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僭王記  作者: 玉兎
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第四章 ドレイク擾乱(三)


 ドレイクの中心地区であるホロッカ区の、さらに中心に位置するドレイク評議会館。

 旧リンドドレイク王国の宮殿をそのまま利用した白亜の建造物は、一国の王城と比較しても遜色ない壮麗さをかもしだしている。

 建物の周囲を取り囲むほりは底が深く、幅は広く、ダウム河から引いた水が満々とたたえられており、評議会館に入るためには濠にかかった跳ね橋を利用する必要があった。

 跳ね橋は北方向に一本、南方向に一本の計二本が渡されている。いざ敵が攻めてきた際は、この跳ね橋をあげることで評議会館に立てこもるわけだが、ドレイクが自治を獲得して以来、外敵の侵入によってこの仕掛けが使われた例は皆無であった。



 橋がかけられた先はそれぞれ北広場、南広場という名称がつけられており、公的な催しが行われる大広場として機能している。先にラーカルトの主導で公開処刑が行われたのも北広場だった。

 インと並んで歩いていたキルが口を開いたのは、インたちがまさにその北広場に足を踏み入れる寸前のことであった。



「イン、火」

 そういってキルが指差した先には数条の黒煙があがっている。西の方角――つまりはセーデの方角だ。

 インは目をすがめた。

 複数箇所で同時に火が出たのなら失火ではあるまい。インや緋賊に恨みを持つ者が襲ってきたか、あるいはスラムで騒ぎを起こしてシュタール軍の注意を引こうと企む者がいるのかもしれない。



 小火ぼやであっても風向き一つで大火につながる恐れはある。城壁の中の火災は為政者にとって悪夢のひとつ、実質的にドレイクを統治しているカロッサ伯は火を無視できない。

 噂のひとつも混ぜれば、緋賊とシュタール兵を噛み合わせることもできるだろう。そうなれば混乱はますます拡大していく。

 そこまで考えての放火であれば、敵の正体もある程度察しはつくが、これについてインは深く考えなかった。

「留守はカイとセッシュウに任せた。あの二人なら何とかするだろう」

 その言葉には、火が燃え広がることはないという強い確信が込められている。



 建物の大半が簡易な木造小屋――つまりは掘っ立て小屋であるセーデでは、ひとたび火が燃え広がれば手の施しようがなくなる。このため、インはカイの提言にそって街の各処に消火用の井戸を掘り、あるいは水路の水を引いて溜め池をつくるなど、三年かけて防火態勢を整えてきた。

 火が出た際はためらわずに隣家を叩き壊して延焼を防ぐことも徹底されている。

 この際、とばっちりを食った隣家に対する保証はインが行っているため、過去にはその保証おかね目当ての放火が起きたこともあったが、不心得者がその日のうちに死者になってからはそういったこともなくなっている。

 イン・アストラがセーデを支配してからおよそ三年、貧民窟で大きな火災が起こらなかったのは偶然ではなかった。




「貴様ら、ここで何をしているッ!?」

 不意に居丈高な詰問の声が浴びせられ、インたちの前方を五人の帝国兵が塞いだ。

 武装を見るかぎり、評議会館の守備についているカロッサ伯の手勢だろう。いずれもすでに腰の剣を抜いており、インとキルを見据える視線は警戒と猜疑に満ちている。

 権力と武力を笠に着た権高な振る舞いである――といってしまえば帝国兵に対して公平を欠くことになるだろう。

 インは波状剣フラムベルクを、キルは大剣を、それぞれ肩に担いで往来を闊歩している姿は警戒されて当然のものであった。



 帝国兵が詰問の声をあびせる以前から、二人に対しては道の左右から恐れとも怯えともつかない視線がなげかけられていた。

 ただ、二人が注目を浴びている理由のすべてが武器にあるわけではない。

 もともと、ドレイクでは武器をもって歩いている人間はめずらしくない。正規兵はもちろんのこと、傭兵やら私兵やらを見かけない日はなく、彼らを目当てとする店も多数軒を連ねている。だから、ただ武器をもって歩いているだけで注目の的になることはなかった。



