頼子(よりこ)
どこか、遠い所で声がする・・
頼子の意識はまだ少し眠っているらしい。
(ここはどこ?・・・)
周囲を見渡して考えてしまう。広い部屋に調度品がいくつか・・贅沢なものではないけれど、趣味の良さはわかる。それと、高く積まれている書物・・
(確か、薫子と言ったか?あの娘・・)
思いだしてきた。そう確か、そう名乗っていた。白い水干姿の、少年のような人・・
(そう言えば。泥棒市で暴れたか?)
次々に記憶が目覚める。何故かはわからないが、薫子と名乗った少女と背中を預けあったような・・初めてあった相手に背中を預けて乱闘になるなぞこれまでにはないことであった。そのあと、確か、薫子に手を掴まれて逃げた?!
そこではっきりと頼子の記憶は戻った。
ここは、薫子の館だ。長旅の汚れを洗い流し、髪を洗い、着替えまで用意してもらったのだ。そのあと食事をさせてもらい、少し横になったがそれからの記憶がなかった。随分眠っていたのだろうか?疲れがそれほどあるとは思っていなかったが、自分が思うほど気力は持っていなかったのだろう・・
「充分、お気をつけてお行きくださいませ。また、橘さまにご迷惑がかかりませぬように」
「わかっている!何度も言うな!」
「言わねば何をやらかすやらわからぬお方故でございます」
「お前にそれを言われたくはない!」
奥の部屋から出てきた二人のうち一人は薫子であるが、今一人は誰だろうか?体に掛けられている薄もので顔まで隠しそっちを窺った。
「大きな声を出せばお客人が起きてしまうぞ・・」
そう言った声はまだ若い男のもの。白い水干に長い髪を無造作に一つに束ねただけの姿。右手に太刀を携えて・・一瞬、女かと思ったほどの美しい顔立ちの人であった。
「兄さまもでございます。まあ、基之さまとご一緒でございましょうから、ややこしいことにさえならねば、よろしゅうございます」
静かな足さばきで二人は表のほうへ向かったのか、また静かになった。
「兄上がいたのか・・」
寝たふりをしていた頼子は庭先に小さな影が動いたのを見た。
それは、足音を忍ばせるようにしてこの部屋に入ってくると、そこに立てかけてあった太刀を食い入るように見つめた。その太刀ににも見覚えがある。
薫子の背負っていた太刀であったような・・影は頼子が眠っていると思っているのだろう。それは十歳ほどの男の子であった。ゆっくりとその太刀に指を触れようとしている。
「小竹!何をしています?!お部屋へ上がってはならぬと言うておるでしょう」
外から誰かの声が飛び、「小竹」と呼ばれた少年は弾かれたようにして手を引っ込めると、今来た庭先へ飛び出して行った。現れたのは「泥棒市」で一緒だった娘だ。
兄を見送って戻ってきた薫子は少女に笑いかける。
「困ったものです。兄さまにも・・鮎女からもいうてやってはくれぬか?わたくしの言うことなぞ聞く耳持たぬお方ゆえ」
「薫子さまがおおせになられて聞かれぬお方が、鮎女ごときの言うことなどお聞きにはなられませぬ」
「いや、そうでもない。兄さまはそなたと小竹が可愛いゆえ、言えば聞くやもしれぬ」
また、奥の部屋へ消えてゆくのか、小さな笑い声だけが残った。
薫子の声は不思議な声である。人を包み込むような温かい・・・
頼子は自分の置かれている立場に戸惑いながら、かぶっている薄ものの陰でその声を聞きながらまた眠りに落ちて行った・・




