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僭王記  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(二)


 統一歴六三〇年現在、クイーンフィア大陸は七覇と称される列強によって支配されていた。

 その中でも最も強大と目されている国の名をシュタール帝国という。大陸中央部に盤踞する鋼の帝国。

 自由都市ドレイクは、このシュタール帝国に属する自治都市――帝国に多額の税金を納めることで自治権を買い取った都市――の一つであった。



 ドレイクの施政をつかさどる評議会には大別して三つの派閥が存在する。

 宗主国であるシュタール帝国に従う帝国派。南のアルセイス王国にくみする王国派。そして、ドレイクはドレイク独自の利益を追求すべしとする独立派である。

 この三派が入り乱れて権力を争っているというのが、現在のドレイクの情勢であった。



 この日、奴隷商人の護衛をつとめていた傭兵団は、三派の中の一、帝国派に属していた。

 いかなる意図によるものか、緋賊の襲撃はその大部分が帝国派に対して行われている。もっといえば、帝国派議員の筆頭ラーカルト・グリーベルの商会に対して行われている。

 これをうけて、ラーカルトが反撃のために送り込んだ子飼いの傭兵団、それが彼らボルシア傭兵団であった。



◆◆



「はっははは! 情報につられてノコノコ出てきおったか、狂犬ども! この俺が一網打尽にしてくれる!」



 眉を赤く染めた襲撃者の姿を認めたボルシア傭兵団団長ボルツは、牙のような犬歯をむき出しにして哄笑を放った。

 一見、粗暴にも見える振る舞いであるが、ボルツの目は冷静さを失っていない。緋賊の動きを観察する眼差しには戦意と冷静さが併存している。

 その口から矢継ぎ早に指示が下された。



「皆、敵の数は少ない。一対一で打ち合うな。一人に対して必ず二人であたれ! 首を取るのは戦い終わってからでよい。自分の相手を片付けた者は他の仲間の援護にまわるのだ。街道を荒らす狂犬どもに俺たちボルシア傭兵団の力を思い知らせてやれッ!!」

「おお!!」



 力強い団長の命令に喊声かんせいで応じる傭兵たち。鞘から剣を抜き放つ甲高い金属音が街道に鳴り響く。

 形としては傭兵団が緋賊の奇襲を受けたことになるが、その実態はといえば、傭兵団が張り巡らした罠に緋賊がはまったのである。

 傭兵たちの士気は極めて高かった。



 いざ賊徒を切り伏せんとする傭兵たち。

 そんな彼らの前に立ちはだかったのはキルだった。



 大剣を肩に抱えて走り寄ってくる少女の姿をみとめた傭兵たちは、そろって眉をひそめた。

 まさにこれから戦闘が始まろうという時に、十を幾つも出ていないと思われる女の子が、己の背丈ほどもある大剣をかついで走り寄ってくるのだ。不審をおぼえざるをえない。

 賊に連れまわされている哀れな少女――にしては様子がおかしい。眼前の光景をどのように判断するべきか、戦慣れした傭兵たちの心に迷いが生じる。



 キルはことさら意図して相手の迷いを引き出したわけではなかった。

 自分の年齢、容姿を利用するという思考を、この紅い少女は持っていない。

 キルの狙いはただただ敵を屠るの一点にあり、その狙いのままに行動したに過ぎなかった。



 大剣をかついでいるにもかかわらず、キルが地面を駆ける音は鹿のように軽い。

 それでいて、その動きは獲物を狙う狼さながらに剽悍ひょうかんだ。

 敵のためらいに乗じ、キルは瞬く間に相手に肉薄した。



 大剣を大上段に構えて猛然と敵の只中ただなかに突っ込んでいく。

 最初の標的となったのは長剣を構えた傭兵だった。

 その傭兵は大剣を軽々と扱うキルの動きに驚愕していたが、それでもとっさに剣を頭上に掲げて攻撃を防ごうとした。このあたり、戦いに慣れた者ならではの反射神経であったろう。



 しかし、キルは委細構わず大剣を振り下ろした。

 大地よ砕けよと言わんばかりの勢いで振り下ろされた大剣は、いともたやすく敵の剣を叩き折る。そして、そのまま勢いを落とすことなく敵の頭部に襲いかかった。



 ――ごしゃり、と。



 重いはずなのに、どこか軽さを感じさせる異音が周囲に響く。

 かたい胡桃の殻を力任せに踏み潰せば、これに近い音が聞けるかもしれない。



 キルの剣は傭兵の頭部を文字通りの意味で叩き潰していた。真っ二つに断ち割られた兜が乾いた音をたてて地面に転がり、一拍遅れて、破砕された頭部から血が驟雨のように地面に降り注ぐ。