 インたちに視線が集まっていた理由は、その凶悪な武器もさることながら、武器を持つ者の外見が――毒々しいまでに赤く染まった眉の色が、百万言を費やすよりもはっきりと二人の正体を物語っていたからである。

 普段はこの装いをしないキルも、今日ばかりは眉を染めている。

 この装いの本来の目的は乱戦の場で敵味方の区別を容易にすることだが、今日にかぎっていえば、見る者にインたちの正体を知らしめることに主眼が置かれていた。



 当然のように帝国兵もそのことに気がついた。

 帝国兵の多くは、指揮官であるカロッサ伯と同様、眉を染めた野盗の存在など気にかけていなかったが、その名を知らない帝国兵もまたいなかった。

「貴様たち、緋賊とか名乗っている野盗どもだな!」

 長とおぼしき兵が怒声を放つや、他の四人は素早く周囲に散開して戦闘態勢に入る。

 鞘から剣を抜き放つ音が連鎖する中、インはこともなげに相手の言葉に応じた。

「いかにも。ま、自分から我は緋賊なりと名乗りをあげたわけではないがな」

 殺気立つ帝国兵とは対照的にインは平静な面持ちを保っている。そして、その顔つきのまま、傲然と歩を進めた。



「止まれ! ただちに武器を捨て、その場にひざをつくのだ。さもなくば斬り捨てる!」

 帝国兵がなおも言葉を重ねたのは、幼いキルの姿に疑念を覚えたからだろう。

 わずかなためらいは、しかし、次のインの言葉で消し飛んだ。

「貴様らに分かりやすいように目印までつけてきてやったんだ、今さら問答などさせてくれるな」

 武器を持たない右の親指で眉を示すイン。唇が嘲るように歪められ、それに応じるようにキルが持っていた大剣を高々と振りあげる。

 それを見て、五人の帝国兵は眼前の二人が敵であると正しく認識した。



「斬り捨――ッ!?」

 兵長が命令を発しようとしたときには、すでにキルの姿が眼前にあった。

 斜めに振り下ろされた大剣は兵長の鎖骨を撃砕し、胸骨をへし折り、胸を半ばまで両断してようやく止まる。

 瞬きの間に繰り出された手練の剛撃。悲鳴をあげる暇すらなく死者の国に強制送還された兵長を見て、他の帝国兵は一瞬呆然とする。その彼らの視線の先では、キルが大剣を引き抜くために無雑作に兵長の身体を蹴りとばしたところだった。

 鎧を着た隊長の身体が重い音をたてて地面に転がる。

 その音でようやく帝国兵たちは我に返ったが、敵の自失を黙って見逃すインではなかった。



「がッ!」

「ぐぅ!?」

 鞘ごと振るわれた波状剣が兜をつけていた兵士の側頭部に叩きつけられる。さらにインは返す一撃でもう一人の兵士の脳天に重い斬撃を見舞い、たちまち二人を地面に這わせた。

「な……な……ッ!?」

 瞬きの間に長を含めた三人の仲間を失い、残った二人の兵士は張り裂けんばかりに目を見開いた。

 カロッサ伯ウィルフリートはドルレアク公爵の腹心、武の面で公爵を補佐する上級貴族である。当然、その配下は厳しい訓練を経た精鋭ぞろい。五鋼騎士団には及ばずとも、その武威は南部地方に鳴り響いている。実際に干戈を交えれば紅金騎士団にも劣るものではない、と彼らは自負していた。



