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僭王記  作者: 玉兎
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第四章 ドレイク擾乱(四)

 イン・アストラの使いを名乗る者が正面から屋敷を訪れてきたと知ったパルジャフは、胸中にわきあがった驚きを数瞬の沈黙にかえた。

 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、罠ではないか、という疑惑である。

 現在、カロッサ伯がパルジャフに対してとっている態度は、良くいって丁重な無視というところだったが、密かな監視の目が邸宅に注がれていることは疑いの余地がない。

 名目はどうあれ、事実上のドレイク元首であったパルジャフの存在は、新たな支配体制の確立を目論むカロッサ伯にとって邪魔者にしかなりえない。パルジャフが政治的態度をかえないかぎり――つまりはカロッサ伯のドレイク支配に協力しないかぎり、いずれ何らかの口実をもうけてパルジャフ排除に乗り出してくるだろう。その排除の内容がこの世からの追放であっても不思議ではない、とパルジャフは密かに警戒していた。



 そのため、この訪問も罠ではないかと疑ったのだが、パルジャフはすぐにこの考えを否定した。

 カロッサ伯がその気になればパルジャフに罪を着せるのは簡単なことである。わざわざ野盗の名を持ち出し、議長と賊の関係をでっちあげてから罪に落とすなど、罠にしても迂遠に過ぎる。

 かといって、帝国派や王国派の残党がいまさらパルジャフを陥れるべく策動するとも考えにくい。となると、この使いは本当にインからのものか。



 パルジャフはしばし悩む様子を見せたが、やがて意を決したようにうなずくと、使いの人間を自室まで案内するよう命じた。

 インの狙いが何であるにせよ、緋賊が抱えている秘密を考慮すれば、相手の用件も聞かずに追い返すのは下策である。なにより、恩人の使いを門前払いすることは礼儀にかなった行いとは言いがたい。



 こうしてパルジャフはインの使者であるカイと対面することになった。三年前のセーデをめぐる戦いで両者は顔をあわせておらず、これが二人の初顔合わせとなる。

 パルジャフから見れば、黄金色の髪の青年は己の半分も生きていない若輩だったが、それを言うならばインも同様である。あの男の使いが凡人であるはずもなし、柔和な外見は激しい性情を包む殻のようなものだろう、とパルジャフは推察した。



 そして、その推察がこれ以上ないほど正鵠を射ていたことをすぐにパルジャフは知るにいたる。

 文字通りの意味で、すぐに。

 すなわち、カイは第一声で、物に動じぬと評判のドレイク評議長パルジャフ・リンドガルを仰天せしめたのである。 

 カールハインツ・フォン・ベルンシュタインという、己の名を告げることで。




◆◆




 パルジャフが室内に満ちた沈黙を破るまで、呼吸三つ分ほどの時間を必要とした。

 カイが口にした名前は、パルジャフにとってそれだけ意外なものだった。

「ベルンシュタイン……シュタール帝国北部を領有する琥珀公であるな。遠方の大領主であるが、ドレイクの民には馴染みがある名だ。ヒルス山脈を穿ち、ドレイクへと通じる琥珀街道を築き上げたのは、まさにベルンシュタイン家であるゆえ」



 パルジャフはそう言うと、じろりとカイの顔を見据えた。

「カールハインツの名も聞き覚えがある。将来を嘱望された公子の名だ。しかし、カールハインツ公子は四年前に死んだと聞いた。死んだはずの公子が、何故にドレイクにいて、インの使いを務めている? まさかあの者、琥珀公の意を受けて動いておるのか?」

 この場にインがいれば目を吊り上げた――どころか問答無用で斬りかかりかねない言葉であったが、パルジャフはそのことに気づいていない。ドレイクの議長は、そこまでインの為人ひととなりを把握しているわけではなかった。



 カイは小さく肩をすくめて今の言葉を聞き流すと、パルジャフの問いに応じる。

「四年前にインに命をすくわれ、その配下となった――そうお考えください、パルジャフ卿。この四年の間、公爵家と連絡をとったことは一度もありません。今の僕はただの『カイ』です」

 ふむ、とパルジャフは顔の下半分を覆う黒髯をさする。

「では、そのカイ殿に訊ねよう。こたびの訪問の目的はいずこにありや。つい先ほど、セーデの方角で騒ぎが起きていると報告があったが、この使いはそれに関わりがあることか? この身はドレイク評議会の議長である。場合によっては卿をこの屋敷から帰すわけにはいかなくなると心得てもらいたい」



