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僭王記  作者: 玉兎
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第一章 緋色の凶賊(一)


 暖かい陽射しが木立の隙間をぬって森の中に差し込んでくる。

 初夏の風は萌える緑の息吹を含んで心地よく、風に揺れる葉のさざめきが涼やかな旋律となって草木の上を駆け回った。

 鹿の群れが夢中で下草を食み、梢では鳥たちが競い合うようにさえずっている。

 におい立つような生命の息吹に包まれた森は穏やかな時の移ろいに身をゆだね、その平穏は太陽が西の地平に沈むまで途切れることなく続いていくように思われた。



 ――だが、そんな平穏を歯牙にもかけない者たちがいた。



 木立の陰にひそみ、街道を見張る彼らの数はちょうど十人。

 年齢はまちまちであったが、概して若く、全員が武装している。間違っても森にベリーの実を摘みに来たという格好ではない。

 持っている武器は剣、槍、戦斧に棍棒とバラバラであり、それは防具の方も同様だった。

 大半の者は動きやすさを重視した皮革の装備を身につけていたが、中には頭からつま先まで鋼鉄製の甲冑で身を包んだ者もいる。かと思えば、動きやすさを重視してか、防具らしい防具を身につけていない者もいた。



 装備の統一性などかけらも気にかけていない有様は正規軍ではありえない。

 この集団に共通しているものがあるとすれば、それは武器防具ではなく外見にあった。

 彼らは染料を用いて眉を赤く染めており、それは近年自由都市を騒がせる野盗たちの特徴と等しい。

 交易商人のみならず、巡回の正規兵や戦場帰りの傭兵団さえ標的とする神出鬼没の略奪者たち。

 その特徴的な赤眉せきびから、彼らに冠せられた名前を緋賊ひぞくという。



 一団を率いるのは二十歳前後とおぼしき黒髪の若者だった。

 街道に獲物があらわれる時を今や遅しと待ち構える頭目の名は、イン・アストラ。



 悪相あくそうの持ち主だった。

 二目と見られない醜い顔つき、というわけではない。醜いどころか、目鼻立ちの整った容貌は端整ですらある。

 にもかかわらず、インの顔には凶猛さがまとわりついて離れない。

 油膜が張ったようにギラつく瞳、研ぎたての刃物を思わせる眼光。危険な襲撃を前にしながら、顔には一片の緊張も浮かんでおらず、唇は笑みの形に歪んでいる。

 その表情は、いっそ清々しいまでに悪辣だった。



 緋賊はそれからしばらくの間、無言で林間に潜み続けたが、ほどなくしてインの表情に変化があらわれる。

 遠方から響いてくる馬車の物音を耳ざとく聞きつけたのだ。

 やがて、砂埃と共に街道を北上してくる一団が緋賊の視界に映し出される。

 一台の馬車と五人の騎兵、さらに二十人ほどの歩兵で構成された集団。馬車はかなりの大きさであり、引いている馬の数は片手では数えられない。



 さらに距離が縮まるにつれて、より詳細な情報が明らかになってきた。

 馬車の荷台に乗せられているのは、物品ではなく人間であった。それも一人や二人ではなく、二十人以上。いずれも手足に枷をはめられ、家畜のように荷台に繋がれている。

 やってくる一団が奴隷売買を生業とする者たちであることは誰の目にも明らかであった。



 奴隷商人か、あるいは奴隷狩りを終えて戻ってきた傭兵団か。

 ここから北に向かえば自由都市ドレイクに行き着く。

 ドレイクは各地から様々な品物が集まる交易都市であり、その主要な交易品のひとつに奴隷が挙げられる。

 檻車に囚われている者たちが他所の都市で買われてきたのか、あるいは運悪く奴隷狩りに遭った被害者なのかは分からないが、いずれにせよ、商品としてドレイクに運ばれていく途中であるのは間違いないだろう。