 だというのに、野盗ごときに一瞬で三人も。

 驚愕はたちまち憤激にとってかわり、顔を赤くした帝国兵は声高に慮外者たちを罵った。

「貴様ら、このようなことをしてタダで済むと思っているのかッ!?」

「問答する気はないといったはずだ。死にたくないのなら、さっさと逃げ帰って紅金騎士団でも呼んで来い。俺が戦いたいのは本物のシュタール兵、大陸最強の軍隊だ。数にまかせて弱者をいたぶることしかできない田舎貴族の相手など、俺にとっては役不足もはなはだしい」

 カロッサ伯による王国派掃滅を痛烈に皮肉りながら、インは二人の帝国兵に対してひらひらと手を振った。見逃してやるからさっさといけ、と言わんばかりに。



 しかし、武名を重んじるカロッサ伯の配下がそんなことをされて背を向けられるわけがなかった。ましてここは人目のない路地裏ではないのだ。往時の賑わいこそなかったが、北広場には今もある程度の市民が出歩いている。広場の入り口近くで行われている騒ぎは、いやおうなしに彼らの目についた。

 その中の一人、たまさか通りかかった女性の視線が、キルに斬殺された兵長の死体に向けられる。

 次の瞬間、女性の口からけたたましい悲鳴があがった。

 それをきっかけとして広場中の視線がインたちのもとに集まってくる。たちまち騒然とした雰囲気が広場を包み込み、異変を察した他の兵士たちがインたちのもとに駆けつけようとしている。



 そのことに力を得た帝国兵はそれぞれに武器を構え、なおも戦う姿勢を示した。

 インは口許に嘲笑をはりつかせたまま、柄を握る左手を肩の上まで持ち上げ、切っ先を帝国兵の額に向ける。右手を鞘に包まれた剣身にそえた姿勢は波状剣による刺突の構え。

 駆け寄ってくる援兵に気づいていないはずがないのに、その顔には恐怖などつゆ見えない。

 次の瞬間、インは激しく地面を蹴りつけ、生き残った帝国兵に躍りかかっていった。



◆◆



「も、申し上げます、閣下!」

「何事だ、想像しい。スラムで火が出たことならば今しがた報告を受けたばかりだぞ」

 カロッサ伯は眉間にしわをよせて配下に応じる。

 ただでさえアルセイス王国への対処で忙しいというのに、都市西隅の貧民窟の騒ぎでいつまでも時間をとられたくない。そんな内心があらわであった。

「火が広がるようなら、もう一部隊出してもかまわん。すべてドレイクの守備兵に対処させよ」

「いえ、西の騒ぎのことではございません! たったいま、北の広場にて武装した賊どもが暴れているとの報告が届きました! いかが取り計らいましょうか!?」

「……なんだと?」



 カロッサ伯の両眼に紫電が走る。精悍な顔がみるみる怒気で覆われていくが、その感情は賊徒に向けられたものというより、このような報告をもたらす配下の不甲斐なさに向けられたものであった。

「お前たちは命令がなければ賊を討ち果たすこともできぬのか!? 案山子かかしに禄を与えた覚えはないぞ! それとも、百、二百の賊が突然ふってわいたとでもいうのか?」

「い、いえ、数はおそらく、二十に満たぬものと……」

 正確にいえば、騒ぎを起こしている緋賊の数はその十分の一なのだが、広場の混乱が激しく、帝国兵は敵の実数を掴み損ねていた。



 このため、報告にあがってきた賊の数は実数の十倍に達していたのだが、それでもなお帝国軍にとっては取るに足らない寡兵である。

 カロッサ伯は痛烈な叱咤を発した。

「その程度の賊に何をうろたえているのか!? 鋼鉄十字に泥を塗る振る舞いは、このウィルフリートが許さぬぞッ!!」

「ははッ!!」

 一言もなく平伏する配下を尻目に、カロッサ伯は素早く窓際に移動して北の方角をうかがった。つい先日までパルジャフの執務室だった部屋は評議会館の奥に位置しており、直接北広場の様子を見ることはできない。