 パルジャフの両眼がすっと細くなり、言動に威迫の気配が漂った。かつてインに重圧を感じさせた、あの眼差しである。

 しかし、カイはこれに対して眉ひとつ動かさない。続いて発された声にも乱れはなかった。

「遠からずこの自由都市を襲う破滅を回避しうる策がございます。その策のためにうかがった次第」

「――破滅、とは穏やかならぬ申しようであるな。試みに問う。それは何を指しておるのか?」

「北に進めば隷属。南に進めば屈従。立ち上がれば敗亡。自由都市を取り巻く現状を指して破滅と申し上げました」

 その言葉を聞き終えた途端、パルジャフの顔が明確に質をかえた。

 相手の心底をさぐる審問官としての顔から、都市の将来を憂う評議員としての顔へと。



 カイが口にした北と南という言葉が、それぞれシュタール帝国とアルセイス王国を指しているのは明白だ。どちらに従ったところでドレイクの自治は失われる、そのことを指しているのだろう。

 立ち上がるというのは、いずれの国にも従わずに独立を目指した場合のこと。そんなことをすれば、両国に攻め滅ぼされておしまいである、とカイは言っている。

 それは先日来、パルジャフが何度も繰り返し思案してきた内容とほぼ同一のものであった。



 パルジャフをして八方ふさがりであると頭を抱えさせる状況を、カイは破滅と表現した。であれば、その破滅を回避する策にパルジャフが興味を持たないはずがない。

 とはいえ、ここでそれに飛びついては相手の思う壺である。カールハインツ公子は、若年にして遠くドレイクまで評判が届くほどの人物であったが、それでもそう簡単にドレイクの現状を覆す策を編み出せるとは信じがたい。

 それに、仮にそんな策があったとしても、こうしてパルジャフのもとを訪れている以上、その策は緋賊単独で実行するのは困難なものであるに違いない。パルジャフの協力なしに実行できない策であれば、なにもこちらが下手に出て、どうか教えてくれと頭を下げる必要はあるまい。

 ドレイクの議長は相手を揺さぶる必要を感じた。





「たとえ一時的に自治を失おうと、ドレイクの街と、そこで暮らす民が生きているかぎり再起はかなう。いずれ再び自治を獲得することも不可能ではない。破滅とはいささか大げさであろう」

「パルジャフ卿。僕はドレイクの破滅を回避する策とは一度も申し上げていませんよ。僕が申し上げたのは『自由都市』の破滅を回避する策、です」

 カイは穏やかにパルジャフの間違いを訂正する。



 自由都市とはすなわち、自治にもとづく都市運営が許され、それによって繁栄している都市のことを指す。

 確かにパルジャフが言うとおり、一時的な屈服を受け入れさえすれば、相手がシュタールであれ、アルセイスであれ、ドレイクの街自体は存続する。

 だがその時、ドレイクはもう『自由都市』ではなくなっている。現在のカロッサ伯の統治を見てもわかる。自治を失ったドレイクに商人をひきつける魅力はなく、大半の商人はドレイクを出て、別の街に拠点を移すだろう。



 むろん、ドレイクに留まる商人もいるはずだ。したがって交易は今後も続けられていくだろうが、商人の数が減れば、そのぶん物の流れも衰える。

 人と物が集まるところに利が生じるのが必然だとすれば、人と物が散じた場所から利が失われるのもまた必然。

 商売の統制は強化され、減少した税収はおそらく諸々の税の値上げによって補われる。物価の上昇も避けられないだろう。

 これまで評議会や商人によって街に落とされてきた金銭のほとんどは、シュタールなりアルセイスなりに吸い上げられ、市民に還元されることはなくなっていく。

 そこに戦火が重なったとき、どれだけの住民がドレイクに留まることを望むのだろうか。




「ドレイクの存続に策など不要。ただ頭を垂れれば済む話です。それをもって自由都市が長らえるとパルジャフ卿が信じておられるならば、僕はここで失礼させていただきます」

 ドレイクの存続と『自由都市』の存続は意を異にする。

 その程度のことがわからない相手ならば語るに足らぬ、とカイは言外に告げる。



 パルジャフはこった眉間を揉みほぐし、自身の失策を認めた。この相手は生半可な揺さぶりが通じる相手ではない。

「あいや、待たれよ。たしかに、ただ街と人があればよいというものではない。ドレイクの繁栄は自由なる統治によって成り立つものである。先刻、貴公は策があると言った。ドレイクをドレイクたらしめる制度と気風を失わぬまま、破滅を遠ざける手段があると受け取ってよいのか?」

