「賭け」
兼が屋敷へ帰った時に、いつも出迎えるはずの薫子の姿がなかった。
またどこかへ出歩いているのだと、大して気にもしてはいなかったが、自室の文机の上に置かれた文に妙な胸騒ぎを感じた。
表には「兼さま、おんもとへ」
裏には「よりこ」
美しいかな文字でしたためられ、萩の花が一枝添えられている。
(随分と雅なことをするな・・あの水軍の長どのは・・)
中の文に目を通してから、兼は今帰ったばかりの屋敷から再び外へ出た。
行く先は基之の屋敷である。主人である基之は宮中にあることが多く館へは時折帰るだけで、ほとんどは家人達だけで暮らしていると言ってもよい。
そこを水軍の連中は根城にしているらしく、頼子はそこへ兼を呼び出した。
庭先からしばらく頼子を見ていた。小うちぎ姿の頼子はサイコロを振っていた。すごろく遊びを一人でしているらしい・・
(双六は、今の一つ進んで二つ下がる、ような紙製のものではありません)
二つの明かりの間でひどく真剣なまなざしで、盤上のサイコロを振っている。髪を長く解きほどきどこかお姫様の雰囲気が漂う・・
その人の目が兼を見つけた。手を止めて笑う顔は美しい・・
そして、黙ったまま濡れ縁に立った兼を部屋へ上げる。
「薫子を、返していただこうか?」
「ようございますよ。でも、ここにはおられませぬ」
兼の眼がすっと細くなるのを頼子は見た。
「怖い目をなされますこと・・わたくしを、お斬りになる?」
「あなたの出方次第によっては・・」
双六の盤を挟んで向き合うような格好になってしまう。
「大丈夫です。わたくし、薫子さまが大好きですもの。あのお方に危害なぞ加えたりは致しませんよ・・ただ・・」
「ただ?」
「そう・・ただ、わたくしと賭けをしていただきたいのです・・双六で」
「何を賭けよと?」
「そうですね・・あなたがお勝ちになれば、薫子さまをお連れ下さって結構です」
「あなたが勝てば?」
「当然、わたくしの思い通りにさせていただきます・・いかが?」
兼は賭けごとが好きではない。しかし、そうも言ってはいられない・・
月明かりと燭台の灯りと・・その中で向かい合いサイコロを振る・・
「わたくし・・薫子さまが大好きです・・まっすぐで、優しい方。でも、悔しい・・おわかり?」
サイコロの数だけ進めながら頼子は語りだす。
「女子の嫉妬は見苦しゅうございましょう?でも、そうなのです・・羨ましくて、悔しくて・・」
何を語りだすのかわからぬままに、兼も賽を振る。
「こうして兼さまが迎えにおいでになる・・基之さまも薫子さまのことを案じておいでになる・・鮎女もお吟どのも・・皆・・なのに、わたくしには誰もおりませぬ・・」
頼子の声が震えているように聞こえて、その顔を見返した。
問うてはいけないことだったのかもしれない。しかし、それ以上にこの美しい人の過去を知りたいと思った・・
「なぜ、水軍になぞなられました?」
その問いに頼子は少し戸惑ったようであったが、兼の目の奥を覗き込むようにして、さらっと答えた。
「わたくし、売られたのですよ。親に・・水軍の長の許へ・・」




