望むままに・・・
足元には切り立った崖がある。その向こうには海が広がっている。
波静かな小さな入り江に、頼子を迎えに来たという船が浮かんでいた。
そこまで行くにはこの崖を下り、小舟に乗ることになる。
「このような所によく隠したものだな」
兼の声に頼子は軽やかな笑い声を上げた。
「都には切れ者の検非違使長官がおわしますゆえ、隠すところを探すのが大変であったようでございますよ」
「俺には海のことは分からぬが、ここまでよく来れたものだな」
「はい、他国の水軍と鉢合わせせぬように気を配って来たとか」
沖に停泊している船は女頭領を迎えに、命がけでここへ来たのだろう
今日頼子は白い水干姿で、水軍の長と言うよりは貴族の少年のように見える。
その姿を見た水軍達はどこか戸惑ったようにも見えたが、すぐに自分たちに命令する声に安堵したようでもあった。
ここまで馬で駆けてきた兼が一人だと知った時、頼子は見るからに落胆した。
「やはり、薫子さま、来ては下さらなかったのですね・・」
それは当然とは思うが、やはり、さびしい・・
「あなたは、都へ来られてよかったのか?」
兼の長い髪が下から吹き上げられる海の風に舞う。
「はい、楽しゅうございました・・逢うことなぞない方々にお会いでき、つらいこともありましたが、それもまたよかったと・・」
海に浮かぶ小舟から、呼ぶ声が聞こえて頼子は背を向けかけて、もう一度兼を見た。
「兼さま・・あのときのお約束、覚えておいでですか?」
約束?・・何のことか?怪訝そうな顔に、頼子はちいさな息をつく。
「本当に「薄情者」なのですね・・」
一歩詰め寄って来た頼子に、後ろへ引いた。
「わたくしが勝ったら「思うがまま、望むままに・・」と、仰せでした・・」
そう言えば、そんな賭けをしたような・・・そして、確か負けた・・ような・・・
「思い出されました?」
こくんとうなずいた途端に、唇に柔らかな感触があった。温かい・・
二人の髪が風に舞う・・離れた頼子の目から涙が一粒。風にさらわれてゆく・・
「・・お別れ、いたしまする・・お健やかに・・」
二度と会うことはないだろう人・・この崖をかけ下って行く先には水軍の長である自分を待つ皆である。
頼子にとって、それは最初で最後の「恋」であった。
大船に移った頼子を待っていたかのようにして間もなく帆が上がり動き出す。その様子を波静かな入り江の、少し離れた崖から薫子と綺羅が同じようにして見ていた。
「本当に・・意地っ張りだな・・一言くらい声かけりゃいいだろうに・・」
綺羅の言葉に自分でもそう思った。ただ、頼子に二人の時をやりたかったのだ。何かがあっただろうことはお吟からも聞いている。そこに自分がいてはいけない・・
「女子は、たった一人に見送ってもらえればよいのです。好いたお人に・・」
舳先がぐるりと回ってこちらへ向いた。その先端に立つ人が薫子に気がついた。
船べりを掴んでまっすぐにこちらを見ている。そして、向こうの崖にいる人もこっちに気がついたらしい。
薫子と頼子と・・声は届かない、それでも、両方で手を大きく振りあっている。
初めてあった日、背中を預けあって大暴れした。一緒に遊んだこともあった。それは、こののち薫子の青春の一場面としてずっと心に残ることになって行くのであった・・・