「はい。まさしくその意味で申し上げました」



 それを聞いたパルジャフはこつこつと二本の指で机を叩いた。

「あのイン・アストラが都市への愛着ゆえに行動を起こすとは思われぬ。当然、その策はあれに利するものであろう。シュタール帝国がいまさら方針を転換するとは思えぬし、アルセイス王国がドレイクのために無償で働いてくれるはずもない。であれば、カイ殿、貴公の策とは武力蜂起であろう。わしをインに協力させ、二大国を敵にまわしてドレイクを独立させる。二大国が攻めてこようと、インや貴公らが討ち払うゆえ、自由都市は安泰である――そういう筋書きであるとみたが、如何いかん?」

「はい、そのとおりです。一つだけ訂正させていただくならば、パルジャフ卿に対しては、インへの協力ではなく臣従を求めるつもりでした」

 あっけらかんと言い切るカイを見て、パルジャフは思わずという風に大きなため息を吐いた。



「……たしかに、ヴォルフラムを討ち滅ぼしたインの力は恐るべきものがある。それはわしも認めよう。ラーカルト卿を討ったこと、フレデリク卿のもとからオリオール伯の姉妹をさらいおおせたこと、いずれも一介の賊徒には為しえぬ業よ。だが、それをもってシュタール、アルセイスの両軍と戦い得ると考えているのであれば、その慢心は高くつくぞ。大国との戦争は都市内の小競り合いとは一線を画する。城壁に拠って迎え撃ったところで、どれだけ戦えるか」

 仮に、あくまで仮にだが、パルジャフがインについたところで、動かせる兵力は二千にとどかないだろう。敵がシュタール帝国ないしアルセイス王国だとわかった時点でドレイク兵の半ばは逃げ出すであろうし、総指揮をとるのが緋賊だと判明すれば、半減した兵がさらに半減してもおかしくない。



 そんな状態で名にしおう大陸七覇の精鋭を退けるなど不可能だ。インがどれだけの武力を誇ろうと、ただ一人で一軍を相手にできるはずがないのだから。

 パルジャフの言葉には、長年シュタール、アルセイス両軍の脅威に対抗してきた人間の真情が込められており、カイといえども容易に反駁できない迫力に満ちていた。

 ――だが、はじめから反駁する気のなかったカイにとっては何の障害にもならない。

 カイは涼しげな口調で、パルジャフが予期していない名前を口にした。




「アーデルハイト・フォン・アルトアイゼン」

「…………なに?」

 意外すぎる名前を耳にして、目を瞬かせるパルジャフ。カイはくすりと微笑んで、さらに続ける。

「クロエ・ド・オリオールにノエル・ド・オリオール。何も剣を交えるだけが戦争というわけではありません」

「待て、しばし待て! そなたらのもとに亡きオリオール伯の姉妹がいることは聞いている。しかし、最初の名は……まさか、シュタールの第一皇女までが生きて、そなたらのもとにいるというのではあるまいな!?」

 めずらしく声をうわずらせるパルジャフに対し、カイはあっさりとうなずいてみせた。

「いらっしゃいますよ。インもずいぶん気に入っているようです」

「なん、だと……?」

 とうとう絶句してしまったパルジャフを見て、カイは困ったように頬をかいた。

 少し話を急いでしまったかもしれない、と密かに反省しながら。




◆◆




「――では、皇女殿下が緋賊に加わって、まだ三月も経っておらぬのか」

「そうなりますね。つけくわえれば、殿下がご自身の素性を明かされたのはほんの一週間前です」

 アトが緋賊に加わった経過を説明し終えたカイは、そういってパルジャフを見た。

 黒髯と秀眉に挟まされた両眼が、議長の内心で渦巻いている幾多の思考を映して苛烈な輝きを放っている。

 今しがたの反省を活かすべく、カイは相手の考えが定まるのを待った。



 やがて、パルジャフがおもむろに口を開く。

「その皇女殿下は本物なのか、とは訊かぬ。公爵家の嫡子であった者が皇族を見誤るとは思えぬゆえな」

 パルジャフは鋭い視線をカイの面貌に注いだ。そもそも、カイの素性に関しても確かな証拠が提示されたわけではないのだが、そこに関してはパルジャフは疑問を抱かなかった。

 パルジャフはドレイクの議長として多くの人間を見てきた身だ。わずかであれ、こうして向かい合って言葉を交わしてみれば、カイの言動が高い知性と深い思慮に裏打ちされたものであることは見てとれる。つい先ほど、小細工を弄して失敗した記憶も新しい。

