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指図 無用(さしず むよう)


 それが何であるのか、薫子にはわからなかった。

 「薫風丸」を握りしめているのは、血だらけの塊にしか見えなかったのだ・・

 それが何か・・わかった時に、薫子は初めて絶叫した。

「・・嘘だろう・・こんなこと・・」

 近づいて目を凝らしてそれが見間違いではないことを知った。

 血まみれのそれに手を伸ばしかけて、触れてよいのかどうか迷う・・

 自分の指が震えていることに戸惑う。それでも、薫子は触れてみた。

 これほどの力で握りしめていたのか・・

 自分に返すためにこんなことになってしまった。

「・・鮎女・・うれしくはないぞ・・太刀なぞどうでもよいのに・・」

 そう言いながら、のどの奥で薫子は涙をのみこんだ。

 そっと触れた手首が、わずかに動いたような気がして血まみれになることもいとわず、薫子は両の手でそれに触れた。


 ごとっという感覚でそれが、「薫風丸」から離れたのは一瞬のことであった。二つの手首をひとつずつ、大切に薫子は両手の中へ収めそして、並べた。

 薫子の涙がそれにおちて広がった。「薫風丸」にはくっきりと血の跡が残っている。指の跡と言ってもよい。

 太刀を抱きしめた薫子の心はここにはない・・


「薫子どの・・」

「薫子さま・・」

 同時に呼びかけた基之と頼子の声は聞こえてはいない。その目が見ているのは、今、庭から逃げようとしている若者たちだけであった。


「・・・斬る・・」


 薫子の口から出た言葉に基之はその顔を見直した。

 このような顔をする薫子を初めて見る。いつも穏やかで、怒ることなぞめったとない姫である。しんとして、これほど冷たい表情は見たことがない。

 どこかそれは兼に似てもいる。


「だめだ!!あなたが手をかけてはいけない!・・あなたが手を血に染めるような価値ある奴らではない・・」

 基之の言葉に薫子は見上げるようにして、鮎女の血に染まった指を伸ばした。襟元へ伸びてきた手は薫子の怒りそのままに引き寄せる。

 すぐそこに、薫子の目があった。


「お指図、御無用・・」


 基之の知る薫子ではなかった・・自分はこの姫の何を見てきたのだろうか

「頼子どの、動くでない!!」

 鮎女を抱きあげたままの兼が頼子を制止する。でなければ頼子は薫子と共にそちらへ向かって走りそうだったのだ。


「頼子!そなたの弟ぞ・・たとえ母が違ったとて、血の繋がる姉弟ぞ!」

 父である人の言葉は頼子の足を止める。足早に孝臣たちを追おうとした薫子の耳にもそれは聞こえた。小さく首をかしげてから、何かを理解したようにして頼子を見つめたが、次には長い髪が翻り駆けてゆく。


「基之!!薫子を!!」

 兼の声を基之は止めよという意味だと受けた。前を行く薫子は走りながら「薫風丸」を抜いていた。その腕を掴もうとしてわずかに遅れた。



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