 しかし、そちらの方角でただならぬ騒ぎが起きつつあることは、響いてくる喧騒の音から察することができた。




 カロッサ伯の口から痛烈な舌打ちの音がこぼれる。

「次から次へと面倒な。しかも、よりによって今日という日に」

 西の火事に北の賊。

 南の使者が訪れたまさにその日、立て続けに騒ぎが持ち上がったことにカロッサ伯は苛立ちを禁じえない。

 と、不意に伯爵の表情が鋭く引き締まった。

 アルセイスの使者が到着した日にドレイク内部で連続して騒動が起こった。これを偶然の一語で片付けてしまっていいものか、という思考が脳裏をよぎったのである。



 たまさか今日という日に騒動が重なったと考えるよりは、連続する騒動の根底にアルセイスの撹乱工作があると考えた方が説得力に富む。アルセイスには工作を仕掛ける理由も名分もあるのだ。ドレイクに混乱を引き起こし、その間に出兵の準備を整えるつもりなのだと考えれば、すべては一本の糸でつながる――そこまで考えたカロッサ伯は、ここで小さくかぶりを振った。

「いや、この考えはアルセイス軍を、ディオン公爵を甘く見すぎているな」

 宣戦布告に等しい使者を送ってきたアルセイス軍が、いまだ出兵の準備を終えていないと考えるのは楽観のそしりを免れまい。カロッサ伯はみずからの油断を戒めた。



 アルセイス軍の元帥、第一将軍ウスターシュ・ド・ディオンは『雷公』の異名をとる神速の用兵家。かの公爵の電撃的な作戦行動によって、シュタール軍は過去に幾度も苦杯をなめてきた。

 近年、第三将軍テオドールをはじめとした若い将軍たちも育っていると聞く。アルセイス軍の行動力を過小に評価すれば、手痛い一撃をくらう羽目になりかねない。



 自分であればどうする、とカロッサ伯は自問する。

 使者の到来から、連続して発生した騒動まで、すべてが一本の糸でつながっており、なおかつアルセイス軍の出兵準備が完了しているのだと考えれば、導き出される答えは多くない。

 敵はシュタール軍の注意を都市内の騒動にひきつけた上で、一気に国境を突破してくるつもりだろう。使者の言辞に交渉の余地が残されているように思えたのも、向こうの策略に違いない。

 『まさか使者が来たその日のうちに攻めてくることはあるまい』

 すべてはこの油断を引き出すための布石。

 すなわち、アルセイス軍の狙いは宣戦同時攻撃。

 その可能性を考慮しておくべきだ、とカロッサ伯は直感した。




「いそぎ紅金のエンデ千騎長のもとに使いせよ。紅金騎士団はただちに南門の外に陣をかまえ、予想されるアルセイス軍の襲撃に備えよ、とな」

「か、かしこまりました!!」

 それまで平伏していた配下は、突然の命令に驚きを隠せない様子だったが、余計なことは口にせず、即座に部屋を飛び出した。

 カロッサ伯はなおも思案を続ける。

「賊の十や二十、警備の部隊だけで事たりよう。問題は南門だ。混乱に乗じて、内から城門を開こうとする不届き者がいるかもしれぬ。いや、ここまでくると必ずいると考えるべきだな」

 ダウム河とつながる東門も油断はできない。アルセイス兵は河川の戦いに慣れている。



 大声で配下を呼んだカロッサ伯は、慌ててやってきた兵たちに矢継ぎ早に命令を下していった。

 各門の守備隊長に警戒を厳重にするよう伝え、怪しい者はかまわずひっとらえよと厳命する。傭兵、私兵の類はもとより、ドレイク守備兵にも注意を怠らないように、とも付け加えた。彼らは王国派を通じてアルセイス軍に篭絡されている恐れがある。

 いずれアルシャート要塞から援軍が到着したら、カロッサ伯は都市内の守備はすべて帝国軍で行い、他の兵はのこらず市外に掃きだしてしまうつもりだった。

 