 それらを確認したインは悪相をゆがめて笑った。

 腹を空かせた熊が蜂の巣を見つけた時、こんな顔をするのかもしれない。



「ここまでは情報どおり、か。願わくば、ここから先も情報どおりであってほしいもんだが」



 インがひとりごちると、それまで黙ってインの傍らに立っていた小柄な人物が初めて口を開いた。



「……イン、皆殺しでいい?」



 ぼんやりとした口調とは対照的な、物騒きわまりない問いかけ。

 その問いかけを口にしたのは十二、三歳と思われる少女であった。

 小首をかしげながらインを見上げる瞳の色は、湖水を思わせる淡い青。うなじの後ろで切りそろえた髪は、木漏れ日に照らされて蜂蜜色に輝いている。

 細かな刺繍が施された赤いケープが良く似合っており、わずかにそばかすの浮いた顔は、笑みを浮かべればさぞ愛らしく映えることだろう。



 だが、今、何の表情も浮かべずに殲滅せんめつの可否を問う少女から、可愛らしさや、年頃の子供らしい溌剌はつらつさを感じ取ることは難しい。

 小首をかしげる仕草こそ年相応だが、平坦な口調からは感情の起伏が感じられず、視線も焦点が定まっていない。

 さらに、この少女はみずからの異常性を際立たせるモノを持っていた。



 それは一本の剣。

 子供でも扱える護身用の短剣、あるいは刺突用の細剣ではない。

 大剣。それも大のおとなが、振り回すことはもちろん持ちあげることさえ難しいのでは、と思われるほど巨大な業物であった。



 少女は決して巨躯の持ち主ではない。

 頭の位置はインの胸にかろうじて届く程度。袖から伸びた腕は細く、白く、柄を握る手も小さい。

 にもかかわらず、少女は重量のある大剣を苦もなく扱うことができた。

 今も、とくに力を振り絞る様子も見せずに軽々と大剣を肩に担ぎ上げている。このことからも、少女が性別や体格にそぐわない膂力の持ち主であることは明らかであった――それこそ化け物と恐れられてもおかしくないほどに。



 もっとも、インはそんなことを気にかけるほど繊細な神経の持ち主ではない。

 年端もいかない少女を戦場に駆り立てることに罪悪感をおぼえもしない。

 少女の問いかけに対し、緋賊の頭目はあっさりとうなずいて皆殺しの許可を出した。



 許可を得た少女は「ん」と小さくうなずいた。そうして、そのまま常のごとく黙り込むかと思われたが、なおも何かいいたげにインの顔を見上げてくる。

 それに気づいたインは怪訝そうな顔で相手の名前を呼んだ。



「キル、どうした?」

「……インを殺すのはキルだから」

「む?」

「キル以外の人間に殺されたら、ダメ」



 唐突の感をぬぐえないキルの言動であったが、インは少女が言わんとすることを正確に汲み取ったようで、口元に浮かぶ笑みがほんの少しだけ質をかえたように思われた。



「心しよう」

「ん」



 その返答で満足したのだろう、キルはインから視線を外すと、再びどこを見ているかわからない茫洋ぼうようとした眼差しに戻った。

 そんな二人の様子を、後方の赤眉の男たちは、ある者はにやにやと笑いながら、ある者は不思議そうに首をひねりながら、またある者は気味悪そうに眉をひそめながら眺めている。味方から見ても、この二人の人となりや関係はつかみにくいのだろう。



 特に、板金鎧プレートメイルで全身を包んだ、この一団の中ではキルと並んで異彩を放っている人物は、鉄兜ごしに物言いたげな眼差しをインたちへと向けていた。



「――皆殺しは駄目だ。そう言いたげだな、アト?」



 振り返ったインが、鉄兜に隠された相手の表情さえ見通したように問いかける。

 アトと呼ばれた兵は一瞬驚いたように沈黙したが、ごまかすことではないと判断したのか、すぐに相手の問いを肯定した。



「……は。勝敗が決した後の殺生は避けるべき、と考えます」



 低く、通りの良い声だった。鉄兜に遮られているため、わずかにこもって聞こえたが、聞き取りに苦労することはまったくない。

 相手の考えを聞いたインは、考える素振りも見せずに進言を退けた。



「敵に情けをかけるつもりはない」



 そう言うと、インは持っていた棍棒を肩に担ぎなおして、再び街道に視線を戻す。

 その姿を見れば、インがこの件でこれ以上の問答をする意思がないことは明らかであった。

 そうと悟ったアトの口から歎ずるような吐息がこぼれる。

 同時に、アトが手に持っていた朱柄の槍が、主の内心を伝えるようにわずかに傾いた。



 この槍は先端部分に斧状の刃がつけられたハルバードと呼ばれるもので、なまじの兜や鎧であれば一撃で叩き壊す破砕力を秘めている。

 重装甲冑を身にまとい、ハルバードをふるって突進するアトの力は、大剣を振るうキルと並んで緋賊の武の要であるが、両者の性格はかなり異なっているようだ。




 気がつけば、街道の一団は目と鼻の先まで迫りつつある。

 アトは気を取り直したようにハルバードを構えなおし、他の兵もそれぞれに得物の握りを確かめた。

 彼らは号令を請うように、一斉にインに視線を向ける。数にして倍をこえる相手と戦うことに反対を唱える者はいない。もちろん、逃げ出そうとする者も。



 配下の視線を集めるインの目に緊張の色はなかった。気負いもない。

 あるのは、ただ滾るような熱のかたまりだけ。黒い瞳の奥で苛烈な戦意が炎のように爛々と輝いている。

 次の瞬間、インの口から勁烈な号令がほとばしった。



「かかれッ!」



 真っ先に街道に躍り出たのはイン自身。その横にキルが並び、二人の後ろにアトが続く。

 街道の一団が襲撃を察して警告の叫びを発し、あたりはたちまち騒然とした空気に包まれていった。



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