 この相手は安易な嘘偽りを口にする人間ではない、とパルジャフは確信していた。



 であれば、皇女が緋賊のもとにいるというのも事実なのだろう。そう考えながら、パルジャフは言葉を続ける。

「皇女殿下の処刑が行われたのは半年ほど前であった。どのようにしてか、その窮地を脱した後、人の流入が多いドレイクに流れてきたと考えれば、殿下が今この地にいること、ありえないことではあるまい。したが、疑問は残る。何故に殿下は緋賊に身を置いたのか」

 パルジャフは思う。

 もし皇女が出生を捨て、アトという名の女性として生きていくつもりなら、今さら皇女であるなどと口にしたりはしないだろう。

 しかし、今しがたカイは、皇女が自身の口で素性を明かしたと言った。それはつまり、皇女がまだ今上帝への叛逆心を捨てていないことを意味している。

 カイがこの段階で皇女の名を出したことも、この推測を肯定していた。緋賊は今後のシュタール帝国との戦いで皇女の存在を利用するつもりであり、皇女もまたそれを受けいれたに違いない。



 しかし、シュタール帝国と戦う戦力を欲するのなら、何も野盗に身を預ける必要はない。

 帝国は強大であるがゆえに敵も多い。皇女の生存を知れば、喜んで迎え入れてくれる国なり勢力なりはいくらでもある。アルセイス王国などはその筆頭だろう。

 皇女としては積年の敵国に頼りたくないという思いがあったのかもしれないが、それなら野盗に頼るという選択肢にも抵抗をおぼえそうなものである。



 このパルジャフの疑問に、カイは静かな声で応じた。

「アト殿が重視していたのは、戦力の多寡ではなく戦意の有無です。もっといえば、帝国宰相ギルベルト・フォン・ダヤンに対して怯むことなく戦いを挑むことができる人物、それも『いずれ』ではなく『すぐにも』です。そんな条件を満たせる人は、大陸広しといえどそれほど多くありません」

「皇帝となった第二皇女から玉座を取り戻すため――そんな単純な理由ではないようだな」

「そのあたりは僕が語るべきことではないでしょう。パルジャフ卿次第で、直接本人の口から聞くことができると思いますよ?」



 パルジャフは鼻から荒い息を吐き出した。

「そのような好奇心で進退を決めるつもりはない。ともあれ、貴公が言わんとすることは理解した。殿下の存在を利して帝国内部をかき乱し、軍の派遣を遅らせるつもりだな」

 まさか皇女の身柄を差し出し、その代償として帝国から自治を獲得するつもりではないだろう。であれば、緋賊の狙いは外交的に叛逆皇女の存在を利用することにある。パルジャフはそう判断した。

 あるいは、皇女を帝国領内に送り込み、内乱を起こさせてドレイクへの注意をそらすつもりか。



 カイはこれに対して否とも応とも答えなかった。

 戦争の要諦は自領から一歩でも踏み出して戦うこと。カイはそう考えており、すでにドレイクを制した後の作戦行動も考えていたが、それをこの場で口にする必要はない。

 カイがパルジャフに示したかったのは、緋賊がシュタール帝国とアルセイス王国に対して武力以外で対抗する術を持っているという事実であり、それ以上のことを言うつもりはなかった。



 そんなカイの内心を知ってか知らずか、パルジャフは話をアルセイスに移す。

「であれば、オリオール伯の姉妹も同様か。インは彼女らを争いから遠ざけるようなことを口にしていたが、これは貴公の独断か?」

「さて、どうでしょう? いずれにせよ、僕たちが両国との戦いにおいて切り札となりえる人たちの身柄を握っているのは確かです」

 その切り札を得るに至った経緯はといえば、はっきりいってただの偶然、クロエにいたってはインの女好きが招きよせた縁であるのだが、それはたいした問題ではないとカイは思っている。むしろ喜ぶべきことかもしれない、とも。

