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僭王記  作者: 玉兎
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第四章 ドレイク擾乱(七)

 ドレイクに展開しているシュタール軍は、カロッサ伯の手勢二千、紅金騎士団一千、さらに評議会直下にあった守備兵六千の計九千。

 これを指揮するのは言うまでもなくカロッサ伯であるが、伯爵が信頼しているのは自身の手勢のみであり、評議会館をはじめとした都市内の要所、それに四方の城門は己の手勢で固めていた。紅金騎士団や、大半のドレイク守備兵はアルセイス軍への警戒を名目に城外に出されている。

 このため、カロッサ伯は二千の手勢は分散させざるを得ず、評議会館の守りは五百程度にとどまっていた。



 五百とはいっても、少数の賊を叩き潰し、火を消し止める人員としては十分以上の数である。

 しかし、それも将兵が統一された命令のもとで動いていればの話。

 当初、伯爵は緋賊の存在を軽視し、アルセイス軍に対する備えを賊鎮圧に優先させた。そこに緋賊の侵入が重なったことで、中級以下の部隊長は緋賊とアルセイス軍、どちらの対応を優先するべきか迷いを抱えている状態だった。

 上意下達が徹底されているカロッサ伯の部隊だからこそ、戦況が指揮官の判断を越える動きを見せたとき、対応に鈍さが出てしまう。



 これを改めるためには、賊徒討伐を優先させるカロッサ伯の意向を周知徹底させるしかないのだが、評議会館内部が極度の混乱に見舞われている現状、部隊長を集めて命令を伝えることはできず、伯爵の側から使者を差し向けようにも、肝心の部隊長たちがどこで何をしているのかを突き止めるのも容易ではない。

 カロッサ伯が陣頭指揮を決断した理由はここにもあった。伯爵みずからが出向けば、いちいち使者を差し向ける手間を省き、直接命令を下すことができる。部隊長たちにしても、カロッサ伯じきじきの命令とあらば誤解のしようはない。混乱している者たちも、陣頭に立つ指揮官の姿を見れば落ち着きを取り戻すだろう。



 カロッサ伯に付き従うのは選りすぐりの精兵十名。

 もう少し兵が集まるのを待って移動することも考えたが、一刻を争う状況でそれは悠長に過ぎる、と伯爵は判断した。むしろ賊徒に遭遇したらもっけの幸い、手ずからこれを葬ってくれる、とも。

 賊を討ち取るべく行動するカロッサ伯と、カロッサ伯の首をとるべく行動するイン。

 両者がぶつかるまで長い時間はかからなかった。




◆◆




 天井をなめるように進む灰色の煙を見て、カロッサ伯は眉間にしわを寄せる。

 執務室からさほど離れていない場所にまで煙が及んでいるところを見るに、火の回りは伯爵が考えていたものより数段早い。

 そのことを危惧した矢先、伯爵の視界に廊下の角から姿をあらわした奇妙な二人連れの姿が映し出された。

 ひとりは青年。ひとりは少女。いずれも長大な武器を肩に担ぎ、その身は朱に染まっている。眉の色は明らかではなかったが、カロッサ伯らの姿をみとめて楽しげに唇をまげるその顔は、どう見てもシュタール兵ではありえなかった。



「斬り捨てよッ!!」

 キルの姿を見て戸惑ったように動きを止めた兵士たちであったが、断固とした伯爵の命令に背を押され、賊を討つべく走り出す。

 三名は周囲を警戒して伯爵の傍に残った。評議会館の廊下は広いが、さすがに十人以上が同時に戦えるほどの空間はない。

 それでも七対二、しかも向こうは皮革の鎧ひとつ身につけていない。くわえて、野外ならともかく、建物の中であの長さの武器を二人並んで振るうことなぞできるはずがない――そのカロッサ伯の分析は間違っていなかった。

 だが、すぐに前提が崩れてしまう。



 実際の戦いは七対二ではなく、七対一で行われた。帝国兵に反応して駆け出したのは少女――キルだけであり、インはその後をのんびりと歩いてついていくだけだったのだ。

 子供を囮にするつもりか、とカロッサ伯は眉を吊り上げる。たちの悪い野盗や暗殺者の中には子供に戦いを仕込む輩もいる。この相手もその類かと考えたカロッサ伯の前で、キルの口から咆哮がほとばしった。