 紅雨はキルの身体にも及んでいた。顔といわず、髪といわず、たちまち血の色に染まっていく少女。



 現実離れしたその光景を、周囲の傭兵たちは呆然と見つめることしかできない。

 首を失った死体など戦場ではめずらしいものではない。

 だが、年端もいかない少女によってそれが為されたとき、平静を保つのは容易なことではなかった。

 たとえ戦慣れした傭兵であっても――いや、戦慣れしているからこそ、眼前の光景のおぞましさがより鮮明に感じられて身震いせずにはいられない。



 時が止まったような沈黙を、しかし、当のキルはまったく意に介さなかった。

 髪にへばりついた血塊とも脳漿ともつかない物体を指ですくいとり、無表情に一瞥してから地面に投げ捨てる。

 次の瞬間、キルの足は激しく地面を蹴りつけ、立ち尽くす傭兵団に襲いかかっていった。



 怒号と叫喚が交錯した。

 大剣が振り下ろされる都度、街道には必ず傭兵が倒れ、あるいは傭兵の身体の一部が飛散した。瞬く間に大剣は柄元まで血に染まり、蜂蜜色の髪は毒々しい赤色に染めかえられていく。

 刃の切れ味ではなく、剣そのものの重さによって敵を打ち砕く大剣は、刃にどれだけの血肉、脂がこびりつこうと戦闘力を損なわない。

 そのかわり、この剣は扱う者に尋常ならざる膂力と体力を要求するのだが、キルはその双方をあわせ持つ稀有な戦士だった。



 少女の形をした紅色の颱風ぐふうが戦場を席巻し、ボルシア傭兵団は少女一人に押されて後退を余儀なくされる。



 圧倒的といってもよいキルの戦いぶり。

 しかし、そこに問題がないわけではなかった。

 キルは周囲との連携を考慮しておらず、その戦い方は目につく者を片端からなぎ払うという単純なもの。常に孤立の危険に晒されており、そして当人はそのことにまったく注意を払っていなかった。



 したがって傭兵団の側にも付け入る隙はあったのである――キルの後ろにアトがいなければ、であったが。



 重装備のアトの戦い方はキルの対極に位置していた。

 自分に向けられる攻撃は甲冑が弾くにまかせ、ひたすら長大なハルバードを振るって敵を打ち倒していく。

 その視線は敵よりも味方に向けられていることが多く、苦戦している者、孤立している者の手助けを自らの任としている様子がうかがえた。



 ひたすら敵に突っ込むキルと、味方の補佐をするアト。

 戦場にあって、この二人が相互補完の関係になることは必然だった。

 キルの猛威に押された傭兵団は、なんとか小癪な少女を討ちとろうと試みるも、一対一では到底キルにかなわず、かといって数に任せて押し包もうとしてもアトによって阻まれてしまう。

 気がつけば、傭兵団の隊列は大きく乱されていた。



 その混乱に乗じるように、残る七人の緋賊がはげしく斬りかかっていく。

 七人はいずれも緋賊によって奴隷の身分から解放された、いわゆる解放奴隷であり、頭目であるインに対する忠誠心は深い。自分たちの首に枷をはめた奴隷商人や、人狩りを行う傭兵団に対する根深い恨みもある。

 おまけに、彼らは日頃から緋賊の幹部たちによる猛訓練を受けていた。



 ボルシア傭兵団の士気が初めから高かったように、緋賊の士気もまた初めから高かった。

 雄叫びと共に突っ込んでいく赤眉の男たちの目には強い感情の光が躍っていたが、それは殺し合いの熱に浮かされたものではなく、意思によって制御された冷静な戦意の発露であった。

 




 時間が経過するにつれ、街道には雄叫び、苦悶、絶叫が渦をまき、意味のある言葉を拾い上げることが困難になっていた。

 さらに、人間たちの声に混じって、脚を斬られた荷馬の悲痛ないななきも重なり、乱戦はさらに混迷の度を増していく。

 その混迷をかきわけるように、イン・アストラは傲然と歩を進めた。



 手に持つ棍棒はひのきをけずってつくったものであり、一見すれば杖のように見える。実際、インは杖代わりにこれを使ってもいたが、もちろん、ただの杖であるはずがない。

 外からそれと分からないように内部をくりぬき、鉄芯をはめこんだ棍棒の破壊力は凄まじく、これで敵兵の腕や足を殴打すれば、骨の一本二本はたやすく砕くことができる。兜ごしに頭蓋を叩き割ることも不可能ではない。