 天運であれ、悪運であれ、運は運。過去、偉業を成し遂げた者たちは例外なく運を味方につけていたのだから。





 そのとき、部屋の扉がノックされ、家人が茶を持ってきた。東方産の高級茶であるあたりは、くさってもドレイク議長の邸宅である、というべきだろう。

 カイはありがたく頂戴し、パルジャフも杯に手をつけた。

 室内にわずかだが弛緩した空気が流れる。内容が内容であっただけに、事に慣れたふたりも相当に気を張っていたようだった。



 そんな中、パルジャフの口から一つの問いが発せられる。呟くような声は、意図して口にしたというより、思わず口をついて出てしまった言葉だったのかもしれない。

「そも、インは何ゆえ王たらんと欲する?」

 カイはこれまで王云々とは口にしてこなかったが、協力ではなく臣従を求めにきたという言葉からも、最終的なインの目的は明らかであり、パルジャフは正確にそれを読み取っていた。

 そもそも、第一皇女だの伯爵令嬢だのを抱え込んで大国間の騒乱に口も手も出してくる輩が何を望んでいるかなど、パルジャフでなくとも容易に推測できる。



「野心があることは知っていた。さもなくばヴォルフラムを討ってセーデを得ようなどとは考えまいからな。しかし、その野心はいずこに向けられたものなのか。評議会に従わず、シュタール帝国に剣を向け、アルセイス王国をも敵にまわす。内にどれだけ深い企みを抱えていようとも、外を見れば暴走しているとしか思われぬ」

 インが向かう先にいったい何があるのか。

 その問いに対するカイの答えは次のようなものであった。



「『誰であれ、他者の下につく気はない。俺の主は俺だけだ』」

「む?」

 怪訝そうに眉をひそめるパルジャフに向け、カイは淡々と言った。

「インの言葉です。誰の下にもつきたくないのであれば、すべての上に立つしかないでしょう? それが、インが王たらんと欲する理由です。少なくとも僕はそう考えています」

「…………なんだと?」

 それを聞いたパルジャフの眉が、みるみるうちに吊り上がった。



「誰にも従いたくないから王になるなど、それでは童子のわがままではないか。まさか本気でそのようなことを申しているのか?」

「これ以上ないほどに」

 本気です、とカイは言う。

 途端、パルジャフの両眼に勁烈な光がはしった。

「であれば話はここまでだ。人の上に立つ者には義務と責任がともなうもの。王ともなれば双肩にかかる重圧は計り知れぬ。どれだけ戦いに長じていようと、策略に秀でていようと、その重みは童子に耐えられるものではない!」



 そこでパルジャフは苦々しげに言葉をきった。

「……いや、耐えられぬだけならまだよい。問題はその重みを感じられない人間が玉座に座ることだ。地位にともなう責任が理解できず、ただ権力だけを振り回す王。他者に頭を下げることをせず、己の意に反する者を武力で討ち滅ぼす王。人はそんな王を指して暴君と呼ぶのだ。カールハインツ・フォン・ベルンシュタイン、卿はこの大陸に求めて悪逆の王を生み出すつもりか!?」

 およそ考えうるかぎり、イン・アストラはもっとも王にしてはならない人間だった。

 そのインをドレイクの首座に据えるなど冗談ではない。まだ漁色に明け暮れる人間の方がマシであろう。

 憤激をあらわにするパルジャフに対し、カイは穏やかにうなずいた。



 そう、パルジャフの言葉にうなずいたのである。



「さすがは長年ドレイクを差配してきたパルジャフ卿です。僕のつたない言葉だけでインの本質を正確に見抜いてしまわれた。確かにインには暴君の片鱗がひそんでいます。ひとたびインの気質がそちらに傾けば、彼を止めることは困難を極めるでしょう」