「がああああああああッ!!」

 苛烈な戦意に満ちた叫び声は、年端もいかない少女の口から出たものとはとうてい思われない。キルの叫喚に耳朶を打ち据えられた兵士たちの動きがわずかに鈍る。

 時間にすればほんの一瞬、踏み込みにすれば半歩の距離。その半歩で、キルは兵士の一人を完璧に間合いに捉えていた。



 両手で柄を握ったキルが、右から左へ、横一文字に大剣を振るう。廊下の幅を計算に入れた上で、大剣の長さ、重さを活かしきった先制剛撃。

 大振りの斬撃は兵士が構えた剣をへし折り、そのまま相手の腕ごと甲冑を砕き割ってなお勢いを緩めない。

 身体を「く」の字に折り曲げられた帝国兵は、苦悶の叫びをあげながら隣の兵士に衝突する。

 途端、キルの細い両腕にひときわ強い力が込められた。

 気合一閃、そのまま強引に大剣を振り抜いたキルは、甲冑をまとった兵士二人をまとめて壁に叩きつける。そして、その結果を確かめることなく、すぐに次の相手に襲いかかった。



 帝国兵二人を力ずくで吹き飛ばす女の子。

 後方で見ていたインにとっては見慣れた感すらある光景だが、はじめてそれを目の当たりにした者たちは動揺を隠せない。カロッサ伯爵直属の精鋭といえど、あるいは精鋭だからこそ、眼前の光景がどれほどありえざることか理解できてしまう。そのありえないことをやってのけた敵がどれほどの力量を秘めているのかを感じ取ってしまう。

 だが、そんなことはありえないのだ。これが容貌魁偉な大男であればまだしも、精々が十二、三歳程度の子供にこんなまねができるはずがない。



 その思いが帝国兵の反応を遅らせる。

 気がついたときには、キルの小さな身体は宙に跳んでいた。大きく振りかぶる大上段からの一撃。先ほどとは違う縦の斬撃の標的にされた兵士は、咄嗟に剣を掲げて斬撃を防ごうと試みるが、直後、自身の失策を悟って青ざめた。今しがた、同輩が同じことをして、剣ごと身体を持っていかれたばかりではないか。

 回避は間に合わないと考えた兵士は、構えた剣に角度をつける。受け止めるのではなく受け流そうとしたのだが、降り注ぐ岩塊にも似た一撃は小細工ごとその兵士の剣を、頭部を粉砕する。



 と、キルの口から小さな舌打ちがもれた。

 勢い余って大剣が上半身にめりこんでしまったのだ。キルが急いで大剣を引き抜こうとする直前、短い呼気と共に帝国兵のひとりが斬りかかってきた。

 十分に体重が乗った一撃は惑乱してのものではない。早くも精神的な立ち直りを見せた相手を前に、キルはこのままでは大剣を引きぬく前に斬撃を浴びると判断し、柄から手を離してその場から飛びすさる。

 直後、一瞬前までキルの身体があった空間を、長剣がうなりをあげて切り裂いていく。

 手ごたえの無さから会心の一刀を避けられたことを悟った兵士の顔に驚きがはしった。間違いなく敵を捉えたと確信していたのだろう。

 しかし、剣の切っ先はキルの肌に届かず、ただケープの布地を裂くにとどまった。

 


