我が目で確かめてくるだけだ。カラドゥ、卿に開拓民の格言をひとつ教えてやろう」
「拝聴いたしましょう。なんだかもう、閣下が何を仰られるのかわかった気がいたしますが」
「罪はバレなければ罪ではないのだ。要はリリアンに知られなければいい。そうは思わないか?」
「まったくもって思いませんわ、閣下」
指揮官の主張をばっさりと斬って捨てたカラドゥは、ちらとブリスを見やった。
「帝国兵の掃討ならば、そこのブルタニアスに任せればよろしいではありませんか。ドレイクの街並みを知る身としても相応しいと存じます」
「いや、ブリスには別の任がある。ドレイク評議会の議長パルジャフ・リンドガルをアルセイスに引き入れる、という任がな」
それを聞くや、カラドゥはわずかに目を瞠った。
「……失礼いたしました。ご命令、謹んでお受けいたします」
そうして、一転して命令を受諾する。
カラドゥとしては、ブリスに武勲をたてる機会を与えるべく計らったつもりであった。長期任務の仕上げとして、そのくらいの花があってもいいだろうと考えたのである。
だが、テオドールははじめから帝国兵の掃討などより重要な任務をブリスに与えるつもりだったようだ。
自分が余計な差し出口を叩いたことを悟ったカラドゥは、すぐにそのことに気づいて謝罪する。テオドールは気にするなというように手をひらひらと振ってから、ブリスに視線を向けた。
「というわけだ、ブリス。パルジャフの顔と屋敷、双方とも知っているのは貴様のみ。任せたぞ」
「御意、必ずや議長を閣下の御前に連れてまいります!」
現在のドレイクの支配者はカロッサ伯であるが、伯爵にはドレイク市民の人望がない。ドレイクを手に入れようと思うならば、重要なのはカロッサ伯ではなくパルジャフである。それはブリス自身がテオドールに進言した内容だった。
見方をかえれば、パルジャフがアルセイス王国と敵対する動きを見せたとき、議長の存在はテオドールらにとって脅威になる。
パルジャフがアルセイスに従うならばそれでよし。従うことを拒むならば――この混乱にまぎれ、評議員がひとり横死する事件が発生することになる。犯人は、騒動にまぎれて火事場強盗をたくらんだ貧民窟の住人ということになるだろう。
むろん、ブリスは馬鹿正直にそれを口に出したりはしない。ただ、意味ありげにうなずくテオドールに対し、しっかりとうなずきかえしただけであった。
◆◆◆
アルセイス軍が密やかな意図をもって行動を開始した頃、パルジャフの姿は自身の邸宅にはなかった。
邸宅を見張っているカロッサ伯配下の人間に悟られないよう、単身、護衛もつけずにホロッカ区を離れたパルジャフは、人目につかない路地を選んで西の貧民窟――セーデ区を訪れていた。
セーデの守りをインから託されていたセッシュウは、ドレイク評議会議長の来訪を知ってあごをさする。
「いやはや、千客万来であるな。兵を率いておらぬあたり、先刻の者どもとは異なる用件であろうが」
今日の騒乱の始まりとなったセーデの火災。セッシュウは緋賊の兵や住民と協力して火を消し止めたのだが、そのすぐ後にドレイクの守備兵が本拠まで押し寄せてきた。
いわく、火付けをした者の中に赤眉の賊を見たという目撃証言があった。しかも、その賊はこの建物の中に消えたという。ただちに中を改めさせろ。
それが兵たちの要求であった。
おそらく放火を企んだ者がご丁寧に緋賊の情報を守備兵に流したのだろう。
知らぬ存ぜぬをつらぬくセッシュウと、立ち入りを強行しようとするドレイク守備兵の間にはたちまち一触即発の空気が流れたが、ほどなくして守備兵はセーデから退散していく。
セッシュウが刀を抜いて追い払ったわけではない。
街の中心であるホロッカ区からあがった火の手、そして西門で発生した本格的な戦闘。この二つが守備兵を追い払った格好であった。
家族がいる本拠が戦場にならずに済んでセッシュウは胸をなでおろしたが、安堵してばかりもいられない。都市内の変事はセッシュウにとっても気がかりなものだった。
ホロッカ区の火災についてはインたちの仕業であろうと推測できるが、西門を襲撃したのは何者なのか。
