夜光杯
堀川にある「検非違使庁」
その一番奥の部屋にいる検非違使長官如月 兼を訪ねて、春宮武官・藤原基之が駆けこんできたのは少し涼しくなった頃のこと・・・
「はあ?」
手の中に美しい杯を持ちながら兼は思わず友を見返した。
「だから、お前にしか頼めぬというておるのだ!」
「それはわかった。しかしな、基之。ここは検非違使庁ぞ。失せもの、探し人は管轄外だというている」
「それは承知だ。それでもおまえに頼むしかない」
先ほどからこの問答が続いている。
「困ったな・・」
それとなく、副官の橘 実明を見れば小さく首を横に振って見せる。
「これは、当藤原家にとっては秘め事の一つゆえ何としても見つけてもらわねばならん」
「ほほう・・藤原家にはそれほど秘め事があるのか?」
「普通はあるだろうが?秘め事の一つや二つ、三つや四つ五つ、六つ」
「どんどん増えるな・・」
まあ、藤原家ほどの家柄ならば、どれ程の隠し事があったとしても不思議ではない。
「いや、ここも今は追っていることがあるのでな・・」
そう言いながら、兼は手にしている美しい色の杯を掲げて見せた。
美しい翠色・・
「それは、夜光杯か?」
「さすがだな、藤原家の御曹司」
それは、「夜光杯」と呼ばれる唐から渡ってくるもの・・それに酒を満たし月に透かせば光が見えると言われる名高い杯である。
「酔うて砂上に臥す 君笑うことなかれ
古来征戦幾人か 帰る・・」
口を衝いて出たのは名高い詩である。
それに出てくるのがこの夜光杯だった。どうしたものかと、少し考える風な基之に兼は疑問を持った。
しばらくして、仕方ない顔をした基之は思いもよらないことを言い出した。
「その夜光杯も、実はこれに関係している・・」
「抜け荷、にか?」
兼達、検非違使が追っているのは、西国から流れてきているこれらの出どころである。
「それを流したのは西国の水軍でな、いささか当家とかかわりがある。流したほうは処分したのだが受け手がわからぬのだ。それを知って、水軍の長が自ら追ってきたというわけだ・・」
「探し人は、その長か?」
「そう・・我らが一族では「ばばさま」と呼んでいる」
「おんな頭領か?」
「百を超す荒くれどもを率いて海へ出る。死んだ爺さまの連れ合いよ」
「そのような年寄りが・・大したばばさまよな・・」
兼の声に基之は座りなおすと
「まさか都で行方知れずになるとは思わなんだ。頼む、手を貸してくれ」
頭を下げた。
「橘・・・」
呼びかけに副官はいやな顔をした・・が、それもどこか、笑っているようにも見える。
「今度何かあった時は謹慎では済みませぬが・・」
この春に三度目の謹慎処分を食らったばかりであるのに、もうそれを忘れたかのようなこの人に言葉もない・・
「大丈夫だ。今度は始末書だけで済むようにするゆえ」
「いえ、・・そういう問題では・・ないと思うのですが・・」
副官の心配をよそにして、この事件に首を突っ込むことになってしまった兼。
ここからまた、始まることになって行きます。