 今度は兵士の口から舌打ちの音がこぼれる。

 一方、兵士と対峙するキルの目には険悪な光が浮かびあがっていた。ケープを斬られたことに腹を立てているのだが、もちろんというべきか、相手はそのことに気づいていない。

 次の瞬間、するすると伸びたキルの両手が、兵士の右腕を篭手ごとわしづかみにした。

 何事か、と驚く暇もない。キルは掴んだ右腕を強引に引き寄せて相手の体勢を崩すと、そのまま懐に入り込む。

 そして。

「あああッ!!!」

 大喝と共に、甲冑をまとった兵士の身体を背負いあげた。

 そして、そのまま投げ技の要領で脳天から床に叩きつける。



 耳を塞ぎたくなる異音があたりに響きわたり、石材でつくられた床が大きく揺れる。

 わずかに遅れて、望まぬ逆立ちを強いられた兵士の身体が音を立てて崩れ落ちた。




「な、なん……!?」

「ばかな……」

 瞬く間に四人の精兵をほふったキルを見て、残った兵士たちは戦慄とも驚愕ともとれるうめき声をあげる。

 彼らの眼前で、キルは死体から大剣を引き抜きにかかる。死者の甲冑に足をかけ、力任せに引きぬいた途端、傷口から派手に血が吹き上がった。



 今度は斬りかかろうとする者はいなかった。斬りかかることができなかった、といった方が正しいかもしれない。

 キルと対峙している兵士はもとより、後方で戦況を見守っていたカロッサ伯らの目もキルひとりに注がれている。

 兵士たちの目に恐怖の影がちらついていることを臆病といえる者はいないだろう。キルと戦ったのはいずれも新兵ではなく、十分な訓練を積み、多くの実戦を経た精兵だった。錬度においては五鋼騎士団に匹敵するであろう猛者たち。それを瞬く間に四人も打ち倒す少女を前にして、どうやって平静を保てというのか。

 甲冑をまとった大の男を担ぎ上げて床に叩きつけた姿など、もはや寓話の中の怪物にしか見えなかった。




 指揮官であるカロッサ伯の目に恐れはなかったが、しかし驚きはあった。同時に、そこには納得も含まれている。

 どうして少数の賊相手にここまで踏み込まれてしまったのか。腑に落ちなかった配下の不覚も、この化け物じみた少女相手ならばいたし方ないと、そう思えたのである。

 だが、この判断は早計だった。

 化け物じみた相手はもうひとりいる。




 カロッサ伯の視界の端で何かが煌いた――そう見えた瞬間、兵の一人が警告の声をあげる。

「閣下、お逃げください!!」

 警告の内容よりも、声に含まれていた切迫感がカロッサ伯の身体を突き動かす。

 ほとんど本能的に床に身を投げたカロッサ伯のすぐ横を、猛烈に回転しながら通り過ぎていくものがある。大車輪のごときそれは、縦回転する波状剣だった。

 後方にいたインが、キルがこじ開けた敵兵の隙間を縫うようにして己の得物を投げつけたのだ。

 伯爵の身体を捉え損ねた剣は、そのまま派手な音をたてて廊下の奥へと転がっていった。




「閣下、ご無事ですかッ!?」

 慌てて駆け寄ろうとする兵たちを、カロッサ伯は手の一振りで制した。

「かまうな。それよりも賊を討て。今ならば男は無手だ」

「御意!」

 命令に応じて兵士たちは動きかけたが、その必要はなかった。当の賊の方から突っ込んできたからである。

 キルと対峙する兵たちはキルに牽制されて動くに動けず、たやすくインの突破を許してしまう。キルたちの傍を駆け抜けざま、インは床に転がっていた帝国兵の剣を一本拾い上げていた。



 その一剣をもってカロッサ伯らと切り結ぶかと思われたインは、ここでまたしても予想外の行動に出る。拾い上げた剣を、再び帝国兵に投げつけたのだ。それもカロッサ伯や、伯爵を守る兵士たちではなく、キルと対峙している兵に向かって。

「なッ!?」

 注意の大半をキルに向けていた帝国兵はこの予想外の攻撃に反応できなかった。回転する剣身が一人の兵士の首筋を直撃し、その兵は血煙を撒き散らしながら床に倒れこむ。

 これでキルの前に立っている敵は残り二人

 一方、インの前にはカロッサ伯を含めて四人が残っており、しかもインは再び無手となってしまった。

 が、赤眉の青年はまったく気にする素振りを見せない。もとより覚悟の上での行動である。そもそも、無手を不利と思う人間ならば、はじめから武器を手放したりはしない。




「その赤い眉、緋賊とやらか。それともアルセイスの手先が賊に成りすましているのか。いずれにせよ――」

 立ち上がったカロッサ伯が腰の剣を抜き放つ。刃に鋭利な輝きをたたえた長剣は、おそらく名のある剣匠が鍛えた一振りなのだろう。

「ここまで来たことは誉めてやる。が、このウィルフリートの前に立ったからには生かして帰さぬ。覚悟せよ!」

 配下の半数が倒れても、その声には寸毫の乱れもない。

 覇気のこもった宣告は、確かな自信と実力に裏打ちされたものだった。




 これに対し、インが返した言葉はごく短い。

「言ったからにはやってみせろ」

 護衛の兵には目もくれず、ただ真っ直ぐにカロッサ伯だけを見据える。

 シュタール軍の指揮官、事実上ドレイクを支配する帝国貴族を前にしても、インはキルのように戦意をあらわにすることはなかった。むしろ、ここに来るまでよりもずっと静かな面持ちである。