その点について、パルジャフとの会談を終えて帰ってきたカイと話し合っていたところに、ドレイクの議長が単身で姿をあらわれたのである。
その意図は奈辺にありや、とセッシュウは首をひねった。
「単身でわしらを取り押さえることはかなわぬ。となれば、カイ師の申し出に色よい返事を持ってきたと期待したいところですな」
「そうだと嬉しいのですが」
応じるカイの言葉は慎重である。
先刻、カイは緋賊の手札を明らかにしてパルジャフを誘ったが、その手札はパルジャフにも扱うことができるものだ。
つまり、緋賊を討ってシュタールの第一皇女やアルセイスの伯爵令嬢らの身柄をおさえた上で、パルジャフが主体となって両国相手に交渉することもできる、ということである。
パルジャフがあくの強い陰謀家であれば、ドレイク守備兵を動かしてセーデに攻撃を仕掛けてくるだろう。アトにせよ、クロエたちにせよ、すでにセーデにはいないのだが、パルジャフはそのことを知らない。あるいは、単身セーデを訪れたパルジャフの狙いは、彼女らの所在を確認することにあるのかもしれない。
パルジャフが陰謀を好まないことはカイも知っている。
しかし、事態が切迫している今、物堅い議長の心の中に「ドレイクを守るためならば手段を選ばぬ」という決意が芽生えたとしても何の不思議もない。
なにより、この状況下において単身で貧民窟にやってくるという行動自体、パルジャフらしからぬ行動だとカイには思えた。
油断は禁物。
そう心の内で呟きながら、カイはセッシュウと共にドレイクの議長を本拠に迎え入れた。
「カイ殿、わしはイン・アストラに従う。そのことを伝えに参った」
それがパルジャフの第一声であった。
この瞬間、緋賊の勢力は飛躍的に強大化したといっていい。単純な数においても、あるいは他者に与える影響力においても、これまでとは比較にならない『力』が加わったのである。
そうなることを望み、そうなるように動いたカイにとっては満足すべき結果といえるが、カイの碧眼に浮かれた色はない。あくまで冷静に、そして冷徹に、眼前の相手の心底を見定めようとする。
そんなカイを前に、パルジャフは落ち着いた面持ちで続けた。
「ただし、これは評議会の決定ではなく、あくまでわし個人の決断である。ゆえに、ドレイクが挙げてインに従うわけではない。そう心得てもらいたい」
従うのはドレイクの議長ではなく、パルジャフ・リンドガルという個人である、と言明するパルジャフに対し、カイはうなずきを返した。その目には一片の失望も浮かんでいない。
「承知しました。あいにくインはまだ戻っていませんが、パルジャフ卿の参入をこころよく認めることは間違いありません。僕個人としても、卿の決断には喜びと感謝を覚えています。これからよろしくお願いいたします」
その言葉と共に差し出された右手を見て、パルジャフはわずかに困惑を示す。
正直なところ、パルジャフはカイが――というより、緋賊がなんのわだかまりもなく自分の条件を受け入れるとは思っていなかった。
個人として加わるということは、ようするに議長としての権限を振りかざすつもりはないという宣言である。
もちろん、パルジャフには個人として培ってきた経験や人脈があるが、その多くはドレイク議長という立場に由来するものであり、一個人としてのパルジャフの力は知れたものだ。
それがわからないカイではあるまいに、との思いがパルジャフを戸惑わせる。少なくとも、自分がどうして心を決したのか、その理由くらいは問い詰められるものと思っていたのだが。
カイの手を握り返しながら、パルジャフはその疑問を口にする。
「……こちらから口にするのも妙な話であるが、よいのか? そちらは望んだものの半分も得られぬことになる」
「僕たちが望んだのはパルジャフ卿、あなたです。そのあなたが今、目の前にいらっしゃる。望んだものは得られました。その他のことは瑣末なことです」
パルジャフが何らかの企みを抱いて緋賊に接近してきたのなら、わざわざ緋賊の不興をかいかねない条件を口にする必要はない。その意味でもパルジャフの言葉はカイの意にかなうものであった。
傍らで二人のやり取りを見守っていたセッシュウは、腕組みをしながらいやはやと首を振る。
