バッドステータス
「かーってなって、ふわふわしてくらくらして、そんでじたばたしたくなるんよ!」
足早にギルド会館を横断し、シロエはギリギリの時間に会議室の扉を開けた。どうやらシロエ以外の参加者は全員集合済みで、会議が始まる前の軽い情報交換もしくは雑談の最中のようだった。
「何マリ姐。それなんかのバステ?」
耳が拾った一言にシロエが何気なく問いかけると、マリエールは彼の発言に甚く衝撃を受けたらしかった。
シロエがぐるりと室内を見渡すと、マリエール程でなくとも、なんとも言いようのない微妙な表情が並んでいる。
「ええと」
どうしたものかと説明してくれそうな面々に視線を流すと、いつも穏やかな神祇官が困った様に答えた。
「恋愛経験の話をしていた所だったんですよ」
「天秤祭が近づいてきただろう。それに託けて、あわよくば、という若いのも多くてなぁ」
茜屋の煙管を咥えた唇端がぴくぴくしているのは、どうやら思い出し笑いを堪えているしかった。変わり者揃いと噂のギルドだけに、何かそう言った騒動でもあったのかもしれない。
「書類に追っかけられてる最中にそんな話聞くと爆発すればいいのにって思いますよねえ!」
あはははははと笑うカラシンの目はかなり本気だった。
恐らく、今のカラシンはアキバで一番忙しい人間の一人だろう。〈生産系ギルド連絡会〉の中心人物であり、もちろん連絡会主催である天秤祭の準備に奔走し、だからと言って円卓会議の仕事が早々減るわけでもない。溜まっているだろう鬱憤の発散を一同が生暖かくスルーする中で、たまたま隣に座っていたアイザックが厭そうに体を反らし、反対側に居るのがクラスティであるのを思い出したのか、今度は椅子ごと後ろに下がっていった。
「ああ、なるほど」
話の内容を理解した途端割とどうでも良くなって、シロエは気の抜けた相槌を打つ。
「まさかバステ扱いをされるとは、思いませんでしたが」
「体温上昇、酩酊、眩暈、判断力低下って、まあ控えめに言っても状態異常じゃないかと」
「ふむ。確かに」
ロデリックが眼鏡を光らせて興味深そうに呟いた。
「そのアプローチで行けば、惚れ薬の完成も近づくかもしれないな」
「まだやってんのかその研究」
「それはもちろん。ロデリック商会のギルドメンバーに諦めるの文字は無いのですよ」
「なんというか、お前さんとこはもうちっと自重すべきだ、と思うんだがなあ」
ロデリックが誇らしげに胸を張る。対照的にミチタカは渋い顔をして眉間を押さえると、抑えきれない深いため息をついた。
暗黙の了解として、ギルド個々の運営方針について外部が口を出す事はない。特に円卓に参加しているようなギルドのマスターであれば、影響力の大きさを自覚しているだけにその類の言は自戒するのが当然だ。
だが、ブレーキが無い所かアクセルベタ踏みなマッド集団を野放しにも出来ない。自分も生産者として気持ちはわからなくもないのが辛い所だがと思いつつミチタカは釘を刺すが、糠に釘もいいところだった。
「もちろんしていますよ? 今回の販売物だって危険性が無いもの、危険性の回避が容易な物、困難な物、不可能な物ときちんと分類をしてですね」
「ヤバいもんばっかじゃねぇか!」
「ほんとやめてください、お客さんには〈大地人〉の人もいるんですから! 出品後の対応しろとか言われたら大神殿逝きですよ、主に僕が!」
「シロエ君」
状況は見事なまでに混沌としている。不本意ながら原因の一端らしいシロエは嵐が去るのを大人しく待っているが、本来ならこの面子をまとめて窘めるべき人間は、その騒ぎをむしろ面白そうに眺めているだけだった。
「なんですか、クラスティさん。そろそろ会議始めませんか」