 静かな――それでいて触れれば切れるような鋭い視線。インの双眸を満たす硬質の輝きは、カロッサ伯の長剣が放つ光によく似ていた。



 ぞくり、と。

 理由のわからない悪寒がカロッサ伯の背を這いのぼっていく。

 一瞬、眼前の相手が人ならざる何かに見えた気がした。



 インの身体が爆ぜるように前に出る。わき目もふらず、まっすぐに伯爵へ向かって走り出す。

 カロッサ伯を守る三人の兵士が、そうはさせじと行く手を遮った。

「行かせるものか、ものがッ!」

 三方向から繰り出される斬撃はいずれも鋭い。インは右からの攻撃をかいくぐり、左からの攻撃は鉄鎖を巻いた左腕で弾いた。しかし、さすがに三人目、正面の兵士の攻撃まではさばききれない。

 相手の斬撃はすでに避けようのない距離まで迫っている。その場で止まれば右肩から袈裟懸けに斬り捨てられるだろう。退いても相手の間合いから逃れることはできず、左右は敵兵にふさがれている。



 ゆえにインはただ一つ残った選択肢、すなわち前に出ることを選ぶ。勢いを緩めることなく、むしろさらに加速するくらいの気持ちをもって正面の兵士に身体ごと突っ込んでいく。

 衝突の直前、インの肩口で激痛がはじけた。兵士の刃が肩肉を抉り、血が飛び散る。しかし、肩を捉えたのは剣身の根元部分であり、それ以上刃が食い込んでくることはなかった。インが肉薄したことで斬撃が不完全になった格好である。

 そして衝突。

 甲冑をまとった兵士が体当たりで手傷を負うことはない。が、インの勢いに抗しかねた兵士は数歩、後方によろめいてしまう。

 インはこの好機を逃しはしなかった。



 鉄靴を履いた足が閃くように動き、兵士の胸甲を激しい衝撃が襲う。

「があッ!?」

 繰り出されたのは閃光のような中段蹴り。兵士はたまらず後方に吹き飛ばされ、そして――

「ぬぅ!?」

 後ろにいたカロッサ伯に身体ごとぶつかっていった。さすがのカロッサ伯も、蹴り飛ばされた配下の身体が飛んでくることは予測の外であったらしく、回避の反応がわずかに遅れてしまう。そのまま、二人は絡み合うように床に倒れこんだ。



「閣下!」

 インに斬りつけた二人の兵士が、顔どころか声まで蒼白にして叫んだが、彼らは他人よりも自分の身を案じるべきだっただろう。インは倒れたカロッサ伯に追撃を仕掛けず、次の標的を二人に定めていた。

 インの左腕が霞むように動く。

 途端、兵士の一人が突然顔をおさえて苦悶の叫びをあげた。

「ぬぐああああッ!?」

 兵士の右目には、インの左腕から伸びた鉄鎖の先端が深々と突き刺さっている。鉄鎖の先端につけられた鋭利なくさびに眼球を突き破られた兵士は、たまらず床を転げまわった。



 素早く鉄鎖を引き戻したインに怒声が浴びせられる。

「暗器とは卑劣なまねをッ!」

 最後に残った兵士が目に怒りの炎をたたえて斬りかかってきた。激しい剣勢だったが、インはわずかに身体を退くことで相手に空を斬らせると、そのまま素早く右手を伸ばして兵士の首をがっしとつかむ。