 剣で人を斬れば、刃の部分に血肉や脂がこびりついて切れ味が鈍るものだが、棍棒を扱う分にはそのことを気にかける必要はない。敵と斬り結んで刃こぼれすることはなく、甲冑に斬りつけて刀身が折れてしまうこともない。

 頑丈さと扱いやすさが取柄のこの武器を、インは好んで用いていた。

 と、馬に乗った傭兵の一人がインの姿に目をとめ、その前に立ちはだかった。



「賊めッ!」



 怒号と共に突き出された穂先を、インは無雑作に払いのける。

 さして力をいれているようには見えなかったが、鞍上の傭兵の手には痺れるような衝撃が伝わってきた。



「ぐッ!?」



 左手で手綱を握る傭兵は右手一本で槍を扱っている。衝撃で槍をはじき飛ばされないように咄嗟に右手に力を込めた。

 対するインは間髪いれずに反撃に移っている。ただし、狙いは傭兵ではなく馬の方。

 インは容赦なく棍棒を馬の前脚に叩きつけた。



 次の瞬間、人馬の悲鳴が重なった。

 避けようもない一撃を脚に受けた馬は甲高いいななきと共にくずれおち、鞍から投げ出された傭兵はそのまま地面に叩きつけられた。

 苦痛で顔を歪めた傭兵が罵声を発する。



「ぐ、この、馬を狙うとは卑怯なッ!」



 インは知る由もなかったが、いま対峙している傭兵はもともとシュタール帝国の騎士だった。

 不祥事を引き起こして故国を追放された後、ドレイクに流れてきてラーカルト・グリーベルに拾われたのである。

 彼にとって、この戦いは恩人であるラーカルトに報いる絶好の機会だった。だというのに、馬を狙うという卑怯卑劣な手段で地面に這わされて、傭兵の顔が失望と屈辱に覆われる。