「ロデリック殿の説得が終わるまで待つべきだね。ところでバステと言うならば、それは治すべきと考えているのかな」
「いいえ?」
「ほう」
「だってそれって……"理由"に、なるものでしょう?」
(まあ結果の方はバステ扱いしちゃったんだけどさ。そういうのも悪くないんだろうな、とは思うよね)
思うだけだろうな、という認識と共にシロエは肩を竦める。
「そかそか! シロ坊も恋しとるんやね!」
ふたりの会話に、マリエールのはしゃいだ声が飛び込んできた。
「なんで今のでそうなるの?!」
ぎゅうぎゅうとしがみ付いてくるマリエールの手と後頭部の柔らかい感触から逃れようと努力しながら、シロエは脳裏にギルドのメンバーリストを開いた。
誰もこのゾーンに居ない事を再確認して安堵の息をつく。愛だ恋だはシロエが最も苦手とするもののひとつであって、憩いの場である〈記憶の地平線〉の中でその類の話になるのはちょっと勘弁してほしい。まあ、シロエとしても話題の中心が自分でなければ問題はないのだ。別に爆発しろなどとは言わないし、こっそりと応援だってする、というか、している。ただし、自分が俎上に乗る事については御免被りたい。
「えええええー」
「えー、じゃなくて!」
「しとらんの?」
「してません」
すっきりはっきりきっぱりと言い切って、これでこの話題はお終い、と思ったのはシロエだけのようだった。
「では、いつの日か参謀殿がステータス異常に陥る事になったら、円卓会議の総力を上げて協力するとしよう」
胡乱な物を見る視線が部屋の中央に集まる。集めた当人は、殊の外楽しそうに議長権限だね等と言いだした。
「……なんでそう、人で遊びたがるんですかクラスティさん」
「何故と言えば面白そうだからかな」
清々しい笑顔で言い切った眼鏡から、アイザックが更に距離を取った。
「ちょっとアイザックさん逃げてないで助けてくださいよ!」
「んなもん無理に決まってんだろうが!」
シロエの救援要請を一顧だにせずにアイザックが叫び返し、がっくりと肩を落したシロエの頭をぐしゃぐしゃと撫でる大きな手があった。
「まあいいじゃねえか」
「ミチタカさんまで」
恨みがましい目で見上げるシロエの肩をミチタカが叩く。
「議長殿の言い様はともかくだがな。お前さんはもうちっと報われても良いと思ってるぞ、俺は」
その予想外の言葉を聞いて、シロエは目を瞬かせた。
「……ええと、結構報われてると思ってるんですけど」
「そうか?」
円卓会議は、少なくともその最初はシロエ自身の我が侭で始まった。それは自分の好きな場所がもっと格好よくあって欲しいという極めて個人的な感情が元となるものだ。天秤祭に向けて活気づく今のアキバの状況は、シロエからしてみれば望んだ以上のもので十分に報われていると思っている。
「だって、楽しいじゃないですか、アキバ」
「まあ、そりゃそうなんだがなあ。もう少し個人的にも、って事だ」
だからシロエとしてはミチタカの言葉にもなんとなく曖昧に頷く事しかできない。
「あんな、シロ坊?」
無意識に寄った眉間の皺を、マリエールの人指し指がつつく。
「うちらな、みーんなシロ坊が大好きなんよ? だからシロ坊が幸せならええなあって思っててん」
そんだけの話なんよ、とマリエールがほわりと笑った。底抜けに明るい向日葵のような笑顔ではなく、柔らかく包むように慈しむ瞳が、シロエに言葉を失わせる。
(~~~~~っ)
シロエはその視線から逃げるように片手で顔を押さえて俯いた。幾人かの忍び笑いが背後から聞こえて、ますます顔が熱くなるのを自覚する。
今日の会議が始まるまでもうしばらくの時間が必要になりそうだった。