「ぐ、このッ!」

 咄嗟に腕を振り払おうとした兵士の足下をインの鉄靴が襲う。避けようのないタイミングで足払いを仕掛けられた兵士の身体が、一瞬、宙に浮いた。



 緋賊の頭目の両眼にひときわ苛烈な光が走る。

 右手に力を込めたインは、そのまま兵士の頸部を力のかぎり石の床に叩き付けた。

 直後に響いた濁った音は頭蓋が砕けた音か、あるいは頸骨がへし折れた音か。いずれにせよ、口と鼻から血を溢れさせた兵士は、そのまま動かなくなった。



 この時には、すでにキルの戦いも決着がついていた。

 残った敵はカロッサ伯と護衛ひとり。生きている兵士は他にもいるが、戦える兵士はそれだけだ。

 これで数の上ではまったくの互角。

 しかも、ただひとり残った護衛の兵士は、先のインによる蹴撃の影響が抜けきっておらず、動きが明らかに鈍くなっている。もしかしたら胸骨が折れたのかもしれない。



 インにせよ、キルにせよ、敵に弱みがあるのなら、それを最大限に利用することをためらったりはしない。

 キルがカロッサ伯をおさえている間、床に転がっていた剣を拾い上げたインは護衛兵に斬りかかり、わずか二合で相手の首を刈り取った。

 二対二から、二対一へ。

 すべての護衛を失ったカロッサ伯は、インとキルの二人を同時に相手どらなくてはならなくなる。どれほど優れた剣技の持ち主であっても、これではいかんともしがたい。この時点で勝敗は決したといっていいだろう。





 それでもカロッサ伯は自身の武勇が虚名でないことを示さんとするかのように抗戦し続けた。

「きさまらなぞに討たれるウィルフリートではないッ!!」

 降伏も逃亡も眼中にない。大喝と共に長剣を振るうカロッサ伯は、なるほど、優れた剣技の持ち主であった。抗戦している間に別の配下が駆けつけてくることを計算に入れてもいるのだろう。

 だが、インには相手のしたたかな企みを成就させてやる義理はなかった。



 むろん、一対一の戦いなど挑まない。

 インとキルは一片の容赦もなく左右からカロッサ伯に斬りかかる。

 豪速で振り回されるキルの大剣は、時に隣で戦っているインの身体まで届きかけたが、キルはまったく気にかけることなく、周囲をなぎ払う剛撃を叩き込んでいく。

 ややもすると同士討ちをしているのではないかと思われる光景だったが、キルの大剣がインの身体に届くことは一度もなかった。インは巧みに大剣を避けつつ、こちらもこちらでカロッサ伯に致命的な斬撃を送り込んでくる。



 連携と呼ぶには荒すぎる、それでいて巧妙というしかない二人がかりの攻撃を前に、カロッサ伯はたちまち劣勢に追い込まれた。

 それでもなおしばらく伯爵が持ちこたえることができたのは、剣の技というより伯爵の意地が、最後に残った力をかき集めた結果であろう。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 キン、と澄んだ音をたてて長剣が宙に舞い上がる。ウィルフリートが伯爵位を授けられた際、ドルレアク公が手ずから授けた宝剣は、空中でくるくると回転した後、少し離れた床面に深々と突き刺さる。



 カロッサ伯が崩れるように膝をついた。短くも激しい戦闘を経たために、その口からはたえず荒い息が吐き出されている。

 ぐ、とえずくような声をもらした後、カロッサ伯はいまいましげに言った。

「……まさか、賊相手に敗北を喫する日が来ようとは……メルヒオール閣下に、お詫びのしようがない……」

「言い残す言葉があるなら聞いてやる。さっさと言え」

 すでにカロッサ伯は死を覚悟しており、インの方ははじめから殺す以外の選択肢を設けていない。

 カロッサ伯は剣を振り上げるインをねめあげた。煮えたぎる感情の坩堝と化した両眼に睨まれたインは、眉一つ動かすことなく冷然とカロッサ伯を見返す。

 焼けた刃をこすり合わせるような視線の衝突の後、カロッサ伯はおもむろに口を開いた。



「……すぐに後を追ってくる貴様らに言葉を遺したところで意味はあるまい。我が軍に踏み潰されるか、それともアルセイス軍に利用され、磨り潰されるか……いずれにせよ、賊に身を落とした者の末路など知れている。その身に誅戮ちゅうりくの刃が振り下ろされるまで……せいぜいおのが愚行を悔いておくがいい」

「確かに聞いた」

 振り下ろされた剣は正確にカロッサ伯の首を捉えた。宙を切る斬撃の音にわずかに遅れて、ごとり、と首が落ちる音が響く。



 その地位、武名に比すれば、あっけないというしかないカロッサ伯ウィルフリートの最期であった。



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