 これらのカロッサ伯の行動は決して間違っていなかった。

 むしろアルセイス軍の策動を知る者が見れば、伯爵のとった行動はこの上なく的確であり、賛嘆の念を禁じえなかったであろう。

 ドルレアク公爵がドレイクの守将に任じたカロッサ伯ウィルフリートは、公爵の期待に応えるだけの器量を持った人物であった――あくまで軍事面にかぎってのことで、政治面、経済面では幾つかの困難を抱えていたが、これはカロッサ伯の責任というより、伯のような生粋の武人に政治面の権限まで与えたドルレアク公の責任というべきだった。



 カロッサ伯にとって唯一の誤算は、取るに足らぬと判断した賊の中にこそ真の脅威が潜んでいたことである。

 しかし、この段階で少数の賊徒を優先して潰そうとしなかった判断を誤りとするのは酷であったろう。

 北広場には常時百名を超える帝国兵が配置されている。評議会館に通じる重要地点であるから、いずれも選び抜かれた兵ばかりだ。いざとなれば、会館の守備についている兵士が援軍として駆けつけることもできた。

 二十人程度の賊徒など放っておいても鎮圧できる――この時、カロッサ伯がそう考えたとしても何の不思議もない。

 この段階で賊徒をこそ真っ先に潰すべきであると考える人間がいるとしたら、それは天才というより変人というべきであった。



◆◆



 評議会館に通じる跳ね橋を渡るには、まず守備兵による検査を受けなくてはならない。

 北広場にはそのための詰所がおかれているのだが、跳ね橋の守備を兼ねたこの詰所は小さな塔の構造をなしており、いざ敵が攻めてきたときは守備の拠点となるように設計されていた。

 左にひとつ、右にひとつ、左右相似の双子塔。

 跳ね橋を渡る者たちは、この双子塔から注がれる守備兵の視線に頭をおさえられつつ、評議会館に足を運ぶことになる。



 平時は見張り台としても機能するこの双子塔、先に公開処刑が行われた際には格好の見物地点だと考えたドレイク兵で賑わったものだが、今そこにいるのは血走った目をしてクロスボウを構えた帝国兵だった。

 兵士たちの耳に隊長の号令が轟く。

「撃てィ!!」

 合図と共に放たれた矢の数は三十あまり。それがただ二人の賊めがけて宙を駆ける。

 かわす術などあるまいと思われたが、地上の標的たちは長大な剣を一閃し、自身にあたる矢だけを叩き落とすと、他の矢は地面に刺さるに任せた。

 その光景を見た弩兵たちの間からうめきにも似た声がわきあがる。すでに十人以上の帝国兵が討たれており、相手がただの賊でないことは承知していたつもりだったが、それでも眼前の光景は――二十歳そこそこの若造と、さらに年若い少女が平然とシュタール軍に向かってくる姿は異様の一語に尽きた。




「再度斉射する、用意いそげ!」

 隊長の叱咤の声にうたれ、弩兵たちはあわてて次矢の準備をはじめる。

 機械仕掛けの弓ともいえる弩は、引き金ひとつで矢を放つことができる簡易な武器だが、弓と異なり次矢の準備に時間がかかる。腕の力だけで弦を引くことはまず不可能であるため、シュタール帝国の弩は弦の部分に金具が取り付けられていた。これを足で踏みこむことで弦を引くのだ。