 そんな相手に対し、インは口の端をゆがめて応じた。



「賊相手に卑怯もくそもあるか、あほう」



 無情に言い捨て、起き上がろうともがく相手の頭頂部めがけて棍棒を振り下ろす。

 かぶっていた兜がいびつにへしゃげるほどの強烈な打撃を受け、傭兵は声もなく地面に倒れ伏す。そして、そのままぴくりとも動かなくなった。



「おのれ、きさまぁッ!」



 眼前で仲間を討たれた傭兵たちが憤激の声をあげて群がってくる。

 そんな彼らを迎え撃つインの口許には、襲撃前と同じ楽しげな笑みが浮かんでいた。



 殴打する、叩き伏せる、打ち据える、薙ぎ払う。

 縦横無尽に棍棒がひるがえる都度、あたりには必ず人馬の絶叫が響き渡った。キルのそれに比べれば飛び散る血の量は少なかったが、生み出される苦痛は優るとも劣らない。

 たまらず後退する傭兵たちを見て、大声でわめいたのは団長のボルツだった。



「ええい、なんという無様な戦いだッ!」



 苦戦する部下とインの間に馬を割り込ませたボルツは、馬上から憎々しげに言い放った。



「ボルシア傭兵団の長ボルツである! 賊よ、貴様らに地面を這いずる虫ほどの誇りがあるのであれば、名乗れ! すでに死は免れぬが、墓に名を刻む程度の情けは――」



 ボルツはその台詞を最後まで言い切ることができなかった。インが再び馬の前脚を狙って棒を一閃させたからである。

 しかし、ボルツは馬をさおだたせてこの一撃をかわした。先の戦いを見ていたボルツは、インの行動を予測していたのだ。



「見えすいておるわ、たわけがッ!」



 言うや、間髪いれずに反撃を繰り出す。

 武器は部下と同じ槍だったが、攻撃の速さと正確さははっきりとボルツが上回っていた。

 賊徒の顔面に風穴をうがつべく放たれた穂先は、狙いあやまたず目標を捉えたかに見えた。



 だが次の瞬間、ボルツの口から痛烈な舌打ちがもれる。

 引き戻した槍についていたのは血ではなく数本の黒髪のみ。インはほんのわずかに首を傾けることで攻撃をかわしたのである。

 絶妙な見切り。

 それだけで相手の力量を察したボルツは、忌々しげに顔を歪めてインを見下ろす。

 常であれば、必殺を期した一撃をかわしてのけた相手に賛辞の一つも投げかけるところだが、この相手にそれをする気にはなれなかった。



「名乗りを返すこともせず、狙うのは馬のみか。恥を知れ、賊め!」



 軽侮もあらわに吐き捨てるボルツに対し、インは軽く肩をすくめて応じた。



「俺が賊なら、お前らはさしずめ犬か。帝国に尻尾を振って生きている輩が、人がましく恥を語るな」



 毒々しい嘲笑を浴びせられ、ボルツの顔が憤激のために赤くなる。

 ただ、その激情の中にはわずかな警戒も混ざっていた。

 帝国に尻尾を振って生きている――今、インは確かにそう言った。それはボルシア傭兵団が帝国派にくみする集団であることを知っていたことを意味する。

 ボルツは緋賊を罠にはめたつもりだったが、緋賊の側が帝国派の動向を察知していたとすれば、この襲撃はまた異なった様相を見せてくる。



 ボルツは素早くそこまで考え、インに問いを向けようとしたが、インの方はボルツの思案に構ってはいなかった。

 嘲笑を口に湛えたまま、かすむような速さで左手を動かす。

 直後。



「なッ!?」



 インの左腕から鈍色にびいろの鎖が伸びた。

 鎖はまるで意思を持っているように宙を駆け、鞍上のボルツの首にからみつく。



「ぐ、おの、れ……ッ!」



 右手に槍を、左手に手綱を握っていたボルツは、とっさに手綱を握る手を離して首に巻きついた鎖を外そうと試みる。

 それを見たインは、得たりとばかりに左手を強く引いた。手綱を放してしまったボルツの身体が、たちまち鞍上から引きずり下される。

 勢いよく地面にたたきつけられたボルツの口から小さく呼気が吐き出された。



 鉄鎖術で馬上の有利を失ったボルツだったが、苦悶に顔をゆがめていたのは一瞬のことだった。

 傭兵団団長の戦意は寸毫すんごうも衰えておらず、素早くその場で跳ね起きるや、インに向かって身体ごとぶつかっていく。

 組み伏せてしまえば首の鎖は関係ないと判断したのである。



 意表をつかれたのか、インはボルツの突進をかわせず、そのまま地面に押し倒されてしまう。なお悪いことに、倒れた拍子に棍棒も手から離れてしまった。

 好機とばかりにインに馬乗りになったボルツは、そのまま相手の首を締め上げる。

 この時点でボルツは勝利を確信した。

 棍棒を手放して空になったインの右手が顔に向かって伸びてきたときも、その確信はかわらなかった。



 今しがたインが使った鉄鎖術は、奴隷が主人に逆らうために編み出した技だ。帝国では奴隷剣闘士に使い手が多いが、暗殺者が扱う毒手と同じく、まっとうな武芸ではないとされている。

 おそらくインの正体は奴隷だ。そして、奴隷ごときに自分が後れをとるはずがない。

 その確信に突き動かされるまま、ボルツは腕に力を込めた。このまま一気に首を締め上げて頸骨をへし折ってくれる――そう考えた、次の瞬間。



 右の目に、かつて経験したことのない異様な感触がはしる。

 それはたちまちのうちに脳髄を貫く激痛に変じた。



「が、ぐガあああアアァァァァッ!?」



 ボルツの口から獣じみた絶叫があがる。

 その右目にはインの指が深々と突き刺さっていた。



「グガ、ゴアアアッ!? きさ、きさま、貴様あああッ!?」

「吼えるな、犬」



 冷然と告げた後、インは相手の目から指を引き抜いた。

 そして、激痛のあまり両手で顔をおさえてうめくボルツを押しのけて立ち上がると、己の指先を見つめた。

 そこには敵の眼窩から引きずり出した何かがへばりついていたが、インは軽く一瞥するや、それを地面に投げ捨てた。その間、表情はまったく変わっていない。



 インの足元では、倒れたボルツが顔をおさえ、狂乱したようにわめき散らしている。その姿からはもう一片の戦意も感じられない。

 それでもインは容赦しなかった。表情ひとつ変えずに右の鉄靴をあげると、そのまま相手の顔面めがけて踏み下ろした。全体重をかけて。 



 鈍く重い音があたりに響きわたり、少し遅れておびただしい量の血が地面を赤く赤く染めあげていく。

 その赤い色彩が、緋賊がその名を冠せられたもう一つの理由を物語っていた。



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