「こうなろうという予想はしておったが、実際になってみると感慨深いものがある。主殿が――あの虎狼のような目をした青年が、ここまで大きくなるとはなあ」
そのしみじみとした呟きに気づいたパルジャフが、視線をカイからセッシュウに向けた。
「そちらは? どうやら名のある御仁と見受けるが」
時に実年齢より半分、もしくはそれ以上に若く見られるセッシュウの外見から内実を推し量ることは難しいのだが、さすがに議長として多くの人間を見てきただけあって、パルジャフは正しくセッシュウの力量を把握したようだった。
セッシュウは東方式の礼をしてパルジャフに応じる。
「おお、これは申し遅れた。それがしはセッシュウ・カクラと申す者。家族を救うてもらった恩により、イン殿を主と仰ぐ身である。どうか見知りおき願いたい」
セッシュウの名乗りを聞いたパルジャフは、一瞬、記憶を探る表情をした。何かが引っかかったのだが、それが何なのかすぐには浮かんでこない。
相手に名乗らせたままでは礼にもとる。パルジャフは記憶をさぐるのを諦めて答礼した。
「丁寧な挨拶いたみいる。パルジャフ・リンドガルだ、こちらこそ見知りおき願う」
このとき、パルジャフの言葉遣いが若干崩れていたのは、相手が自分より年下であると思い込んでいたからだった。相手の力量は把握したものの、さすがに正確な年齢までははかりようがない。
後刻、セッシュウの実年齢と、三人の孫がいることを知ったパルジャフは絶句することになるのだが、これは余談である。
「少々気忙しいが、現状を確認しておきたい。まずはこちらの知る情報をつまびらかにしよう」
パルジャフがそう言ったのは、配下に加わったばかりでいきなり緋賊の情報を求めれば、胡乱な目で見られると考えたからであろう。
同時にこれは、パルジャフが「インに従う」という決断を下すにいたった直接的な要因を語ることでもあった。
「現在、ドレイクを西から攻め立てているのはアルセイス軍である」
この言葉に対するカイとセッシュウの反応は、やはり、というものだった。現状、ドレイクの内部で騒ぎを起こす必要があり、なおかつセーデと緋賊の関わりを知っている者となると、出てくる答えはアルセイスくらいのものである。二人はインと同じ答えに達していた。
二人の納得を見たパルジャフは先を続ける。
「西門はすでに陥落した。この際、内から手引きする者たちが相当数確認されている。恥ずべきことだが、城門の守備兵の中にも裏切り者がいたようだ。かなり以前から周到に企まれていた計画だったのだろう。敵の指揮官まではつかめておらぬが、侵攻の手際からして相当に高位の将軍が出てきたことは疑いない」
それを聞いたセッシュウがふむとうなずき、別の角度から戦況を分析する。
「ドレイクの西は無人の野ではない。そこからの報せが一切なかったのだとすれば、そちらにも以前から手を入れていたのであろうな」
「まさしくそのとおりだ、セッシュウ殿。兵を差し向けるだけならともかく、我ら――いや、ドレイクやシュタール帝国とも関係浅からぬ西の都市に手を入れていたとなると、この計画に費やされた時間は十日やそこらではない」
中立を保つといえば聞こえはいいが、一歩間違えればシュタール帝国の怒りをまともにかぶる恐れのある決断である。利害を説いて西の都市を説伏する期間は十日程度では到底足りない、とパルジャフは言う。
一言半句でもドレイクに漏れ聞こえてはならないという点を踏まえれば、説得も誰彼かまわず、というわけにはいかない。説く相手を間違えれば、ただちに侵攻計画がドレイクに伝わってしまうからだ。
となれば、十日はおろか一月あっても十分な準備期間とはいえないだろう。
ここで注意するべきは、準備期間が長ければ長いほど良い、というわけではないことである。
人の心は移ろう。都市の情勢は変化する。
首尾よく中立の約束を取り付けたからといって、その約束が一月後、三月後、半年後、ただしく履行されるという保証はどこにもない。
時が経てば秘密を守ろうという決意も弛緩する。たとえ変心はせずとも、酒の席、家族との語らい、そういったときにふとしたはずみで口を滑らせてしまうこともありえよう。
それらのことを踏まえて考えてみると、今回のアルセイス軍の行動には奇妙な点が見えてくる。