 他にも滑車を利用するなど、弩兵に関しては様々な工夫がなされているが、それでもやはり弓兵部隊のように間断なく矢を射続けるという芸当はできない。

 必然的に、上方からの攻撃は一時的に止むことになる。

 その間に二人組の賊徒はさらに双子塔に向かって踏み込んできた。





「あれ潰す?」

 双子塔に視線を向けるキルに対し、インは短く応じた。

「放っておけ」

「ん」

 そんなやりとりをしている間にも二人は走り続けている。

 弩兵の攻撃を避け、双子塔を指呼の間にとらえたことで、帝国兵の数はさらに増していた。インの視界に映っている数だけでも、ざっと三十人を超えている。



 跳ね橋を守るように展開している敵の陣列。インはその中のひとり、赤い甲冑を着た兵士に目をつけた。

 赤い甲冑といっても紅金騎士のそれではない。

 双子塔の天辺に翻るドルレアク公爵家の旗は赤地に鋼鉄十字紋。赤色はドルレアク公家の色でもある。おそらく、大盾を構えてこちらを見据えるあの兵士がこの場の指揮官だ。

「潰すのはあれだ」

「了解」

 それだけでインの意図を悟ったか、ここでキルが急激に方向を転じた。



 跳ね橋ではなく、右の塔に向けて駆け出したキルを見て、それを遮ろうと兵の一部が動いた。塔に入り込まれては厄介なことになると考えたのだろう。

 インたちの得物は屋内での戦いに不向きだが、数の利を活かしにくいという意味では帝国軍にとっても同様である。

 西の方角からたちのぼっている黒煙も無視できない。ドレイクの各処で賊が暴れているのだとしたら、できるかぎり素早く鎮圧する必要がある。塔に立てこもられたりしたら最悪だ。

 そんなことになれば、事が終わった後でカロッサ伯からどのような厳罰が下されるか分かったものではなかった。




 帝国兵の動きから彼らの内心を見透かしたインは口許に嘲笑を閃かせ、自身は左の塔に向かう動きを見せる。

 が、これは見せかけだけであり、二、三歩駆けた後、インは再び跳ね橋に向かった。これは上方で狙いを定めようとしていた弩兵に的をしぼらせないための動きでもある。

 そうして、敵の隊列に生じたわずかな乱れにつけこんだインは、ここでようやくフラムベルクの鞘を払った。

 キルの大剣と異なり、インの波状剣はある程度の切れ味を必要とする。だからここまで剣身を晒さずにきたのだが、これ以上の出し惜しみは無意味であろう。



 波状剣を構えて突っ込んでくるインを、帝国兵は口々に怒号を発しながら迎え撃った。

「調子に乗るな、賊ごときが!」

「おしつつんで討ち取れ、これより先は一歩たりとも通してはならんッ!!」

 先頭の帝国兵がインに斬りかかってきた。かなりの手練であるらしく、へたに受け止めれば剣ごと叩き折られてしまいそうな強烈な剣勢である。

 これに対し、インは。




 柄を握る手に力をこめる。

 歪んだ形に開かれた唇は、おさえきれない歓喜でかすかに震えていた。もとより、自分で決めたことなら何でも楽しめるインであるが、こと戦いに関しては湧き上がる感情の桁が違う。

 ましてや今日は国を相手の大戦、感奮しないはずがない。

 インの視線は前方の兵を通り過ぎ、白亜の外壁に向けられている。倒すべき敵はあそこにいる。こんなところで時を費やす気はまったくなかった。




「あああああああッ!!」

 はじめて、インの口から咆哮がほとばしった。

 振り下ろされる剣撃に、真っ向から己の得物を叩きつける。

 咆哮と共に横なぎに振るわれたフラムベルクの刀身が、陽光を反射して鋭く煌いたと見えた瞬間、乾いた音を立てて帝国兵の剣が折れた。

 フラムベルクの刃は勢いを緩めることなく、そのまま帝国兵の腕を断ち、腹を薙ぐ。身につけていた鎧ごと、ばっさりと。



「え…………あ、あああアアアビャアアアッ!??」

 肘から先がなくなった自分の両腕を呆然と見つめていた帝国兵は、自分の腹を見て、そこからこぼれようとしている臓物を見て、たまらず絶叫を放った。慌てて押し込めようとするものの、肘から先をなくした腕では中身をおさえようがない。