「……ほう? それを承知の上で、なお従っているのか」

「はい。僕はパルジャフ卿のようにはなれませんから」

 言葉の意味をはかりかねたパルジャフの眉が上下に小さく揺れた。

「わしのように、とは?」

「将来の危難を恐れるあまり、至近に迫った破滅から目を背ける。そんなことはできないと申し上げた」



 ここにきて、はじめてカイの言葉に刃の気配が宿る。

 パルジャフを見つめる視線は鋭気に満ち、ドレイクの議長は突如生じた圧迫感に目を瞠った。



 カイが言わんとすることは明白である。インが暴君になりかねないというのは事実だが、そのインがドレイクの現状打開の鍵を握っていることもまた事実。

 たとえていえば、今のパルジャフは一年後の飢饉に備えるためと称して、目の前で飢えている市民のために国庫を開くことを拒む為政者だ。

 これを指して先見の明があると褒め称える人間は一人もいない。それはただの愚か者である。

 自分はそんな愚か者になれない、とカイは言い放った。



 もちろん現実はたとえ話ほど単純ではないが、将来の危機を恐れるより前に、眼前の危難を何とかしなければならない点で違いはない。

 パルジャフもそれを理解したのだろう、双眸に苦悩の光が揺れる。

 それを見て、カイは二の矢を放った。

「ひとつ申し上げておきます。僕たちが――いえ、インがパルジャフ卿の決断を待って事を起こそうとしているとお考えならば、それは誤りです。インはすでに動いていますよ」

「……どういうことだ?」

「卿の決断の如何にかかわらず、僕たちはドレイク支配に踏み出しているということです。ですので、事の成否を見定めてから決断なさってもかまいません。戦いが終わった後であっても、パルジャフ卿が味方になってくださるのならば僕は歓迎します。ただし、インが勝ち馬に乗った者の言葉に耳を傾けることはまずないとお考えください。今後、ドレイクの命運はパルジャフ卿の手を離れることになるでしょう。敵となった場合については……うん、語るまでもありませんね」



 そう言って、カイは真摯な眼差しでパルジャフをじっと見据えた。

「パルジャフ・リンドガル殿。決断はあなたのものです。ドレイク評議会議長として、最善と考える道をお選びください。ただし、そのために残された時間は残りすくないことをお忘れなきように。シュタール帝国はすでにドレイクを奪うために動いています。僕たちは今日動きました。アルセイス王国は遠からず動き出すでしょう。ひとり卿のみ動かずにいれば、乱流の中に取り残され、ついに再び起つことはかなわなくなります」



 熟慮するための時間はない、とカイは言う。

 状況はそれだけ切迫している。インに従わず、それでいて現状を打破できる――そんな最善の策があったとしても、それを捜している時間はない。

 すべてを満たす選択肢がないのであれば、何を取り、何を捨てるのかはパルジャフ次第。

 カイはそう言い置くと、間もなくパルジャフの屋敷を辞した。パルジャフの前に並ぶ選択肢の中に、昨日までは存在しなかった新しい選択肢をうみだすこと。その目的を果たした以上、長居する必要はなかったのである。





 評議会館が何者かによって襲撃されている、との情報がドレイク市街を駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。

 この日、自由都市をめぐる混乱はとどまるところを知らず、真偽の定かならぬ情報が都市中を飛びかい、混乱は更なる混乱を呼んだ。騒ぎに乗じた犯罪が各処で多発し、市民の多くは戸を閉ざして家にこもり、騒乱が一刻も早くしずまるよう願い続けた。

 しかし、この時点でドレイクの長い一日はまだ半分も終わっていない。悲しむべきその事実を、市民の多くはいまだ知らずにいた。




◆◆◆




 ドレイク西部の丘陵地帯。街道からやや離れたその場所に、躍り上がるにして姿を現した騎馬の一隊がある。

 その数はたちまち十を超え、百を過ぎ、五百に達し、千に届いてもまだ増え続けた。

 白百合の軍旗を掲げた姿はアルセイス王国の正規軍以外にありえない。当然のように守備兵に発見され、警戒の銅鑼が鳴らされる。

 慌しく西門が閉ざされていくが、その動きはいかにも鈍い。まさかアルセイス軍が西から姿を現すとは予想だにしていなかったのだろう。

 しかも、その混乱に付け込むように城壁の内から喊声のようなものがわきおこる。ほどなくして、一度は閉ざされようとしていた城門が大きく開きはじめた。まるでアルセイス軍を歓迎するかのように。



「では、憎き鋼の帝国を討つ手始めに、名高き自由都市をいただくとしようか」

 美々しい白馬の上で、悠然とそう口にした人物の名をテオドール・フルーリーという。

 アルセイス王国第三将軍、国王の信頼あつい若き驍将であった。 



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