少なくとも、パルジャフにはそう感じられた。
紅金騎士団がフレデリク・ゲドを討ち取ってからまだ十日も経っていない。そこから準備を始めたのでは、今回の鮮やかな奇襲は為しえない。
したがって、ドレイク攻めの準備自体はもっと前から行われていた、と考えるべきだ。カロッサ伯の行動はあくまでも出兵の名分となっただけであって、戦争準備をはじめる直接のきっかけはもっと別にあった。
では、そのきっかけとは何なのか。
パルジャフは思う。
ここで注視するべきはカロッサ伯ではなく、カロッサ伯の主であるドルレアク公爵である。
ドルレアク公が長きに渡って抱き続けたドレイクへの野心、カロッサ伯はそれをかなえるために行動した。
アルセイス王国がその時期を正確に予測できたということは、つまり、ドルレアク公の野心を長きに渡って掣肘し続けてきた帝国宰相ダヤン侯爵が、従来の態度を一変させることを正確に予測できた、ということだ。
パルジャフをはじめとしたドレイクの評議員が誰ひとり予測しえなかったダヤン侯の変心を、遠く離れたアルセイスの王都から、時期まで含めて正確に予測する――それはもう推測や推論ではない。神託、予言の類である。常人にはそんなまねは不可能だ。
ただひとつ。
当の宰相がそれを知らせる以外には。
「事のはじめから、疑問には思っていたのだ」
パルジャフは疲労した顔で眉間のしわを揉みほぐす。
「ドルレアク公とダヤン侯は相容れぬ仇敵同士。その両者が急に手を結んだのはどうしてなのか、と。アルシャート要塞が常以上に厳重な警戒を敷いていることから察するに、おそらく今、ヒルスの北、帝国本土では何かが起きている。それが原因となったのだろうと推測はしていたが、しかし、今ひとつしっくりこなかった」
何かが起きているとは言ったものの、今のダヤン侯の権勢を突き崩すほどの混乱が起きているとはパルジャフには思えない。先年、第一皇女を刑死させてなお、ダヤン侯の権勢は小揺るぎもしなかったからだ。
何が起きているにせよ、その混乱はダヤン侯にとって対処可能なものだろう。
それを理由として、ドルレアク公にドレイク支配を認めるという決断を下すほど、現在の帝国宰相は脇が甘い人物ではない。
そう見せかけて何かを狙っている、とパルジャフはこれまで疑っていた。そして、その答えをアルセイス侵攻に見たのである。
それまで黙ってパルジャフの言葉を聞いていたカイが、ここで口を開いた。
「ダヤン侯はドルレアク公に対し、ドレイク支配を認めるという政治的譲歩を示し、それと引き換えに国内の混乱を静めるための何らかの協力を引き出した。一方で、ドレイクの統治が混乱をきたすことを予測したダヤン侯は、密かにアルセイス王国を使嗾した。自由都市という甘美な餌をめぐって、内なる敵と外なる敵が競い合うように。そういうことですね?」
カイの言葉に、セッシュウがなるほど、とうなずいた。
「ふむ、二虎競食の計であるか。内のドルレアク公、外のアルセイス、いずれが勝とうとも両者は必ず傷つき、しかも宰相は傷ひとつ負わぬ。ドルレアク公が勝てば、政敵は今後もドレイクを守るために損耗し続ける。負ければ、その罪を問うて領地を召し上げるか、宮廷の席次を下げるか、どちらにせよ宰相の権力は磐石じゃ。アルセイスが勢いに乗って攻めてこようと、アルシャート要塞を固めておけば本土への侵攻を防ぐことはできるからのう」
そこまで言ったセッシュウはぴしゃりと額をたたく。その顔は呆れと感嘆が半々になっていた。
「いやはや、狡猾狡猾。名高き自由都市も、帝国宰相にとっては猛獣を操る餌に過ぎぬか」
パルジャフは両眼に強い意志の光を湛えて二人の推測にうなずいた。
「まさしく然りだ、ご両所よ。だが、この餌はただの餌にあらず、十万の民が今も生きている街なのだ。これからも暮らしていく街なのだ。このままではドレイクの街も民も、襲いかかる戦火に飲みこまれて死に果ててしまう。誰が企んだのかも知らぬままに、だ」
そんなことは決して許さぬ。
深い決意を秘めた静かな声でパルジャフ・リンドガルは断言する。
それは長年に渡ってドレイクを愛し、自由都市を支えてきた男から帝国宰相に向けられた宣戦布告であった。