 それに気づいた途端、ふっと兵士の両眼から光が消えうせた。



 凄まじいまでの斬撃と酷烈な光景を目の当たりにして、他の兵士は息をのむ。

 が、いつまでも呆然としてはいられなかった。

 波状剣を小枝のように振り回しながら、インが帝国軍の陣列に躍りこんできたからである。

 当たるを幸いなぎ倒す。縦横無尽に斬りまわる。イン・アストラの斬撃は凄まじいの一語に尽き、周囲はたちまち怒号と叫喚で溢れかえった。

 波状剣が煌く都度、帝国兵が倒れ、血しぶきと絶叫が絡み合って宙を舞った。血が風に、肉が土に溶けていく。

 剣を構えてもとめられず、盾を掲げても防ぎえず、鉄甲鉄靴は羊皮紙のごとく斬り裂かれて用を為さぬ。カロッサ伯自慢の精鋭が、まるで幼児のごとく無力に斬り立てられていく様は、悪夢を通り越して戯画めいて見えた。





 双子塔の指揮官、先ほどインが目をつけた赤い鎧の隊長は怒りと驚愕で身体を震わせていたが、やがてその視線はインが持つ武器に吸い寄せられた。

 血によらず、紅く輝く剣身の正体を、この指揮官は知っていた。

「ルチル鋼でつくられた長剣……しかも波状剣だと!? なぜ、賊ごときがそのような宝剣を持っているのだッ!?」

 ルチル鋼は小剣一本で金貨数百枚が消し飛ぶ代物だ。両手剣、しかも波状刃という細工を施した品であれば国宝扱いされてもおかしくはない。大陸全土を見回してもおそらく数本、もしかしたらただ一本しか残っていないかもしれない。

 断じて、一介の野盗が持てる武器ではない。



「貴様、何者だッ!?」

 指揮官は叱咤するように誰何したが、インは相手の言葉に耳を貸さず――というより、そもそもはじめから聞きもせず、無言で相手に斬りかかった。

 大上段からの一撃を、指揮官は大盾を持ち上げて受け止めようとする。

 よくみれば、その盾にはシュタールの鋼鉄十字が刻まれている。あるいはこの兵士、かなり地位が高い人物なのかもしれない。

 左手に持った大盾でインの攻撃を受け止め、その隙に右手の剣でインの身体を刺し貫く。それが指揮官の狙いだった。良質の鉄でつくられた分厚い盾は、名高い鉱山都市ガンプでつくられた逸品だ。これであればルチル鋼の攻撃を防ぐことも可能である、と指揮官は判断した。




 インのフラムベルクには他の剣と異なる特徴がある。

 通常の剣は切っ先から鍔にいたる部分がすべて刃になっているが、フラムベルクには刀身の根元部分に刃になっていない箇所が設けられているのだ。

 リカッソと呼ばれるこの部分を利用すれば、長大な剣をより効果的に扱うことができる。

 たとえば、片手でリカッソを握り、そこに力を込めて斬撃を繰り出せば、両手で柄を握って剣を振るよりも重い一撃を放つことが可能となる。多数を相手に両手剣の間合いをいかす戦い方をする時はともかく、甲冑兵のように頑丈な防具で身を固めた敵との戦いには、こちらの斬撃の方が効果的だろう。



 この時もインの右手は柄ではなくリカッソに置かれていた。

 振り下ろされるフラムベルク。その一撃に更なる勢いを重ねて、大盾めがけて叩き付ける。

 次の瞬間、双子塔一帯に数十の鋼鉄が同時に軋んだような異音が響き渡った。

 見れば、インの波状剣は大盾の半ばまでめり込んだところで止まっている。インの全力の一撃をもってしても、鋼鉄の大盾そのものを両断することはできなかったのだ。

 しかし。



 指揮官の手からするりと剣が抜け落ち、ゆっくりと地面に落ちた。その後を追うように指揮官の身体が大きくかたむき、どうと地面に倒れこむ。

 その顔は波状剣の刃によって無残に切り裂かれている。半ばまで大盾を切り裂いた斬撃は、盾の向こうに隠れていた指揮官の頭部を正確に捉えていた。



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